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アマチュア無線の裏側で

1970から1980年代の忘れがたい記憶から

これは私が古本屋の立ち読みの記憶で、1960年代のCQ誌の記事だと思います。

周波数カウンタへの欲求は古くからハムにもあり、それをまだ高価だったTTL ICを節約して自作したという製作記事でした。後の常識に染まった私が驚いたのは、まずは豆電球(まだLEDはないので)を並べたBCD表示で、これはニキシー・ドライバのSN7441(後の74141)が4,000円以上と図抜けて高価、かつ桁数分も必要では堪忍ならないので最大の節約ポイントです。次にラッチが無くカウンタ出力をそのまま表示していた事。ラッチなど無ければ無いで済む、と作者も書いていた通りで確かにシングル・ショット測定で済む場合は多いですし、BCD読みは精度と無関係です。昔の人も財布と手間とをトレードオフに色々と苦労したようです。

 

アナログダイヤル合わせとJJY」でも書きましたが、法定の周測装置として一般的だったのは(当時は短波だった)JJYとのゼロビートで較正出来るマーカー発振器でした。八重洲FR-100Bとかトリオ9R-59Dとかの時代は真空管で発振していましたが、長く利用されたのは長大なパッケージの100kHzの水晶を用い、さらにトランジスタ回路で25kHzに分周する形式です。しかし100kHzの水晶は高価なので後には2500kHzとか3200kHzの水晶とロジックICなども採用され、100kHzの水晶の方が温度係数は大きいのですが経時的には安定な傾向はありました。ただし都度較正が必要なのは結局一緒です。

 

ところで近年、「昔の機械式ダイアルは桁数が少ないからマーカーが必要だったので、デジタル表示ならば不要」、という主張を某所で見て驚きました。よくぞそんな「誤解を思いつく」ものです。デジタル表示の桁数がいくつあろうと、絶対値の精度が証明されなければ検査には通りません。

昔話ですが、JARL50周年記念(1976)の沖ノ鳥島DXペディションでは本土からリモートで周波数測定を行った、と当時のルポで見たことがあります。絶海の孤島でも500ワット固定局として落成検査が必要なはずですから、そのような策が取られたのでしょう。

以前にインレタの件を書いていて思い出しかけていたのですが、JAIAの初期(もちろん1970年代)の協議で(目的は記憶にないのですが)回路図を描く手段に、松下のインスタントレタリング方式を採用する、という報告を読んだことがあります。

CADもなかった頃、例えば1960年代中後期の八重洲のFTDX500(FTDX400の輸出用)の回路図を見ると回路記号は完全手書きで、しかも文字のテンプレートさえ使っていない力作ですし、そもそもA版用紙のアスペクト比に合わせて余白なく高密度に紙面を利用するだけでも職人技を感じます。しかし残念ながら読みやすくはありません。なるほどインレタが使えれば、それは有力な手段だったことでしょう。


さて、昔から電子工作をしている人は、今のIEC標準の回路図になじめずにいるのでは? 

アース(等電位点)が地面のような形から三角形にとか、抵抗器がギザから四角形に、とかです。私はCADとか回路シミュレータとか、次々と出て来るソフトを違和感なく使う関係上、それなり頭の中も切り替えましたが、それでもパターン認識的に間違えにくいロジック・シンボルのMIL記法は捨てられませんし、フリーハンドに限っては抵抗のギザギザ一筆書きもやります。まあ、もっと古いことを言えば抵抗のギザギザやコイルのグルグルの数も昔は多かったですし、トランジスタどころかダイオードまで丸印に囲んだりもありましたが。

 

回路図を起こすときのお約束として、「十字交差の点で線を接続してはいけない、丁字路(ていじろ・・英文字のティーは間違い)二つに分けて描くべし」、と教えられることがあると思います。理由はもちろん結節、および接続のない単なる交差を区別するためですが、そう主張する人自身も案外トランジスタのベース・バイアス回路の部分で十字結節を描いてしまっているものです。他には真空管の電源で、多段の平滑回路の途中からも出力を取るところ(出力段のB+とか)を十字に描いてしまいがちだと思います。

 

 

以前、「電波法違反と処分と」という投稿で無線従事者の免許取り消しについては書いたことがあります。ところで、不法な運用に使われた機器の方はどうなるのでしょうか。はっきりしているのは没収され得るという事です。しかもそれは「使われた物一式」であって、それ単体ならば不法でも何でもないはずのアンテナとか電源も含むのです。

 

かなり古い記憶なのですが、27MHz帯ウォッチングを通して何となく知ったのは、機器は破壊を受けた上で返却されるらしいという事で、恐らく今も主流は同じではないでしょうか。確かに没収したところで不法運用にしか使えない仕様では競売に出すのは不味いでしょうし、場所ふさぎなだけの邪魔物を保管し続ける理由もありませんね。その破壊の手段ですが、終段部分をハンマーで潰すとか、プリント基板に溶融ハンダを流し込むとかのようです(担当が嬉々とした顔でやっていそうな・・・)。

 

現在、電波監視の対象になりやすい不法局はアメリカのFRS/GMRS規格のハンディ機が件数的には多いと思いますが、これらは小さな機器なので破壊・返却ではなく、携帯電話などと一緒に「都市鉱山資源」に直行しているのではないか・・・というのが私の想像です。是非ともレアメタルは回収しましょう。

 

アマチュア無線用でもよく知られた某リニアアンプ・メーカーが(対象用途は明確ではなかったのですが)不法運用の幇助の容疑で社長まで書類送検された、という一般紙の新聞記事を読んだことがあります。しかしアマチュア無線家の個人に関しては、少なくともオーバーパワーとかが理由で機器を完全没収された、という体験談は大体がどれも超OTの昔話で、私の世代では(噂にはありますが)珍しいことです。本当に私が知らないだけなのかも知れませんが、以前書いた無線従事者の資格の扱いにしても同様で、我々ハムは随分と大目に見てもらえているのだろうな、と思うことが時々あります。

トリオのSSB機はTS-510から飛躍的に良くなり(それ以前はダメという事)、特に操作性は八重洲派の私でさえも「トリオ派と八重洲派」などの投稿で色々と褒めてきましたが、もちろん逆に譲っていた点もあります。例えば10mバンドの分け方です。

 

10mバンドは1.7MHzも幅があるので、アナログ機時代のバンド・スイッチ上では分割され、八重洲は500KHzずつの10A, 10B, 10C, 10Dの4ポジションで30.0MHzまでカバー、ただし水晶は高価なので、SSBが多用する10B以外はオプションとする事がありました。これに対してトリオはTS-520の頃まではVFOの可変幅を600KHzとし、28.0, 28.5, 29.1と3ポジションだけで済ませています。これで29.7MHzまで一応ギリギリでカバーできますが、スタートが29.1という変なポジションではダイヤルが直読ではなくなります。「どうせ滅多に使わないし逆に常用する奴なら間違えないだろう」、という割り切りでしようが、この29.1始まり600KHzという流儀は決してトリオが最初ではなくアメリカ発の合理性です。

 

さて、ポジションが4つあっても、余分な29.7-30.0MHzはほぼ何も聞こえません。しかしVHFトランスバータの親機としては2MHzという幅の余裕が物を言います。ハイブリッド機の時代くらいまでは2mや6mのSSBはVHF専用機ではなく「HF機にコンバータ」の構成が普通だったからで、本当はコンバータの方で水晶をバンドの数だけ揃えてなるべく出力の周波数幅を狭くする方が無難に作り易いのですが、ここでも「水晶は高価」が効いてきます。

バンド用のロータリースイッチはウェハー段数が多くて高価につくだけでなく、ユーザーとしても回転が重く扱いにくいものです。これを避けるため、10mバンドを1ポジションだけにしておき、あとは副スイッチで水晶のみ切り替える方式もあり、見た目はノブが2つに分かれて冗長っぽくなりますが操作性は非常に良好です。FT-200という八重洲の廉価機と、「トリオの終段管」でも言及したTS-900という最高級機がこの方式だったのが実に対照的で、前者はコスト対策、後者は操作性と、別の立場で利点を上手く活かしていました。

 

高調波による妨害の発生、ということについてFM放送とVHF帯の重要通信を例に先日書きましたが、ハムバンドではどうでしょうか。

 

3.5-7-14-21-28MHzと、少なくともHFにおいては周波数が倍数系列なのは、高調波もハムバンド内に収まるように決められた、というのも、「CQ 〇〇 meter」とバンドを示す一部の習慣も元々は高調波との区別で、というのも恐らく本当です。

電話では2倍や3倍したら側波帯との周波数関係が崩れるのでは?、と私も昔は思っていましたが、歪を実際に発生する複雑な関数を通ると元通りの成分もどこかで現れてしまうものです。

ただ、(厳密な定義ではHFではなくMFですが)1.9MHzはこの倍数関係から外れていますね。昔、某雑誌で「1.9MHzは1アマだけが許可されるのでトップバンド」とあるのを見て、あぁこの筆者はHFやCWを知らないのだな、と思ったことがありますが、その当時よりさらに昔々は本当に1アマだけ、割当ても1.8M台のスポット・しかも期間限定とかの経緯あってから1907.5-1912.5kHz のバンド解放になったようです。「3.5の1/2で1.75」と決めるには世界的にも手遅れでしたし、その後追加されたWARCバンドにも、もはや倍数関係はありません。

 

さて、倍数系列では困ることもあります。例えば、7MHzアンテナが21MHzにも共振すると便利ですが、それはアンテナでは不要な方の信号レベルを落とせないという事でもあります。

別の例として144MHzと430MHzも3倍の関係なので、トランスバータを作ろうにも普通は主信号も局発も高調波が邪魔になってしまいます。ところが、中堅メーカーだった福山電機がこれを MUV-430Aとして製品化しました。一体どうやったのかと思えば単純に周波数変換を2回行っており、さすがに無理筋ですから、これをモデルにした追随商品も自作した例も見た憶えがありません。

 

昨日、私の経験したことを是非書き残したくなりました。

 

現在、小物の製作を考えており、その器を探しているところ。そこで「(株)リード」のサイトを開いたのですが、見慣れたケース類が製品情報に見当たりません。ブックマークしたページなので場所に間違いはないはず。ここで嫌な予感がしてトピックス欄を見たところ、「電子機器事業終了のお知らせ」が2025年07月03日で掲載されているではありませんか。譲渡とか売却とか分社とかの説明は一切含まれていないので、本当の消滅だと思われます。秋葉原などの流通在庫もアマチュアの皆が気付く頃には大概は払底している事でしょう。

 

それこそ1970年頃から私が自作に愛用してきたシャーシ・ケース類なら、LEADとIDEAL(摂津金属工業)が二大ブランド。続いて鈴蘭堂。少し特色あるところで奥澤とかジムテックとかで、TAKACHIは知らぬ間に出て来ていつの間にやら大きくなっていた、という感じです。

ともかくその一角が撤退とは寝耳に水でしたが、思えば日本国内で物作りの需要が減ったのは間違いないので、高価な固定資産である金型をこのまま置いてもいられない、とか、そういった事かも知れません。

 

該社の今後は基幹事業の自動車部品に一段と注力するそうです。私は20年ほど前にその部門の技術者とひょんなことから会話したことがあり、「スバルは何かとマニアックな試作提案を持ち込んでくる」、と聞いたのを思い出しました。私自身、4か月前まで通算25年間もスバル車を乗り継いできたので何とは無しに想像がつきますが、よほど技術的な信頼を得ていたのだろうなと思います。

何はともあれ電子工作の趣味人として長年お世話になりました。

 

おまけ

「シャーシ」の英語綴り「chassis」は読みにくい見た目をしていますが、アメリカで多い発音は「チャシィ」です。

1979年のこと、「FM西東京」という不法局が摘発されるという電波界の事件がありました。ちなみに、現在存在する合法コミュニティ局の「FM西東京」とは全く無関係ですのでお間違いなく。

その不法局は2人の学生の運営で、堂々とリクエストまで受け付けて音楽やトークを放送したというもので、実際その地域では結構知られていたようです。報道によれば自作の送信機は出力20ワットだったそうで、よくルポ記事を書いていたJA1FRA 金子氏が一般取材に答えてハム2級程度なら、とか語っていましたが、当時は既に2アマでも技術の裏付けがあるとは言えませんでした。彼らがハムだったかどうかは分かりません。経験者ならば、もう少しパワーには慎重になっただろうとは思うのですが。

 

当時も合法な範囲の微弱電波による「ミニFM局」は存在しましたが、その頃は「微弱」の定義が現行法とは違っていて、今よりはまだ実用性がありました。それでも妨害を起こして社会問題になったという話は私も聞いたことがありません。それにはFMバンドが広い割に当時は放送局が少なかったから、という背景もあったのでしょうし、もちろん微弱電波なりに微弱なのも理由だったはずです。

 

ハムの我々も電波法違反を見つけた場合は第80条に基づく総務大臣への報告義務があります。罰則はありませんが、任意ではなく義務と定められています。ただ、80条報告や電波監視を通じた違法運用への対策というのは、どうしても妨害や障害が現実の問題化したところが優先ですので、「報告したのに何も動かない」と憤ってもハムバンド内の出来事においては忘れるしかない場合が多いと思います。

この点、ミニFM放送には注意すべき事があり、それはFM放送バンドの2倍の高調波は公的機関やインフラの重要通信がひしめく周波数帯に飛び込んでしまうので、必然的に重点的な監視と取り締まりの対象になりやすいのです。FM送信機を直線性は関係ないからと無神経に漫然と作ると簡単に汚染源になりますから、自由な微弱電波放送は微弱なままでこそ成り立つのでしょう。

コリンズのKWM-2トランシーバーや32S-1送信機などは終段管の6146にNFBをかけて歪の低減を行っています。負帰還はAFなら普通でも、それをRFで実行するのが当時としては画期的な発想で、日本メーカーはただ驚嘆したとか伝わっております。

これに関しては趣味の場でも色々な意見が語られ、例えばJA1ACB難波田氏は28MHzでの位相回転を考えると配線長は何センチ以下でなければならない、と書いています。また、JA1BLV関根氏はやってみれば中和を取るのと同じでどうということはない、と書いています。JA4PC高原氏は、非常に高度な技術なので国産メーカーはどこも真似できていないと。ただし憶測ですが、メーカーの立場では例えば有効な関連特許の存在などがすぐに追随はできなかった理由だったのかも知れません。ともあれ、ハム界の技術的な識者たちも、これほどに様々なコメントをするような興味の対象でした。


ところで国産ではトリオTS-820が最初の採用例だったかと思いますが、その発売当時、終段管がボケると動作が狂うのであれはよろしくない設計だ、との噂が立った事がありました。その話はある大きなクラブから拡散したのでは?などと私は感じていたのですが、真偽は分かりませんし、それはさておき。


例えば、半導体ならばバリキャップダイオードに代表されるように、動作条件で等価的な容量が大きく変動するのは普通です。しかし、真空管の電極間容量は個体差があるだけで一定です。RFのNFBも中和と同様で、容量分割で電圧を操作する回路なのですから、終段のカソードエミッション低下とは関係ありません。この噂も最初は「ボケた球を交換すると個体差分の再調整が必要」、だったのが伝言ゲームの結果、単に「ボケると」に成り下がったような気もしますし、つまりこれまた「怪しげな受け売り話」の一例だったのだろうと思います。

井上電機の6M AM/FM機のIC-71、私はまだ初期型のうちに購入したのですが、中を見ればプリント基板には大きく「IC-70」とエッチングされています。明らかに生産態勢が整ってから発売までの間の急な改名ですが、恐らく理由は「IC-70」という東芝のAM/FMラジオの存在に気付いたからです。1970の大阪万博の熱気は今年(2025)の比ではなく日本中が沸き立ちましたし、当時は「来る1970年代」、かつ「ICと言っておけば先進的」な印象だったので似た考えに至ったのでしょう。

 

ハムの活動にも多大な影響を与えた過去のBCLブームですが、その直前の1960年代から1970年代初期にかけては「AM深夜放送ブーム」というものが先導的に存在し、中高生どころか小学生にまで寝不足顔で登校するのがいくらでもいました。むしろ、深夜放送でAMラジオ市場が拡大していた事が素地となり、その後のBCLブームが起こったのではないかとさえ思います。当時私も深夜放送目的で自分専用のラジオを購入しており、「IC-70」はその候補の1つだったので即座に推定はついたのです。

 

そのラジオ選びですが、結局は奮発してソニーのICF-110を選んだのは失敗でした。何個も入っている2SC710は「2SC710と2SC460」の投稿でも書いた通り時限爆弾的な故障原因なのに、このラジオは修理が大変に面倒で、まずはチューニング機構を解体しないことには電子回路に手が届きません。「ラジオ工房」などネット情報でみても当時のソニー製のラジオは概して修理しにくい構造なのだそうで、中でもICF-110は札付きなのは私もその通りと証言します。

なお、嫌なことに2SC710はIC-71にも一杯使われています。


さて、以上は何年も前に書きかけていたものですが、その後たまたま見た「月刊FBニュース」2014年10月号所載のアイコム50年史の中にIC-71の命名の顛末が出ており、完全に私の推定通りでした。なお、この記事の中には”I.E.W.”から”I.C.E.”、さらには”ICOM”への改定のことも出て来ますが、"EQUIPMENTS"のことは書かれていません。それは具合が悪いからでしょうね。(過去記事「井上電機とかアイコムとか」参照)

JARLのロゴを入れた会員向けコールサインの門標板は大層昔からあったようで、駆け出し時代に雑誌で見た各局のシャックの写真には大体飾られていました。私の開局時に手にしたのもその体裁の物で、現在とは全く違います。

まずサイズが大変大きく玄関の表札と同等かそれ以上で、幅20cmくらいだったでしょうか。それとコールサインの部分は頭の「J」だけが印刷されていて、残りはテンプレートを使った手書きで送られて来たのです。現在の形に変更されてから半世紀以上も経ており検索では中々見つからないかも知れませんが、「日本アマチュア無線連盟会員」とコールサインに併記あるものがそれです。コールは手書きといっても良くできていて、写真で見たくらいでは印刷された「J」との違いは絶対に分かりません。

 

ただ、旧様式の末期にはその手書きサービスも廃止されてブランク板の販売のみになった時期がありました。「写真で見たくらいで簡単にわかる」不揃いな文字なら、そのパターンの自作です。私の場合、別のコールサインはそれで作りましたが、デザイン案を何度も紙に書き出してから最終案を決めました。「自作パネルのレタリング」の投稿でも書いたように、自作機のパネルなど長らく形の残るデザイン物は準備に時間を惜しんでは後悔します。

 

資格の区別は大型の旧様式にはなかったのですが。1970年代中頃に大体現在の体裁になって資格別色別けが導入され、1アマの黄色と2アマの緑は今と同じですが、電話級と電信級は操作範囲で上下関係にはないので共通のオレンジ色でした。当時は3アマ資格は存在しないので青色はありません。途中で委託先が変わったのか少しだけ寸法が小さくなった後、全資格共通で白色だけが発行された長い時期を迎えます。白に統一された理由は、あまり資格に触れられたくはないが声の大きな人がコストダウン策にかこつけた、というところでしょうか。一人で何枚も購入するものではないので、普通なら色分類の維持のため少々の値上げは許容範囲、と判断するのが妥当なように思いますが。

もう一つ、上級用は免許のコピー提出必須、という注意書きを読まない会員への督促の手間も嫌われたのでしょう。ただ、そのまま通したところで、仮面10ワット局の申請を書類審査だけで通してきた「JARL認定」よりはずっと影響は少なかっただろうと思いますけどね。

とにかく近年、色分類がまた復活したのは上級資格が取得しやすくなり、比例してニーズが大きくなった結果であるには違いありません。