神に、挑む旅 〜 day4  ライジング・サン | かんながら

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旅の記録です

 

神に、挑む旅 〜 day 3 海の底の記憶からのつづき

 

 

小ニーニーとは、デートの約束をしていたけど、待ち合わせは「未定」。

「午後に電話する」だってさ。

 

毎日どんな素敵な出会いがあっても対応できるように、

連泊するつもりでも荷物はまとめて持ち歩いて、

 

どんなことにも対応できるようにはしてるんだけど、

予定があるのに、予定が立たないのってちょっと微妙。

 

 

「待ってる間の時間を、どう過ごしたらいいわけよ?」

「バスで島一周してればいいんじゃない?」

「え、もう池間一周はさんざん乗ったけど?」

マムヤの墓(みやこをつなぐ旅 琉球・大神島編)のある、東平安名崎のほうにもあるから」

 

 

とはいえ、島のバスは、都バスとちがって頻繁にはない。

チェックアウトから1時間後のバスに乗るまで、どこかで時間をつぶさねば。

 

昨日の島の女性にも連絡したが、仕事だっていうし、

クルマに乗せてくれた港の街の友だちも「毎日は、、、」っていうし、

 

パイナガマビーチにでも行って昨日もらったうずまきパンを食べよう、って思って歩いて行った。

 

 

でもなんとなく、港の景色をみているとくつろいじゃってコンテナが並ぶ港でうずまきパン。

親族みんな、そういえば港で働いてた。

海も空も。

特に母の職場は港だったから、子どものとき時どき連れられて行った。

 

わたしが港が好きなのは、悲しいことがあるとひとりでクルマ飛ばして夜の港に行っていたからだって思ってたけど、

 

英語のペラペラなおばあちゃんがつくるふわっふわなオムライスとか、

本格的すぎる洋食屋さんとか、ちょっとした小さな思い出が落ちていたからかもしれないな。

 

 

ぼんやりしてたら東平安名崎行きのバスには乗り遅れた。

さらに2時間待てばバスはくるけど、その間に池間島一周コース行って戻って来れるスケジュール。

 

 

それで、とりあえず池間島一周のバスに。

うとうとしていてふと目をあけたら、南静園だった。

 

 

ハンセン病の隔離施設だった場所。

以前の記事に書いたことがあるけど、ウチの親族にもいる(実の父と二人旅 〜鹿児島へ)。

ひっそりと施設でいないことにされて暮らしていた人。

父が叔父である彼の人生の最後に訪ねて行ったら涙を流して喜んでくれたと言っていた。

 

 

ええ、わたし全てを反対からもみえる性質持ってるので、

それまで彼を不在にしてたことへの反省はないのか、と思っちゃうんだけど。

 

わたしが妙に社会的な弱者に肩入れしてるって指摘は、しろくまさんからもあったけど、

たぶんわたしが自由を渇望する衝動は彼らの思いがわたしにのってくるからかと思うくらい。

 

わたしが最初に海外に出た時期と、おじさんが亡くなった時期が一緒だったしね。

 

 

で、過去記事で「ハンセン病」を調べたら、この記事(毒親も薬になる?! 〜東京湾から本牧埠頭へ)が出てきて、

なにやら重要なことが書いてある感じ。

 

「船から馬に乗り換えた場所、伏見。」。

今この記事は後追いで書いているので、先にこれに似たフレーズをある場所で見ることになるのを知っている。

 

 

 

 

折り返しのバスまで40分。

ひとつ先のバス停にしかバスは寄らないから、バス停に行く時間を入れたら20分しか余裕がない。

 

でも、今まではコロナで開いていなかったし、今度きたときにはあいてるかどうかわからない。

とにかく行ってみよう、ってことで。

 

館内は写真撮影禁止で記録はないけど、そこに暮らした人たちの思いが伝わる展示。

 

 

 

 

 

 

子どもを持つことも許されず、家族と名乗ることも、故郷で暮らすことも許されなかった人たち。

 

 

国が裁判に負けたっていうけど、国って誰よ?

 

 

国という言葉で隠された、わたしたちの無関心や差別の意識は、

国が裁判に敗れても、当事者としての反省がないまま、そこにある。

 

 

[熊本地裁判決]ハンセン病はらい菌による感染症。感染しにくく、適切な治療で完治する。日本は1996年の「らい予防法」廃止まで患者の強制隔離政策を約90年間維持。熊本地裁は2001年、元患者による国家賠償請求訴訟で「遅くとも1960年には違憲性が明白だった」として、国の責任を認めた。国は控訴を断念し、謝罪した。

 

 

 

奄美大島の和光園は、神父さんたちがこっそり生まれた赤ちゃんを引き取って育てて、子どもをもてた人もいると聞いた。

それでも親と名乗ることも許されなかったとも聞く。

 

 

それを許さなかったのは、国家なのだろうか?

わたしたち一人ひとりなんじゃないのか?

 

 

コロナも同じ。

自分が助かりたいから、困っている人を排除する。

わたしたちの意識は、ハンセン病・熊本地裁判決から20年以上の時を経ても、未だになにひとつ変わっていない。

 

 

国のせいだと?

お前のせいじゃ!

 

 

とわたしはいいたい。

 

もちろん自分自身がその一員であることは自覚している。

 

 

 

 

 

折り返しのバスに乗って、平良の街で乗り換えた。

早い船で来ないのであれば、東平安名崎行きバスにのって温泉にでも行こうと思った。

でもバス停から15分歩くことになっているので、雨が降ったら歩くのはよそうとは思っていた。

 

すると走り出してしばらくで土砂降りに。

歩きは無理と通りがかったショッピングモール前のバス停で降りることに。

 

雨宿りのショッピングモールで小ニーニーに電話した。

 

 

「電波の届かないところにあるか、電源が入っていないため・・・」

「!!!」

 

 

居留守?

電池切れ?

どっちにしても、連絡つかないじゃん!!

 

 

食堂に電話するも、わたしと察したみたいで、大ニーニーは電話を切るし。

 

 

不思議なことに、昨日船に乗る直前に、島の友だちが電話番号を教えてくれたのだ。

「東京にきたら電話するね」って。

 

 

「さっきの船に乗っていたのみかけたよ。電話してあげるよ。どこにいるの?」

「え、わたしがかけてもつながらないんだよ?」

「ちょっと待っててね」

 

 

で、繋がった。

なぜかわたしの電話は妨害にでもあっているかのように繋がらなかったが、

友だちの電話はすぐに通じて会えた。

 
 
心当たりはあるけどね。妨害。

前に大ニーニーから一方的に出禁をくらったとき(旧雛まつりは、浜下り 〜次へ向かう禊)も、

 

 

 

小ニーニーがわたしと島を出ようとしたら、
 
「この人を連れていってどうするつもりなの〜〜〜!!!!」
 
って叫んでいたから。
 
 
わたしはどうするつもりもないよ。
なかよしと飲みに行って楽しい時間を過ごそうっていうだけ。
 
 
逆に、彼には幽閉する意図があるんじゃないかと勘繰ってしまう。
だって、人間って自分が考えるように相手も考えるって思うものみたいだから。

 

 

何度かきたけど、いつも振られてた、古謝そば屋がちょうどやってて遅い昼ごはん。

 

 

観光客がいっぱいで小洒落たお店。

 

「今日どこに泊まろうかな」

「ライジング・サンがいいんじゃない?」

「は?」

 

そういえば、いつも勧められてるけど、スルーしてた。

だって高いし場所も悪いんだもん。

でも今日は送ってくれるっていうし、カンパしてくれるっていうからそうすることに。

 

 

「なんでそこなの?」

「名前がいい」

「・・・。」

 
 
旭日、か。
 
 
そういえば、今回の旅の最初は月食で、
大ニーニーがその時間たまたまいなくて穏やかに再会できたようなもの。
 
 
そういえば、今年の初日の出は、島で一緒にみたんだった(降誕節は琉球へその10 〜大神の島まとめ)。
しかも「オレが来ると太陽があがる」みたいなことを言っていたし、彼も太陽族なのかもね。
 
 
 
旭日旗って、日本帝国軍旗で使われていたからいろいろ物議を醸すけど、
なんか似た意匠のものはいろいろあるみたいで、アメリカ合衆国、中華人民共和国、ウクライナ、チベット亡命政府、ベラルーシなどで使われているみたい。
 
 
「神はいない」ってところで合意している小ニーニーとは、
民俗学的な視点からの神様の話も基本しないので、彼が理解しているかどうかはわからないが、
 
大ニーニーは「月」族である。
 
実際、沖縄では、月代宮と縁があるといっていたし。
なんか、調神社(つきじんじゃ)が氏神様で、満月になると元気になる伊勢平氏おじさんとキャラがかぶるし。
 
以前に短いメッセージが来て記録している記事(月は日によりて輝けり)に、
「月の時代」としてこんなこと書いてある。
 
 
 
今の時代、力もお金もある人たちは人を動かすのが上手い人たちだ。
そして、つかえるかつかえないか、清らかか穢れているか、で人を判断する。
そして、いらないと思うとあっさりと切り捨てる。
 
 
なんか、これ、今まで仲よくやってきたのに、移住希望の夫婦がまた島に来るようになって、
わたしを切り捨てたっていう大ニーニーから受けた「出禁」そのままじゃん。
当時は伊勢平氏おじさんのことを考察して書いたつもりだったんだけど。
 
やっぱり「神」の仕業か(謎)。
 

 

港町の友だちとの連日の伊良部大橋に続いて、小ニーニーとも伊良部島大橋をドライブ。

 

このところ伊良部島がなぜか熱い。

 

前回の旅で、伊良部島で珊瑚の保護活動をしているジンカムさんに通り池を案内してもらったんだけど(旧雛まつりは、浜下り 〜次へ向かう禊)、

 

今回は港町の彼女が昔のおつかいでよくきたっていうAコープの他にも、

宿で一緒だったサーファーさんが昔伊良部島に住んでいたっていって、

伊良部島にサーフィンに通ってたり、やたら伊良部島に縁がある。

 

 

なんかの予告編?

 

 

 

前に、しっぽワークの人魚姫さんと飲んだ芳野商店。

あのときは2月の大潮の頃(みやこをつなぐ旅 琉球・大神島編)。

空港に行ったら「大神にいるんですか?」ってメッセージが3日くらい前に入ってて、

帰る予定を変更して延泊したんだった。

 

で、すごい豪雨の中、出かけたなぁ。

龍神が動いた日(謎)。

 

そして、今回は彼女たちは島から出払っていたが、熊本でフェニックス(火の鳥)を飛ばしていたみたい。

 

 

 

ご馳走してくれるっていうから思い切り食べようと思っていたけど、遅い時間に目一杯そば食べたあとだから入んない。

 
 

ここの社長さんとは島の食堂で会ったことがある。

「今度行きますねー」と言って別れたが、なんのことはない、すでに行っていて、気に入っているお店であった。

 

小ニーニーには「あなたはブラックホール」っていわれた。

なんでも吸い込むからだってさ。

近づいたら危険なんだって。

 

わたし、「太陽」っていわれてるんですけど。

でも、ブラックホールの反対側は光らしいよ、って言ったらそうだとは言っていた。

 

だってこの世界はたぶんひとつなんだもん。

どんどんまじりあってひとつになり、またそれが分離していく。

 

 

破壊と再生。

それが、自然界。

 

 

そして、ここへ。

 

LB Cafe

コーヒーが美味しくて、朝遅い宮古島で朝7時半からやっているカフェ。

 
今振り返ってみて思うけど、ずっとスピリチュアル家族と一緒にいた感じ。
そもそも今までと店のチョイスが違うもん。
 
今までは「ザ・ローカル」な店だったのに、ちょっと移住者のデートっぽいセレクトのような気がする。
 
 
ま、前回も「しろくまカフェ」などという、まったくそのかわいさとマッチしない、おじいおばあのコンビでいくにはなんだかな、ってところに行ったけど(みやこをつなぐ旅 琉球・大神島編)。
 
 

 

 

世捨て人コンビのわたしたち。

 

 
もちろん小ニーニーはそう思ってないかもしれないけど、
ふたこと目には「金はいらん」っていうからね。
 
 
わたし最近気がついた。
 
 
本当の貧困を体験した人にとって、お金がないってすごい恐怖なんだって。
わたしだって貯金はないし、まちがいなく貧困だけど、
いつもぎりぎりで心ある友人たちが助けてくれたり、コロナがきたりの奇跡でつないで
家を失うこともなくやってこられて本当の貧困を体験したことはない。
 
 
小ニーニーにはちゃんと働いて家もあるきょうだいもたくさんいて、
ある意味「お金がなくていい」っていっても住む家も、助けてくれる人もいるから
「お金がない恐怖」を想像できっこない。
 
小ニーニーを見ててようやくわかったわけ。
わたしの「お金いらない」って、恵まれた身分を忘れた甘えだった、って。
 
 
この旅の最初の記事(神に、挑む旅 〜day 1 ふたたび神の島へ)に載せたけど、
Free Styleの青野社長は、お金がない苦労をした人。
だから、わたしにいう。
 
「ビジネスっていうのは、金を取り合う戦争なんです。人を殺さない戦争!!」

 

彼は自分のためにお金が必要な人じゃない。

お金というエネルギーの主導権を、「誰が」握るか、は世の中に大きく影響する、と思う。

 

 

わたし、お金というエネルギーがよい世の中を作ってほしいって思うもん。

 

 

今は残念ながらお金は、しあわせや豊かさを生み出すツールではなく、

関わる人たちの民度の低さによって支配のための道具になっている気さえする。

 

 

でも、わたしも心から尊敬する人たちと仕事して、お金というエネルギーの主導権を持ちたいって思うようになってきた。

 

 

 

クルマの中でスーパーで買ったお弁当を小ニーニーとふたりで食べた。

 

もう散々食べたからおなかは全く空いていなかったけど、

わたしにも食べろといって手巻き寿司を買ってくれた。

 

 

船の時間があるから飲み込むように天丼弁当を食べてる小ニーニーを眺めながら、買ってもらった手巻き寿司を口にしたら、

なんなんだろ、こんなちいさなしあわせの瞬間がたまらなく愛おしくて涙がこぼれた。

 

 

 

わたし、しろくまさんが死んでから、決まった時間にごはんを食べる習慣はもはやないけど、

人といないときは、本当にお腹が空いた時に、いつもひとりで同じものを黙って食べる。

 

 

人間の食事って、空腹を満たすためのものではなくて、

時間や空間をシェアするものなんだなって初めて気づいたから。

 

 

思えばわたし自身が子どものときから、そんなこと考えたこともなかった。

祖父が亡くなったときから、ずっとひとりで作ってひとりで食べていたから。

 

 

それがあたりまえで、それが不足だなんて思ったこともなかった。

 

 

 

その代わり、

 

「あなたには手はかけられなかったが、お金はかけた」

 

と、母がいうくらい、母子家庭だったけど、お金の心配はしなくてすんだ(川と海の街 〜瀬織津姫はノーを言えるか恋することは、できなくても。〜愛する、という挑戦)。

 

 

またね、って手を振って、港でお別れ。

いつもは空港に送ってもらうからちょっと不思議な感覚でもある。

 

この世とあの世を分つ場所かもね、ここも。

 

今日の行き先を決めていないから、路線バスで帰る途中に決めようと思ったが、
港町の友だちに会えるなら会っておこうかとしつこく連絡。
 
 
ちょうどお昼と買い物に出かけようと思っていたところ、ってことで一緒にごはん。
 
で、彼女が昨日行こうと言ってたお店へ。

 
すむばり食堂のタコ炒めそば。
入らないっていうのに。まだ食べるわたし。

しかも、ごちそうに。

 

ここでようやく、今日も宮古島に泊まるか、羽田に帰るか、それとも那覇にいくか、決めることに。

 

 

新しいカードをひく、としたら、「那覇」でしょ。

 

ってことで、那覇空港へ。

夕方の便はちょうど満席だったがこのタイミングで1つ空席がでたから。

 

 

向かう先は、

はじめて大神島に向かった前の日に泊まった、ビールが飲み放題のあのホテル(虎の口に入る?)。

 

 

面白いことに最初の大神島のことは、写真だけで何も書いていない。

文章にできなかったみたい。

 

そもそもあれに向かうストーリーもできすぎだった。

 

 

で、いよいよ、逆回り?

エーゲ海から美保関〜奥出雲〜吉備〜讃岐〜阿波って黄泉の国ルートを通っての大神島。

 

 

「復活の狼煙が上がった」って言葉がしっくり来るんだけど。

「ライジング・サン」だしね。

 

で、那覇。

 

前回訪ねた居酒屋さんに予約の電話。

 

「ごめんなさい、あいてません」

「あくまで寝ないで待ってます!!」

 

 

飲み放題のビールを飲んで待っていたが、いつまで経っても電話がこない。

 

閉店1時間前に様子を見に行こうって店に行ったら

 

「ちょうど閉めました」

「えー!待ってたのに!!」

「え、電話の方ですか?」

「そう」

 

電話番号のメモの取り違い。

水星逆行中、モロ受けている障害のあれこれ。
 

image

 

席をあけてくれて、料理も普通には飲めない泡盛も出してくれた。

東京にいた頃の話とか、いろいろ。

わずかな時間だったけど楽しかった。

 

 

 

(つづく)