【私的激動編シリーズ】
自分史【私的激動編】㉕あっという間の・・・
その事件があってからは
私は一層母親に優しく接し、
それでも二人で
家を出ていくと告げ、
休みには住居を探して回る
日々が続いた。
母親も仕方なく
方針に従うような方向で、
日々が過ぎていったが、
2月6日の夜、
私達が帰宅すると、
母親が階段と玄関の
踊り場で倒れていた!
どうした?!
と声をかけると、
気が付いた様子で、
アッ!階段で
足を滑らしたのかね?
痛タタタタッ。。
慌てて身体を調べたり、
2階の部屋まで連れて行ったり、
なんとかその夜は
寝かし付けたが、
翌朝ベット周りが水浸しで
確認すると、
トイレまで行けなくて、
ここでしちゃった、ごめんよ。
と悲しい答え。
救急車を呼び大きな病院へ。
背骨が3本折れています。
高齢なので手術は無理ですね。
暫く安静にしてから、
リハビリを考えましょう。
と医師の話だった。
そして自宅での
受け入れ態勢を整えるべく、
介護福祉系の方々と連絡を取り、
在宅で介護することになった。
丁度私の仕事も
切りがよかったため、
状況が落ち着いたら
また考えることとし、
一旦辞めて介護に専念した。
それからほどなくして、
福祉施設に
通えるまでになったが、
今度は黒い排便があり
緊急入院となった。
一週間後、
胃カメラを飲むことになり、
そんなの嫌だわぁ~と、
本人は割りと元気だったものの、
胃カメラ検査の際、
出血がひどく
意識がなくなりました!
と病院からの連絡を受け、
慌てて病室に入ると、
器具だらけの母親の姿があった。
医療ミス?
そんなことより
何がなんでも回復させたい!!
医師に確認すると、
意識が戻らないかもしれないと。
何故!何故!
医療ミス? 医療ミス?
それから毎日、
意識のない母親に会うために
病院へ通った。
以前から母親は、
延命処置は嫌だからね!
と公言していたので
その旨病院へ伝えておいた。
その状態で一ヵ月経った頃、
病院から何度か呼び出しがあり、
もう危ないかもしれない・・
というので子供たちも呼んだ。
結局そのまま、
意識は戻ることはなく、
徐々に呼吸も脈拍も小さくなり、
静かな最期だった。
84歳だった。
何故か私は
涙を出せなかった。
次回へと続く↓↓↓
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㉕あっという間の・・・