【私的激動編シリーズ】
㉕あっという間の・・・
自分史【私的激動編】㉖私の宣言!
母親が静かに亡くなり
家族が一旦出た病室で
妻は、母親の遺体と
二人きりでしばらく居た。
母親と、何か話していたのだろうか?
後になって話してくれたが、
自分の弱さから、
良い人を装っていたことで、
自分が苦しんでいた事、
その反動で周りに対して
攻撃的になった事など、
正直に母親の前で話したらしい。
妻は吹っ切れた顔で
我々の前に現れ、
事後の処理を
テキパキやってくれた。
私は納骨が終わった頃、
子供たちに向けて、
こう宣言した。
私は今後
父親としてではなく、
〇〇〇〇(本名)
として生きる。
だから、みんなも
私を気にすることなく、
自分の信じた事を
好きなようにやってほしい。
会いたくなったら
いつでも来ればいい。
習慣だからとか、
決まり事だからだとか、
そういうことに振り回されず、
やりたいように生きてくれ!
その上で相談したければ
いつでも相談に乗る。
これが私の望む親子関係だ!と。
まるで母親の死を
待っていたかのように、
それから間もなくして、
娘夫婦は
香港駐在になり、
息子は四日市へ
転勤になった。
今振り返ると、
これも母親が
手放したからだと思える。
これぞ、
みんなにとって、
ベストのタイミングで、
逝ったとしか思えない。
情けない話だが、
私は母親の死が無ければ
気が付けなかったのだ。
次回へと続く↓↓↓
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