江戸の末期。
ある縁日があった。
その夜。
参詣道に、通常の倍はある長いのれんがあり、
『笑い屋』と書いてあった。
向かいに、通常の倍はある長いのれんがあり、
『哀し屋』と書いてあった。
双方の商売は単純だった。
主人がそれぞれに応じた話をし、面白ければ客が金を投げるというものだった。
とても繁盛していた。
『笑い屋』にはいつも大勢のお客が集まった。
大きな笑い声が聞こえた。どっと吹き出す事もあった。
『哀し屋』にも大勢のお客が集まった。
すすり泣きが聞こえた。道に伏せって泣くお客もいた。
『笑い屋』の主人と『哀し屋』の主人は良く似た顔をしていた。
若い男だったが女の様な顔だった。
そしてなぜか双方とも下女(召使い)の格好をしていた。
しかしそれよりも『笑い屋』と『哀し屋』、繁盛は結構だが双方の店の間を通る客は困っていた。
そこへ博徒の親分(博打の元締め)が子分たちを連れてやってきた。
上半身は裸で背中に大きな吉祥天(幸福と美と富の女神)の入れ墨が入っていた。
「おうおうおう。ここかい。道を塞いでいるっていう店は。祭りはお前らだけのもんじゃねえ。ちょっと道を開けてやんな」
博徒の親分は強面だが人情があった。双方のお客はなるべく店との間を詰めた。
「そう。みんなの祭りだからな。楽しくやろうや。で、これは何の商売だい」
ある農夫が言った。
「この店は『笑い屋』です。我々の苦しい生活の中に、笑顔をくれます。素晴らしい店です」
あるわらじ売りの女が言った。
「この店は『哀し屋』です。我々の苦しい生活の中に、潤いをくれます。素晴らしい店です」
博徒の親分は、キセルに火をつけた。
「………はて。双方、面白いとな。まあ話が逆だからな。どうだ。縁日もあと数日で終わり。
『笑い屋』と『哀し屋』よ。最終日は二人一緒にやってみたらどうだい。
金はもう充分だろう。勿論、俺からも出す。それまでに二人で話を考えておきな。おおーい。もっと道開けろ。年寄りが通れねぇ」
博徒の親分と子分達は本殿に一礼をして帰って行った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そして縁日の最終日。『笑い屋』と『哀し屋』は夜まで店を出さなかった。
そして本殿に行く者の為に『笑い屋』の屋台を解体し、そこにゴザを敷いていた。
その奥で『笑い屋』と『哀し屋』は正座をしていた。
そこへ博徒の親分が子分たちを連れてやってきた。
何人かの客が「伐叉(ばっさ)だ…」と呟いた。
「なんでい。まだやってなかったのか。満員じゃねえか。俺を待っていたのか?
客が正座して辛そうじゃねえか。おい、お前ら。好きな様に座れ。痺れが取れたら、話を始めろ」
やはり『笑い屋』と『哀し屋』は似ていた。
いつも全く別の商売をやっているから気づかなかったが、彼らは双子だとお客達みんながわかった。
そしてやはり二人共女っぽい顔で下女の格好をしていた。
『哀し屋』が物語を始めた。皆が胸を高鳴らせた。
しかしそこへ『笑い屋』のちゃちゃが入る。みんな大爆笑した。
その掛け合いは見事なものであった。
それはある下女の日常を描いた作品であった。
客は泣いたり笑ったり、その漫才のようで真剣な語りの様な不思議な話に取り込まれていった。
そして話が佳境を迎えた頃、いつもニコニコとしている『笑い屋』の主人が急に無表情になった。
そしていつも泣き顔の『哀し屋』の主人も無表情になった。
そこから先は物語ではなかった。ひどい現実だった。
客達は腰が引けてきた。1人2人、だんだんと客は居なくなった。
残ったのは博徒の親分と子分だけだった。
他に誰も居なくなった座敷で親分はあぐら組んで座って、ずっとうつむいて二人の話を聞いていた。
話は終わった。
「………客は全員、逃げたが………。これだけ笑って泣けて現実を見せる話なんか他にねえ。
農夫やわらじ売りの女はな、夢を買いに来てる。
日々の辛い生活の中、少しでも心を豊かにしたいからだ。でもな、俺ら博徒はな、いつも命を張っている。だからお前らの話が心に響いた」
子分達は涙を堪えていた。
博徒の親分はキセルに火をつけた。
「お前らほど辛い思いをした奴はそうそういねえ。笑い飛ばすのもいい。泣き崩れるのもいい。それが人間だ。素晴らしかった。この小話はもうするな。よそへ行っても頑張れよ」
『笑い屋』と『哀し屋』は深く礼をした。
博徒の親分は子分達の金を集め自らの大金と一緒に彼らに渡した。そして双子の肩をたたいて去って行った。
縁日は相変わらず大賑わいだった。
石畳を綺麗に着飾った商人の妻が歩いていた。
それに幼い下女が荷物を抱えて一生懸命について行っていた。
彼らはそれを優しい笑みで見つめていた。
(つづく)
写真はフリー素材などを使って制作した物です。