朝か………。

 

 

あの女性看護師は交代なんだろうか。

本当に虫だった?

幻覚なのかどうか判断出来ない。

 

 

部屋に医師が入ってきた。

禿げ上がった頭で背の低い中年の男だ。

ニコニコとしながらベッド脇の丸椅子に座った。

 

 

「屋白さん。私はあなたの主治医をさせて頂く、石川と申します。貴方は人身事故を目撃され、ショックで倒れ込みました。その際、頭部と腰と足を痛めております」

 

 

「飛び込んだのは男性ですか?」

「………そうです。お亡くなりになりました」

 

「どんな人ですか?」

「どうしてそのような事をお聞きになるのです?」

 

「いや………」

「それは警察の管轄です。そして警察は個人情報は教えてくれません」

「分かりました」

 

 

「私が今日、伺ったのは現在のところ脳に異常は無いという事です。右足は酷い捻挫ですのでギブスを巻きました。腰は自然と治ります。そして………これは、これについてはあなたの判断に任せます。心療内科、カウンセリングなどを希望されますか?」

 

 

「………」

 

 

そこへ母が部屋に飛び込んできた。

医師を無視して私の手を握り、泣き出した。

 

 

「………良かった。良かったね」

 

 

医師が言った。

「お母様ですかね?私は主治医の石川と申します」

しかし母は見向きもせず「二人きりにして下さい」と言った。

 

 

 

………医師は個室を出る時、こちらを向いて嫌な顔で笑った。

 

 

(無駄、無駄)

 

 

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

夜。

病院?

 


あれから………。

身体中が痛い。ギブス?………個室?

夢じゃなかった。

 

 

………お肉はもう食べれない。

青い顔がスローモーションで赤い顔に変わった。

死んだ様な青い顔が、吹き飛んで真っ赤になった。

どこも見ていない眼球が、思考を停止した脳が、吹き飛んできた。

 

 

何が悲しかった?何がそうさせた?

自ら挽肉になる人間。

その感情を想像すると私の言葉は死んでしまう。

 


多分そういう事は一生考えてはいけない。

生きてゆく人間が理解してはいけない事だ。

婆様は死ぬ人間の目を見るなと言った。

でもどうしようもなかった。

 

 

………そういう人間の側にはコクシンがいる。

 

 

何か聞いた。何だコクシンて。

 

 

でも今はトイレに行きたい。どこだ。

ナースコールはどこだ。

 

 

 

コッ

 

 

 

もう一度、押した。

コッ

 

 

………音が近くなった。

何かで床を叩く音。
もう一度だけ押した。

 

 

ライトをゆらゆらとさせながら看護師がやってきた。

「お目覚めになりましたか。どこか傷みますか?」

「音が………コン?聞こえてきます」

「貴方は事故にあわれました。だから混乱されています。大丈夫、心配なさらず」

 

 

女性看護師は私の背中を優しく撫でてくれた。

「明日、医師からお話がありますから。MRI、分かりますかね?脳の検査もいたします。しかし緊急性はないようです。深呼吸しましょう」

私は息を整え女性看護師の顔を見た。

 

 

 

顔が昆虫だった。

 

 

 

「足の骨は折れていない様ですよ。酷い捻挫でしょうか。明日、医師がここに来ます。今夜はゆっくり休みましょう。何かあったらすぐナースコールをしてください」

昆虫は触覚を震わせ、ナースセンターへ戻っていった。

 

 

 

え?

 

 

 

すると聞こえる、ワシャワシャ、ワシャワシャ、何かを震わせる音が。

音色のない鈴虫の様な、捕まえたセミが逆らって鳴く様な音が。

 

 

ダメだ。ダメ。ここにいたら殺される?

 

 

ナースステーションまで這っていこう。

他の看護師もいるはずだ。

そうでなければ大声を出せばいい。

ここにいる事が一番危険だ。

身体中が痛い。とにかく廊下まで出る。

 

 

さっきのは幻覚だ。

頭を打ったから、挽肉を見たから、一時的におかしくなっているだけだ。

そう。そうだ。そうであって欲しい。そうであるべきだ。

 

 

………何度、感情を打ち消しても背後からはワシャワシャと聞こえる。

もし虫なのであれば数千匹はいる。

 

 

誰か助けて。

何かがいっぱいいる、音が襲ってくる、誰か。

 

 

突然、手の甲を杖が突いた。

 

 

「あんた、よく集まるなと思ったら。髪子(かみんこ)だったか」

 

 

顔は見れない。

身体中の毛が声の主に向かって逆だつ。

 

 

「これは美味しいなぁ。取り合いだよ。可哀想になぁ」


「誰か!!!助けて!!!」

 

 

看護師が走って来た。

私の背中を抱き上げライトで顔を照らした。

 

 

「屋白さん!分かりますか!?屋白さん!目、開けれますか!?」

怖かった。怖かった。

「大丈夫、大丈夫ですよ!目、開けれますか!?」

目の前にはメガネをかけた男性看護師がいた。

 

 

「すみません………混乱して………」

「明日は医師が来ますから。我々もナースステーションにいます。安心して」

 

 

男性看護師は私の身体を起こしてくれた。

背後にいた女性看護師の顔は虫ではなかった。

 

 

 

でも………可愛らしい娘だったが、男性看護師の後ろで突っ立ったまま、ニヤニヤとずっとこめかみの横で指を回していた。

 

 

(かみんこ だぁ)

 

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

 

盆だ。

憂鬱だ。

 

 

私の実家はとある県の盆地にある。

表向きは何もない小さな町だ。

 

 

しかしこの町には奇妙なしきたりがある。

それは、

 

 

 

『毎年のお盆、町外れにある洞穴の中に自分の髪の毛を一本、家族の毛と一緒に白い箱に入れて保管する』

 

 

 

これはご先祖様が誰を守ったら良いかを判別する為にあるらしい。

私の髪の毛が入っていたら、ご先祖様は私を守るのだと。

 

 

気持ち悪い。

髪の毛だらけの洞穴なんて。

 

 

皆その小さな箱を『シロバコ』と呼んでいた。

各家にひとつずつ洞穴の中にあった。

 

 

ある盆、私は忙しくどうしても帰郷できなかった。

昇進したからだ。母に電話した。

 

 

「それは仕方ないけど………」

「ごめんね、今の仕事が片付いたら9月か10月に行くよ」

 

 

結局、実家には帰らずじまい。

何度も何度も電話がかかってくる。

母さんも婆様もしきたりにうるさいから、はっきり言ってついて行けない。

 

 

ある朝、私は駅のホームでうつらうつらとしていた。

気がつくと隣には高齢のおじいさんが並んでいた。

杖をついていた。

 

 

ここは東京の田舎駅だが、

こんな高齢のおじいさんが通勤ラッシュに並んでいるのは変だ。

思わずじろじろと見てしまった。

するとそのおじいさんは突然、私に声をかけてきた。

 

 

「おはようございます」

「あ、おはようございます」

「あんたには何も憑いとらんね。あいつと同じ」

「は?」

「次の食べ物はあんただよ」

「は?」

 

 

その時、田舎駅を急行が通り過ぎようとした。

 

 

私の近くにいた人間が線路へ飛び込んだ。

バーンという大きな音と共に辺り一面が血の海となり、

人間の中のあらゆるモノがあちこちへと飛び散った。

私は血まみれになり、身体中にその色んなモノがべったりとくっ付いた。

 

 

中でもショルダーバッグにちょこんと乗ったのは、

素人でも分かる『脳』の一部だった。

私は気を失った。

 

 

 

(………おいしいおいしいお前たち。何も守らないから守られない。遅いよ。もう遅い。すぐには殺さない。さあ、じっくりじっくり、餌をおくれ。絶望ってやつだよ。簡単に言えばさぁ)

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

へぇ。

あ、私か。律子か。

 

 

やっと終わるかぁ………。

青いグレープフルーツ。

紫色のコーヒー。

怖かった。

 

 

街中でふと立ち止まる。

みんな迷惑そう。

でも私には………。

君たちみんながコンクリートに見えるんだ。

火星人に見えるんだ。

 

 

髪の毛が傷んだ男の子が近づいて来た。

「バイトしませんか?」

そう言いながら男の子は口からボロボロとコンクリートを吐き出す。

 

 

想像つくかな。そんな世界。人間が自分しか居ないんだ。

そしてコンクリートを穴に挿れられるんだ。

 

 

アホ嫁由加の娘はコンクリ車から出てきたばかりだった。柔らかかった。

でも差別はしなかった。

私は父親を9回刺したらしい。検事が言うにはね。娘も9回だって。すごい偶然だね。

 

 

法廷で検事は『9という数字には何か意味があったのか』と聞いてきた。

 私は後ろを振り返り、『嫁も9回刺しましょうか?』と言った。

 「見てください。この容疑者に反省の色など、どこにもありません。」

 

 

んー………。

まあやっと殺してくれるんだね。

なんで自分で、できなかったのかな。

まあいいや。

もうすぐ死ぬから。

  

 

ご飯もお祈りもいらない。コップ一杯の水をください。 

頭巾被るのは拒否したんだけど規則なんだって。

へぇ。

  

 

コンクリートは本当に怖かった。 

でもやっと解放される。 

皆さん、どうも長い間ありがとうございました。 

へぇ。

火星人サン達。

 

 

私は布を被され、ロープを首に回された。

 

 

………その瞬間、急に雨が降ってきた。

目の前に張りたてのコンクリートがあった。

りっちゃんと律子と由加はそこに足跡をつけようとした。

 

 

後ろから翔兄ちゃんの声がした。

 

「りっちゃん。火星人は敵じゃないよ。翔兄ちゃんは今からりっちゃんの為に火星に行ってみんなと仲直りしてくる。」

 

「誰も私を見ない………。私が火星人を見てるだけ………」

 

「お父さんもお母さんも、いつまでもああではないよ」

 

「一番悲しいのは私なのに………あんなに泣くお父さんとお母さんを見せられたら私はもう涙が出ないの。私は誰の目にも見えないの」

 

「りっちゃん。律子。由加。本当にそのコンクリートに足跡をつける?みんなはまだ小さくて、小さくて、誰にでも甘えてもいいのに」

 

 

「……………翔兄ちゃんの言うとおりにする」

 

 

ふっと雨が止んだ。空から光が差し込んだ。

私は翔兄ちゃんに優しく背中を押された。

 

私は涙をポロポロ流しながら大声で言った。

「お父さん、お母さん、私、翔兄ちゃんが死んで悲しいの!!」

父親は一瞬、驚いた顔をしたが何も言わず抱きしめてくれた。

 

コンクリート工事のおじさんは座って煙草を吹かしていた。

 

 

そっか。

 

 

火星人なんて、いなかったんだね。

 

翔兄ちゃん。翔兄ちゃん。

 

今日だけ泣くね。

 

 

そして明日からは、私がお父さんとお母さんを、抱きしめるね。

 

 

本当はみんな、愛してるの。ごめんなさい。

 

 

 

(終)

 

 



 

 

目次

 

 

 

 

 

 

 わたし?由加?

 

 

目が覚めた。

天井の色が違う。

飛び起きた。

 

 

冷えた畳、薄っぺらい布団。

部屋の隅の小さなトイレ。

ノブのない大きなドア。

そのドアのちょうど目の高さについた、郵便ポストみたいな小さな窓。

 

 

ここは………独房?

 

あれ?律子は?旦那は?娘は?

 

 

私は混乱した!

 

 

急にその小さな窓が開いた。

「勝手に寝てはいけません」

私は目をまんまるとした。

 

 

「あの!ここどこですか!?あなたは誰ですか!?」

「誰って刑務官です。もうそんなのやめなさい。精神鑑定、済んでいるんですから」

「本当にわからないんです!私、何かしましたか!?」

「もう観念して前向いて逝きなさい」

 

 

私は開いた口が閉まらなかった。

「………え?え?死刑ですか?」

「いつ執行されるかは私たちには分かりません。もう観念して、じっとしてなさい」

 

 

何でだ。

今日は旦那も私も休みだ。

律子とお茶する予定だった。

 

 

私は扉を叩いた。

「刑務官さん!刑務官さん!」

小さな窓が開いた。

 

 

「なんですか!他の受刑者もいるんだから静かになさい!」

「えと、今日は2023年の4月2日ですよね!」

「もうそういうのはやめなさい。今は2024年。観念しなさい」

 

 

私は布団に倒れこんだ。

何がどうなっているのかまるでわからない。

私はただ今日は律子とお茶する予定だったのに。

………よく見れば左腕が傷だらけだ。自分でえぐったのか?

………何の為に?

強烈な睡魔に襲われた。

 

 

 

 

私は高層マンション群の前で刃物を持って立っていた。

 

旦那は娘を盗み私を召使いにする。

二人への愛情はもう枯れ果てた。

 

 

私は娘が寝静まった後、何度、旦那に土下座をしたことか。

元ソープ嬢だ。しかも連れ子。

サラダのドレッシングひとつで私は毎日、怯えてる。

しかし旦那にすがりつくしか生きていく術はなかった。

 

 

でも今日で全て終わり。私の家族。バイバイ。

チョコレートパフェの上に真っ青なグレープフルーツがふたつ………。

 

 

 

 

 

目が開いた。

天井の色が違う。

私は跳ね起きた。

 

 

さっきの夢は現実?

だから私はここにいるのか?

律子?旦那?

精神鑑定したんだろ?

どうみたって責任能力無しじゃないか!

 

 

でも今更何ができるんだ。

私は大声で泣き出した。

 

 

小さな窓が開いた。

「静かにしなさい!最後くらい他人の迷惑考えなさい。聖書を読んで祈ってる死刑囚だっているのよ?」

私はドアの前に崩れ落ちた。また気が遠くなった。

 

 

 

 


………おーはっよ。

あっはっはっはっはー♪

みーんなバカ♡

りっちゃんがちょちょいとすればこのとーりー

 

 

みんな面倒くさい大人ばかりだしさ。

みんなで一緒に消えよーねー。

てか、りっちゃんも飽きちゃった。

火星人サンだらけの地球。

 

 

『大人の律子』も『大人の由加』も、りっちゃんに操られてるって本当に分かんないのかな。

根本は一緒だけど反対になってるって気づかないのかな?

精神鑑定は楽々スルーしたよ。

大人の真似なんて簡単。

 

 

翔兄ちゃん、これで良かったよね?

火星人、ちょこっとやっつけたよね?

コンクリート吐き出す汚い奴ら。

 

 

どうしよ?りっちゃんの火星人サン奴隷たち。

『大人の律子』と『大人の由加』

死刑まで後幾分か時間があるけど

 

 

今の流れ、もっかいやっとく?

 

 


 

(終話へ)

 


 

 

 

 

 

短編『律子』

 

 

数年前に書いた小話です。

再掲載中断しておりました。

またよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

3️⃣

 

 

GO

 

 

 

 

 

 




5:15




朝じゃんね

でも布団を出るにはまだ早い

微妙なライン



この季節 外はまだ真っ暗

朝日のカケラも見えない

そして足元では小さな戦車と歩兵隊がドンパチやつてる



枕元には鷹がいた

神妙な面持ちで有難い書を咥えているが

嘴でベトベトではないか



京都で寒ブリが大漁らしい

17kgの個体もあり良い値がついてるとか

我々にもイノチの値段をつけてくれると有難い

無駄な命を使わずに済むからね



そういや鷹は鳥目だから夜明け前は狩りができず

余った時間で僕を勧誘しに来てくれたのか

気持ちだけでも受け取っておくべきだったか

いやしかし僕は人間が想像しうる神を信じない



足元でやっているドンパチはまだ終わらないらしい

休戦しながらも続くようだ




随分と昔にテレビで見た




とある戦場の難民キャンプで

アラブ人らしき女児が

泣いているのか

笑っているのか

わからない感情を出していた




泣いているのか笑っているのかさっぱりわからない

嬉し泣きとかとは次元が違う感情表現




震えた

怖かった

女児が壊れていた

目の前で母親が亡くなったのだろうか



あんな表情の人間見たことない



だけどこの世界で最も聖なる土地では



今日もこんな子がいるんだろうな






夜が明けてしまった













1:11


目が覚めた。

夜はまだ僕を見下ろしている。



トナリのワンちゃんの鳴き声、

風の音

サイレン

僕のあくび



そしてまた風の音。



あいなどなかったひび

あきなどなかったふゆ

あれよとながるるとし



涙の味など思い出したくも無いが

そんな記憶ほどはっきりと出る様



朝まで後何回あくびすればいい

朝まで後何度巡り巡ればいいの



また光が欲しい

だが黒も恋しい 



紡がれていない安い言葉

黒く凍った無い筈の言葉



言葉の嘘

言葉のひかり



夜、夜、



死よりも確かな現象





生きたい、行きたくない、


そしてまた眠る、眠る、






ねむる、、










このような寒い夜には

何故か後悔ばかりを



思い出す



あれを言えなかった事とか

あれが一言余計だったとか



これが夏ならどうだね

そうでもないな



君のいない暑さ寒さはつまらない

でもそれはこの莫迦に季節というものを教えてくれたのかも知れない



どうぞ暖をとって

夏に似合わぬ皐月風があなたの肩を吹き抜けますよう



あなたにとって私もそうでありたい

心配をかけたくない





寒い夜にも暖かく










柔らかな冬の日差しが

 

私の心を捕まえる

 

白い息が尾を引いて

 

あの日の駅を発つ




突き刺さる冬風が


私の身体を重くする


失った心を求めても


どこにも線路が見当たらない

 




どうか私が白くなる前に


溶けて消えてしまう前に




貴方の肌が暖かいうちに


あの場所へ辿り着きたい




ポケットの中には古びた切符があった




駅も線路もなくーーー


私の汽車は走り出す






車窓からは春の匂いがした