(目次)

 

 

江戸の末期。

 

のどかな温泉街があった。

 

 

双子の甲と乙は次の縁日に備え羽根を伸ばして温泉街へとやってきた。

もちろん、あの女岡っ引き、安里(あんり)からも離れたかった。

 

双子の甲と乙はゆったりとお湯につかり飲めない酒を少し飲んだ。

そして宿へ帰る途中ふと立ち止まった。

 

 

夏の宵の口に涼し気な風が吹いている。

風鈴の高い音色。

一帯で灯りだす灯籠の火。

それら全てを包むように小川が優しく流れていた。

 

 

双子はしゃがんで水に手を入れた。

 

 

「疲れたな」

「………ああ」

「あともう少しだ。俺らならできる」

 

 

「実は………俺はそれで本当に許されるのか分からなくなってきている」

「何を言っているんだ。誓いを思い出せ」

 

 

「………甲。俺は………」

「やめろ!俺は甲乙だ。お前も甲乙だ!」

 

 

乙は笑っているような、切ないような、生気のない顔で川を見つめた。

「………金色の鯉を思い出すな」

 

 

 

 

10年前の初夏。

 

初夏の風が心地よいある日。

 

 

双子の甲と乙と妹の桜は、旗本、吉光の屋敷に奉公していた。

ある時、甲と乙と妹の桜は吉光の逆鱗に触れ、妹の桜は呉服問屋に売られてしまった。

そしてしばらく桜との音信が途切れた。

 

 

ある日、双子の甲と乙は庭の草抜きをしていた。

そしてたまたま、池に沢山いる鯉の中で一匹だけいる金色の鯉を見かけた。

 

 

「おい、金太郎がいるぞ!」

「おおー久しぶりだな」

 

 

「金太郎は福の神だからな。今日は良い事があるぞ」

双子の甲と乙は水面に駆け寄った。

 

 

水面に全く同じ顔が二つ並んだ。

「………俺達の顔、何故こんなにも違うのに皆、分からないのだろう」

 

「………どうしてだろうな。………でも俺はもう、おかしくなりそうだ」

「言うな。俺らの家族はこの世に3人しかいない」

 

 

「桜が………」

「大丈夫。あいつはああ見えても俺らより強いからな」

二人は力なく笑った。

 


するといつの間にか隣に旗本、吉光がいた。

金色の鯉をじっと眺めていた。

 

 

「………昨日、司が夢に出てきた。いつもの愛しい笑みをしていた。だがその後は俺の子が欲しかったと泣いた」

 

 

双子の甲と乙は唇を噛み締めた。

ここは吉光と死んだ妻、司(つかさ)がいつも鯉を見ていた場所だった。

 

 

「金太郎ではない。こいつはメスだ。名は金楼(きんろう)。俺と司の子だ。………何ヶ月も据え置いていたが、言ってやろう。今な、桜は毎日、呉服問屋に死ぬほど責められている。

 

内容を細かく言ったらお前らは死ぬから言わない。………毎晩、甘美な『桜』の犠牲心、罪をとくと味わって眠れ」

 

 

 

 

 

乙は今、この10年後の温泉街でそれを充分すぎるほどに味わっていた。

 

乙を見て甲は言った。

「俺達は甲乙だ。線引するな。今はそういう事を忘れて温泉に休みにきているんだ。もうよせ。宿に帰ろう」

 

 

するといつの間にか隣に女岡っ引きの安里がいた。

しゃがみこんでこっちを見て笑っていた。

 

 

「見っけ」

「………」

 

 

「今日は金は払わないよ。下っ引き(手下)いっぱい連れてきたよ。

さあ行こ。牢屋」

 

 

 

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奉行所の手狭い牢屋に双子の甲と乙は入れられた。

せっかくの休息を奪われ、しかもこのキャッキャとした安里の対応に疲れ切っていた。牢屋の壁に背をついてぼんやりと宙を見ていた。

 

 

牢屋の外では呉服問屋の後家(未亡人)がいた。

泣き真似をしていた。安里は腹を抱えて笑っていた。

 

 

「旦那を殺められた私は、もう生きてはいけません………。あんなにも愛したガマガエルのような殿方を。ううっ。

 

 

しかし、憎き小娘、こやつら双子の妹、桜が刑に処された今、私はその桜の寝床を片付けねばなりません。ううっ。

 

 

しかし………。そこで私は金を数えていた紙を見つけたのです。これです。そして気づきました。私ら呉服問屋の帳簿から100両に及ぶ金の記載が失くなっている事を。

 

 

そして旦那が桜と男女の関係を持っていたことを!

 

 

ううっ。桜は愛しき汚いガマガエルから金を巻き上げ、双子の兄に預け、自分はガマカエルを刺殺して逃げようとして、捕まったのです。間違いありません。ううっ」

 

 

安里はひいひいと笑っていた。

 

 

「あはは………だってさ。上手になったね。呉服問屋の奥方の、泣き真似」

「もう後家よ。今ので良いのかい。ガマガエルってのは本当に言いたいけどね」

 

 

「あはは。やめてね。金は山分けだよ。でも白洲(裁判所)ではもっと泣いたほうがいいかもね」

「もうちょい私にくれなよ」

 

 

「こっちは下っ引きにも払わなきゃいけないんだから。勘弁してよ。てか、あんたなんか油臭いよ」

 「えっ・・・」

 

 

双子の甲と乙はぼーっと反対側の壁を見ていた。

 

安里は先程の子供の笑いから大人の女の笑みになった。

「なーんか言いたそうだね。………金もらわないと話せないなんて、ただの鎖だよ。………でも私もそうできたら嬉しいけどね。ほら。甲」

 

 

安里は甲に銭を投げた。

甲は片手で受け取った。

 

 

「どうしてこんな立場になっても話さないの?」

「誓いを立てたからだ。罪を償うまでは金を貰わないと話さない」

 

 

安里は下を向いて小さく溜息をついた。

「………金、金、金。うるさいよ」

 

甲は珍しく感情的になり壁を片手の拳で叩いた。

「………お前に何がわかる?償うという事の意味がわかるのか!?」

 

 

安里は言葉を選んでいるようだったが、選びきれなかったのが甲にはわかった。

 

 

「何も分かんないよ。馬鹿かお前。お前はもう終わってしまった事に自分のケジメをつけたいだけだろ。

 

私の子はまだ生きてる!でも金がなきゃ死ぬんだよ!旦那も病で持って逝かれた!償ってる暇なんてないんだよ!この大馬鹿が!!」

 

 

「いくらだ」

乙が力なく言った。

 

「は?」

「子供の治療費はいくらかかるんだ」

安里は唐突で冷静な乙の言葉に呑まれた。

 

 

「………13両(約260万円)ちょっと」

「………そうか。今日はもう店じまいだ。寝かせてくれ」

 

 

 

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牢は廊下に火は焚かれてはいるものの、ほぼ闇だった。

二人の行き先は見えていた。これまで通り金を貰わなければ話さない。

 

 

その道を行けば安里と後家に思う様にされて金の隠し場所を吐かされる。

そして………刑死となる。

 

 

「………甲」

「だから甲と呼ぶな。甲乙だ」

 

 

「どうして、あの女岡っ引きはお前が甲だとわかった?」

「ん?」

「安里だよ。お前を甲、と呼んだ」

「………」

 

「お前は気づいてないかもしれないが、お前はこの10年で1番、取り乱している。別人みたいだ」

「それは桜を侮辱したからだ………お前だって………」

 

「今なら吉光様でも俺らの見分けがつく。甲、お前は安里に特別な感情を抱いている」

 

 

明日からは詰問の日々が始まる。

拷問の前段階とは名ばかりで尖った木に正座して膝に、ひとつ、ひとつ、石が積み上げられてゆく。

 

罪が、ひとつ、ひとつ、積み上げられてゆく。

 

 

 

 

 

 (つづく)

 

写真はフリー素材などを使って制作した物です。