お付き合い頂きありがとうございますニコニコ

あと2話です。


目次

 

 

※刺激の強い箇所があります

 

 

………………………✂️………………………

 

 

 

甲と安里は茶店で言葉を交わしたあと、甲は無事、金を隠し街道を下っていた。

 

安里は伐叉の魏豪(ばっさのぎごう)の弟分を結果的に死なせてしまったことについて、大火事の情報を渡すこと代わりにで伐叉に許された。

 

 

双子の甲と乙は最後の縁日に向かう。

 

 

 

 

 

だが乙はその前日にまた『あの日』の夢を見る………。

 

 

 

 

 

10年前の春

 

 

 

あの日の大雨は明け方には止んだ。

雨上がりの吉光様の庭はキラキラと光り輝いていた。

 

桜の植えた植物たちがみな、雫を抱えて朝日を映し込んでいたからだ。

 

 

 

そんな10年前の春

 

 

 

あの日の吉光邸。

 

 

春のあの日

 

 

 

 

10年前、あの日の

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お兄様。

 

 

 

 

 

お兄様!

 

 

「はよ起きてください!お、今日も一段と男前ですな、さあ、司様が起きる前に働きましょう」

13歳の桜はそう言って双子の甲と乙のふとんをめくり上げた。

 

「な、な。桜、今どっちに男前と言ったんだ?」

 

「俺だ」

「俺だ」

 

「どっちでもいいですよって、二人して女みたいな顔して。早く薪を割ってきてください。わたしは鯉の餌を用意します」

 

 

吉光の屋敷の庭は木々に囲まれ、そこら中に花が咲いている。

中央には池があり、沢山の鯉が泳ぐ。そこに旗本、吉光がしゃがみ込んでいる。

 

 

「吉光様!お早うございます。この子らの餌です」

「桜か。すまんな」

 

 

「ああーーっ。もしやこの金の鯉は金太郎ですね??かわいーっ」

 

「………こいつは金太郎ではない。こいつはメスだ、名は金楼(きん………」

 

「どっちでもいいです、ちょーちょ、ちょちょーちょー、おいでーー、よしよしーかわいっ」

 

 

「………お前はいつも元気だの」

「おっ褒めていただけるんですかっ」

 

 

「………。今日はお前が司を起こしてやってくれ。雨上がりはいつも元気がない。甲乙には熱い茶を持たせるように」

 

「いいんーですか!!やった…………………奥方に会えるっ」

 

 

「あ、あとですね」

「何だ」

 

 

「えーと」

「言いづらいことか」

 

 

「いや、なんで武士なのにハゲしてるんですか?」

 

 

双子の甲乙が走り寄ってくる。

「こら!!桜!お前は吉光様に何を言っとるんだ!」

「いやだってみんな気にしとる」

 

 

「腹を切れ!」

「いやですっ」

 

 

屋敷の奥。

遠くから彼らの声を聞いている吉光の病弱の妻、司(つかさ)。

 

 

………あらあらまあまあ、朝から賑やかなこと。

こんな和やかな日が続くよう

私もがんばらないと………。

 

 

 

 

乙は泣きながら飛び起きた。

 

 

…………………………………………………………………

 

 

 

次の縁日が始まった。

それは、双子の甲乙にとって最後の縁日だった。

 

しかし先日の縁日で向かい合って店を構えたことで、人通りが滞ったこともあり並んで屋台を並べる形となった。

 

 

相変わらず双子の甲と乙による『笑い屋』『哀し屋』の屋台は大変な人出だった。

皆が笑い、皆が泣いた。次々と屋台に金が投げ込まれた。

 

 

縁日は終わった。

甲と乙はお互いの屋台から見つめ合った。

 

「………。充分だな」

「ああ」

「今日で終わりだな」

「………ああ」

 

 

双子の甲乙………。いや、甲は涙が出た。泣くまい、泣くまい、と必死だった。

乙は………何か覚悟を決めたような顔をしていた。

 

 

「だーーーめだ。ぜんっぜん儲からなかった」

 

 

双子の甲と乙はその声にきょとんとした。

『笑い屋』『哀し屋』………その隣に『奪い屋』の屋台。

女岡っ引きの安里だった。

 

 

「駄目だ。私、商売に向いてない。ここでずっと店開いても、助平なおっさんしか寄って来ないし、そもそも隣の同業者に気づいてももらえない」

 

 

甲は隣で商売をしていた安里に驚いて言った。

「ば、馬鹿にするな。今度は何だ。もう奉行所にはいかないぞ」

 

安里はヒョイと屋台を乗り越えた。

 

 

「甲、見っけ。最近良く喋るね。はい、一文だよ」

安里は甲に一文を投げた。

甲は片手で受け取った。

「………ありがたく」

 

 

「沙雪様を味方につけていたとは………びっくりしたよ。沙雪様には旦那の治療費を帳消しにしてもらったから頭が上がらない。

 

死人から金は取れないって言ってね。でもさ、あの人は飽きっぽいよ。

 

こっから先は自分らでやらなきゃね。ほら、下っ引き(手下)をまたいっぱい連れてきたよ。ほら行こ。監禁」

 

 

…………………………………………………………

 

 

小奇麗な宿屋の二階だった。

双子の甲乙は窓際に正座していた。

安里はその前にあぐらをかいて座り、その後ろに大勢の息の荒い男たちが控えていた。

 

 

「宿は買収してあるから。客はあんたらだけ」

「………」

 

 

「面倒くさいな。ほら甲。受け取れ。私の全財産だ」

甲は投げられた金を片手で受け取った。

「………ありがたく」

 

 

「もうそれで最後までにしてくれ。私も必死だ。もうこいつらに払う金もない」

甲は安里を睨みつけるつもりが、いつの間にか畳の合間を見て話していた。

 

 

「渡さない。何があっても金は渡さない」

 

 

その時、通りで大きな声が上がった。

「火だ!火が上がったぞ!!!」

 

 

安里は双子の甲乙の間を割って障子を開けた。

「なーんか油臭いと思ったら。本当にやりやがったね、夜市の与一。根性あるなあ」

 

 

乙が言った。

「おい、男ら。下っ引き!」

 

 

安里は乙に鋭い視線を向けた。

「今貰った金をやる。両替すりゃ一人一人それなりの金になるだろう。火は近い。もう金を持って逃げろ」

 

 

下っ引き達は戸惑ったが一人が言った。

「旦那のご無事を祈ります」

男たちは金を受け取って逃げていった。

 

 

部屋には安里と双子の甲乙だけになった。

安里は子供の様に笑った。

「ちょっと上に行こうよ」

そしていつの間にか刀を抜いていた。

 

 

…………………………………………………………

 

 

 

双子の甲乙と、安里は屋根へと上がった。

江戸が燃えていた。

もうすぐそこまで火が来ていた。

 

 

安里と乙、そして甲は宿屋の屋根瓦の上で相対する形となった。

 

 

安里は感情のない声で言った。

「………絶景だねぇ。子供の頃に大火を見た。それで親が死んじゃったから、いつかその火を見下ろしたいと思ってた。………乙、座れ」

 

 

甲も感情のない声だった。

「それほど金が欲しいか」

 

 

何だか全てを諦めてしまったように安里は言った。

「いや、金が欲しい訳じゃない。お天道様が助けてくれるのならそれでもいい。

 

ただ、子供らを生かしたいだけ。でも、やっぱり、これしかない………どこにある?」

 

 

「それは言わない」

「じゃあ、あんたの片割れは死ぬ。そしてひと目であんたに惚れた安里も死ぬ」

「破れない誓いがある」

 

 

「13両ちょっとか」

 

刀を突きつけられていた乙が声を出した。

乙はいつも冷静だった。

二人はその空気に呑まれてしまった。

 

 

「………甲。安里に15両やれ。それで子供は助かる。足りない分は俺が払う。お前らは、お前らは、一緒になれ」

「甲と言うな!甲乙だ!勝手に決めるな!」

 

 

「………いや、俺は乙だ。甲よ。司様に煮えたぎる茶をかけてしまったのは俺だ。

 

桜を呉服問屋に売られ、刑死させてしまったのも俺の責任だ。一番裁かれるべきは俺だ」

 

 

「だからこうして償いを………」

「もうやめろ。甲。桜が死んだ時、俺も死んだ。あいつはいつも俺らに甘えてた。どっちかが早く行ってやらなきゃ」

 

 

「………乙!」

「甲よ。罪とは命の時間を削ることだ。俺はここまで。俺の死を売れ。15両にはなるだろう。

 

………吉光様、司様、申し訳ありませんでした。桜……」

乙は背中から火の中に落ちた。

 

 

「おーい。おおーい。生きてるかー!!」

 

 

火消しに回っている伐叉の魏豪(ばっさのぎごう)がハシゴを登ってきた。

「何だ。クソガキ。またお前か。早く逃げろ」

 

 

甲と安里は泣いていた。

 

 

「いい大人が二人して何泣いてんだ。でも。まぁ。片割れがいないからな………。火に落としたのか?泣くなクソガキ。言ってみろ」

「私は甲に惚れています。乙は私に甲を………」

 

 

「ここは対して延焼しねぇが。早く逃げろ。ヒヤヒヤさせるな。じゃあな。いつまでも泣くな。女」

 

 

彼らの涙は屋根瓦に染みた。

江戸の大火は彼らの宿を燃やさなかった。

 

 

火が静まった明け方。

涙が止まり鼻を大きくすすった安里は言った。

 

 

「甲、償いに行くんだね?」

 

甲は底なし沼の中でも消えない火を心に宿していた。

 

「ああ」

 

 

「………私も行く」

 

 

 

 

 

 

…………………………………………………………

 

 

 

 

 

あの日の一刻。

あの時。

全てが始まった日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………っ!!………!!

 

 

 

 

 

 

 

 

………だれかっ!だれか!

 

 

水だ、水を持って来い!!

ギャァあああ 熱い!熱い!

 

司様!司様!

何をやったんだお前ら!!

茶を、茶を運んで………。

おい!下女!水だ、水!!

双子も!!何突っ立てる!?もっと手拭いもってこい!

誰か吉光様を呼んできて!!!

ぃぎぁああぁ あああああ!!

司様、大丈夫です!大丈夫!

ぃあぎぃいぃ!ギィゃぁああぁァ!!

肌に触れてはダメっっ!!!

 

 

司!?

司!!!

 

 

 

 

 

(終話へ)

 

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あと3話です。


目次

 

 

………………………✂️………………………

 

 

 

 

 

 

 

雨降る丘の街道から少し外れた小道。

側には苔むした赤い前掛けの六地蔵がある。

 

 

そこに背中に大きな吉祥天の刺青をいれた筋肉隆々の大男が仁王立ちしている。

 

双子の甲乙の過去を聞き、大商人の妻、紗雪に噂さされていた男。博徒の親分、伐叉の魏豪(ばっさのぎごう)

その心中。

 

 

氏次(しじ)よ、何故にお前はそんなつまらん死に方をしおった?

 

俺の後に賭場を仕切れんのはお前しかおらんと、みんな分かっとるというのに。

あんな小さな刀傷でつまらん病にかかりよって。

 

 

まあでも、あの夜市の与一からの情報で、お前の仇をここに呼んだ。

お前の死に方がホンマにつまらんものにならんよう、俺がそいつの首をへし折ったる。

 

 

やが、ここに来る奴にも罪はないのは分かっとる。お前は呉服問屋と、賭場の開催場所やらで、えらく揉めとったからの。

 

 

お前が桜とかいう下女をたぶらかして呉服問屋を刺させたと、一部ではよぉ騒がれとった。

それは全くの濡れ衣やったがな。

 

 

氏次、お前がまさかあんな小さな刀傷で死ぬとは誰も思わんやろう。

 

やがその切った可哀想な奴にも、博徒に手を出すと言うことがどういうことなんか、きちんと教えといたらないかん。

 

 

 

…………………………………………………………………

 

 

 

雨降る丘の街道、そこから外れた獣道。

髪を後ろに束ね、ユウガオの花をあしらった着物の女が足早に進む。

子の病のために奔走し、甲に惚れた女。女岡っ引きの安里。

その心中。

 

 

六助さん、何であんたはそんな早くに死んだ?子の首も座らない内に。

今、娘の春風も同じ病にかかった。医者は吹っかけてくるけど逆らう術がない。

 

 

先日、あの夜市の与一に金を払って呉服問屋の仇を聞き出した。

その仇がおらんかったら、六助さんも薬が買えて死なんでもよかった。だからそいつから金を踏んだくるつもりだった。

 

 

だけどその情報は間違えとった。

夜市の与一もガセネタに踊らされておった。

 

 

そして私はその間違えた相手の脇をちょこっと切ってしまった。

男は何事もなかったように帰っていったが、その傷口から病を起こして死んだらしい。

 

 

そして今日、そいつの親分が私をここに呼んだ。

博徒だ。一番最悪の相手だ。だけど子供抱えて逃げきれるわけがない。

ここで決着をつけねば。

 

 

…………………………………………………………………

 

 

 

「こら驚いた………。俺の弟分を切りよったんは女か」

安里は相手の言葉が終わる前に刀を抜いた。

 

 

「こら………。やる気満々ってわけだな」

男はそう言って間を詰めてきた。

 

 

「なんだ?自害でもすんのか。博徒がよ。刀抜けよ」

「女相手に………ってのは多分お前には聞き飽きてるよな。まあそういうより、俺はいつも素手だ」

 

 

「じゃあその腕切り落としてやる」

「名くらい聞いておこう」

 

 

「安里」

 

男はにやぁあと笑って両手を広げて言った。

 

「俺がかの高名な伐叉の魏豪(ばっさのぎごう)じゃ」

 

 

杏里は切り掛かかるが伐叉(ばっさ)はいとも簡単よける。まったくかすりもしない。

しばらくの間、雨と安里の荒い息遣い、刀が空を切る音だけが響いた。

 

 

伐叉(ばっさ)は刀を避けながら言った。

「ほら、その首根っこ締めあげるぞ。おれは素手で首根っこを掴んで折るから、伐叉(ばっさ)と呼ばれてる。

 

そしてな、俺が折った首は弟分の 斧揃の氏次(おそのしじ)が斧で切って綺麗に並べてくれるんだ。と言っても、氏次はお前が殺したから、お前の首は綺麗には並ばんな」

 

 

安里は息切れして来た。切り込んだり逃げたり一人で動き回っていた。

 

 

「ほらな、殺すつもりでくるが、体勢が悪くなると全力で逃げようとする。そこでこっちが隙をみせるとまた命懸けでかかってくる。

 

切り込んだり逃げたり、泣き虫のくせによ。どうせガキだろ?ガキのためにやってんじゃねえのか。でなきゃ氏次が傷を負うわけがねぇ」

 

 

伐叉は安里の刀を奪い取り、安里を担いで藪の中へと放り込んだ。

「街道で死んでもらったら後々困るからな」

 

そして木々の間をぬってゆっくり、ゆっくりと間合いをつめてゆく。

安里は息も絶え絶え、木々の幹に手をつきながら逃げる。

 

 

はあっ

………はあっ!!

 

くそぅ!!

くそう!!!

 

「罪とは賽(サイコロ)か?何でこんな目が出る??大火で親を持ってかれ辱められて、

やっとこさ家族持ったら旦那を病で持ってかれ、娘も同じ病になって!!

 

医者に到底金払えねえから、仇を探したら騙されて!!

博徒に命狙われて!!何でだ!!何で………。これはいったい何の罪だ………!?」

 

 

「五月蝿えよ。クソガキ。お前程度の不幸話はそこらへんにいくらでも転がっとるわ。

 

罪とはお前の生き方の対価じゃ。誰にも責任はとれん」

 

 

(………なんとかなる、きっとなんとかなるはず、考えろ、考えろ、私よ、考えろ、春風、田太………、六助さん、)

 

「わりいが博徒の世界は甘くない。首もらうぞ」

 

 

安里は木の幹に手をついて振り返って言った。

「待て!待て!一つ情報がある!」

 

 

伐叉は変わらぬ速度で歩いてくる。

「お。死ぬかもって時だ。よっぽどの話だろうな?」

 

 

「夜市の与一が油を大量に集めてる」

「ほお。なぜだ」

 

「わかんないけど………縁日の客の金からも、呉服問屋の後家からも、ものすごい油の匂いがした。多分、買い占めてるんだ」

「だからそれがなんだ」

 

 

伐叉は目の前まできた。

 

 

「待って!ちょーーー待って!情報、あるから、話すから………」

「家族へ形見を届けてやる。持ち物から何か選べ」

 

 

「西の輩が騒がしい!!これは同心から聞いた!!」

「何だお前。岡っ引きか」

 

 

「そうそうそう。だから、あんね、与一が油を集めてんのは西の輩に売る為??とか??」

「だったらどうなんだ?」

 

 

「大火になる?」

「まあ俺らは火消しでもあるからな。事前にそういうことを知っておくのは相当良い話だ。お上の目にも止まるだろう。

油が集まってんのは知ってたが夜市の与一だったか………」

 

 

「私はその油に命をかける。どこにも火が回らなけりゃ、私の首を取ればいい。どうせ子供を連れては遠くには逃げれない」

 

 

「まあな。しかし夜市の与一にそんな度胸があるもんかね。どうせ今頃またどっかで油売っとるわ」

伐叉はそう言って笑い、安里に背を向けて歩き出した。

 

 

「じゃあもうお前の首を締め上げたところで、だな。行け」

 

 

 

…………………………………………………………………

 

 

 

安里は息も絶え絶えで山を下った。

 

(甲、甲よ。私も罪人だ。人を殺めた、結果的に殺めてしまった、あんな大男が泣いていた、私も罪人だ………でもまだ………あんたらの命も奪わないといけないのかもしれない………。賽は………。罪は………。なぜ?神はイカサマをする

 

 

 

 

伐叉は地蔵前の切り株に座ってキセルをふかしていた。

 

 

氏次よ。

俺は今日、仇を取らないという罪をつくった。

 

仇を生かすと言う罪を作った。

お前への裏切りだ。

 

しかし何故だ?

吉祥天よ神々よ。罪などという果実をつくるから、また罪が産まれる。

それほどまでに神と人は近しいのか

 

 

 

 

 

(つづく)

 

※画像はフリー素材を使って製作したものです。

 

 

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あと4話です。


目次

 

 

 

………………………✂️………………………

 

 

 

 

 

双子の甲と乙は、安里と呉服問屋後家の共謀による投獄を、紗雪に助けてもらった。

翌日、甲はいつもの金の隠し場所へと急ぐが夕立に襲われ茶店に入る。

その店先に置いてあった、やかんから過去の記憶が蘇る。

 

 

 

10年前

 

 

 

 

あの日の朝

 

 

 

 

 

どうしてだろう?

たったひとつのやかんのお茶が?

 

 

乙は眠そうではなかった。

桜の後をついて吉光様の病弱の奥方、司様に熱い茶を運んだだけだった。

 

 

何故こぼしたのだろう?何故、こぼしたのだろう?

 

 

司様は顔から胸まで大やけどを負った。

吉光様は俺たち双子の甲乙に、どっちがやったか問い詰めた。

 

 

しかし二人共、自分がやったと言った。

それどころか妹の桜までが、私の煎れたお茶が熱すぎたのだと額を床にこすりつけた。

 

 

自分が罪を負い他を助ける。身内の中で。

 

 

それがどれほど相手を傷つけることか。

俺たちは本気で考えてなかった。

 

 

数日後、吉光様の妻、司様は亡くなった。

桜は後に刑死に追い込まれる事になる呉服問屋に売られた。

 

 

俺達は本当に罪を償っているか?本当に?本当にか?

 

 

 

 

 

 

江戸の末期。

 

山中を走る小さな街道に1件の茶屋があった。

 

 

双子の甲乙の『甲』はその店先にあるやかんにじっと見入っていた。

10分は経っただろうか。甲はやっと視線を上げた。

 

 

甲はあまり大金を持って行動したくなかった。

少し不安になり辺りを見渡したが、気がつけば隣に安里がいた。

 

 

「見っけ」

「………」

 

「今日は金は払うよ。あんたをつけてきたけど、先回りして茶屋に来た。他にも用事があってね」

そう言って女岡っ引きの安里は竹串に刺した団子を甲の口に近づけた。

 

 

「ほら、甲。これだって金だよ」

甲は怪訝そうな顔をしながら竹串を奪い団子をほうばった。

 

夕立はさらにひどくなった。

店先の赤い長椅子に並んだ二人の足元も濡れてきた。

 

 

二人はずっと押し黙っていた。

 

 

お互いに聞きたいことは山ほどあった。

しかしそれらは全て夕立にかき消されるかの様に思えた。

 

 

すると二人の前の夕立の中に一匹のガマガエルが現れた。

安里は笑った。

「やっぱり呉服問屋の旦那にそっくりだわ。あはは」

 

 

甲は無表情だった。ガマガエルをぼんやりと見ていた。

「………ごめん。呉服問屋は仇だったね」

 

 

「何故いつも俺を怒らせようとする?」

「………」

 

「俺らの桜を馬鹿と言ったり、俺らの金を撒き散らしたり、俺らの償いを否定したり」

 

「………多分あんたはその罪?かなんかを償うまで笑わない。いつも能面みたいな微笑をしてるだけ。だから怒っている顔だけでも見たかった」

「何故だ?」

 

 

「私はこの夕立が止むまでは岡っ引きも母親もやめる。あんたも甲乙をやめてくれないか」

「………やめてどうなる。こんな夕立すぐに止んでしまう」

 

 

「すぐにだけでいい。あんたに触れたい。触れたらもう終わりっていうのもわかってる」

「………今年の暮れまでになんとか13両を貯めてやりたいが無理だ」

 

 

「今は甲乙はやめて」

 

安里は甲の手に手を重ねた。

驚くほど冷たい手だった。

子を抱く温かみはなかった。

無機質な十手の冷たさだった。

 

 

「ひと目でわかった。あんたも私も最愛の人を失った。しかしまだお互いにやるべきことがある。

 

そしてそれはどちらかの首を締める。深い共感と残酷が混じり合っている。

 

………私はこのほんの少しの夕立の間だけあんたと手を重ねていたい。あんたの能面の様な微笑も泣き顔も見たい。でも一番見たいのは笑顔。だけどそれができない………。

 

そしてもう私とは今日で会えなくなるかもしれないよ」

 

「どういうことだ?」

 

 

そこへ威勢のいい飛脚が二人、夕立をしのぎに茶店に入ってきた。

「おーい。婆さん。茶だ。油も出してくれ」

 

 

「私が奪いたかったのは、あんたの心か金か分からなかった」

 

甲は宙を眺めて言った。

「………こんな小さな団子では、もうこれ以上は話さない」

 

 

安里はぬかるんだ地面を眺めて言った。

「でも私は母親なんだ………」

 

 

夕立は収まらない。

 

甲は街道を更に上がっていった。

安里は街道をそれた獣道を進んでいった。

 

 

この日の夕立は二人の心に生涯降り注いだ。

 

 

 

 

 

 (つづく)

 

写真は借り物とフリー素材などを使って制作した物です。

 

 

目次

 

 

 

 

 

安里によって牢獄に入れられた双子の甲と乙。

安里と呉服問屋の後家は共謀し、甲乙桜に濡れ衣を着せて金を奪おうとする。

 

しかし乙は、甲と安里が互いに特別な感情持っていることを見抜く。

そして夜明けからは詰問、拷問ながらの取り調べを受けることになる。

 


 

 

甲はふと目を覚ました。

壁の縦窓から眩しい朝日が差し込んでいた。

 

 

そこに呉服問屋の後家が牢の前に来ていた。

「………あれ?」

遅れて安里も来た。

 

 

「………あれ?どうして後家さんがいるの。どうやってここに入れたの」

「いや、あんたの所から使いが来たよ?」

「え?いやいや。私は今から双子を詰問に連れて行かなきゃだし」

 

 

そこへ急に香の匂いが漂ってきた。

廊下の先から誰かが来る。

双子の甲と乙も思わず身を乗り出した。

 

 

縦窓から朝日の差す牢の廊下を、下男が後ろ向きで大きな反物の巻を転がしてくる。

その脇を天竺の香りのような香炉を、下女が持って歩いてくる。

 

 

そしてその奥からは豪奢な着飾りをした絶世の美女が、高貴な笑みを浮かべ朱と金のまじった反物の上を歩いてきた。

 

下男は保吉だった。手拭いで覆えぬ程、汗をかいていた。

下女のお響は香炉を持ち、横を向いて笑いをこらえていた。

 

 

 

 

「何だいこれは。歩きにくい敷物だねぇ」

 

 

安里と後家が、瞬時にひざまづいた。

安里が恐る恐る言った。

 

 

「………沙雪(さゆき)様。ここは貴方のような高貴な方が

来られる所ではありません。何の御用でしょうか?」

 

 

沙雪は安里の着物の柄である夕顔の花を横目に見た。

そして自分は夕顔の花を乾かし金で装飾された艶やかな扇子で顔を仰いだ。

切り花だから一日二日しか持たない。贅沢の極みだった。

 

 

「はてはてはて。油臭い所だねぇ。女の腐った匂いがする。あーらあらあら。食い逃げの双子。こんな所で商売かい」

 

 

呉服問屋の後家が震えながら言った。

「さささ沙雪様、お久しぶりでございますす。そ、それは、その金と朱の反物は私共の店のものではないかと、値が、値が張りまするぅるう………」

 

 

「八十尺(約25m)買った。臭い所を歩く時には好都合だねぇ。大体、こんな臭い所で臭い芝居するんじゃないよ。このガマカエルのメスが。帰って勘定しろ。それが仕事だろうが」

 

 

ガマガエルのメスはよっしゃ!と飛び上がって帰っていった。

 

 

沙雪は少し口を上げる動作をした。注視しないと分からない位だった。

保吉は瞬時にキセルを取り出し火を付けて吹かした。

そして手拭いではなく天竺の美しい布を取り出しキセルの口元を入念に拭いた。

 

 

「遅い」

 

 

沙雪はそう言って保吉からキセルを奪い取り、膝をついた安里の前に腰を下ろした。

大きく煙を吸い込み、安里の顔に吹きかけた。

 

 

「あーら、安里ちゃん。旦那ちゃんは残念だったねぇ。せっかく借金を帳消しにしてやったのにねぇ。

 

それで。十手を持ってるのに子供二人も助けられないのかい?案外、大したことはない女だったのかねぇ。

 

こいつら双子は貰っていく。ケジメをつけなきゃいけないからね。子供の事は、自分で何とかしな。母親だろ!」

 

 

安里はひざまずいたまま、何も言えなかった。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

沙雪一行と双子の甲と乙は奉行所の外に出た。

通りは朝の往来で賑わっていた。

 

 

双子の甲と乙は絞り出す様な声で言った。

「ありがとう………ございます」

 

 

先頭を歩いていた沙雪は振り向いて後ろ手にキセルを投げた。

保吉は難なくキャッチした。そして双子の甲と乙の頭同士をくっつけ大声で言った。

 

 

「はぁ!?物乞いかお前らは!勝手に話されても私は金を払わなければいけないのか!?この大本字屋、本間蔵座衛門の妻、沙雪が!!」

 

 

朝の往来は、止まった。

沙雪は双子の甲と乙の喉に噛み付くような目つきで静かだが響き渡る声で言った。

 

 

「先日、お前らは商談を一方的に破棄にした。大商人の妻としてこれ以上の屈辱はない」

双子の甲と乙のどちらかが恐る恐る言った。

 

 

「………話はしたはずですが?」

「何故、金を持っていかなかった?」

 

 

「は?」

「商談した。お前らは話し私は金を払う。それが約束だろうが。商いを舐めるな」

「…………」

 

「今から一文をやる。もう投げ渡さない。手渡しだ。言うべき事を言え」

 

 

沙雪は一番小さな金を、双子の甲と乙の両手に添えて渡した。

女の冷え切った手ではなく不思議と温もりがあった。

 

 

双子の甲と乙は同時に頭を下げた。

 

 

「有難う御座いました!!」

 

 

「………よし!商売は終わり!帰るぞ!」

沙雪は保吉からキセルを取って歩き始めた。

 

 

「………あ」

沙雪は振り返った。

 

 

「お前ら。もう何も聞かん。だがな、罪とは利子だ。どこかで返さねば一生ついて回る。等価では返せない。だけど負けるなよ。絶対に負けるなよ

 

 

そう言って沙雪は朝の往来を割り、歩き出した。

下男の保吉は目つきを変えて道を開けた。

下女のお響は走ってついて行こうとしたが、てくてくと双子の甲と乙の前へ戻ってきて言った。

 

 

「ありがとう。沙雪様はとても楽しそうでした!」

 

お響はにっこりと笑った。

 

 

 

 

 

(つづく)

 

※画像はお借りしたものと製作したものです。

 

 

(目次)

 

 

江戸の末期。

 

のどかな温泉街があった。

 

 

双子の甲と乙は次の縁日に備え羽根を伸ばして温泉街へとやってきた。

もちろん、あの女岡っ引き、安里(あんり)からも離れたかった。

 

双子の甲と乙はゆったりとお湯につかり飲めない酒を少し飲んだ。

そして宿へ帰る途中ふと立ち止まった。

 

 

夏の宵の口に涼し気な風が吹いている。

風鈴の高い音色。

一帯で灯りだす灯籠の火。

それら全てを包むように小川が優しく流れていた。

 

 

双子はしゃがんで水に手を入れた。

 

 

「疲れたな」

「………ああ」

「あともう少しだ。俺らならできる」

 

 

「実は………俺はそれで本当に許されるのか分からなくなってきている」

「何を言っているんだ。誓いを思い出せ」

 

 

「………甲。俺は………」

「やめろ!俺は甲乙だ。お前も甲乙だ!」

 

 

乙は笑っているような、切ないような、生気のない顔で川を見つめた。

「………金色の鯉を思い出すな」

 

 

 

 

10年前の初夏。

 

初夏の風が心地よいある日。

 

 

双子の甲と乙と妹の桜は、旗本、吉光の屋敷に奉公していた。

ある時、甲と乙と妹の桜は吉光の逆鱗に触れ、妹の桜は呉服問屋に売られてしまった。

そしてしばらく桜との音信が途切れた。

 

 

ある日、双子の甲と乙は庭の草抜きをしていた。

そしてたまたま、池に沢山いる鯉の中で一匹だけいる金色の鯉を見かけた。

 

 

「おい、金太郎がいるぞ!」

「おおー久しぶりだな」

 

 

「金太郎は福の神だからな。今日は良い事があるぞ」

双子の甲と乙は水面に駆け寄った。

 

 

水面に全く同じ顔が二つ並んだ。

「………俺達の顔、何故こんなにも違うのに皆、分からないのだろう」

 

「………どうしてだろうな。………でも俺はもう、おかしくなりそうだ」

「言うな。俺らの家族はこの世に3人しかいない」

 

 

「桜が………」

「大丈夫。あいつはああ見えても俺らより強いからな」

二人は力なく笑った。

 


するといつの間にか隣に旗本、吉光がいた。

金色の鯉をじっと眺めていた。

 

 

「………昨日、司が夢に出てきた。いつもの愛しい笑みをしていた。だがその後は俺の子が欲しかったと泣いた」

 

 

双子の甲と乙は唇を噛み締めた。

ここは吉光と死んだ妻、司(つかさ)がいつも鯉を見ていた場所だった。

 

 

「金太郎ではない。こいつはメスだ。名は金楼(きんろう)。俺と司の子だ。………何ヶ月も据え置いていたが、言ってやろう。今な、桜は毎日、呉服問屋に死ぬほど責められている。

 

内容を細かく言ったらお前らは死ぬから言わない。………毎晩、甘美な『桜』の犠牲心、罪をとくと味わって眠れ」

 

 

 

 

 

乙は今、この10年後の温泉街でそれを充分すぎるほどに味わっていた。

 

乙を見て甲は言った。

「俺達は甲乙だ。線引するな。今はそういう事を忘れて温泉に休みにきているんだ。もうよせ。宿に帰ろう」

 

 

するといつの間にか隣に女岡っ引きの安里がいた。

しゃがみこんでこっちを見て笑っていた。

 

 

「見っけ」

「………」

 

 

「今日は金は払わないよ。下っ引き(手下)いっぱい連れてきたよ。

さあ行こ。牢屋」

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

奉行所の手狭い牢屋に双子の甲と乙は入れられた。

せっかくの休息を奪われ、しかもこのキャッキャとした安里の対応に疲れ切っていた。牢屋の壁に背をついてぼんやりと宙を見ていた。

 

 

牢屋の外では呉服問屋の後家(未亡人)がいた。

泣き真似をしていた。安里は腹を抱えて笑っていた。

 

 

「旦那を殺められた私は、もう生きてはいけません………。あんなにも愛したガマガエルのような殿方を。ううっ。

 

 

しかし、憎き小娘、こやつら双子の妹、桜が刑に処された今、私はその桜の寝床を片付けねばなりません。ううっ。

 

 

しかし………。そこで私は金を数えていた紙を見つけたのです。これです。そして気づきました。私ら呉服問屋の帳簿から100両に及ぶ金の記載が失くなっている事を。

 

 

そして旦那が桜と男女の関係を持っていたことを!

 

 

ううっ。桜は愛しき汚いガマガエルから金を巻き上げ、双子の兄に預け、自分はガマカエルを刺殺して逃げようとして、捕まったのです。間違いありません。ううっ」

 

 

安里はひいひいと笑っていた。

 

 

「あはは………だってさ。上手になったね。呉服問屋の奥方の、泣き真似」

「もう後家よ。今ので良いのかい。ガマガエルってのは本当に言いたいけどね」

 

 

「あはは。やめてね。金は山分けだよ。でも白洲(裁判所)ではもっと泣いたほうがいいかもね」

「もうちょい私にくれなよ」

 

 

「こっちは下っ引きにも払わなきゃいけないんだから。勘弁してよ。てか、あんたなんか油臭いよ」

 「えっ・・・」

 

 

双子の甲と乙はぼーっと反対側の壁を見ていた。

 

安里は先程の子供の笑いから大人の女の笑みになった。

「なーんか言いたそうだね。………金もらわないと話せないなんて、ただの鎖だよ。………でも私もそうできたら嬉しいけどね。ほら。甲」

 

 

安里は甲に銭を投げた。

甲は片手で受け取った。

 

 

「どうしてこんな立場になっても話さないの?」

「誓いを立てたからだ。罪を償うまでは金を貰わないと話さない」

 

 

安里は下を向いて小さく溜息をついた。

「………金、金、金。うるさいよ」

 

甲は珍しく感情的になり壁を片手の拳で叩いた。

「………お前に何がわかる?償うという事の意味がわかるのか!?」

 

 

安里は言葉を選んでいるようだったが、選びきれなかったのが甲にはわかった。

 

 

「何も分かんないよ。馬鹿かお前。お前はもう終わってしまった事に自分のケジメをつけたいだけだろ。

 

私の子はまだ生きてる!でも金がなきゃ死ぬんだよ!旦那も病で持って逝かれた!償ってる暇なんてないんだよ!この大馬鹿が!!」

 

 

「いくらだ」

乙が力なく言った。

 

「は?」

「子供の治療費はいくらかかるんだ」

安里は唐突で冷静な乙の言葉に呑まれた。

 

 

「………13両(約260万円)ちょっと」

「………そうか。今日はもう店じまいだ。寝かせてくれ」

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

牢は廊下に火は焚かれてはいるものの、ほぼ闇だった。

二人の行き先は見えていた。これまで通り金を貰わなければ話さない。

 

 

その道を行けば安里と後家に思う様にされて金の隠し場所を吐かされる。

そして………刑死となる。

 

 

「………甲」

「だから甲と呼ぶな。甲乙だ」

 

 

「どうして、あの女岡っ引きはお前が甲だとわかった?」

「ん?」

「安里だよ。お前を甲、と呼んだ」

「………」

 

「お前は気づいてないかもしれないが、お前はこの10年で1番、取り乱している。別人みたいだ」

「それは桜を侮辱したからだ………お前だって………」

 

「今なら吉光様でも俺らの見分けがつく。甲、お前は安里に特別な感情を抱いている」

 

 

明日からは詰問の日々が始まる。

拷問の前段階とは名ばかりで尖った木に正座して膝に、ひとつ、ひとつ、石が積み上げられてゆく。

 

罪が、ひとつ、ひとつ、積み上げられてゆく。

 

 

 

 

 

 (つづく)

 

写真はフリー素材などを使って制作した物です。

 

 

※一部、刺激の強い表現があります。

 

(目次へ)

 

 

罪という名目で大金を貯める双子の男。

金を払わない限り誰とも話さない。

 

 

縁日で大金を払った博徒の親分には自分たちの肝心な話をしたが、

同じく大金を払おうとした大商人の妻、紗雪には何も話さなかった。

 

 

双子はそれぞれ甲と乙と名乗っていた。

 

 

哀し屋で金さえ払えば他人と話す甲。

笑い屋で誰とも話さない乙。

自分たちの話は甲乙つけ難いと自分たちでからかっていた。

が、縁日が終わると二人はいつも無表情だった。

 

 

そんな彼らの過去。

紗雪と出会った日から10年前。

 

 

 

 

10年前の夏。

 

 

双子の甲と乙は蝉の鳴く日照りの中、街道の脇で縛られ膝をついていた。

その目の前に彼らの奉公先の旗本、吉光がしゃがみ込んで言った。 

 

 

「………余程だったのだろうな。呉服問屋の扱いは。甲と乙よ。お前らの妹の桜は呉服問屋を刺した。主人殺しだ。

 

だから江戸で一番重い刑、鋸挽き(のこぎりひき)に処される」

 

 

吉光はそう言い残し目の前から消えた。

 

 

双子の甲と乙の目の先には大きな穴が開いていた。

そこへ丸い棺桶のような箱が運ばれてきて、すっぽりと穴に入れられ隙間に土がまかれた。

 


穴からは顔だけが出ていた。

それは双子の甲と乙の13歳になる妹、桜だった。

顔は倍に腫れ上がっていた。

両目とも開けれる状態ではなかった。

 

 

側にいた男が鋸で、桜の首筋に小さな傷を作った。

そしてその鋸を側に立てかけ、じっとしていた。

 


そこへ呉服問屋の後家(未亡人)がやってきた。

「あらあらまあまあ。よくも私の旦那を。何やってたって稼いでくればそれで良かったけれども。死んだら誰が稼ぐんだよ」

後家は桜の首に何度か軽く鋸を引いた。

 

そばに居た男が言った。
「奥様、奥様、申し訳ありません、お気持ちはわかります。しかし、鋸挽きはお一人様二回までと奉行所に言われております。どうかご勘弁を………」

 


「あの縛られている双子は順番待ちなのか」

「いえ、この者の兄だそうです」

呉服問屋の後家は大笑いした。

「互いにさぞかし絶景だろうに」

 

 

呉服問屋の人脈は広かった。

あっという間に夕暮れとなった。

側にいた男は桜の頬を叩いた。

 

 

もう応答はなかった。死んでいた。

 


双子の甲と乙は、もはや廃人だった。

そこに奉公先の旗本の吉光がまた目の前にしゃがみこんで言った。

 

 

「………ほら、人の痛みがよくわかったか?遠方からの奉公、兄妹で助け合うのは良い。

しかし何故、俺の妻、司を死なせたお前らが、互いに罪を負わせろと犠牲心をさらけ出す?

 

 

それは罪のなすりつけあいが逆になっただけだ。俺の心は誰が助けるのだ?

………よくわかっただろう。しかしもう、司も、桜も、呉服問屋も、帰ってこない」

 

 

死んでいるはずの桜の首が目を開いて話した。

「お兄様、桜は立派に奉公できませんでした。司様、申し訳……」

 

 

 

 

 

乙は震えながら目を覚ました。

 

 

 

 

 

 

江戸の末期。

 

ある縁日が終わった。

 

 

双子の兄弟、甲と乙はそれぞれの屋台を片付け牛車に乗せた。

ひと息ついた頃にはもう参拝客はいなかった。

 

 

彼らは暗い本殿にお賽銭を投げ最後に手を合わせた。

そして石階段を下り始めた。

 

 

その時、灯籠に寄りかかり、腕を組んでいた女が話しかけてきた。

「よぉー金は貯まった?」

 

 

女は少女の様な大人の様な愛嬌のある顔をしていた。

白く透き通る肌で赤い紅を塗っていた。

 

 

丈の短い着物を着て長い髪をひとつに束ねていた。

そして薄青色の着物には白い夕顔の花がたくさん咲いていた。

 

何だか神輿を担いでてんやわんやしているような、活気を感じさせる女だった。

 

 

双子の甲と乙はこの女を知らなかったが同心(警察)だとはわかった。

胸元に十手(警察の捕具)が見えたからだ。

 

 

「………噂通り、金を払わないと話さないんだね。ほら出すよ。話そう」

そう言って女は銭を一枚投げた。

「………ありがたく」

双子の甲は片手で受取り一礼をした。

 

 

「私の事を同心だと思った?そんな訳ないでしょう。同心なんて女の身分でなれる訳がない。

 

私は岡っ引きだよ(警察の非公認協力者・手下)。病で逝った旦那の後を継いだ。

 

十手は同心が買ってくれたよ。だからまあ女の身分で十手を貰って岡っ引きってことは相当だよ………あはは。あまり舐めないほうが良いよ。名は安里」

 

 

「どのようなご用件でしょうか」

「呉服問屋、殺したでしょう。あんたらの馬鹿な妹が」

「馬鹿??」

 

 

甲は安里を睨みつけた。いつもの微笑が珍しく怒りに歪んだ。

乙は夢を思い出して目を伏せた。耳も塞ぎたかった。

 

 

「はっきり言うとさ、実入りが無くなったんだよ。呉服問屋の警護と便利屋をしてたからね。

 

あんころはよかった。下衆な野郎だったけどさ、大人の女には興味が無かったみたいだから」

 

安里は灯篭の火をふーふーとして遊びながら話し続けた。

 

「金払いは良いし仕事はやりやすかった。でさ………いきなりさ、女手一つで子供二人と婆さんを食わしていけると思う??

 

………それでも岡っ引きでも何でもして何とか10年やってきたけど今度は娘が旦那と同じ病ときた。もうどうしようもねえよ」

 

 

「………呉服問屋は鬼畜生です」

「100両(約2000万円)貯めるんだってね」

 

「どこでそれを!?」

 

 

「江戸中探し回ったよ………。桜に兄がいるだなんて情報、どこにもなかったからね。まあ呉服問屋が桜を独占するために伏せてたんだろうけど。

 

だけど金を貯める理由まではわからなかった。そこはどうでもいい。………私も今年の暮れまでに払うものがあるんでね………。だからあんたらから奪う」

 

安里は油を掬い取って嗅いでいた。首を傾げたりもしていた。

 

 

「私らは同心に咎められることは何もしておりません」

「あんたらの桜が呉服問屋を刺さなかったら、うちの旦那の病は助かってたんだけどねぇ。

 

急に実入りがなくなったから薬買えなくなっちゃってね。あっけなく死んじゃったよ」

 

「………。それは………」

甲はうつむいてしまった。

 

 

「どうにもここらは油臭いねぇ」

そういって安里は甲の胸元を思いっきり引っ張った。

 

胸に納めていた金がすべて本殿の石階段へ散らばって落ちていった。

双子の甲と乙は慌てて拾い始めた。

 

 

「あはは………。縁日が終わってからで良かったね。賑わってたら無くなってたよ。でも………。見た限りじゃ………。この縁日でそれじゃ………。

 

もうかなりどっかへ貯めてるね。私はあんたらから金を取る方法を考えておく。殺生はしたくないからね。

 

ほら、火でも炊かないと見えないよ………。あはは。朝までかかるね」

 

 

安里は子供の様に笑い去っていった。

二人の子を持つ母には見えない、あっけらかんとした祭りの様な女だった。

 

 

そこに突然、乙の頭の中で旗本、吉光の声が響いた。

 

 

 

 

 

『どっちがやったのだ?』

 

 

 

 

 

 (つづく)

 

写真はフリー素材などを使って制作した物です。

 

 

(目次へ)

 

 

 

江戸の末期。

 

ある縁日があった。

 

 

「はてはてはて。保吉。お響はどこへ行った?」

 

夏の縁日も終わりの晩、本殿への石畳を優雅に歩きながら、大商人の妻、沙雪(さゆき)は言った。

 

 

歳は20代も終わりの頃であろう。

しかしその美貌と才覚は城下の者みなが知るところであった。

 

 

だからこのような縁日の人出でも、着飾った沙雪の前には誰もが道を開けた。

しかし一番後ろを連いてきた幼い下女(召使い)お響の姿が見えなくなった。

 

 

下男の保吉は言った。

「このような縁日の人出です。はぐれたのでしょう」

「出来ない娘だねぇ。里に返してやろうかしら」

 

 

保吉は手ぬぐいで汗を拭いながら、少し荒い吐息で話していた。

沙雪は多くの者に道を開かせるが、それでもごろつきや物知らずなどは保吉が跳ね除けなければいけなかったからだ。

保吉は沙雪に惚れていた。それは一生実ることのない恋だった。

 

 

「沙雪様、お響はまだ年端もいかぬ小娘です。まだ人混みにも慣れておりません」

「何。だから奉公を怠っても良いと?」

「いやいやいや、そんなつもりはありません。もう少し待ってやって下さい」

 

 

そして保吉はお響も自分の娘の様に可愛がっていた。

これらの関係は、沙雪は、お響は、保吉にとって夢の家族だった。

 

しかしただの下男である保吉は今のままで充分、満たされていた。

充分?それは所詮、願望の中での充分でしかなかった。

 

 

「………それで。さっきすれ違った吉祥天背負った博徒は誰だい?」

「あれが伐叉の魏豪(ばっさのぎごう)です」

 

「あれが………伐叉の。」

「刀使わねえで首根っこ刈るところから伐叉(ばっさ)だと」

 

「しかし油臭い道だね。で………はてはて。これは?」

 

 

10歳の下女であるお響は、下女の格好をした女みたいな双子の男に、手を繋がれて帰ってきた。そして沙雪に駆け寄った。


「沙雪様、すみません。はぐれてしまいました。荷物はしっかりと持っております」

 

 

下女の格好をした女みたいな双子は、微笑みながら立ち去ろうとした。

 

「あんたら」

 

 

双子の片割れが振り向いた。

 

「礼ぐらい言わせたら」

双子の片割れは手を振り、去ろうとした。

 

 

大商人の妻、沙雪は双子の片割れの腕を掴んだ。

それは細く女の様な腕だった。

 

 

沙雪は気が強かった。

あの豪商を手の平で転がし、浮気ひとつさせない妖艶な美しさは、自身の前を軽く立去る男を許さなかった。

 

「なぜ、逃げる?」

「………私らは話すことが商売です。これ以上は」

「じゃあ、金を払う。ちょっと道をそれな」

 

 

五人は本殿への石畳からそれ、灯籠の裏に回った。

 

 

「保吉。金の包を出せ」

「はい」

保吉は包を沙雪に渡そうとした。

 

 

「その包、あいつらの前に投げろ」

「は?」

「私が何度も同じ事を言うのが嫌いなこと、分かっているだろうが」

「………はい」

 

 

保吉は金の包を双子の前に投げたが、双子の反応を見るのをためらい、すぐに手拭いで顔を拭った。

 

お響は荷物を両手で抱え下を向いて立っていた。

双子は微笑して突っ立っているだけだった。

 

 

「これだけあればどうだ。夫が祈願で出したが、こんなもの積まないでもそもそも儲かってる。払う。話せ」

沙雪は双子の片割れに顔を近づけた。

 

 

沙雪は真っ直ぐな、それでいて挑発的な、暁を宿したような目で双子の目を見た。

女には少ない鋭い眼光だった。そしてそれは決して揺るがない熱を秘めていた。

 

不遇を生きてきた故に積み上げられた熱ではない。明らかに天才として生きてきた熱だった。

双子の片割れは少し目をそらした。

 

 

「ありがたく。それで、何を?」

「なぜ下女の様な格好をしている?」

「罪を忘れぬためです」

「何の罪だ」

「それは話す相手を選ばせて頂きます。例え獄門に繋がれようと将軍様の前であろうと話しません」

 

 

その時、お響は黙っていた双子の片割れと目が合った。

 

………掃除、洗濯、調理………召使い。それだけ。毎日、毎日、廊下を拭く。一休みする。

 

向こうの空からどす黒い雨雲が近づいてくる。ふと床を見ると水滴がある。

雨漏りかと思ったが………自分の涙だった。

 

 

市場の旦那は可愛がってくれる。

お使いに来るお響の頭を撫でてくれる。

 

でもこの双子の片割れは違う。

お響の中を見てくる。

 


お響は里での話なんて誰にもしたくない。

でもこの双子の片割れはそれを分かっていて、お響の心に微笑みかける………。

 

 

「今の将軍が嫌いか」

「いえ、知らないだけです」

 

「ここで何をしておる」

「金を貯めています」

 

「何のためだ。いくらだ」

「100両(約2000万)です。これも理由は話しません」

 

 

「………双子か」

「そうです」

 

「もう一人はなぜ話さない?」

「小奴はいつも笑っておる者です。だから日頃は静かです」

 

「………なーんにもわからん。誰だお前ら?罪がなんだ?それだけ教えろ」

 

 

双子の片割れは金の前にしゃがみこんだ。

そして漏れ出した硬貨を2枚、包みに戻した。

立ち上がって手をパンッパンッとした。

 

 

「………どうぞ下男、下女でさえ愛でるような立派な奥方になってください。では」

「これほど払ってそれだけか」

 

 

「………これは私どもの話の金ではありません。貴方様の耳の金です。では」

「肝心なところだけ何も聞けない私への皮肉か?」紗雪は詰め寄った。

 

 

その時、微笑していた双子の片割れは初めて沙雪の目を真っ直ぐに見た。


沙雪は震えた。

そこには大きな闇があった。

おおよそ自分は感じたことがないであろう、飲まれては戻ってこれない闇が。

 

 

しかし双子がもがいていることもわかった。

そこから生き直そうとしていることも見えた。


生い立ちの良さ、美貌、才覚、財力………そんな沙雪が持っている物では到底、埋まらない大きな闇を彼らは抱えて戦っている。

 

 

「私らが罪を背負って生きておることを、貴方様はお知りになった。私らにとってそれを他人に言うのは辛いことです。

 

いつもは着物がこれしかないと笑って済ませます。しかし貴方様の眼を見ておりますと、つい話してしまいました」

 

 

「だからその内容を話せ。お前らなら何ヶ月も遊べる金は出しているだろうが」

「………先程、博徒の方には、お話しましたが。貴方様には、とても、とても」

 

 

沙雪は双子に掴みかかろうとした。

下女のお響は沙雪の袖を引いた。

 

 

「沙雪様。人の心というものは、あの様な金では買えません」

沙雪はお響を一瞬睨みつけたが、すぐ冷静になった。

 

 

女のような双子は雲の上を歩くように、縁日の人出の中へ消えていった。

その背中を見て沙雪は何故か気が抜けた。

いや、優しい目をした。

 

彼らは金を持っていかなかった。

 

 

保吉は地面に落ちた金の包を拾い上げながら言った。

「金で買えれば、楽なんですけどね………」

 

 

 

 

 

(つづく)

 

写真はフリー素材などを使って制作した物です。

 

 

(目次へ)

 

 

江戸の末期。

 

ある縁日があった。

その夜。

 

 

参詣道に、通常の倍はある長いのれんがあり、

『笑い屋』と書いてあった。

向かいに、通常の倍はある長いのれんがあり、

『哀し屋』と書いてあった。

 

 

双方の商売は単純だった。

主人がそれぞれに応じた話をし、面白ければ客が金を投げるというものだった。

とても繁盛していた。

 

 

『笑い屋』にはいつも大勢のお客が集まった。

大きな笑い声が聞こえた。どっと吹き出す事もあった。

 

『哀し屋』にも大勢のお客が集まった。

すすり泣きが聞こえた。道に伏せって泣くお客もいた。

 

 

『笑い屋』の主人と『哀し屋』の主人は良く似た顔をしていた。

若い男だったが女の様な顔だった。

そしてなぜか双方とも下女(召使い)の格好をしていた。

 

 

しかしそれよりも『笑い屋』と『哀し屋』、繁盛は結構だが双方の店の間を通る客は困っていた。

 

そこへ博徒の親分(博打の元締め)が子分たちを連れてやってきた。

上半身は裸で背中に大きな吉祥天(幸福と美と富の女神)の入れ墨が入っていた。

 

 

「おうおうおう。ここかい。道を塞いでいるっていう店は。祭りはお前らだけのもんじゃねえ。ちょっと道を開けてやんな」

 

博徒の親分は強面だが人情があった。双方のお客はなるべく店との間を詰めた。

 

「そう。みんなの祭りだからな。楽しくやろうや。で、これは何の商売だい」

 

 

ある農夫が言った。

「この店は『笑い屋』です。我々の苦しい生活の中に、笑顔をくれます。素晴らしい店です」

 

あるわらじ売りの女が言った。

「この店は『哀し屋』です。我々の苦しい生活の中に、潤いをくれます。素晴らしい店です」

 

 

博徒の親分は、キセルに火をつけた。

 

「………はて。双方、面白いとな。まあ話が逆だからな。どうだ。縁日もあと数日で終わり。

『笑い屋』と『哀し屋』よ。最終日は二人一緒にやってみたらどうだい。

 

金はもう充分だろう。勿論、俺からも出す。それまでに二人で話を考えておきな。おおーい。もっと道開けろ。年寄りが通れねぇ」

 

 

博徒の親分と子分達は本殿に一礼をして帰って行った。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

そして縁日の最終日。『笑い屋』と『哀し屋』は夜まで店を出さなかった。

そして本殿に行く者の為に『笑い屋』の屋台を解体し、そこにゴザを敷いていた。

 

 

その奥で『笑い屋』と『哀し屋』は正座をしていた。

そこへ博徒の親分が子分たちを連れてやってきた。

何人かの客が「伐叉(ばっさ)だ…」と呟いた。

 

 

「なんでい。まだやってなかったのか。満員じゃねえか。俺を待っていたのか?

客が正座して辛そうじゃねえか。おい、お前ら。好きな様に座れ。痺れが取れたら、話を始めろ」

 

 

やはり『笑い屋』と『哀し屋』は似ていた。

 

いつも全く別の商売をやっているから気づかなかったが、彼らは双子だとお客達みんながわかった。

そしてやはり二人共女っぽい顔で下女の格好をしていた。

 

 

『哀し屋』が物語を始めた。皆が胸を高鳴らせた。

しかしそこへ『笑い屋』のちゃちゃが入る。みんな大爆笑した。

その掛け合いは見事なものであった。

 

 

それはある下女の日常を描いた作品であった。

客は泣いたり笑ったり、その漫才のようで真剣な語りの様な不思議な話に取り込まれていった。

 

 

そして話が佳境を迎えた頃、いつもニコニコとしている『笑い屋』の主人が急に無表情になった。

そしていつも泣き顔の『哀し屋』の主人も無表情になった。

 

 

そこから先は物語ではなかった。ひどい現実だった。

 

 

客達は腰が引けてきた。1人2人、だんだんと客は居なくなった。

残ったのは博徒の親分と子分だけだった。

他に誰も居なくなった座敷で親分はあぐら組んで座って、ずっとうつむいて二人の話を聞いていた。

 

 

話は終わった。

 

 

「………客は全員、逃げたが………。これだけ笑って泣けて現実を見せる話なんか他にねえ。

農夫やわらじ売りの女はな、夢を買いに来てる。

 

日々の辛い生活の中、少しでも心を豊かにしたいからだ。でもな、俺ら博徒はな、いつも命を張っている。だからお前らの話が心に響いた」

 

 

子分達は涙を堪えていた。

博徒の親分はキセルに火をつけた。

 

 

「お前らほど辛い思いをした奴はそうそういねえ。笑い飛ばすのもいい。泣き崩れるのもいい。それが人間だ。素晴らしかった。この小話はもうするな。よそへ行っても頑張れよ」

 

『笑い屋』と『哀し屋』は深く礼をした。

 

 

博徒の親分は子分達の金を集め自らの大金と一緒に彼らに渡した。そして双子の肩をたたいて去って行った。

 

 

縁日は相変わらず大賑わいだった。

 

 

石畳を綺麗に着飾った商人の妻が歩いていた。

それに幼い下女が荷物を抱えて一生懸命について行っていた。

 

 

彼らはそれを優しい笑みで見つめていた。

 

 

 

 

 

(つづく)

 

写真はフリー素材などを使って制作した物です。

 

 

 

1話完結のショートストーリーですニコニコ

ホラーではありません。

ある家族のお話です。

 

 

 

 

 

 

桃華も1歳になったか。

一番かわいい時だ。

 

 

でも妻は韓流ドラマばかり見てる。

最初の子をお産で亡くしたのだ。

 

 

また子を授かったが、妻は悲しみから逃れられていない。

「失った」というとても強い感情が、妻を無感覚にしている。

だから新しい命に触れられない。怖いのだ。

 

 

もしまた心を解き放って抱きしめた存在が居なくなると………。

妻は韓流ドラマの好きな場面を巻き戻して観て。

また巻き戻してまた観て。それをずっと繰り返している。

 

 

僕は妻を責めない。育児放棄を咎めない。

いくら「授かって」も「失う」ことは人間を壊してしまうことがある。

彼女の傷が癒えるまでは僕とベビーシッターでフォローしていく。

 

 

………だけど妻よ。僕の身体はどこも痛まなかった。

だけど心は引き裂かれたよ。僕は今、桃華がいるから精神を保ってる。

でもそれも………薄氷を踏む思いだ。

 

 

 

ある日、帰宅すると珍しく妻が桃華をあやしてた。

 

 

僕は後ろから声をかけた。

 

「疲れてない?」

「………分かってるんだけど、私がひつこく観るから覚えたんだろうけど………だろうけど………」

 

 

妻は泣いていた。

僕はよくわからなかったが、妻を後ろから抱きしめた。

 

 

その時、桃華と目が合った。桃華は産まれて初めて喋った。

 

「まタあぇタェ」

 

 

妻が韓流ドラマを見過ぎたからだ。

好きなシーンの、セリフのひとつだった。

でも確かに桃華は言った。

 

「また会えたね」

 

 

それが偶然であり、その理由もわかってる。

だけど僕ら夫婦の黒くて大きなダムは壊れてしまった。

 

 

妻は言った。

 

「おかえり、また会えたね」

 

 

 

 

 

桃華はキャッキャと笑った。

  

 

 

 

 

 

 

1話完結のショートストーリーですニコニコ

ある老夫婦の1日です。

 

 

 

 

 

 

<<緑風(りょくふう)>

初夏の青葉を吹き渡るさわやかな風。薫風。

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6月の晴れた午前だった。

陽子は庭先の植木鉢に水をやっていた。

午前と言えど日は高い。

生暖かく、まとわりつくような空気が流れていた。

 

 

息子夫婦は海外旅行にいった。

孫は東京で通販関係の会社に勤めている。

 

 

陽子も旦那ももう80歳を超えた。

陽子は家事をほとんど引退し旦那もこの古い家の縁側で一日中詰将棋をしてる。

 

 

平和ですこし温もりのある風が陽子の頬をとおりすぎた。

 

その時、陽子はおや、と思った。

光が当たる植木鉢と今の風を以前に感じた事があったのだ。

何だかちょっと胸騒ぎがした。

 

 

すこし時間をおいた後、陽子は奥の部屋で編み物をしてた。

旦那は相変わらず縁側でパチッパチッと将棋の駒を刺していた。

 

 

陽子は先ほどの胸騒ぎが何なのか気になっていた。

夏の温もりのある風と庭先の植木鉢。

なかなか思い出せず、宙をみたりしていた。

 

 

ふと何気なく旦那の方をみた。

陽子の胸が突然ざわめいた。

思い出した。

 

 

息子が生まれる前、ずっと昔、今みたいな気候の中、縁側で陽子は旦那にプロポーズされた。

 

 

結局は予備役で終わったが戦争が二人を別つかもしれない時だった。

そして実は旦那がどんなプロポーズの言葉を言ったのかを陽子は覚えてなかった。

 

 

ただ思い出せるのは温もりのある風と庭先に置かれていた植木鉢。

その時は恥ずかしくてそれを見つめるしか、できなかったのを覚えてる。

 

それらのことが陽子の胸に、モノクロから鮮やかな色へと変わった。

そして結婚してから60年来、今まで聞かなかったことを旦那に聞いた。

 

 

「わたしのこと、まだ好きですか」

 

 

陽子はもう、しわくちゃだ。目こそ昔のように輝いていたが、

もう化粧もしない、髪の毛はぬける。

 

 

愛されているのはわかってる。でもこんな私でも、あなたはまだ恋してくれますか?

 

旦那は見向きもせず、まだパチッパチッと将棋の駒を刺していた。

自分の旦那がそういう事に答えないのは陽子が一番よくわかっていた。

 

 

夕暮れになった。どこからかヒグラシの音が聞こえてきた。

「お父さん、私、買い物にいきますね」

「ああ、俺も行く。釣具屋行きたいから」

 

 

二人は森林公園の中を歩いていた。

夕暮れとはいえ、陽はまだ高い。

 

 

そしてスーパーと釣具屋を別つ十字路にでた。

右に曲がれば釣具屋だ。

 

 

だけど旦那は道を曲がらず真っ直ぐに歩いて行った。

「お父さ………」

 

 

陽子がそう言おうとした瞬間、旦那は陽子の手をぎゅっと握った。

 

 

陽子の中で60年の歳月が一瞬で過ぎた。

そしてその手を握り返した。

 

 

 

 

 

二人の肩の間を、鮮やかな緑色の風が吹き抜けた。