月は日によりて輝けり | かんながら

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旅の記録です


令和元年はいろんなことがありすぎた。
 
もちろん一番の大きな事件は夫に先立たれたこと。しかも突然に。
今もまだ夢の中にいるような感覚がある。
阪神淡路大震災に遭ったあとも、こんなふわふわした感じでリアリティがなかった。
 
そして不思議なことがいっぱいあって、東京を経て沖縄に、そしてアフリカに行った。
 
そこで出会った人や出来事はあとでまた絶妙なタイミングで重なりあい、やっぱりね、みたいなことばかりあった。
 
 
だから、令和元年にあったいろいろなことも、あとになったら絶妙なタイミングで全部がはっきりわかるようになるんだろうと思う。
 
 
「みつるは月。月は日によりて輝けり」
ある朝いつものように、明治神宮にお参りしていたら、そんな言葉が降りてきた。
 
あたりまえのことだよね、と気にもとめていなかったけど、
ここにきて不思議な記述を目にしてはっとした。
 
「今は月の時代」。
 
 
だとしたら、いろいろ深い部分で納得なのだ。
 
 
大元造化三神報恩之祝詞(だいげんぞうがさんじんえほうおんののりと)に出てくる
 
眼に所見物形は 日の御国 月の御国 星の御国
(めにみえるものは ひのみくに つきのみくに ほしのみくに)
 
日、月、星
 
 
その中で、月だけは、自分の力で輝けない。
でも、今がもし、月の時代、だとしたら、
 
 
月が一番輝いている、ということだ。
 
 
ダンナは、北極が好きな星の人だった。
わたしのまわりの友人たちは、星が大好きだったり、星空をみて「帰りたい」とつぶやいたり、おかしい星の人たちだ。
 
 
 
そして昨年たくさんわたしのところに送り込まれた人たちは、ギラギラしていて力もお金もあって、太陽みたいな人だったけど。。。もしかして?
 
 
 
今の時代、力もお金もある人たちは人を動かすのが上手い人たちだ。
そして、つかえるかつかえないか、清らかか穢れているか、で人を判断する。
そして、いらないと思うとあっさりと切り捨てる。
 
 
でもね、本当は。
自分自身をみているだけなんだよ。
穢らわしいもの、使えない人、そして、憧れさえも。
 
 
陛下は国民を「大御宝(おおみたから)」と大切にしてくださる。
 
月は、日のひかりによりて、輝けり。
 
成功し続けている人も同じだなと思うのだ。

 

月の時代はいつまで続くのだろう?