みんなへつうしん   12月9日(水)

 

昨日のみんつうで

「自主学習をしないと決めた話」

を紹介していたら,

ご本人が

 

「それはぼくです」

 

とみんなに打ち明けて,

胸の内を語ってくれましたね(笑)

 

「決めてみたのはいいんだけど,

 それを親に説明して以来,

 毎回,親とは言い合いになるよ?」

 

とのこと。そりゃそうだ(笑)

 

 まぁ,マネするなら

「そういう覚悟があるのか?」

ってことだよね。

 

でも,そういうことが,

〈夏目漱石を読む原動力になっている〉

のも確かなんだよな,

なんて思ったりしています。


いろんな〈きっかけ〉を使って,

誰かに言われたからとかじゃなくて,

「自分の頭で考えて行動する」

ってことが大事なわけです。

 

それは,

「言われた人に反発する」

ってことじゃなくて,

 

人に言われた通りにやるときでも

「なるほど,やってみよう」と

判断することを「自分でする」

 

っていうこと。


「やらされている」と思っちゃうと,

どこかでラクしてるわけ。

 

「忙しくて宿題ができなかった」

というときに,

「忙しいから〈宿題をしない〉を選んだ」

と言い換えてみると,

自分の責任になります。

 

全部そんなふうに考えると

疲れちゃうけど,

大事なときには,

そんなふうに考えてみるといい。

 

「なんで学校なんか

 行かなきゃなんないんだよ」

 

と言いながらも

学校に来ている子は,

 

「親とケンカするの疲れるからな」

 

とか

 

「うわさになって,いろんな人に

 心配されたらイヤだな」

 

とかって考えて,自分で

 

「学校に行く」

 

を選んでいるわけ。

 

もう選んだなら

自分で決めたことなんだから,

少しでも学校で何かを得て帰らなきゃ,

その時間がムダになります。

 

そういう気概をもって

生活をしている人と,

そうでない人とでは,

〈将来の力積〉が違ってきてしまうのです。

〈力積〉だからね,

足し算じゃないよ。

かけ算のレベルで違ってくる。


昨日もやったけど,

学校の制度が始まったのは

〈明治維新〉の時代です(150年ほど前)。

その当時は,

ずっと進んだ海外の知識や技術を学ぶと,

その分だけ頼りにされ,

日本を引っぱって行ける存在になれました。

 

すでにある海外の進んだ知識を,

勉強(強いて勉めることを)することで,

それがそのまま役に立つ時代です。

 

多くの家では,子どもたちは

家の手伝いをする労働力でしたから,

親は学校には行かせたくありませんでしたが,

子どもたちは,そんな未来のない手伝いより

自分の将来が開けて見える

勉強がしたくて

学校に行きたかったのだそうです。

今とはだいぶ違うよね(笑)


いまは,みんなが

平等に学べる時代になったので,

勉強しただけ特別になれるという

わけでもないから

それだけ学ぶ意欲は

下がってきているわけです。

 

でもその分,昔よりも

「なんでもかんでも,

 海外の知識を学んでいく」

のではなくて,

 

「学ぶに値するもの」

を見極めて学ぶ時代になったのだ

と思っています。

 

いつの時代になっても,

やっぱり学ぶことは大事で,

今まで発見されてきた

基礎があってはじめて,

その上にさらに新しい発見を

積み上げていくことができるというわけです。

 

そうやって,

今までの努力を

未来につなげていくんだね。


次回,みんなが大好き壱万円の人が

「歴史にドキリ」に登場するけど,

その人が書いた

『学問のすすめ』という本から,

今の日本の文化が

積み上がっているのかもしれません。

 

空が美しい放課後に・・・