みんなへつうしん  12月14日(月)


先週,みんなが考えていたという

「お楽しみ会」は,

なんとぼくの誕生日会でした(!)

 

 

(あの紙粘土の小物は

 ぜんぜん関係なかった。

 劇でもやるのかな?と

 思っていた・・・笑)

 

プレゼントに,寄せ書きやら,

お手紙やらをたくさんもらって,

有名人になった気分でした。

 

 

「誕生日に手紙なんて,

 お父さんにだって

 書いたことないですよ」

 

と言って

手紙をくれた子もいましたが,

 

ぼく自身,

「誕生日会をしてもらう」

なんてこと自体が,

それこそ,小学校3年生の時の

「マシちゃんの事件」以来の

ことだったので,

実に35年ぶりのことです(笑)

 


そして,司会の2人から

 

「転校していったあの子から,

 手紙をあずかっています!」

 

というので,

 

「えー!Hirokiにも

 連絡取ったのかな?」

 

と思いきや,

 

マシちゃんからの手紙

だったのには笑いました(笑)

 

ぼくのトラウマを解消してくれたわけね。

 

みんなの優しさに

ほっこりさせてもらった

時間になりました。ありがとう!

 


会の内容は相変わらず,

外で「ケイドロ」やって,

体育館で「ドッジボール」やって,

また教室に戻って,

なぜか「パプリカを歌う」企画があったりと,

詰め込みすぎの

めちゃくちゃ濃い時間だったけど,

ハイエネルギーのみんなについていくと,

たくさんの笑顔に出会えて,

生きてる幸せを

たくさん感じられました。

人生ベストワンの1日だったよ!

 

 

 

 

 

小学校の時の自分に

教えてあげたいです。

辛いことがあっても,

生きてたらいいことあるぞ!って。

 

 

みんなへつうしん  12月11日(金)

 

 

最近,Bタイムでも

掃除があったりして,

休み時間もほとんどないんだけど,

コツコツとなにかを

作っているみんな。

 

もしかしたら,

みんなが企画している,

今日の「お楽しみ会」の準備なのかな?

 

紙粘土で「12年後の自分」を作って以来,

紙粘土の小物をつくるのが

はやっているんだけど,

尋常じゃないレベルの小物が

次々と出来てきていてビックリ。

 

 

 

朝の時間で作っているのかなぁ?

(ぼくがいつも朝ギリギリなので,

 みんなが朝の時間に

 何をしているのか全く知らない^^;)


「先生~!朝遊びは

 いつ復活するんですか~?」

 

というみんなの意見も

もっともなんだけど,

毎朝,検温をしてくれている

先生たちのことを考えたら,

玄関の出入りは迷惑でしかないので,

ぼくからそのお願いを

言い出すことができなくて・・・ごめんよ。

コロナのバカバカ。

 

たぶんそういう

束縛された細かい時間を使って,

準備を進めているんだろうね。

今日のお楽しみ会,楽しみだな。

 

 

***


図工では,

クレヨンで描く〈ろう画〉を

始めました。

 

 

クレヨンというと,

小さい子が使う画材という

イメージがあるけど,

実は,大人が使っても,

とっても芸術的な作品が

つくれる画材です。

 

ろう画の工程では

「色を置く」だけの最初の下書き

なんだけど,

すでに見栄えする作品みたい。

 

 

 

 

だけど,それがロウでどろどろになって,

 

 

 

しかも,墨で真っ黒に(涙)

 

 

 

みんなは,

「あんなにがんばったのに・・・」

という感じでしたが,

来週の続きで,

さなぎからかえるチョウのように

生まれ変わりますので,お楽しみに!

 

 

みんなへつうしん  12月10日(木)

 

理科では

《てことトルク》

の授業を実施中!

 

 

トルクというのは,

 

「物体を回転させる力のこと」

 

なのですが,

 

それが「てこ」と

どんな関わりがあるのかな?

 

と思っていました。

 

 

だけど,

いろいろと実験しているうちに,

だんだんと

「そういうことだったのか!」

と,わかってきました。

 


「てこ」というのは,

 

「支点からの距離のちがいで,

 手応えが変わってくる」

 

という原理です。

 

でも,

 

「どのくらい手応えがちがうのかは,

 人の感じ方によって違うから,

 軽くなっているとか,重くなっているとか,

 比べられないじゃない?」

 

という意見が出て,

「確かに…」

となりました。


そこで登場するのが,

理科室にあった

「てこ実験機」。

 

 

これにおもりをつり下げることで,

どのくらいの力なのかが

わかるようになりました。

 

 

すると,

支点からの距離と重さの関係が,

ちゃんと計算で求められるほど,

法則的なことだともわかって

感動しました。

 


さらにふと,

 

「支点がかたよる」ということは

「重心がズレるということ」だ

 

ということに気づきました。


例えば,

 

バールの重心を指で支えると,

バールは釣り合って

指の上に乗りますが,

 

その重心を少しでもずらした瞬間に,

バールは回転して落下します。

 

つまり,片方の長さや重さが変わると,

力のバランスが崩れて,

どちらかに回転する力が生まれる

というわけです。

 


「てこ」というと,

「回転」というイメージはないけど,

 

これからは,

 

「回転を生み出す力」

 

と結びつけて考えていくと,

より知識が広がっていくなぁと思いました。

 

例えば,

「昔のバスのハンドルは,

 どうしてあんなに大きかったのかな」

とかね。

 

これ,

「てことトルク」のはたらきを

利用しています。

 

もっと言えば,

鉄棒の「前方支持回転」

とかね。

 

 

これからは,

いろいろなところで

便利に使われている

「てこ」を使った工夫や道具を

探してみるといいですね。

 

 

 

 

 

 

みんなへつうしん   12月9日(水)

 

昨日のみんつうで

「自主学習をしないと決めた話」

を紹介していたら,

ご本人が

 

「それはぼくです」

 

とみんなに打ち明けて,

胸の内を語ってくれましたね(笑)

 

「決めてみたのはいいんだけど,

 それを親に説明して以来,

 毎回,親とは言い合いになるよ?」

 

とのこと。そりゃそうだ(笑)

 

 まぁ,マネするなら

「そういう覚悟があるのか?」

ってことだよね。

 

でも,そういうことが,

〈夏目漱石を読む原動力になっている〉

のも確かなんだよな,

なんて思ったりしています。


いろんな〈きっかけ〉を使って,

誰かに言われたからとかじゃなくて,

「自分の頭で考えて行動する」

ってことが大事なわけです。

 

それは,

「言われた人に反発する」

ってことじゃなくて,

 

人に言われた通りにやるときでも

「なるほど,やってみよう」と

判断することを「自分でする」

 

っていうこと。


「やらされている」と思っちゃうと,

どこかでラクしてるわけ。

 

「忙しくて宿題ができなかった」

というときに,

「忙しいから〈宿題をしない〉を選んだ」

と言い換えてみると,

自分の責任になります。

 

全部そんなふうに考えると

疲れちゃうけど,

大事なときには,

そんなふうに考えてみるといい。

 

「なんで学校なんか

 行かなきゃなんないんだよ」

 

と言いながらも

学校に来ている子は,

 

「親とケンカするの疲れるからな」

 

とか

 

「うわさになって,いろんな人に

 心配されたらイヤだな」

 

とかって考えて,自分で

 

「学校に行く」

 

を選んでいるわけ。

 

もう選んだなら

自分で決めたことなんだから,

少しでも学校で何かを得て帰らなきゃ,

その時間がムダになります。

 

そういう気概をもって

生活をしている人と,

そうでない人とでは,

〈将来の力積〉が違ってきてしまうのです。

〈力積〉だからね,

足し算じゃないよ。

かけ算のレベルで違ってくる。


昨日もやったけど,

学校の制度が始まったのは

〈明治維新〉の時代です(150年ほど前)。

その当時は,

ずっと進んだ海外の知識や技術を学ぶと,

その分だけ頼りにされ,

日本を引っぱって行ける存在になれました。

 

すでにある海外の進んだ知識を,

勉強(強いて勉めることを)することで,

それがそのまま役に立つ時代です。

 

多くの家では,子どもたちは

家の手伝いをする労働力でしたから,

親は学校には行かせたくありませんでしたが,

子どもたちは,そんな未来のない手伝いより

自分の将来が開けて見える

勉強がしたくて

学校に行きたかったのだそうです。

今とはだいぶ違うよね(笑)


いまは,みんなが

平等に学べる時代になったので,

勉強しただけ特別になれるという

わけでもないから

それだけ学ぶ意欲は

下がってきているわけです。

 

でもその分,昔よりも

「なんでもかんでも,

 海外の知識を学んでいく」

のではなくて,

 

「学ぶに値するもの」

を見極めて学ぶ時代になったのだ

と思っています。

 

いつの時代になっても,

やっぱり学ぶことは大事で,

今まで発見されてきた

基礎があってはじめて,

その上にさらに新しい発見を

積み上げていくことができるというわけです。

 

そうやって,

今までの努力を

未来につなげていくんだね。


次回,みんなが大好き壱万円の人が

「歴史にドキリ」に登場するけど,

その人が書いた

『学問のすすめ』という本から,

今の日本の文化が

積み上がっているのかもしれません。

 

空が美しい放課後に・・・

みんなへつうしん   12月8日(火)

 

昨日,先週にやっていた

「家庭学習がんばろうウィーク」に

みんなへの「ひとこと感想」を

書いていました。

 

家庭学習時間の合計では,

1000分を超えている人もいる一方,

300分に満たない人もいて,

差がついているなぁという感じ。

メディアの時間は逆に,

それこそ1000分をゆうに

超えている子がいて,

「決められた1週間だけでも,

 これだけの時間を使ってしまう

 ものなんだな」と,

改めて問題が浮き彫りに

なったように感じました。


息抜きはもちろん大事です。

メディアを0にしてストレスをためても,

「よし!やるぞ!」っていう

元気もわかないでしょう。

 

だけど,

 

「この1週間くらいは,

 ちょっとはがまんしたり,

 せめていつもよりがんばって

 結果を残してみよう」

という「きっかけ」にしてもらおう

と思って学校から提案されているわけで,

それを放り投げてしまうのは

もったいないことだと思っています。


感想のところに

「自主勉をして,なんの得になるのか

 わからなくなりました」

と書いている子がいたんだけど,

それが得になるのか,

損になるのかは,

結局は自分次第で変えられます。

 

言われてイヤイヤやっていても,

たいして身にならないでしょ。

 

それよりも,

 

「やらなくちゃいけないのなら,

 この束縛された時間をどう使ったら

 自分の得にすることができるのかな?」

 

って考える時間に

してもらいたいんだよね。

 

それこそ〈自主学習〉なんだから。


実は今年,「おもしろいなぁ」と

思っていることがあってね。

 

それは,このクラスに

「今年は自主学習をしない!」って

決めた子がいるんです(笑)

 

ぼくはそれを

夏の面談でおうちの人に

教えてもらって知ったんだけど,

その子が親にそれを説明するときに,

 

「小学校で自主学習をしなくても,

 中学でいい成績がとれるかどうかを

 実験したいんだ」

 

と言ったんだそうです。

それを聞いて,ぼくは

「やるなぁ」って思いました。

 

それをいまクラスに話したら,

 

「それはいいことを聞いた。

 ぼくもマネしよう!」

 

と思った子もいるかもね(笑)

 

マネしてみるのは自由だけど,

生半可な覚悟でやるなら

オススメしません。

表面的にマネをしても,

いい結果にはならないと思うから,

その子のことをちゃんと書いておくね。

 

「がんばろうウィークはどうするの?」

ってその子に聞いたら,

「読書でしのぎますよ」

って言ってました。

 

これは,ちゃんとした

ルールの範囲内だからOKです。

 

それで,先日の面談のときに

お母さんが教えてくれたんだけど

 

「それが,普段は読まないような

夏目漱石の本を本棚から出して

読んでいたんですよ」

 

とのこと(笑)

 

お母さんは,もっと普通に

勉強してほしいって思ってるそうですが,

ぼくは感心しちゃいました。

 

こういう人はきっと,

中学に行ったらちゃんと

勉強するようになるだろうなぁ

って思ったから。


「ふつうの人と違うことをする」

というのはとっても勇気のいることです。

 

だけど,あえてそれをするというのは,

「自分の行動に責任が伴う」ということ。

 

この人は,誰のせいにもしないで,

「やらないを選んだのは自分だ」

っていう自覚があるんだよね。

 

あとで失敗しても,

親のせいにはできないでしょ。

 

言うことを聞かないで,

あえて自分の考えを

貫いているんだから。

 

それって,

「それがいい選択だった」

と証明するために,

中学ではがんばると思うんだよね。


いつも「誰かにやらされて」

って言っている人は,

きっと人のせいばかりにする逃げ癖で,

結局は損をすることになると思います。

 

誰かがどんなことかを言って,

無理やりやらされたところで,

結局は自分が

「やる,やらない」を決めているんだよ。

断る勇気はないんだから。

 

それだったら,

それを得になるように考えなかったら,

損でしかないでしょ。

 

「自分が自分の主人公になる」

っていうのは

そういうことなんだよね。

 

「誰かのせいで自分がこうなってる」

って考えている人は,

自分で決断して生きてないってこと。

 

そんな,他人に左右される人生じゃ

空しいばかりになってしまいます。

 

みんなは,自分の行動に

責任がもてるように生きているかな。

 

 

みんなへつうしん   12月7日(月)

 

金曜日の最後は,

学活で終わることが多いですが,

先週の最後は

「お楽しみ会の話し合いや準備」

があるかもしれないと思って

週の計画に入れておきました。

 

ところが,

 

「準備は休み時間なんかに

 コツコツ進めているし,

 相談もできているから大丈夫です」

 

とのこと。

 

いままでのクラスでは

そんなふうに進められることって

なかったので,ビックリ。

 

「それよりも,先週の学級委員問題を

 ちゃんと話し合いたいです」

 

というので,

 

「大丈夫かなぁ」

 

と思いつつも,

 

「今回は,記名式でアンケートをとり,

 学級委員に意見をしてもらう」

 

ということになりました。

 

「果たして,記名式でも言えるのか?」

 

という問題です。


そのようにすると,

無責任な意見は消えますが,

もしかすると,

今後の人間関係を考えて,

正直に言えない場合も出てきます。

 

だけど,関係改善のためには,

この手段は妥当だと,ぼくは考えました。


アンケートをとるときには,

「このような結果になってほしい」

という「いい予想」をもって,

〈やり方を考えて取ること〉が大事です。

 

「ウソは常備薬,真実は劇薬」

 

という言葉があります。

心理学者の河合隼雄さんの言葉です。

(中一夫著『学校現場かるた』より)

 

ウソはついてはいけませんが,

何でも本当のことを

言ってしまっていたら

嫌われます。

 

時には,「言わない」ということも

必要な場合があります。

 

「私と仕事,どっちが好きなの?」

 

なんて,

旦那さんに聞いてはいけないのです。

 

答え方はどんな時でも,

 

「君に決まっているだろ」

 

しかないではありませんか(笑)


それに,

 

「人の気持ちは51対49」

 

という言葉もあります。

これも河合隼雄さんの言葉です。

 

さっきまで「絶対アが正解だ!」

と討論していた人が,

実験結果が「イ」だとわかると

「やっぱりなー」

と口をついて出てしまうアレと一緒です。

 

つまり,気持ち的には半々でも,

「こっちが正しい!」

という意見を,自信をもっているかのように

言っている場合があるのです。

 

「学級委員は変えた方がいい!」

って言い張っている人も,

もしかしたら気持ち的には,

51くらいでしかなくて,

聞き方によっては

「別に変えなくてもいい」

となるくらいの,

49の気持ちも持ちつつ

反対している場合もある

かもしれないのです。


さて,話がそれましたが,

記名式のアンケートを書いてもらって,

学級委員だけが名前をみて,

みんなに読んでいくときには

名前を言わないで,

という感じで発表してくれましたが,

ほとんどが「変えなくていい」という

意見を書いてくれていて,

読む度に学級委員が

「ありがとうね~」

とつぶやいていたのが

微笑ましくてステキでした。


なかには,

 

「学級委員が大きな声で

 イヤな言葉や悪口を

 言っているのが許せない」

 

という意見を書いてくれた人がいました。

 

そうやって正直に

イヤなことを言ってきてくれたことは,

ちゃんと気をつけた方がいいことです。

 

これからの関係が壊れても…

と思って,

勇気を出して教えてくれたことに,

感謝の気持が持てるかな。


「言葉遣い」に関しては,

学級委員だけじゃなくて,

みんなも気をつけた方がいい話だったね。

「おい,死ねよ~(笑)」

とかって冗談で言っているのを

聞いたりするけど,

それは

「そんな言葉を使っても,

 オレたち許される関係だよね」

ってことを,相手に確認したりする感じで

使っている人もいます。

 

だけど,他の知らない人が聞いたら,

「あの子怖い」とか

「イヤな感じの子」って

思われてしまうことがあります。

 

言葉にはそういうマイナスの力が

あることを忘れないでほしいです。


「好きの反対は嫌いじゃなくて〈無関心〉」

 

とか

 

「パワハラやセクハラが起こるわけ」

 

とか,

 

話があっちこっち飛ぶ事態に

なっちゃったけど,

いろんな考え方の話ができるのは,

意外とおもしろかったりしました(笑)

 

まぁ,問題が起こって話をするのも

時にはシメタもあるのかもね。

 

 

みんなへつうしん   12月4日(金)

 

体育では,「跳び箱」を

絶賛跳び越え中(笑)

 

 

はじめは高いところから

とび下りて,着地をする練習。

 

 

そして,積み上げた

エバーマットの上に,

ロイター板を使って跳び上がる練習。

 

 

はたまた,

足のジャンプと同じくらい大切な,

手のジャンプのトレーニングを積み,

昨日は,

「開脚跳び」や「かかえ込み跳び」に

チャレンジしました。

 


授業を始めるときは

「跳び箱やだー」

「ホントに怖い!」

と言っていた子たちも,

とっても楽しそうに

跳んでくれていて,

嬉しかったな。


小学校の授業中のケガの中で,

ダントツに多いのが

この「跳び箱」です。

 

 

多くの場合,

手のジャンプのトレーニングが

不足しているのに,

勢いよく跳ぼうと

してしまうことが原因です。

 

だから,

いろいろな運動を楽しみながら,

手のジャンプを鍛えておくことが,

跳び箱と仲良くなる方法です。

 


「跳び箱なんか跳べるようになって,

 何かの役に立つの?」

 

って言ってた子がいたけど,

 

特に役に立つことはありません(笑)

 

跳び箱なんか跳べなくたって,

将来困る事なんてひとつもないです。

 

じゃあ,なんでやるのか。

 

それは

 

「跳べると気持ちがいい」

 

というだけです(笑)

 

まぁ,人生のオプションみたいなもの。

 

つまり,「遊び」です。


運動の歴史を調べてみると,

手を使って何かを跳び越えることって,

昔の子どもたちの

「遊び」そのものだったり,

 

 

3000年も前からショーとして

見る人を楽しませること

だったりもしました。

 

 


自分たちのやりたい練習によって

場所を分けてやっていたら,

得意な子たちが

いろんな技に挑戦している方を見て,

 

「あっちは貴族の遊びのように見える…^^;」

 

と言っていた子がいたけど,

そういう意味では

意外と本質をついています(笑)


もしかすると,

いまみんなが夢中になって

やっている遊びも,

将来,体育の時間に

いやいや習ったりするように

なることもあるのかもね。

 

「Eスポーツ」とかも?

 

それも,押しつけられたら

イヤがられるものになるのかもよ。

 

ゲームなんかも

「できないと将来困ります」

とか

「できるまで練習しなさい」

とか言われたら

やりたくなくなったりするのかもね。


というのも,

学校教育に「跳び箱」が入ってきた時は,

みんなが今,歴史で勉強している

「富国強兵」の時代。

 

体や心を鍛えるために,

「訓練の末に,この障害物を乗り越える」

というものとして導入されました。

 


同じことをやるにせよ,

どういう意図で取り組むのかで,

その「たのしさ」はもちろん,

「本質」までも変わってしまうことがあります。

 

みんなが楽しそうに

やってくれているのを見ていると,

やっぱり人間というのは,

何かを跳び越えるときに,

快感を感じるのだろうな~

ということがわかります。

 

「まだ味わえなてないよ」

という人も,

やっているうちに

できるようになると思うよ。

 

 

 

みんなへつうしん   12月3日(木)

 

昨日の歴史の授業では

「勝海舟」が登場したので,

「社会を変革するときの心得」

のお話をしました。


いま,アメリカの現状

などをみるとわかりますが,

社会が大きく変わろうとしています。

 

新型コロナで,生活の仕方が

大きく変わることも原因になったり,

AIの進歩で将来の仕事の形も

大きく変わろうとしたりしています。

 

こういう「時代の変わり目」では,

今まで大切にされてきたことが

通用しなくなることがあります。

 

もしかすると,

今まで「ダメだ」とされてきたことが

「賞賛」されるようになるかもしれません。

 

「びりっかす,向きを変えれば先頭に」

 

ということわざがあります。

(板倉聖宣『発想法かるた』より)

 

自分が大切にしていることが,

今の時代に合わなくても,

もしかしたら,時代の方が,

自分の進んでいる道を

追いかけてくることが

あるかもしれないのです。


そんなとき,

勝海舟のような人たちが

成し遂げたことは,

とても学べるところがあります。

 

前にも書きましたが,

明治維新は日本最大の革命です。

 

その革命に,

これだけ少ない犠牲で

乗り越えられたということは,

見事としかいいようがありません。

 

ここで学びたいのは,

「いつ戦うか」

ということです。


「自分たちが1,相手が9」の時,

つまり,マイノリティーでの戦いは,

もちろん戦いをしかけたりはしません。

 

どんなにこちらが正しいことであっても,

こっそり自分たちで考え,

周りには逆らわず,

研究を進めていく段階です。


「地球は太陽の周りを回っている」

 

有名な科学者ガリレオは,

その事実が正しいと知りながら,

宗教裁判では,

そのことについて戦おうとはせず,

あえてウソを言って

処刑されることから逃れ,

科学の研究を進めました。

 

それが世間の常識になるには,

なんと,それから

約100年がかかっています。


では,

「自分たちが6,相手が4」

になったら,

戦いをしかけるのか。

 

…というと,答えは「否(いいえ)」。


ちょっと優位になれば,

戦いには勝てるでしょう。

 

しかしながら,

大きな犠牲を払い,

血がたくさん流れます。

 

これが戦争ではなく,

話し合いで決めること

みたいな場合だったとしても,

大きな論争になり,

ねじ伏せられた「4」の人たちに

恨みが残り,

本当の意味での改革は,

達成できないかもしれません。


では,

「自分たちが9,相手が1」

になったときにはどうでしょう。

 

ここでようやく戦いをしかけるのか。

 

…いいえ。答えはやはり「否」。

 

ここまで来れば,実は

「戦わずして勝つ」

ことができるのです。

 

「江戸無血開城」という

偉業を成し遂げた人たちは,

きっと,このような発想法を

もっていました。

 

そういう平和的で大切な知識は,

ぼくら日本人が

受け継いでいくべき宝だと

思っています。

 


みんなが考えた

「ふれあい班あそび」は,

班の子たちから喜ばれていましたね。

そういう先輩のリーダーシップも,

この学校に受け継がれていくのでしょう。

それは素晴らしいことなのですよ。

 

みんなへつうしん   12月2日(水)

 

昨日の総合では,

これまでのまとめとして

「未来の自分リーフレット」を

書き始めました。

 

いろいろな職業の人の話や,

夢を叶えるまでの生き方の話を

聞いたりして,

もしも自分だったら…などと

考えることもしてきましたし,

12年後の自分は

どんなことをしているのかなぁ

なんて考えて,

それを立体作品に

してみたりもしてきました。

 

 


そんなことを追いかけてきて,

ぼくが考えるようになったのは,

「夢ってなんだろう」ってこと。

 

授業を始める前は,漠然と

「職業のこと」

なのではないかって

考えていたんだけれど,

 

自分の夢を「職業」にしてしまうと,

就職したときに

夢がなくなってしまうんだよね。

 

ホントの夢って,

そういうものじゃないなぁ

って思いました。

 

つまり,

「将来の夢」=「職業」

ではないってこと。

 

それとは別に,


「お金がかせげる仕事がいい」

 

とか

 

「いい暮らしがしたい」

 

っていう夢を

もっている子もいるけれど,

 

それって,ホントに

幸せな生き方なのかな?

 

「お金で叶えられること」

っていうのは,誰かに

「してもらうこと」

なんだよね。

 

してもらうことだけで幸せになれるか,

というと,

それで幸せを感じられることも,

もちろんあるけれど,

それは「幸せの全て」では

ない気がします。


人はきっと,

誰かに何かを

「してあげられたとき」

とか,

 

自分から何かを

「しているとき」

に,本当の幸せを感じられる

生き物なのかもしれません。


ちなみに,ぼくはというと,

教師という仕事に

就職してからの方が,

たくさんの夢を持つようになったかな。

 

毎朝みんなに「本の読み語り」を

するようになって,

「こんな素敵なお話を,

 自分でも書いてみたいな」

という,

作家になりたい

なんていう夢ができたり,

 

自分の教え子たちが

夢をもって,素敵に生きる

大人になったとき,

「友人として一緒に,

 仕事の話なんかしながら,

 乾杯したいなぁ」

っていう夢ができたりとかね。


そういうふうに考えてみると,

みんなは将来,

「こんなふうに生きていたらいいなぁ」

って思うことがあるかな。


「新しい商売を考えたり,

 世の中の役に立つことをしていたい」

 

とか,

 

「好きなスポーツに

 関わることをしていたい」

 

とか,

「教えたり,遊んだり,

 人と関わることをしていたい」

 

とか,

 

「何か好きなことを

 とことん研究していたい」

 

とか,

 

「誰かを助けたり,

 みんなのためになることを

 していたい」

 

とかね。


それって,自分の

「やりたいこと」だから,

自分の資質に合うこと

だったりするんだけど,

誰か近くに,

「こんな人みたいな生き方をしたい」

って思えるような人がいたら,

そういう人をお手本にして,

マネしてみるといいよね。

 

最近では,

普通の人がYouTuberになって,

いろいろ自分らしいことを

しているじゃない。

 

ああいう,

自分の好きなことに夢中になって,

それを喜んでくれる人が他にいたら,

それがそのまま職業に

なったりする時代になってきた

ってことだと,ぼくは思っています。


とにかく,

 

「自分が本当に

 やりたいことってなんだろう」

 

とか,

 

「自分がやっていても

 苦にならないことってなんだろう」

 

って,考えてみると,

将来の自分が

幸せに生きる道が

見えてくるんじゃないかなって

思っています。


ちなみに,

「苦もなくできること」

っていうのは,

自分の才能です。

 

それはきっと,

生かした方がいいことで,

それを見つけて磨いたら,

きっと自分の宝物になる

と思いますよ。

みんなへつうしん   12月1日(火)

 

昨日,社会の歴史では,

ついに日本最大の革命,

「明治維新」の学習に入りました。

 

何をもって〈最大の革命〉

と呼ばれているのかは,

これから勉強していくと

わかっていきますが,

 

昨日の問題は,

 

「黒船が来たときに,

 多くの民衆は

 どんな様子だったか」

 

 

を予想するところから。


大砲をつんでいる船艦が,

開国を迫っているわけですから,

国をあげての一大事です。

 

みんなの予想では,

 

「戦う準備を始めた」とか,

「オランダや中国と手を組み,

 助けてもらった」

などの〈戦う派〉と,

 

「どうすることもできなかった」とか

「逃げ出した」という

〈戦わない派〉

に別れていましたが,

 

その結果は

 

「多くの民衆は,ただ見ていた」

 

 

でした。

 


これは,

当時の身分制度が大きな原因で,

 

このようなときに戦うのは

「武士の仕事」

と,誰もが思っていたのです。

 

ほとんどの民衆である農民にとって,

この事件は他人事だったのでした。

 


しかしながら,これは,

日本にとってはかつてないほどの

大ピンチでした。

 

蘭学を学んでいた人たちだけは,

その大ピンチに気づいていました。

 

日本の周りの国々は,

ポルトガルやスペイン,

フランスやイギリスなどの

強国により次々に滅ぼされ,

それらの国の植民地

(奴隷的な扱いを受ける国)に

されていたのです。


このような大ピンチで

日本を守ったのは,やはり

「きちんと学を修めている人たち」

でした。

 

キーワードは

「江戸無血開城」

です。


社会の仕組みが大転換する時には,

歴史上,多くの血が流れています。

フランス革命が有名ですが,

外国との戦争よりも,

内乱の方が悲惨になるというのは,

歴史的に見ても明らかなのです。

 

ところが,日本最大の革命

「明治維新」では,

江戸幕府の体勢が

終わる時に必ずあるであろう,

幕府軍VS新政府軍

の内戦は起こらずに,

あっさりと

「大政奉還」が行われました。

(幕府が朝廷に政権を返すことです)


これは一体,どういうことだと思いますか。

 

何かからくりがあったり,

尽力した人物がいたりしたのでしょうか。

 

予想してみるとよいでしょう。

 

なぜなら,これは,

これからの未来で何度も使える,

歴史的な〈知識〉だからです。

 

大きな変革を起こすときには,

この史実を

よく学んでおく必要があるのです。

(これから詳しく学びましょう)

 

***


それにしても,江戸時代では,

平和を維持するために,

いろいろな自由を制限してきました。

 

勝手な工夫をされて

力をつけられてしまって,

倒幕をねらわれてしまっては

いけないからです。

 

生活をラクにするための工夫

(例えば,乗り物など)も,

幕府の許可がなければ

作ることできませんでした。

 

それゆえ,人々は

積極的に工夫をしたりせず,

いつもの暮らしを続けることを

大切にしていました。

 

それで,平和は続くかもしれませんが,

現在みたいに数十年で

生活ががらりと変わるほど

豊かになることはありませんでした。


そのようなことが

当たり前になってしまうと,

昨日の黒船の話のように,

何か大きな問題が起こったときでも,

「それは武士の仕事でしょ」と

他人事になってしまうのは困りものです。

 

普段から,何かことが起きたときに,

自分の頭で考える,

自分が自分の主人公である生き方

をトレーニングしていくことが

大切なのかもしれません。


まぁ,

個がしっかりしているみんななら,

その点は大丈夫そうだけどね(笑)