わらしべでつかんだものは ~新しい御用のスタイル | かんながら

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旅の記録です

 

八丈島に待っていたものは ~琉球王の父 源為朝とキンマモンからのつづき。

 

八丈島から帰ってバイトに行った先には将門さんが待っていた。

将門さんの首塚に、赤いのぼりがたっていてあれ?と思ったが、それは、なんと史上初、将門塚前にて神輿渡御ってことだった。

 

 

これも、お友達のSNS投稿で知った。

彼女のほうは、将門神社(神田明神)にまつりのあとに行ったらしく、「あとのまつり」って書いていたけど、

わたしも「あとのまつり」をみたことになるのかな。

 

 

赤いのぼり、なに?って思ったけど、平家だから赤だよね。

最近赤が弱ってるってかんじる。

足りないというか。

 

 

それで赤いワンピースを着て去っていくってことだったのかな。

赤が平家カラーだっていうのはようやく理解できたけどね。

あの当時はシュメールとかヒッタイトって思ってたけど。鉄の氏族。


 

たまたまこれまたSNSで生月島の姫さまがホタル狩りにいって、「昔はヘイケ(ホタル)もいたけどゲンジばかりになった」

って書いてて、はっとした。

やっぱりもうちょっと平家復活させないとダメだよねって。紅白バランスよくが日本の伝統だから。

 

だからかな。

最近沖縄で「琉球にきたのは(源氏ではなく)平家だった」って話になってきたのは。

 

思えばわたし、赤色なんか着たことなかった。

母が好きな色は風と共に去りぬのビビアンリーの緑で、自分もその色が好きだと思ってずっと緑を着ていた。

深緑のジャケットを。1番目の元ダンナも緑ジャケの人だった。

今ならわかるけどね、なんとなく。彼の留学先はイギリスだった。

わたしも祖父と最初に行った海外はイギリス。

 

ドイツにいったときはホッとしたけど、あれは島の方の親族に縁がある場所だったからだと今は思う。

 

 

 

将門塚に思いがけず行った日は、明治神宮でアオサギをみかけたが、翌日は代々木公園でみかける。

見かけたのはサギだけじゃなくて、「あれは王だ」とあの日(鹿の国から馬の国へ  〜アカルヒメとヒボコが出会ったら)につぶやいた伊勢平氏おじさんも。

 

 

 

 

ちゃんと鷺と伊勢平氏おじさんと明治天皇が繋がっているのよ、すでに。

これが、御用。そこに代々木がくる。

 

自分が選択したからだけど、ほんとに「御用」のど真ん中にいるなってかんじる。

徴(しるし)がてんこもり。

 

 

ヨギの治療師ともいろいろあった。

彼はわたしに対して興味が薄れたから、あの言いようだったんだなって思うんだけど、自覚がないみたい。

なんていうのか、本人がどんなに隠しても、相手の表情でわかることはあるのよね。

人間って恋愛感情もつ相手には表情が変わるみたい。

 

 

今年に入って1か月に7キロやせた。

当然心労の心当たりがあるから、そんなものかと思いつつも、ある日バイトに出かけたら平坦な床でつまずきそうになって、足が上がってないって気がついた。

御用関係者の旦那さんがかかった難病と兆候が似てたから、一度は体調不良を訴えたのにスルーされたヨギの治療師に「周りからも(やせっぷりをみて)検査しろとしきりに言われる」と付け加えてつまずきそうになったことを伝えたが、「人に言われてっていう患者は迷惑」みたいなコメントつきで大丈夫って内容の返事がきた。

 

その前にヨギの治療師にはずいぶん「御用はやめた方がいい」ってアドバイスされてきたから、試しに「新しい御用」の様子を久しぶりに連絡したら「よかったね」みたいな内容の返事がきたので、わたしは結局「新しい御用」の渦の中にいるんだなって悟った。「家族大事」みたいな熱いコメントつきで。

 

 

わたしには「血肉分けたる仲」よりも大事なものがあるって言ってるのに。

 

 

 

ちぐはぐな答えが返ってくるときは、あきらかに何か別の意思が働いている。

抵抗しないでその中にいながらうまくやっていくしかない。

 

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オリンピック記念宿舎は、元GHQの将校さんの家だった。

ここは、ふつうの人たちが入れない場所で、ここに住む家族のために、キディランド(おもちゃ屋)ができ、生野菜を供給するために紀伊國屋スーパーができ、パン屋やレストラン、家具屋やカーテン、家政婦の派遣所などができたのが表参道エリアのはじまり。

 

近くには慰安所があって、地方で身寄りを失った女性たちが「盾となるため」として仕事をしていた。

慰安婦は日本人にもいたのである。

しかも、日本政府の要請で。

 

 

おそらく何の保証も受けていない。

ひっそりとその事実すらないことになっているくらいだから。

たぶんそれを明るみに出されたくない人も多いと思う。

彼女たちは、日本の國體を支えてきた瀬織津姫。

 

 

 

古い人達は知っている。ここはいいも悪いもそういう町だったって。

この特別な世界で、ジャニーズを作ったジャニー喜多川さんが野球をしていたって話も。

 

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代々木公園で鷺と伊勢平氏おじさんをみかけた日のバイト先は本郷。

やはりというかたくさんの徴がある。

切通坂だもの。

もう一つの切通坂は代々木にあり、その記事を書いたときにこのエリアのことも書いている(代々木青山 今昔 〜ふたつの「きりとおし坂」)。

 

 

 

このエリアは思い出深い。

 

なにがってわたしこのエリアで会社員していたときに、不満と噂話が渦巻くロッカールームから卒業できた。

それが嫌で昼休み、ひとりで本屋に出かけていたらあるとき本棚から飛び出して見えたのが、「思考は現実化する」って本と、斎藤一人さんの本で、なぜひとりさんの本を手に取ったかっていうと、化粧品や健康食品の開発の仕事をしていたときの社長が目標にしていたのがひとりさんだったから。

高額納税者だってことは知っていた。銀座で10人くらいの社員で始めた健康食品会社。

わたしが化粧品や健康食品の仕事をしていた会社は、わたしが入社したころまさに同じくらいの規模だった。

 

「今のあなたの環境は、今のあなたにちょうどいい」

 

あまりの衝撃に言葉もなかったが、そうかもしれないと思ってわたしは行動を変えた。

相手が無視しても自分は笑顔で挨拶。

続けていくうちに、周りの反応が変わり、結局わたしは思いがけない引き抜きにあってその会社を卒業した。

 

 

 

この店は、アフリカに行く前に勤めた湯島の薬局で送別会か歓迎会をしてもらった。

けどそれよりずっと前、まだ学生時代にもグループできたことがある。

そのときのひとりは最近不思議なご縁でたまにつながる長野の元カレじゃん。

 

結局わたしはずっとこうして御用をさせられているとしか思えない。

 

同じところばっかり連れられて。

今回はようやくわかったよ。

ここは遊郭があった場所なんでしょ。

街道がぶつかる場所。

「辻」が遊郭のあった場所だって記事も最近目にした気がする。

 

ってことは三輪山のあの場所もそうだってことじゃん。

 

 

わたし自身は遊女の記憶とかないんだけど、伊勢方は船宿で置屋だったみたいだからね。

罪深い仕事だったんだろうな。

縁のある女性たちに「遊女だった」っていう人多いんだもの。

 

 

切通坂のもうひとつは三菱の岩崎弥太郎。

 

 

なにげに鹿児島の香りもする旧町名案内。

 

 

なんと加賀藩が寄進した赤門のある東大には、「鉄門」なるものもあった。

鉄といえばシュメールじゃん。

 

 

江戸の人々は種痘所を鉄門と呼んでいた、だって。

 

最近種痘って言葉を記事に書いた気がするけど?

赤べこの会津のことを書いている(八丈島に待っていたものは ~琉球王の父 源為朝とキンマモン )。

 

 

(速報メモ)八丈島に待っていたものは ~琉球王の父 源為朝とキンマモン 

 

 

仕事終えて次の目的地に向かう途中に神田明神。

 

ひとつ前のバス停で降りるでしょ。

ちょうど神輿をみたばかりだし。

 

それこそ八丈島前、神楽坂に呼ばれたときからずっと将門さんついてきてますけど。

 

 

なんで狸があるんだろ。

あと、「あまのいわと」って書いてある?

あまのやだから?麹室があったって書いてある。

 

ん?麹って酒を醸す氏族のものって感じがするけど?

三島は酒を醸す氏族。

大神神社から杉玉は出るというしね。

 

 

 

 

 

そういえば、少彦名大神を祀るようになった、って書いてあった。

なった、ってことはもとは当たり前だけど違ったってことだよね。

 

 

ニコライ堂の前は、紅梅坂。白梅ではなくて。

 

声明

愛と平和の希求

 

聖自治日本正教会はあらゆる暴力行為と破壊に反対します。

そして、今般のウクライナにおける紛争の一日も早い終結を切願します。

 

聖自治日本正教会はすべての神品・教役者は、その敬虔なる信徒と共に、

今般の紛争当事者である正教の兄弟間のみならず、全世界における友愛と平和の実現のため謙卑の心を以て哀心から祈り、この紛争によるすべての犠牲者と被災者を慮る祈祷を献じてください。

 

全世界の安和と衆人の合一を希求します。

 

聖自治日本正教会 

主教会議

 

 

2022年3月10日 大斎初週の日

 

 

お茶の水にある喫茶店穂高。

ここもずっと昔縁があってよく来た喫茶店。

穂高って、安曇野だし。

 

安曇野とももう長いつきあい。

当の本人はそれほど愛着があったわけではないらしい。

御柱祭すら。

 

なんなんだろ。

わたしにあれほど熱く語っていたのは、都の西北の学生だったあなたでなければ誰なのだ。

 

これが、ザ・御用。

 

もうバイトに行く先々があまりにも「過去のやり直し」みたいなところばっかりで、なんか変だとは思ってたけど、

わたし、条件しか見てないはずのアプリのバイトで、こうも同じテーマが追っかけてくるからこれは、新手の御用だって思ったわけ。

 

今まではただめぐらされているだけだったけど、今度はいちおう目に見える別の仕事があって、お給料がもらえるようになった。

で、用が終わると仕事ごとなくなるという。

よさそうな話がきてそれにのっても間違いなく連れていかれるっぽい。

 

 
今度は太田姫神社だもん。
きたことがあるよ、ここも。

安曇の庭に誘われて(安曇野から丹後へ その6) 〜 将門さんの御用で千葉へ

 

きたはずだけど、書いてないのか。

 

けっこう重めの御用をしているときじゃん。

しかも記事にない。

太田姫が重要ってなにわの審神者が言っていたころかもしれないな。

丹後にもいっているみたいだし。

 

 

ロシアとウクライナに平和が訪れますように。

 

で、これまた最近やたらにいくことになっている秋葉原。

秋葉原といえば、秋葉の神=火の神。

 

 

 

明治神宮は菖蒲の名所でもある。

まもなく咲くよ。

 

 
今日のニュースは中央線でシカの衝突。
しょっちゅうあるんだって。
シカも、梶も、藤も増えすぎないほうがいいってことなんだろうね(謎)。

 

 

結婚式の仕事をさせてもらったり、呼ばれた先が市ヶ谷だったり。

市ヶ谷は防衛省があるところだし、わかってるから!!

 

あそこのお山にも稲荷があるし。

 

(関連記事)

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