柏木むつきです。
(YOUKYOUカフェに込めた想いはこちらです)
年々早まっている教員採用試験。
私の時は7月の中旬から下旬が一次試験だったのに、
何ともう今日(5月12日)、一次試験の自治体もあります。
(文部科学省は来年はこの時期を全国の標準に、と言っているけれど…)
特にすでに講師として働かれている先生たちは、
新年度を怒涛の慌ただしさで過ごしてきて、
「ようやくGW…」と思ったらもう採用試験💦
(ということは願書を書く時期はもっともっと早いということですよね)
色々と教育を取り巻く「課題」があることは分かるけれど、
個人的には「早ければ早いほど一概に良い、とも言えないな」が本当のところです。
私はよく教員採用試験にかんする記事を書いていますし、
【保存版】養護教諭シリーズにもまとめています。
たとえばこんな感じです(定期的に見直して加筆しているものもあります)↓
・教員採用試験対策で大事だと思うこと。その①~③+エピローグ
どちらかというと「メンタル」の部分を書くことが多かったように思います。
テクニック的なものももちろん大事だし、
テクニックについてもお伝えすることはできるし、
率直に言えば、「傾向と対策」についてもある程度のことはお伝えすることはできると思います。
確かに勉強してある程度の点数を取ることも大事。
面接の練習をして、想定問答をつくって臨むことも大事。
小論文のパターンを掴んで、自分の中の「鉄板」を持つことも大事。
そういう「努力」を否定するわけでは決してありません。
それでもやっぱり、
教員に「採用」されるということに対して、
「試験」にあまりにも重きを置きすぎてしまうと、
時に大事なものを見落としてしまうのではないか…なんて思ったりもするのです。
「試験に受からない自分はダメだ」
と否定することは、
「試験に受からなかったあの人はダメだ」
と、そのことだけでジャッジしまう。
「試験に受かった私はすごい」、
それは確かに素晴らしいことです。
ここまでの努力が報われた、とも言えるでしょう。
だけど、もしもそれで、
時に誰かを見下したり、
時に優越感に浸りすぎてしまったり、
時に「それ以外」の自分を認められなかったり…。
目の前の一側面だけで自分や相手の価値をはかってしまう。
そんなことにもつながりかねません。
もちろん、全ての人がそういうわけではないし、
そう思ってしまう(思ってしまった)自分はダメだ、
なんて思うこともないのだけれど、
ちょっとだけ、
ほんの少しだけでも立ち止まって、
改めて考えてみるといいのかな、なんて思います。
教員に「採用」されるということに、
自分が何を考え、何に重きを置き、どのような意味づけをしているのか、ということ。
それはきっと「遠回り」でも何でもないはずです。
(素敵な人と行ったランチの写真♪)
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