旦那が念願のコミュニティーガーデンの1区画の使用権を当てて、野菜や果物の自家栽培を始めたのが2022年。今年で5シーズン目を迎えました。おかげさまで、いろいろなことを学び、そして得るものがありました。

 

2年目、3年目あたりは無難にトマトと豆類ばかりを栽培していたけれど、昨年はやや収穫が落ちました。輪作(ローテーション)してなかったので土の栄養が偏ってしまい、病気や虫の被害など連作障害になってしまったものと思われます。有機肥料なども試しはしましたが、あまり効果はありませんでした。今年は、昨シーズンと同じ種類の野菜を同じ場所に続けて植えないようにしたら、以前同様の豊作になりました。8月に入って収穫のピークを迎えています。

 

朝靄に包まれたコミュニティーガーデン

 

今年のきゅうりは豊作です

 

 

最近は2〜3日おきに早朝にコミュニティーガーデンに行って野菜を収穫しています。日本の居酒屋メニューのネーミングにありそうな「産地直送・朝採り野菜」ってやつです。自分たちでは食べきれない量なので、形のいいものや、完熟まで数日ありそうなものは、ご近所さんに配っています。週末に友人たちと会う時も、紙袋に詰めて持っていきます。郊外住みの友人には結構大きめの箱に入れて、車で持っていってあげたりします。皆喜んでくれるし、我々も野菜を腐らせなくて済むので一石二鳥です。

 

去年までは、トマトときゅうりの2大・夏野菜だけでしたが、今年は、苦瓜(ゴーヤ)を栽培してみました。私、ゴーヤチャンプルー大好きで、夏に食べたくなるのですが、アメリカでは食べられるところがなかなかないし、そもそもゴーヤを売っていないので、自分で作っちゃえ、というのがきっかけです。

 

先週水曜日の収穫。奥のほう、ゴーヤ初収穫

 

先週金曜日の収穫。きゅうりがあっという間に大きくなった

 

旦那も私ももともと農業の知識があったわけではないので、ネットの情報や、近隣の区画のガーデン仲間たちから伝授された知識ですが、この5年間で野菜や果物、そして土や天気などに関する知識や興味が湧いてきて、この地球に生きるものとして(大袈裟ですが、笑)大いに得るものがあったと思います。野菜の中でも、トマトに関しては、一度手作りで育てた味に慣れると、スーパーで買う安くて味気ないトマトに戻れなくなります。まさに太陽と大地の恵みという味です。

 

そして、もう一つ得たものとしては、人間関係。普段から付き合いのあるご近所4〜5軒には定期的に配っていますが、そのうちの1軒、大きい家に1人で暮らしている90歳のデボラさん(仮名)は、野菜を届けると、翌朝には差し上げた野菜を水彩画に描いてお礼のカードをポストに届けてくれます。その心意気が嬉しくて、食べきれないくらいの野菜を届けているのですが、先週はマンハッタンに住むデボラさんの娘さんがうちのインタフォンを鳴らしました。娘さんとは言っても、私とDよりも年上です。デボラさんからは娘さんのことを話には聞いていたけれど、実際に会ったことはないのでやや緊張しました。もしかしたら、もう野菜は持ってこないで、と言われるのかもなんて思ったりもしました。

 

デボラさんが描いてくれた水彩画

 

めくるとお礼状になっていました

 

 

しかし、それは全くの杞憂で、娘さんは、菓子折りを持ってお礼に来てくれたのでした。デボラさんが食べきれない野菜を、娘さんが持って帰っているそうです。娘さん本人もマンハッタンのアパートのベランダでミニトマトを栽培してるとかで、ひとしきり野菜ネタで盛り上がったあと、何より感謝しているのは、私たちが野菜を届けて、そのお返しにデボラさんが絵を描いてお礼をしてくれるという一連のルーティンが、高齢のデボラさんにとってちょっとした楽しみになっていて、また離れて住む娘さんにとってはとても安心に感じているということ。私とDは特に意識せずにご近所の1人暮らしの高齢者の方が何事もなく過ごしているかをチェックする役割を話していたのです。私は日米、いろいろなところに住みましたが、こんな暖かいご近所付き合いができているのは嬉しい限りです。

 

 

ブータン人・ソナムさんとの思い出の続編です。

 

前回は、15年以上も前のブータン訪問記で観光名所解説もない、ただ思い出を羅列しただけのブログでしたが、多くの方にブータンという国に興味を持っていただいたようで、ソナムさんへの弔いにもなればと思ったりもしています。

 

さて、同窓会「ホームカミングデー2027」の実行委員をしているキャサリンから詳細について情報が入ってきました。ソナムさんが亡くなったのは、もう数年前のことで、死因は肺炎だったそうです。日本やアメリカでは40代の人が肺炎が重症化するのは、もともと基礎疾患でもない限り稀だと思いますし、重篤になっても薬や治療体制も充実しているので、亡くなるは確率は非常に低いと思います。

 

ブータンは、いわゆる発展途上国というカテゴリーに入る国ですが、公衆衛生はしっかりしていて、平均寿命は75歳くらいです(日本は85歳、アメリカは78歳)。予防接種や母子保健のサポート体制の充実で、子供の死亡率が劇的に低下したので、その分平均寿命は伸びているようですが、ソナムさんのような壮年期の男性が肺炎で亡くなってしまうという現実を鑑みるに、緊急医療体制には限界があるのでしょう。また、ヒマラヤの高い山々に囲まれて空港の条件もよくないので、近隣の先進国への救急搬送も簡単ではありません。数年前ということなので、COVIDが関係しているのかもしれませんし、実際緊急医療のためにバンコクに移送する話も、結局COVIDの最中で移動もままならないので、断念したそうです。

 

ブータン国王家族の写真。ソナムさんを重ねてしまう

 

結婚式でお会いしたソナムさんの奥さんが今どうしているか、真っ先に気になりましたが、人脈の広いキャサリンでもそこまでは分からないようです。10年くらい前に、彼がfacebookのプロフィール写真をアップデートして、子供2人と一緒に写真が載っていたので、きっとあの子達はティーンエイジャーになっていることでしょう。結婚式の翌年あたりに生まれた子だと思います。本当に気の毒です。

 

同窓会の件がなければ、ソナムさんを思い出すこともなかっただろうし、亡くなったことも知らぬままでした。これが、定期的に会うようなニューヨークのゲイ友が亡くなったとかだと、もう少し違う種類の感情、あえていうならもっと悲しく寂しい気持ちになるように思います。命の重い軽いの話をしているのではなく、何が言いたいかうまく説明がつかないのですが、ソナムさんは、もともと日常生活で接していた人ではないので冷静な気分でその死を受け止めている自分がいます。ブータンという国や社会にとっても大きな損失ではないかとも思ったりしています。下はブータン人という単語でサーチして出てきたネットからの拾い写真。私が見たブータンの人たちイメージそのままなのでお借りしました。

 

 

 

 

私が唯一知るブータン人のソナムさんの死が私には何か大きなもののように思えるのは、彼の人格と言おうか、そもそものブータン人の高貴さと言おうか、さらに言えば、ブータンという国の品格の高さとか、そういうことも関係していると思います。2011年にブータン国王と王妃が、国賓として初来日して、滞在中には東日本大震災の被災地である福島県を訪れたことがありました。色々な国の元首や王族が国賓として来日する中、ブータンという国の気高さを日本国民に印象付ける出来事だったと思います。ソナムさんとブータン国王がダブるくらい、私にとってソナムさんこそブータンという国を代表する人物と映ります。このブログを書くにあたって、ブータン国王来日時の映像などを見ましたが、堂々としつつ、日本の天皇陛下を敬い、素晴らしい振る舞いでした。サングラスしたまま謁見したり、ポケットに手を突っ込んで歩いたりする欧米(特にアメリカ)の国賓とは大違いです。

 

品格という言葉がぴったりなブータン国王夫妻

 

さて、行動派のキャサリンはソナムさんの家族へのサポートをするため、同窓会に先駆け寄付を募る計画を打ち立てました。同窓会で偲ぶ会のような追悼企画も計画しているようです。私にはこういうアイディアはすぐには出てきません。私は、ソナムさんの結婚式に参加したたった2人の卒業生のうちの1人なので、偲ぶ会が実現するのであれば、何か役回りを引き受けるつもりです。私もソナムさんもアジアからの留学生として、とても影がうすい存在でしたので、どのくらい注目されるか不安もありますが、同じ学年でスター級だったキャサリンがこうして一生懸命になってくれているということは心強いです。当時はブータンになぞ興味すら示さなかったようなアメリカ人の同窓生たちも今や中年にさしかかり、きっと何か動かされるものがあるのではないかと信じています。

 

最後に、ブータンの有名風景の写真を数枚。首都ティンプー1の繁華街と、その下2枚は有名寺院です。ソナムさんの訃報を知って、ブータンに想いを馳せることになりましたが、また再び訪問したいなと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あっという間に8月になってしまいました。

 

アメリカでは、8月に入ると夏も終わりの気分になります。学校の新学期が早いところで8月中旬から始まるので、ショッピングモールなどで「新学期キャンペーン(Back to School Sale)」が始まるからです。朝夕通勤にマンハッタンのビルの谷間を歩いてると、昇る朝日、夕方の太陽の角度が変わってくのを感じ、ああ夏ももうあと少しなんだなと思います。

 

そんな20年ほど前の8月に私はアメリカ東海岸の街にある大学院でMBAを取るためにアメリカにやってきました。卒業して20年以上近く経ちますが、10年周期でHomecoming, MBA2007 Celebration! みたいな当時のクラスメートの同窓会みたいなのがあります。

 

私は、愛校心が強く、キャンパスも学校がある街も大好きで卒業後も何度か訪れています。しかしそれほどクラスメート達に愛着があるわけでもないので、10周年のホームカミング行事には行きませんでした。しかし最近、20周年のイベントが秋に開催されるという案内が来て心動かされています。と言うのも、数少ない友人だったキャサリンが実行委員に名を連ねているのです。イタリア系スイス人の夫と結婚した彼女をスイスに訪問したのが4年前。当時住んでたツェルマットから最近チューリッヒに引っ越したという話は聞いていましたが、スイスから遠く離れたアメリカの同窓会行事を手伝うとは彼女らしいバイタリティーです。キャサリン訪問のエピソードはこちら。自画自賛ですが、自分でもお気に入りの記事の一つです。義父の介護が始まってこういう旅はあまりできていません。

 

 

さて、早速キャサリンに連絡を取ったら、ホームカミングデーにはぜひ来なさいよ、と誘われたのですが、その時ある驚きの事実を知りました。それは大学院の同級生でブータン出身のソナム(仮名)氏が亡くなったと言うのです。ソナムさんはブータンの首都ティンプー出身で、留学にはどこかの財団がやってる途上国支援の奨学金で来てたと記憶しています。同級生とは言っても、実年齢は私やキャサリンより数歳歳上、優秀かつ人柄温厚な人でした。他の学生とつるむタイプではなく、ひたすら勉強してたというイメージです。

 

修士号取得後はブータンに帰国して、政府関係の仕事に就いていましたが、その数年後に彼からメールで結婚式の招待状が来ました。場所はブータンの首都・ティンプー。当時私はテキサスに住んでいて、たまたま彼の結婚式の前後は夏休みで日本にいる予定でした。今はどうか知りませんが、当時のブータンはブータン人の招待状がないと入国できない国でしたので、とても魅力的な招待。彼から聞いてたブータンは桃源郷で、実際、国民の幸せ指数ではいつも常連にいたと記憶しています。私と彼が親友だったとかいうわけではないんですが、交友関係がそれほど広くない彼からしたら、私は親交度合いで上位にいたのでしょうか。彼は日本の戦後復興を勉強したそうで、日本をとても尊敬していました。そんな彼がハレの日に招待してくれるとは嬉しいこと。結局行きました、ブータン。

 

 

東京からティンプーまでの航空券は自分持ちで、現地での車や宿泊、食事から全て彼サイド持ち。ビジネススクール関係者は、私ともう1人インド人の2人。同級生10人招待したそうで、私がはるばるアメリカから出向いたことにとても感謝してくれました。キャサリンも招待されていたようですが、彼女は来られませんでした。面白いことにインド人がたくさん招待されていました。ブータンのエリートはインドで高等教育を受ける人が多いとかで、ソナムさんもデリーの大学に行き、その時の同級生たちとのことでした。

 

当時の写真も探せばあるんだろうけど、旧型のデジカメで撮って古いパソコンに入っているのでちょっと探せませんでした。でも鮮明に覚えています。とても牧歌的な結婚式。衣装はブータンの民族衣装である「ゴー」という厚手の着物風。新郎新婦は煌びやかな刺繍や装飾がたくさんついたゴーを着てました。一応、イメージということで、ブータン国王の結婚式に写真を載せておきます。ソナムさんもこういう系の顔でした。奥さんも王妃のような系統の美女。ブータン人は基本的に男女とも凛々しく精悍で涼しげな顔をしています。

 

ブータン国王と王妃。国民からとても尊敬されています

 

私は一応スーツ持って行きましたが、野外のパーティで、何だか浮いてしまっていたので、ソナムさんの家族が、ゴーを貸してくれてその後滞在中ずっと着てました。ティンプーは盆地にあって1日の寒暖差が激しいので、懐で調節できるゴーはなるほど、現地の気候にあった服装だとすっかり気に入ったら、それあげる、と言われて日本に持ち帰ってきました。ブータン人と日本人が似ているので、ゴー着てた私は見た目では完全に現地に同化して、ゴーでいればどこに行ってもブータン語で話しかけられました。結婚式に来てたような人たちはソナムさんのエリート仲間なので、私がブータン人でないと知るとすぐに英語に切り替えてました。皆親切で、本当にあたたかい人たちだなと思いました。それと、結婚式場(ソナムさんの家族の所有地?)にも街中にも子供がたくさんいて、みんな愛くるしくて可愛い顔してた記憶があります。そして、男鑑賞目線で言うと、ゴーで着膨れしてるせいか、ゴツい人が多かったです。皆無骨で凛々しく、打ち解けると笑顔が素敵な、そんな男が多かったです。

 

精悍で男らしい人が多かった(イメージ)

 

若い子達も擦れてなくてピュアな感じでした(イメージ)

 

ソナムさんは日本など先進国から資金援助を受ける仕事を担当していたとかで、結婚式には現地の日本大使館やJICA職員などの日本人が来てました。ゴーを着てた私を当然ブータン人だと思ってて、私が日本語で話しはじめたら、びっくりして「日本語上手ですね、どこで習ったんですか?」的な質問攻めに合いました。途上国に行くと、インフラ開発や経済援助に勤しむ日本人男に混じって、大抵途上国大好き日本女子がいて、NGOとか国連援助機関に所属してたり、現地の人に日本語教えてたりするんですが、ここブータンでもそんな日本女子に遭遇。私にやたらゆっくりと日本語で話しかけてきて、この子、本気で私をブータン人と思ってる?もしかして惚れられた?なんて思ったのが懐かしいです。なんとなくウザくなって距離を置きました。

 

さて、結婚式の主役のソナムさんは多忙で、ゆっくりサシで話す機会はありませんでしたが、官僚らしい采配で、客人が心地よく過ごすことができるように配慮してくれてました。合計6日間滞在でしたが、ソナムさんの兄弟たちが毎日お世話してくれて、ティンプーから離れた場所へもかなり遠出もしました。移動はインドから輸入したスズキの軽自動車でした。一応外国人旅行許可証を持っていましたが、ゴーを着て旅行してたので、一度も確認されませんでした。一度ソナムさんの兄弟が、私ともう1人のクラスメートのインド人を乗せて有名な寺院のある村にドライブに出た時、検問所のようなところで、警察に止められました。外国人を車に載せているということで、証明書を見せていましたが、何かもめているように見えましたが、あとで聞いたら、許可書には2人の外国人(私とクラスメートのインド人)となっているが、車にはインド人1人しか乗っていないのではないかと言われたそうです。警察官は私を現地人だと思ったのです。そのくらい日本人とブータン人は似てるということです。結局、私を確認しに車の中まで来たあの時の警察官、私の顔をまじまじと見て「してやられた〜」みたいな表情の笑顔が懐かしいです。

 

来客をもてなす時のコース料理(イメージ)

 

唯一困ったのは食べ物。ブータンでは全ての料理が激辛香辛料と濃厚な乳製品で成り立っていると言っても過言ではないくらい、どの料理にも唐辛子とバターなどが入っています。見た目や匂いは食欲をそそります。でも食べ始めると、数分で汗だくになって舌がヒリヒリ。一度、ピーマンとパプリカのクリームスープだと思って食べたのが、溶けたバターの海に青・赤唐辛子が浮いているという、とんでもない料理でした。辛さで咳き込み、脳天を突き抜けるような衝撃に見舞われました。

 

毎食こんな感じですから、旅の後半はお腹を壊してしまいました。一日食事を抜いて、その後滞在中ずっとご飯だけで過ごしていました。ご飯は、紫色のお米をふっくらと炊いたもので、もっちりした食感が良かったです。毎回食事は取り分けスタイルでしたので、ソナムさんのご家族にいらぬ心配をかけぬよう、超絶激辛料理を食べてるふりはできました。一部の中華圏のように直箸スタイルではなく、どの料理にも取り分け用のスプーンやお玉が準備してありました。基本的に、どこも衛生的だったと思います。

 

ちなみに、帰りの飛行機の乗り換え地・バンコクに一泊して、夕食にグリーンカレーを食べましたが、そのグリーンカレーが甘く感じるくらい、ブータン料理の辛さは強烈でした。

 

コーンクリームシチューのように見えたが、、

 

この紫色のご飯だけで数日生き延びました。上にかかっているホワイトソースも具は全て唐辛子系だと思います

 

その後、日本で休暇の残りを過ごし、アメリカに戻ってソナムさんにお礼のメールを書いたのが、彼とのやりとりの最後です。結婚式後でたくさんお祝いのメールが来てただろうから、返事が来なかったこと自体は気にしてはいませんが、しばらくしてフォローアップすれば良かったかなとは思います。

 

遠い昔のような出来事。実際にブータンに行った思い出なのに、なぜか昔観た映画を回顧するような不思議な感じです。このブログ記事を書きつつ、キャサリンからソナムさんがお亡くなりになった情報などアップデートが入ってきているので、ソナムさんとの思い出の続きは次回に続きます。

 

 

 

 

 

この週末は、このブログにたまに登場するゲイ友、コリアンアメリカンのKさんとイタリア系アメリカ人Tさんカップルの家で開かれたコリアン焼肉パーティーに招待いただきました。彼らとは長い付き合いのような気がしますが、よく考えたらまだ出会って3年も経っていないようで不思議な気がします。下のリブログは出会った頃の様子です。

 

 

今回の焼肉パーティー、おもてなし上手の2人なので、当然楽しい雰囲気で、出される料理もレストラン級の味でした。Kさんはアメリカに帰化して長いのに、コリアンのプライドをかけて、こういう時に絶対に手を抜きません。牛、豚そして鶏と全て高級部位、私がコリアン料理の最大の魅力だと思う小皿も充実、そしてさらに嬉しいことに数種類の焼酎も用意されていました。

 

肉に巻く葉っぱ類も種類豊富で嬉しい

 

アルコールだけで腹一杯になりそうなもてなし

 

さて、そこでKさんからとても面白い話を聞きました。まず、NY韓国コミュニティーの知り合いの経営するマンハッタンの人気焼肉店で、Kさん自身がバイトしてるということ。週末限定の副業。お金に困ってはいないだろうし理由を聞いたら、環境が違うところに身を置きたいからだそうです。Kさんの今の本業の仕事は1人で黙々とする内容なので、その分コリアタウンでのバイトで人とのコミュニケーションをエンジョイしてるのでしょう。内気な私にはできません、、、。

 

明るくて社会人経験豊富だからいつの間にか週末のバイトを統括する班長(コリアンっぽい呼称)になったそうです。マンハッタン・ミッドタウンのコリアタウンの傾向として、店員がみんな韓流スターみたいなイケメン&長身細マッチョ揃いなレストラン店が結構あります。私からするとコリアタウンは若い女の子たちが多いイメージで、そういう客層を狙った、韓流ハンサム顔と男らしい体つき採用だと思います。Kさんが働いてるのもそんなところのひとつ。コリアタウンにあって、レストランのイケてる雰囲気がイケてるバイトさんを惹きつけるのでしょう。Kさんはこの日、マッチョ柄がプリントされたエプロン着用してて笑えました。美男な韓国系多いけど、人材はどこから供給されるのか?と聞いたら、意外にも中華系の男の子なども働いているそうです。韓国語が全く話せないコリアン・アメリカンも多いので、アジア系なら違和感ないですね。

 

コリア街のSexy兄貴系ウエイター(イメージ)

 

こういう求人広告で、イメージにあった採用をしてるのか

 

ちなみに、そんな環境で副業してるKさんに、旦那Tさんが嫉妬しないのと聞いたら、Tさんからしてみれば、Kさんが若いアジアンのマッチョイケメンに囲まれて羨ましい気が勝るそうです。

 

そして、Kさんのバイト時の裏話も面白かったです。日本料理同様、マンハッタンでは韓国料理もメインストリーム化して大人気です。マンハッタンのコリアタウンもいつも盛況です。それでKさんのバイトのような需要があるわけですが、客層が広がれば色々これまでにみられなかった問題が出てくるのは常。今Kさんの働く韓国料理店では客からのある要望に悩まされているとか。それは

 

「(辛いのダメなので)辛くしないでください。(Non Spicy Please?)」

 

という要求。中にはキムチチゲ頼んだ客が、辛すぎると言って突き返してきたり、下味付けの一環で入ってた唐辛子のかけらを見つけた客が「スパイスなしって言っただろ〜」とブチ切れたり、1回のシフトの中で辛いのがダメな客に何度か遭遇するそうです。韓国料理からスパイス抜いたら何が残るんだって感じるのは私だけでしょうか。

 

 

 

手慣れた仕草でサーブしてくれます

 

韓国料理はそのスパイシーさや爽快な刺激で人気が出てきて一気に広がってきました。キムチ、コチジャン、各種韓流唐辛子など、以前はコリアンスーパー「Hマート」などアジア系のお店に行かないと買えなかったのですが今は普通のスーパーで売ってたりします。

 

一方、私の肌感覚でアメリカの白人は3割くらい辛いの苦手な人がいる感じ。うちの旦那Dもその1人で、中華やタイレストランに行くと大抵「Non Spicy Please」と言添えます。韓国料理ももちろん辛味要素が入ってない料理もありますが、基本キムチとかコチジャンとか、辛さがあってこその料理だと私は思っています。よって例えばグループで行って料理を取り分けシェアにするときに誰かが「Non Spicy Please」というと、「あんた、だったら最初から来るなよ、」と思ってしまいます。

 

あとは豚肉禁止系の客も激増中だそうです。豚肉が飲食店のデフォルトメニューなアジアとは違って、アメリカでは豚肉出してないところも多いです。ムスリムの人たちなど、豚肉食べない、触れない、見たくもない人たちが多いからです。宗教的な制約があるならはじめから来なきゃいいだけの話ですが、一定層の人たちはレストラン側で対処できると思うようです。

 

この日は辛いのがダメなうちの旦那に配慮して、小鉢類も辛い料理は白菜キムチくらいで、焼肉はじめ、その他の料理も辛味は別に用意されていました。私は、きゅうりも大根もキムチ漬けが良かったんですが、ホスピタリティー溢れるKさんらしいです。なお、うちの旦那は豚肉は好きなので、ポーク類はチョイスから外れることはなくて安心。この日も質の良いポークを用意してくれていました。

 

Non Spicy Pleaseの旦那Dのためにキムチは白菜一皿

 

この豚肉、柔らかさとコリコリ塩梅が絶妙でした

 

KさんTさん宅に来ると、こうして美味しいお酒と料理が待っているので、ついつい食べ過ぎ、飲み過ぎになってしまいます。そして彼らのホスピタリティに甘えて体が帰りたくない反応を起こすこともあります。この日は5時半に来て、かなり遅くまで居座ってしまいました。「泊まっていけば?」とまで言われましたが、さすがにそうすると翌日大後悔すると思ったので、夜11時でお暇しました。

 

この夕べは、マンハッタンのコリアン飲食業界を取り巻く面白い裏話を聞くことができておもしろかったです。この話、日本カルチャーでも同じようなチャレンジを聞いてきました。寿司屋が「生魚ダメとか、白米は重すぎる、とか酢飯の酢の匂いがダメ」という客に悩むのと同じといいますか、アメリカの寿司屋はそういう文化的相反性を克服して生魚使わない寿司や酢飯使わず玄米使う寿司を開発してきたように思います。

 

辛いのや、豚肉がダメなアメリカ人を取り込みながら、韓国料理がどう発展していくかとても楽しみです。

 

このお酒、美味しかった。

 

 

 

最近仕事が多忙で一週間ぶりのブログ更新です。

 

週末を挟んだアメリカ国内出張から昨日戻ったばかり。出張中は時間的に精神的にも仕事以外のことを考える余裕がなかったのですが、面白いエピソードは、あるにはありました。その一つは行きの空港と飛行機での出来事。

 

私、たまにの出張は好きなのですが、この時期の出張は正直憂鬱です。というのも、学校の夏休みなので人出が多く、しかもグループや家族連れで、一人旅の出張者は肩身がせまい気がするからです。

 

先週ニューヨークから出張先の中西部の街に向けて出発しました。何回かブログに書いているけれど、うちからはニューヨーク地区のどこの空港に行くのも不便。この日は3つある空港の中では一番近いラガーディア空港利用。それでも最低1時間半以上。アメリカの空港のセキュリティをエクスプレス通過できるCLEARという出張者必須アイテムは登録済みなので、理論上は空港に着いてからゲートまで10分くらいでいける計算ですが、そうは問屋が卸さないのがこの時期の空港。しかもニューヨークのようなハブ空港なら尚更です。

 

最近、変な空模様が続きます

 

何があるかわからないので、念の為時に家を早めに出ました。出張なので家からタクシーかUber使っても良かったのですが、渋滞が怖いので、旦那にホワイトプレーンズ駅まで送ってもらい、メトロノース鉄道でハーレムまで行って、そこからタクシーにしました。予想通りの時間に空港につきましたが、なんだか空港がざわついています。アメリカ中西部の広い範囲が雷を伴う暴風雨に見舞われ、こちらに向かう飛行機に大きな遅延が出ている模様。私が乗る飛行機もシカゴからの折り返し機材のため、遅れ確定、、、。冬は冬で雪で遅れるし、夏はトルネードやストームで遅れる、アメリカ国内線にありがちな事情です。こういう時でも東京行きなどの長距離国際線は飛ぶことが多いですが、小さい飛行機で運航される国内線は壊滅的にダイヤが乱れます。これも、この時期の出張が嫌な理由。

 

遅れが30分刻みでアップデートされるのと、機材変更していきなり出発が決まることもあるので、ラウンジで時間を潰すこともできず、出発予定ゲートで待ちます。

 

ラガーディア空港の小さいターミナルは私みたいな滞留客で徐々に過密状態。待合ロビーの椅子に座りきてない状態になると、アメリカ人の家族づれは地べたに座り始めます。そのうち、かけっこする子供、寝転ぶ若者も出てきて動物園状態的な光景が展開されます。時には殺気立つこともありますが、私が乗る便のゲートでは、それほど緊張感はありませんでした。

 

動物園の檻かよって感じ

 

 

結局3時間遅れで折り返し機材が到着。飛行機が遅れるとクルーが規定の労働時間に達してしまい、交代要の手配ができないとかいうこともありますが、幸いこの日は大丈夫だったようです。短時間で出発の準備をして、到着客が全部降りた後10分くらいで搭乗開始。掃除とかしてない感じ。私のシートポケットには前の客の飲み残しのペットボトルが残っていました。

 

飛行機は指定席ですが、できるだけ早く搭乗します。というのも、この時期、事前座席指定できない安いチケットで乗ってくる家族づれに自分の席を占拠される可能性がとても高いのです。自分の席に座ってても、後から乗ってきた家族づれに、「席変わってくれない?この子、1人じゃ寂しいの」とか言われることもあります。特に出張で1人で旅行してると、こういう家族づれの餌食になることが多いです。私の在米20年、ユナイテッド航空ミリオンマイラーの経験上、こういう客に席変わってやってもろくなことありません。大体変わった先の席は真ん中のシートです。もちろん、事情によっては変わってあげることもあるけど、やはり資本主義の世界。高いチケット買っていい席予約してるんだから、自分の席を簡単に放棄はできないというのが正直なところです。最近は、「話しかけないでオーラ」を身につけ、搭乗後に周囲を徹底的に遮断するスキルを磨いたので「席変わって」攻撃のターゲットになる機会は減りました。

 

この景色のために窓側にした

 

さて、この日の様子に戻って、早速、一番最初のグループで搭乗して自分の席にたどり着きます。この機材はオールエコノミー、1+2シートの小型機。1人用シートは予約の時点で全て埋まってたので、非常口の2人席の窓側を取りました。非常口付近のシートは米国連邦航空局の規定で子供は座れないことになっているし、座席の必要のない幼児やペットも禁止なので、ここでも「席変わって」リクエスト攻撃にさらされるリスクが減ります。最初選ぼうとしてた2つ前の席には、隣にでかい犬を連れた若い女性が乗ってて、あの席選ばなくて良かったと思いました。サービスアニマルのサインをつけた犬でしたが、尻尾が通路にはみ出してました。ところで、このサービスアニマル制度。至る所で色々物議を醸しています。飛行機の動物園状態にも寄与していて、制度を悪用していろんなペットを持ち込む客が多く様々なトラブルが続いていたので、ちょっと前にエアラインが制度を厳格化するなど自主規制を始めました。

 

とりあえず、無事に自分の席が占領されてないことを確認して着席。さて、こうなると、あとは誰が隣に誰が座るかが気になる程度。次々に乗ってくる客を見ながら、あ、このイケメンだったらいいなとか、このおばさん、香水きつそうだから隣に来てほしくないな、とか心の中で査定が始まります。

 

そんな感じで乗ってくる客たちをチラ見してたら、巨大な熊さんが乗り込んでくるのが見えました。身長2メートル、えびす様も顔負けな見事なビール腹。確実に体重は100キロ超えみたいな。熊さん好きな私でもちょっと怯んでしまう感じのサイズ感。顔はブサカワ系で、正直タイプじゃない感じ。(←言いたい放題、失礼)隣に来たら窮屈そうだなと思ってたら隣にマッチング!座るときに一応「Howdy!」と笑顔で敵意のないことは見せてくれました。

 

 

最初は、巨大な体を狭いシートに一生懸命収めようと努力してましたが、フライトの半ば、ペンシルバニア上空を飛んでる時点で、冬眠モードに入ったようで、徐々に私のテリトリーに侵食。肘掛けはとうの昔に占領され、今度は足もどすんと豪快に私の席のスペースに伸ばしてきました。

 

さらには、小型機の騒音に勝るとも劣らないいびき💤。なんか、可愛いので許しましたが、思わず写真撮っちゃいました。ゲイかストレートかわからない感じの白熊さんでしたが、どんな人が隣でもああいうふうになるのだろうか、聞いてみたい感じでした。

 

最初は小さいシートにすっぽりおさまってた。通路を跨いだ席も肥満おじさん、その前の席も肥満おばさん

 

少しずつ私の領域に侵入。一度やんわり押し返した

 

肘掛けは完全に占領されました

 

寝落ち後は足まで投げ出してきました

 

この日は積乱雲がまだ残っているとかで乱気流が激しく、飲食サービスもなくフライトアテンダントの機内巡回も最低限。この振動でも眠る続ける熊さん、ある意味あっぱれです。頭も私の方にもたれかかってくれてもよかったのですが、旅慣れてるみたいで空気枕持参。2時間のフライトの間、彼の右足がづっと私の座席下のスペースに侵入してました。何度かやんわり押し返しましたが、またすぐ戻る感じ。途中からはもういいやと諦めました。もっとタイプのクマさんだったら触ってたかった気もしないでもないですが、流石にそれはダブルスタンダードでしょうかね。笑

 

目的地空港に着陸準備に入ったところで、機体は大きな雲の中に突入し、また激しい揺れ。そしたら、その衝撃で座席横の壁に埋め込まれたパネルみたいなのがいきなり落下してきました。ちょっとびっくりして、やっと目を覚ましてた白熊さんの方に体を傾けたら、白熊さんもビビったのか「キャー」と、ゲイドラマのキャラみたいなみたいな奇声。めっちゃオカマやん。笑。通路越しの反対側に座ってたおっさんも奇異の目で見てます。

 

アメリカの航空会社、機体のメンテナンスは、大丈夫か不安。。

 

ホテルのバーにスイカカクテルがあったので、旅の癒しに一杯。

 

と、出発空港、機上と例によって動物園状態を体験してしまいましたが、こんな光景が毎回展開される夏のアメリカ国内出張でした。それでは、暑い日が続きますが、皆さんもどうかご自愛ください!