夜。
病院?
あれから………。
身体中が痛い。ギブス?………個室?
夢じゃなかった。
………お肉はもう食べれない。
青い顔がスローモーションで赤い顔に変わった。
死んだ様な青い顔が、吹き飛んで真っ赤になった。
どこも見ていない眼球が、思考を停止した脳が、吹き飛んできた。
何が悲しかった?何がそうさせた?
自ら挽肉になる人間。
その感情を想像すると私の言葉は死んでしまう。
多分そういう事は一生考えてはいけない。
生きてゆく人間が理解してはいけない事だ。
婆様は死ぬ人間の目を見るなと言った。
でもどうしようもなかった。
………そういう人間の側にはコクシンがいる。
何か聞いた。何だコクシンて。
でも今はトイレに行きたい。どこだ。
ナースコールはどこだ。
コッ
?
もう一度、押した。
コッ
………音が近くなった。
何かで床を叩く音。
もう一度だけ押した。
ライトをゆらゆらとさせながら看護師がやってきた。
「お目覚めになりましたか。どこか傷みますか?」
「音が………コン?聞こえてきます」
「貴方は事故にあわれました。だから混乱されています。大丈夫、心配なさらず」
女性看護師は私の背中を優しく撫でてくれた。
「明日、医師からお話がありますから。MRI、分かりますかね?脳の検査もいたします。しかし緊急性はないようです。深呼吸しましょう」
私は息を整え女性看護師の顔を見た。
顔が昆虫だった。
「足の骨は折れていない様ですよ。酷い捻挫でしょうか。明日、医師がここに来ます。今夜はゆっくり休みましょう。何かあったらすぐナースコールをしてください」
昆虫は触覚を震わせ、ナースセンターへ戻っていった。
え?
すると聞こえる、ワシャワシャ、ワシャワシャ、何かを震わせる音が。
音色のない鈴虫の様な、捕まえたセミが逆らって鳴く様な音が。
ダメだ。ダメ。ここにいたら殺される?
ナースステーションまで這っていこう。
他の看護師もいるはずだ。
そうでなければ大声を出せばいい。
ここにいる事が一番危険だ。
身体中が痛い。とにかく廊下まで出る。
さっきのは幻覚だ。
頭を打ったから、挽肉を見たから、一時的におかしくなっているだけだ。
そう。そうだ。そうであって欲しい。そうであるべきだ。
………何度、感情を打ち消しても背後からはワシャワシャと聞こえる。
もし虫なのであれば数千匹はいる。
誰か助けて。
何かがいっぱいいる、音が襲ってくる、誰か。
突然、手の甲を杖が突いた。
「あんた、よく集まるなと思ったら。髪子(かみんこ)だったか」
顔は見れない。
身体中の毛が声の主に向かって逆だつ。
「これは美味しいなぁ。取り合いだよ。可哀想になぁ」
「誰か!!!助けて!!!」
看護師が走って来た。
私の背中を抱き上げライトで顔を照らした。
「屋白さん!分かりますか!?屋白さん!目、開けれますか!?」
怖かった。怖かった。
「大丈夫、大丈夫ですよ!目、開けれますか!?」
目の前にはメガネをかけた男性看護師がいた。
「すみません………混乱して………」
「明日は医師が来ますから。我々もナースステーションにいます。安心して」
男性看護師は私の身体を起こしてくれた。
背後にいた女性看護師の顔は虫ではなかった。
でも………可愛らしい娘だったが、男性看護師の後ろで突っ立ったまま、ニヤニヤとずっとこめかみの横で指を回していた。
(かみんこ だぁ)
つづく。