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アマチュア無線の裏側で

1970から1980年代の忘れがたい記憶から

1970年代のHFバンドの大問題と言えば、超強力な妨害波であった旧ソ連のOTHレーダー、通称「ウッドペッカー」です。これ自体についてはweb上にも多くの説明があるので省略しますが、ここでは補足的な事を書いてみます。

 

Wikipediaにも書かれている逸話で、「ウッドペッカー」が出ている周波数に被せてCWで短点を送信すると一時的にせよ退く、という噂は当時実際にありました。しかも単なる噂でもなく多少は本当だったと思います。

ウッドペッカーはバースト波のような幅の広い信号なので、当時のノイズブランカーは全く無力(後に対策品が出ましたが)であり、しかもSメーターを目一杯振らせるほど強力ですから、OTH波が居座ってしまった周波数はどうせ全く使い物になりません。そこで、管球機の終段同調を取る際にウッドペッカーに被せて送信する局が普通に存在しましたが、何か影響したような雰囲気はしばしば感じました。それはOTHレーダーは超遠距離からの極めて微弱な反射波を受信するものですから、極東の隅っこからだろうと連続キャリアだろうと、わざわざ送信する奴がいたら充分邪魔にはなっただろうと思われるからです。

ただし周波数は自動的にコントロールされていたのでしょう。そもそも国際条約のバンド区分も無視した局ですし、一旦は移動してもすぐにまた邪魔な場所に出て来るので、ハムバンドから追い出す目的にはほとんど実効はなかったと思います。

 

ソ連が崩壊して色々と情報が公開されて分かったことですが、後から振り返ってみればこの「ウッドペッカー」の正体、つまり何が目的で、どこから送信されているのか、どれほどの大出力なのか、などという情報は、当時からかなり正しくアマチュア無線家たちの間に伝わっていました。

仮想敵の軍事技術をどこまで把握しているかは普通は国防上の機密ですが、本件の場合は隠しようもない現状が先にありましたから、あえて旧ソ連の迷惑行為であると積極的に西側機関がリークしていたのでは・・・というのは考え過ぎでしょうか?

私が開局した頃にはボイス・コントロール(VOX)はもう普通の付属回路で、八重洲なら普及機のFT-200、トリオなら10ワット機のTX-310にさえ装備されていました。CWのセミブレークイン操作の為でもあります。しかし初期のVOX回路は往々にしてゲイン不足気味です。つまり、工場出荷の本体に純正スタンドマイクロホンでも全く不自由した記憶のない人はそれなり「通る声」の持ち主のはずで、声帯の弱い私には使いにくい物でした。

 

VOXの最大の課題の「頭切れ」ですが、電磁リレーを使う限りは避けられず程度の差だけの話です。八重洲FT-400/401などはアンテナリレーが大きいだけに応答も遅く、これが元で「あー」とか最初にいう癖がついてしまう人は普通にいました。現実には頭切れが少々大きくとも会話に支障は出ませんがね。


無接点化はトリオの2m ハンディ機 TR-2200(1970)が多分最初で、当時はリレー音がしないのをむしろ不安に感じたものです。TR-2200にこそVOXはありませんが送受切り替えへの意識を高めたのは間違いなく、この頃からVOXも大きく改善が進みました。例えばトリオTX-599(1970)は全ディスクリートで8石と、当時の能動素子の数から見たら大変な気合の入り方で、スピーチ・プロセッサの導入以前に送信機能を差別化しようとすると、こういう所からだったのです。

 

真空管回路ではネオン管の大きなヒステリシス、または整流・平滑してリレーに任せていましたが、TX-599は教科書通りの2石シュミット回路で狙った特性を作り、この基本形がその後も各モデルに長く流用されました。八重洲はVOXもAF増幅もさっさとIC化を進めましたが、トリオはいずれもディスクリートのまま走り続けたのはトランジスタ化の初期から必要充分を達成し、あえて再設計の必要も感じなかったのでしょう。

ただし、せっかく充分なゲインも防音の乏しい日本家屋では襖の向こうの高笑いや庭で犬が吠えても反応するので、個人的にはあまり活かせませんでした。

 

なお、子供用に玩具のトランシーバーを買ってみたら全二重なのにVOX式でした。非常に微弱な電波ですが全二重ゆえに切り忘れ垂れ流しの防止なのでしょう。ともかく昔、私の手にした玩具とは大違いです。

昔は送受信の切り替えは「シーメンスキー」というレバー・スイッチが一般的でした。この言葉、今でこそSiemensの名を知っていますが、ロシアの「なんとかスキー」みたいでもあり、小学生時代の私にはどこで読みを切るのかさえ分からないものでした。ともかく4回路かつトランスファー接点のある物が入手容易で、それらを動員してリレーを出来るだけ使わないのは自作AM/CW時代の工夫でした。もちろんリレーは値が張るからで、1960年頃のある実験装置の製作手引(真面目な学術書として出版されたものです)を見ていたら、リレーはジャンクを買ってコイルを巻き直す、というのが当然の手法とされていた程です。

FT-400/401のメインリレーが接触不良になった際は手持ち部品を活用して直しました。12AT7で駆動する高インピーダンス品なのでコイルは滅法巻数が多く、さすがに巻き直しはせずに接点の方を組み換えたのです。

しかし多回路のスイッチに頼るとPTTやVOXには対応できません。シーメンス・キーの採用はトリオならTS-511、八重洲ならFT-200あたりまでありますが、それらの機種でも実際の切り替えはリレーが介在しています。

 

リレーの問題はまず動作音です。トリオTS-520とかでは外部VFOにもRIT、それにVFO切り替えスイッチがあり、オプションを買った人だけが必要な操作をオプション側に置くのは合理的ですが切り替えが複雑化するためリレーが入っていて、外部VFOを買うと「ガチャガチャ」音の出所が増えてびっくりです。また、八重洲FT-400/401などはアンテナ用のリレーが物理的に大きいので、下手をすると「カン!」の残響音が送信されたり、VOXが反応したりもします。

 

次は接点の信頼性です。これには井上IC-71で参りました。ソケットがなく直に半田付け、入手しにくい6回路、その上にシャーシの隅一杯に押し込まれてカバーも開かず接点の清掃もできずで不良個所は追加したリードリレーで今もバイパスしたままです。リレーは交換を考慮しない設計は絶対にダメで、八重洲のFT-102もよく槍玉に上がりますね。

 

リレーの応答速度の問題ですが、これはボイス・コントロールの話として次回に。

 

昔の家庭における「呼び鈴」は直流の電磁石式のブザーでした。パワーリレーの通電をB接点で自己断続させるような原理で、その振動で「ヴィー」と鳴るもので、平角3号(FM-3)とか5号(FM-5)という巨大な電池(三菱がまだ販売中)で駆動できる仕様です。このブザーの筐体に押しボタンも付けて相互通信も可能な形にした製品が広く使用されました。

「ブザー」を説明しようにも今は検索で簡単には見つかりません。あれほど家庭に普及していたものがです。インターネット普及以前と以後にどれだけ情報分断があるかの好例で、そこに当ブログも存在価値を求めよう、というのは「はじめに」でも書いた通り私の基本スタンスです。

そのブザーは徐々に「ピンポン」チャイムに代わられましたが、これも当初は電磁式でした。つまり、動作に数百mAは必要であろう超低インピーダンス直流負荷のそれらにはインターフェアの心配などなかったのです。

ところが単なる「呼び鈴」から通話も可能なインターホンに発展すると電子式になり、それも初期の製品には高周波対策など考慮されていないので誤動作の対象になってしまいました。

 

私も古い借家に住み始めた頃、まさにその古い設計のインターホンが既設でした。シールドもない平行線が家の中から、しかも長々と庭を通って外の塀まで引き回されているとは条件は最悪で、特定のHFバンドで送信すると勝手にピンポンと鳴ってしまったのです。以前少し書いたTVIなどとは違い、この手が困るのは運用時刻の自粛が無意味な点にあり、夜中にピンポンが鳴動したらどこの家でも驚かないはずがありません。

 

幸いにして私の場合は隣家に影響はなかったようですが、全国的に見れば、「夜中に(音声を伴わず)に呼び出し音だけが鳴る」という幽霊現象の恐怖を味わった家庭も相当数あっただろうと思います。そこで修理、となっても当時の街の電器屋や住宅設備屋は「もう古いからです」とか、「買った方が安いですよ」とは軽々しくは口にしなかったので、彼らもプライドを賭けつつ対策には苦慮したことでしょう。

電子工作をやっていれば感電は必ずいつかは体験してしまいます。特に昔は真空管を使っていたので電圧も高く、誰もが一応の警戒はしていたのですが、直流では 42Vを語呂で「死にボルト」と言う通り、その辺りから感電の危険度が急に増すのでトランジスタ回路でも決して油断はできません。

 

私は100V ACで完全に痺れますから感電には弱い方でしょう。子供の頃、興味本位で1.5Vの電池を舐めて味のようなものを感ずるのに気付き、続いて9Vで痛い目に遭いました。後々、それはラジオ少年がしばしば陥る罠だと知り、先に教えてくれと言いたくなりました。

命の危険に近づいてしまったのは 500V DCで、指先が触れただけで体が硬直してしまい、不安定な姿勢から倒れていなければどうなっていたやらです。指先には穴が開き、傷口は小さくとも深いため非常に痛みは強く治癒も遅く、しかもそこだけ指紋が変わってしまいました。

 

例えば終段管が6146/S2001の100W機は800Vから1,000Vを扱いますが、真空管工作の経験のない人はリニアアンプこそ警戒しても、エキサイターの100Wまでは特に危なくはない、と既製品の機器を軽く考える傾向があり、この点はオーディオマニアが 211(出力管)の 1,000Vで死ぬ死ぬ、と言っている方が感覚として健全です。10W機でさえもプレート電圧は400Vですから私のような事になりかねないのに、です。

なお、感電で落命したハムも間違いなくいるのでしょうが、なぜかアマチュア無線界では致命の報は滅多に流れて来ません。噂もないことには警戒心も薄れるもので、それで私も失敗を繰り返しました。


「ケースを開く前にACプラグを抜け」、という初心者向けのご注進も、修理や調整の局面ではまったく無意味です。そこで今の私は管球機を通電状態で扱う場合、必ず手袋をします。選択のポイントは、軍手は目が粗く繊維が引っ掛かる危険があるので厳禁。薄い皮革が最適ですが、白手袋でも用は足ります。特にラグ配線の真空管回路は何かと奥行き深い場所を突き回すことが多くなりますから、半田鏝と交錯しての火傷防止だけでも甲斐があったと思うはずです。

前回書いたように中波ラジオの製作程度で「平衡」は出てきませんが、無線を始めると平衡変調とか平衡ミキサー、さらにはアンテナの話が現れます。それらを少しずつ知って行くと、差動増幅器をトランスと比較して理解する過程は必ずあるでしょう。平衡・不平衡の変換目的では、マイクの回路ならどちらも使われる事がありますが、高周波、かつ大きな電力を扱わなくてはならないアンテナではどうしてもトランス式になります。

 

ダイポール・アンテナとか、その発展形に当たる八木は平衡系ですから、不平衡である同軸ケーブルから給電するにはトランスの一種であるバラン (Balun) が「必要」、というか、「あった方がいい」、というか、「同軸から直結で問題なし」、とかまぁ色々と言われてしまっては初心者当時の私には何が何やらでした。

その頃からバランは完成品が市販されるようになりましたが、立派な防水ケース入りでそれなりの価格がして、中高生には「ともかく買ってみよう」という気になれる物ではありません。昔から自作例は色々紹介されていましたが、「無くてもダイポールは動作する」、をなまじ知っていると、わざわざ作る手間をかけて損失を増やすだけのような気もしてこれまた躊躇します。

実際には「自作で充分なので、あった方がいい」ですね。

 

Balunは、Balanced-unbalancedの略ですが、この綴りには間違い易い要素があります。

 

 和製英語?いえ、正しい英語表現です。

 「Balanceの略でBalan」と間違えがち? それは非常にありそうですね。

 「Balance-unbalance」だと思ってた? うん、日本人は語尾が頭に入らないですからね。

 

しかしここでは別の話をします。間違えやすいのは「貿易不均衡」をtrade imbalanceと言うように、日本語の「アンバランス」に当たるのはimbalanceであってunbalanceではありません。ではなぜバランではunbalancedなのかというと「均衡の崩された」という動詞の過去分詞だからであって、先のimbalanceは名詞という違いがあるからです。

 

私の初心者時代に理解しにくかった概念の一つが「平衡伝送」です。それは重要な技術にもかかわらず、ラジオ少年程度が対象の雑誌にまともな解説があったためしはなく、身近に指導者のいなかった私には難物でした。しかしラジオ用途には無くても済むのも確かなので、ラジオ少年の知識レベルで終わらずに脱皮するためのハードルの一つです。

 

アマチュアにとって平衡・不平衡が最初に問題となるのは、低周波ではマイクロホン、高周波ではアンテナでしょうか。「電気は行きと帰り、電線2本」、とだけしか知らないようでは例えばマイクロ波の導波管は理解できませんが、スタジオ用マイクロホンなどの平衡伝送もまた不可解なものでした。それなくしては、マイクの微小な出力を生のままで何十メートルも引き回すなどは現実的に無理、などという事は知る由もありません。

なぜか我が家には昔から東芝のベロシティ・マイク、と言ってもスタジオ用の高級品ではなくスピーチ用程度の物がありましたが、2芯シールド線で出力されている意味がさっぱり分からなかったものです。その本来の使い方も今なら検索一発で分かりますが、当時の私は「トランスで受けるため」という知識にたどり着くまで随分かかりました。

 

平衡出力のマイクはキャノンコネクタ接続が一般的で、音楽系のミキサーなどは簡素なアマチュア用品でも多くがキャノン入力可能ですが、ハムの世界には元々あまり縁がありません。そこを八重洲のFTDX9000が「超高級」を売りにキャノンコネクタを採用しましたが、ハム用のマイクは不平衡接続、かつスタンバイ・スイッチ装備の製品が高級品から無線機のオマケレベルに至るまで存分に普及していたのですから「余計な事を。リアの8pinマイク端子こそフロントに」とでも思われたのではないでしょうか。

 

平衡伝送は結線を間違えると位相が逆になります。ステレオ信号でLとRの結線を誤ったままミキサーに掛けると信号がほぼ消える、というトラブルもあるので、原理も知らずにステレオ工作で扱うのは難しかったと思います。

1アマの試験を受けたときのことですが、試験監督から「電卓付きの腕時計は使用不可」、と事前説明がありました(記憶によれば2アマ試験で受験者を怒鳴りつけたのと同一人物です)。これを受けて会場内では「そんなバカな」のような笑いが広がります。対して監督から「いや、笑い話じゃなくて本当で、変に腕を触っているから何だろうと思ったら・・・」、という発覚談が続いたのです。

当時は計算尺は持ち込み可でしたが、さすがに電卓はアウトです。私は専門誌などでHewlett-Packardが電卓付き腕時計の HP-01を上市したのは知っていましたが、超高価なのに早くも上陸して国試のチーティングに使われたのかと、そちらの方に驚いてしまいました。しかし無線が趣味の人間にはコリンズなど昔から価格度外視でアメリカ製品を買うのもいたわけで、そう考えると不思議でもなかったようです。ともかく当時のLEDは効率が低く、腕時計ではもちろん見る時だけ点灯させるのですが、それでも頻繁な充電が必要だったそうです。


表示素子の変遷は、一番分かり易い電卓を例にとれば最初はニキシー管、それから蛍光表示管を経て液晶が主流でした。国産の電卓にはLED表示の機種は実は少なく、それは蛍光表示管が日本の得意芸だったからです。アマチュア無線機でもフロンティアDigital-500のニキシー管表示の次は、八重洲でもトリオでも蛍光表示管がLEDより先行して採用されました。

今では意外でしょうが、「7セグメント文字は不自然」という意見が当時はあり、初期のデジタル機である八重洲のFT-501とかFR-101DDの蛍光表示管も「4」と「1」を僅かばかり7セグメントとは差をつけた8セグメント文字で、こういう例はよくありました。

他にも光点式とか熱線式とかマイナーな表示素子は色々ありましたが、あるとき大型コンピュータの表示器を入手したところ、スライド映写機そのままの構造のモジュールという贅沢さに驚いた事があります。

今は完全に液晶の時代です。1970年代から1980年代にかけての初期こそ液晶の寿命は5年とか言われていたためか、アマチュア無線メーカーは採用に慎重だったと思います。しかしいざ電卓や時計で普及を始めてみれば意外に信頼性は高い事がすぐに実証され、その後の展開は早いものでした。今の無線機も液晶パネルの寿命以前に、他の部品の枯渇で修理不能となる方が現実でしょうね。

八重洲がFT-101を発売した時、機構的に画期的だったのはプリント基板がプラグイン方式だったことです。これはコンピュータでは遥かに以前から採用されていた構造ですし、無線機類でも業務用にはありました。しかしアマチュア無線用の量産機ではFT-101が最初ではないでしょうか。それ以来、八重洲機ではしばらく標準的な内部構造となって、多くの機器に採用されていました。

 

この方式、色々とメリットはあるのですが、そもそも基板を挿入するカードエッジ・コネクタが元々産業用の部品ですし、機構的にも複雑になってコストは高くつきます。従って八重洲よりもコスト意識に敏感そうなトリオでは、最高級機のTS-900は採用していましたが、それ以外ではどうだったか?ちょっと今すぐには思いつきません。配線の引き回しも長くなりがちなので、カード間の回路の分割箇所にも設計は気を遣います。

 

FT-101の発売から暫く経ってからですが、八重洲が「郵便で修理の依頼ができる」事を取り上げ、一枚のプラグイン・ユニットに直接切手を貼った写真を宣伝に使いました(剥き出しなのはもちろんCM効果のためです)。ただしそれを可能とするにはユーザー側でどのユニットが不良なのかを特定できる事が前提で、それなりの知識が必要です。例外的に同機種の2台使いならば差し替えてみる手が使えますから、それには確かにプラグイン方式は便利だったでしょう(多分メーカー側でも)。

 

コンピュータでは昔の、それこそディスクリートのトランジスタや低集積度のロジックICで製作されていた時代にはプラグイン・ユニットとワイヤ・ラッピング配線が全盛でしたが、配線長がクロック周波数の向上に追従できずにそれらも廃れてしまい、今はカードエッジ・コネクタやラッピング・ツールの入手もかなり難しくなっています。アマチュア無線機の構造もコンピュータの歴史通りで細密ピッチのコネクタに移行しましたが、それもまたユニット間を接続するワイヤ・ハーネスが専用設計のフレキシブル基板に置き換わってきて、素人修理の難度は上がる一方ですね。

交信記録の管理は一生の問題です。昔はもちろん紙に書く以外になく、私も駆け出しから何年もJARLの販売する「業務日誌」を使っていました。そのJARL版はあまり使い勝手の良いものではなかったので(何度か改訂されています)、QSLカードの印刷業者やハムショップも独自のログブックを販売していました。

ところで1970年代も終わりの方にはバソコンが出回るようになり、ハム雑誌でもPC活用の記事が定番になりました。もちろん最初はログの管理から始まり、ソフトウェアは投稿者自らからBASICで書いたものです。

 

しかし結局バソコンの登場から何年間もログ電子化の方針は彷徨を続け、なんとか定型らしく収まって来たのはMS-DOSが普及してからですし、一般化はやはりWindows95の時代からと言えます。付加機能的には最初は検索だけ、続いてQSLカードとの連携でしたがその後の発展は凄まじく、現在はコンテストログやeQSLの発行どころか、無線機とのデータ交換からデジタル通信の実行まで特色ある物が発表されているのでカムパック組には驚きでしょう。もはやログのアブリとは言えず、コントロールまで行う統合ハム運用支援ソフトであって、AIに頼るアマチュア無線という昔の漫画が描いていたような事も既に現実です。

 

記録する情報としては、「いつ・どこの・だれと・バンド・モード」くらいは必要最小限のもので、どこのシステムに乗り換えるにしてもデータ移行は重大事です。多分、パソコン黎明期からのパイオニアだった人達は初期には作者独自のデータ・フォーマットだったに違いありませんし、その後も対応ソフトが変わるたび何回か過去データの変換を強いられて来たはずです。しかし今後のことは、例えば国内ではTurbo HamLog、海外ではLogger32などなど、そのクラスのシェアがあれば互換性は誰かが何とかしてくれるでしょう(他力本願ですが)。

 

私の初期のログは迷走期に移行し切れず紙でしか残っていません。少しは気にしていましたが、紙だろうが電子だろうが私以外には全く価値ゼロ、という終活的発想が近年では勝って来てこのままになりそうです。