マンハッタンの1月は寒い。夜は凍てつく寒さだ。

 

この時期ばかりは観光客も減ってバカ高いホテルの室料も値下がり、ブロードウェイのミュージカルもチケット半額セールを実施する。しかし、そんな冬のマンハッタンの夜でも一際温かな場所が存在する。それは、ヘルズキッチンやイーストヴィリッジといった界隈に点在するピアノバーだ。

 

もう30年も前のこと。学生時代の恋人に連れられて行ってからしばらくハマっていた。当時私は東海岸の田舎町にある大学院に通っており、週末はバスと電車を乗り継いで当時付き合っていたマンハッタンに住む恋人に会いにくるのが常であった。金曜の夜にマンハッタンに到着し、落ち合う場所に使ったのがヘルズキッチンのピアノバー「Don't Tell Mama」だった。なんと彼女のおじいさんが若い頃アルバイトでピアニストをしていたらしい。日本語に訳すると「お母さんには内緒」といったチャーミングな名前だが、常連客らは年配者が多く、当時20代だった我々は周りの客からしょっちゅう酒を奢ってもらったものだった。

 

 

当時はまだ二人とも20代。それから月日が過ぎ、お互いそれぞれの道を選んだ。彼女は永らくキンサシャをベースに人道援助機関で働いていたが、久々にアフリカから帰ってくるというので再会することになった。彼女が指定してきた場所は、そのピアノバー。あれから30年以上の時が流れたが、当時の雰囲気はそのまま。小雪がちらつく中、私は少し先に着いて席を確保したが、今回はピアノと歌い手が見えるいい席に通された。少しは貫禄が出たのだろうか。

 

しばらくして、彼女が到着した。ソーシャルメディアやらオンラインチャットやらが隆盛の今、彼女の動向は伺っているつもりだったが、こうして思い出の場所で面と向かって再会すると感慨も一塩だ。お互い白髪が増えたね、などとジョークを言い合う。当時は場違いな気がした二人だが、今は自然に周囲の客に馴染んでいることを嬉しく思う。

 

 

ひとしきり思い出話に花がさき、近況を伝え合って、昨今のアメリカの政治やら世界情勢についてお互いの意見を述べ合っているうちに、あっという間に2−3時間が過ぎた。「はて、再会の目的はなんだっけ。離婚でもするのか、」と思い、恐るおそる聞いてみると、「用事がないとあってはいけないの?」と。まるで村上春樹の小説の中の展開のようで、思わず赤面するのが自分でもわかる。酒で酔っているからだという言い訳が通じるだろうか。なんでも人生後半戦を生きるにあたり、これまでの人生に影響を与えた人物たちに、思い出の場所で会う巡礼の一環なのだそうだ。

 

若い頃から村上春樹が好きだった彼女らしい回答だ。そんなリストに入れてくれたことを光栄に思う。

 

こういった調子で彼女にはいつも見透かされているような気分になるが、彼女の目には、私の人生は合格点に映るだろうか。そんなことを考えつつしばし押し黙っていたら、舞台では若いピアニストが弾き語りでビリー・ジョエルの「New York State of Mind」を演奏していた。彼女の大好きな曲だ。目を輝かせて控えめにリズムを取る彼女。彼女の椅子の後ろに手をかけたい誘惑に駆られたが思いとどまった。彼女こそ私の人生にいろいろインパクトを与えてくれた恩人である。今、こうしてマンハッタンで一端の芸術家として生活できているのも彼女のおかげだと私は勝手に感謝している。別々の道を選んでからも何か大きな決断をするときには、彼女の顔がチラついたものだ。そんなカミングアウトを彼女にしたら、豪快に笑っていたが。

 

そんな彼女の傍でウイスキーを飲みほした。

 

実に愉快な夜だった。ふと外を見るとだいぶ雪が積もってきたようだ。もう一杯飲むとこの儚い高揚感が消え失せてしまうような気がして我々はそれぞれ家路につくことにした。

 

まだまだ夜は浅くバーの入り口には寒さ知らずのニューヨーカーたちが列を作っている。きっと今夜も様々な人間ドラマが展開されることだろう。

 

注記:某媒体の電子版に提供した記事です。都合により1月号が休刊になりお蔵入りになってしまいました。折角なのでこちらで披露させていただきます。他人名義で提供しているため主人公はストレートの50代男性という設定です。

 

 

Don't Tell Mama

343 W 46th St, New York, NY (212) 757-0788

夕方5時から深夜まで営業。タイムズスクエア・ブロードウェイ界隈から徒歩圏内