自分史【行動編】①~⑪ 

今の自分が出来上がるに至った

大きな変化と、その時、

自分が取った行動を書いています。

 

 

以前の記事は、

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【自分史のまとめ】

 

 

自分史【行動編】⑦仕事への責任と誇り!

 

転職して1年が経ち、

社内でも顔と名前が売れて来た頃、

 

課長から、

 

君、来月から係長になって貰う。

だから部下を3名面倒見てくれ。

 

と話が合った。

 

 

その頃会社は、

急激にスタッフが増えて、

 

名古屋・大阪にも支社ができ、

組織の拡大が進んでいた。

 

 

初めて部下を持つと、

 

自分の仕事と部下の指導で

仕事量が大幅に増えた。

 

 

部下がどのレベルまで

理解しているか、

 

何が分からないのか

把握して、

 

指導育成していくのは

大変根気のいることだ。

 

 

また、チーム全体の

数値目標達成に向けて、

 

何を強化し、チーム員に

どう行動させるか? 

 

今度は頭も使わないと

いけなくなった。

 

 

順調に仕事をこなし、

 

入社3年で所長(課長代理)に昇進し、

所員10名を任された。

 

プレイングマネジャーとして

自らもお客様を持ち、

 

営業所の管理業務も

責務として任せられた。

 

 

その頃には会社の規模も、

 

1500名の従業員と

福岡・札幌にも支社ができ、

 

一層拡大しており、

 

売上も全社で年300億円と

大企業並みになっていた。

 

 

私もその後、

複数の営業所長を経験し、

 

複数エリアを束ねる

課長(エリアマネジャー)へと

出世していった。

 

 

地域・業種に特化した特集を

求人誌で展開したり、

 

お客様の要望を

営業員から吸い上げ、

 

特別な枠・料金で

特集を組むなど、

 

どの企画も大成功を収めた。

 

 

会社からも評価を得て、

 

今度は大規模求人企業を集約する

部署の責任者として任命された。

 

 

そこでは、浦安にある

大規模テーマパークの

年間採用計画、

 

教育研修計画の実施及び

人事制度構築を行った。

 

 

その実績を基に、

 

大阪に出来る同様の

テーマパークの立ち上げに

上記と同様提案し、

 

競合R社に勝利し、

業務を勝ち取った。

 

その後も全国5大ドームの

人材関連業務を

受注運営するなど活躍。

 

 

その時点で私は、

 

300名を超える部下を持ち、

全国規模の組織を束ねていた。

 

 

勿論、私一人では

無理な業務の為、

 

優秀な人材や外部機関の

力を借りての推進であった。

 

今思うと、その頃が

会社の絶頂期だった。

 

 

印刷・運輸などグループ全体で

3000名を超える規模になり、

 

年間売上も800億円と

拡大していた。

 

 

私生活でも、第2子が産まれ、

車に乗り、ゴルフを始めたり、

 

都内に新築マンションを購入し

充実した生活を送っていた。

 

 

私自身も会社にとって、

 

必要な人材だという自負をもち、

相変わらず忙しく働いていた。

 

私も人生のバブル期だったのだ!

 

 

 

私が考え推進した企画が、

 

令和の今でも、

求人誌上で続いていることは、

 

少し自負できることかな?

 

 

次回へと続く↓↓↓

自分史【行動編】⑧えっ、なんで?

 

 

 

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