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C棟へと進むと大きな吹き抜けの休憩所があった。

我は上からそれを覗き込んだ。

薄暗い空間に非常口の緑がこぼれ、その先にはそれを覆い隠すように自動??販売機の白がぶち撒けられていた。

無機質で凍った空間、生のない空間。緑、白、赤。

 

その静寂を破るように、大きな物音が聞こえてきた。

 

 

キュルキュルキュル

 

 

老婆を乗せた担架を、二人の看護師が急いで押して行った。

 

 

老婆は胸をはだけ、何やら管が通っていた。

息をしているようには見えない。

 

 

今際の際か。

 

何故人間は自然に死ねないのだろうか。

病も事故も運命ではないのか。

過剰な延命は本当に意味があるのか。

 

 

子を失い命を絶つのも我。

罪の中生き続けるのも我。

我は他に任せたくはない。

 

 

………この部屋だ。

ここに屋白美香の姉、京香、そして父母がいるはず。

 

背後にいる屋白美香は何を考えているか知らぬが、本来の姿に戻った我の力を止めることはできない。

我は昆虫の体に戻り、部屋に押し入ろうとした。

 

 

が、その時、カマキリと化した我の腹の先を、屋白美香が握りしめた。

 

「………随分苦しかったでしょう。小さい頃知ったの。私が引き抜いてあげる」

 

屋白美香はそう言って我の体から何か糸状のものを引き抜いた。

 

引き抜かれたそのゼンマイのような生き物は地面に落ち、少しのたうった後、死んだ。

 

 

「ハリガネムシ。。昆虫の頭乗っ取って入水自殺させるんだってね??」

 

我は頭がガンガン、いやほわほわ?し、ふらつく?

 

「ほうら。頭がすっきりしたんじゃない?」

 

 

 

美香は我の首に抱きついて言う。

 

「ねえねえねえ。どんな気分?」

 

ぎぎ、我は頭に酸素が行った?のか?

 

「もうやめよ。私は家族を守りに来たんじゃない。貴方を止めるために来たの。貴方は本当は誰も殺したくない。一族の恨みなんて背負わないで。お子さんが亡くなったのに、貴方の心も亡くなってしまう」

 

ぎ、ここから逃げなければ。離れなければ。お腹がスカスカする。

 

「一緒に帰ろ?でもどうしてもどうしても、黒身達が納得しないのであれば、私をズタズタにして。禁を犯したのはあたし。痛くてもいい。あんまり痛いのはやだけど痛くてもいい。それがあたしの運命」

 

 

 

 

我は美香を振り解いて暗い廊下を走り始めた。

 

 

 

その入れ違いに、女の看護師がにたーっと笑いながらで部屋に駆け込んだ。

 

(わたしの かみんこぉ)

 

 

 

 

 

緑が海のようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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緊急搬送口と書いてある。

表玄関は閉まっていたが、ここは通り抜けられるだろう。

 

 

数十年、いや百年以上前。

我は一度病院に来たことがあるが、このような清潔で機械が沢山ある所ではなかった。

 

 

目の前の廊下を、青い服を着た若い男性看護師が横切った。

我はその男性看護師に後ろから抱きつき、接吻をした。

男性看護師はその場に崩れ落ちた。

我はしゅるりと身を震わせて、男性看護師に化けた。

 

 

………目の前にはいつの間にか屋白美香がいた。

 

 

「あれれれ?早苗!?何をしたの」

「………お前、駅に置いてきたはずだ。何故我より速くここにいるのだ」

「ん?駅からタクで来たよ」

「………こいつは眠らせた。朝には目を覚ます」

そう言って我は男性看護師を用具室に押し込めた。

 

そこへライトを照らした警備員が通りかかった。

 

 

「お疲れ様です、犬井看護師。………その方は?」

「本日の面会の方です。C練に忘れ物をしたらしいのです」

 

警備員は会釈をして搬送口へと戻って行った。

 

 

双方の者、離れていても分かる………。

 

 

下禍(げか、都会で野生化した黒身)の者は2匹。

我の存在に気づいているな。

 

髪長氏の一族は屋白美香を除いて3人。

一つどころに集まっている。

 

全員は殺めない。

母親か父親だ。

 

 

屋白美香は幼い頃、黒氏洞穴に入るという禁を犯している。

そして今、我の娘がその洞穴前で殺された。

 

われが髪長氏の一族を一人でも殺めないと、我ら黒身一族の者は納得しない。

 

 

黒身妖、母上様。貴方もそう思いになったのか。

貴方が人間と共に髪子の儀(かみんこのぎ)を作ったと言うのに。

 

 我らは教えられてきた。

 

………およそ700年前。室町幕府、足利将軍に敗れ黒氏盆地に逃げてきた武士一族、髪長氏(かみながうじ)。

そしてその長、髪長武香(かみながのぶこう)。

この者の浅はかな支配で、これまでに数え切れぬ人間と黒身が死んだ。

 

我らの盆地は美しく見えたか?

自分たちの思い通りにできると思ったか?

 

 

 

 

 

そこに絶望なぞ無いと、本当に思ったのか。

 

 

 



 

 屋白美香は我の後ろで鼻をズルズルとさせている。

………この女は何をするつもりだ?

 

 


つづく。



 

 

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怖かったろう。

痛かったろう。

寂しかったろう。

とても寒かったろう………。

 

髪長氏の一族が仲間を連れてくるまで、逃げようとしても、動こうとしても、どうにもならなかったのか。

その間、その間、我の名を呼んだか………。

 

………抱いてやれなかった。

 

我が娘。

ジュラニギャミチュ。

 

母はこのさき一生、罰を受ける。

 

赤黒く腐った空から、お前のすすり泣きが聞こえる。

この萎びた6本足が、どろりとした黒い地面に喰われる。

 

しかし我は沈まない。

死ぬ寸前のため息をつく。

いつか死ぬまでずっと。

 

 

 

頭の中で我が娘、ジュラニギャミチュがきしむ音がする。

 

きりきりきりきり

 

 

 

「どうしてお金を持ってるの?」

 

「………」

「100万はあるじゃん!」

「………。時折、若い雄が持って帰ってくる」

「へえ。どのぐらいあるの?」

「もう使えない貨幣もある」

「そっちは窓口販売だよ、新幹線も自動きっぷ売り場があるから。こっち」

「自動???」

 

 

 

きりきりきりきり

 

 

 

我らは獣の肉があれば生きていける。

そんなことは何百年も前から分かっているのに、我らは人間の絶望を食べる。

それが食欲ではなく復讐だと気付かず………。

 

我も復讐を重ねるのか。

ジュラニギャミチュ、我が娘ジュラニギャミチュ。

お前の仇をとっても、また黒身(こくしん)の子供が死んでゆくだけ。

我の罰を減らすために殺しても、また黒身の子供が死んでゆくだけ。

 

黒身妖(こくしんよう)………母上様。貴女も何故、我を止めなかった?

下禍(げか:都会で野生化した黒身)に接触するのは禁ではなかったのか。

 

 

 

頭の中でジュラニギャミチュがきしむ音がする。

 

きりきりきりきり

 

 

 

「早苗、コーヒー飲む?車内販売が来るよ」

 

「………」

「ねえねえ。黒身(こくしん)の服ってどうなっているの?」

「うるさい」

「ねえねえ。旦那さんはいるの?」

「喰った」

 

 

 

きりきりきりきり

 

 


我は誰のために何をするのだ?

 

 

 

 

 

………殺し合いが始まる。

 

 

 

 

 

つづく。

 


 

 

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月はその姿を隠していた。

どこにあるかも分からず時折、薄い雲が光を帯びるだけ。

そして鈴虫もカエルも1匹も泣かなかった。

 

 

あたしとヤスは黒氏盆地の入口にいた。

 

「久しぶりだね。ヤス」

「………。こんな形では会いたくなかった。でも、綺麗になったな。美香」

「まあ………プロポーズは取っといて」

「あの黒身(こくしん)も馬鹿じゃない。チーターになったって東京にいくには人間の交通機関の方が早い。多分、今頃は単線電車のホームで泣いているだろう。始発までまだ2時間はある」

「あたしは彼女と一緒に東京へ行く」

「………あいつがその気になったらお前なんて八つ裂きだぞ]

 

「………いいの。そうしたいの。駅まで送って」

 

 

ヘッドライトだけが照らす夜道はあの黒身(こくしん)の心の様だった。

目の前で我が子を殺された母親は………。

暗澹とし、どこにつながるか分からない道をずっと彷徨うのかな。

絶望は本来、彼らの餌らしいけど。

これ以上の絶望ってあるのかな。

 

 

暗い、暗い底なし沼へと沈み、もがき苦しみ、呼吸さえも諦めてしまう。

しかし終わらない。死ねない。諦めと後悔と怒りと悲しみが一度に降ってくる。

底なし沼の中で千本もの尖った雨が突き刺さる。

 

死ねず、殺されず、そうなった者しか分からない、本当は一生、必要のない感情。

 

何故かあたしはそれが分かった。

だからばっちゃんの跡継ぎには『最も不向き』なのだろう。

本当はその感情を持ってはいけないから。

 


単線電車の駅についた。

 

「美香。死ぬなよ」

「それは分からない」

「死ぬなよ」

「生きて帰ったら結婚してあげるよ」

「………どうかあいつの………黒身の母親の心を救ってやってくれ」

「分かってんじゃん。あたしと考えることが一緒だね。そら出世しないわ。じゃね」

 

 

無人駅のホームに出るとベンチで母親が座っていた。

あたしは近づいて隣に座った。

 

「今、死にたいか」

「………ううん」

「私はお前の家族を殺しに行くのだぞ」

「………分かってる」

「………ジュラニギャミチュの身体は暖かかったか?」

「それがお子さんの名前なんだね。あなたは何と呼んだらいいの?」

 

「もう馴れ合いか。お前は屋白京香の目の前でズタズタにする。それまでに名前が必要なのなら早苗(さなえ)と呼べ」

「人間の名があるの??」

「早苗は曽祖母にトドメをさしたお前らの先祖の名だ」

 

 

早苗は美しかった。

そりゃ、何にでも姿を変えれるから芸能人にもなれる。

でも………子を想う目なんだ。本当は復讐なんてしたくない。

でも………そうでもしないと一族が納得しないのだろう。

 

あたし達が子供を殺した。

そしてあたしには子がいない。

でも親が子供を失った目は………こういう目なんだと分かる。

 

 

長い長い沈黙の後、始発の電車が来た。

あたしは早苗の目の前の席に座った。

 

早苗が真っ暗な車窓を見ながら言った。

「家族を殺しに行く者と守りに行く者。おかしな旅だな」

「あたしは家族を守りに行くんじゃない。あなたを助けに行くの」

 

 

「ほざけ」

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

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薪の音と崖の上の黒身(こくしん)のすすり泣きだけが聞こえていた。

 

「わしはこれを最後の仕事にする。跡継ぎは気の強い京香が適役かと思っていたが………」

ばっちゃんは槍を持って黒身子供に近づき、目を一気に貫いた。

 

「さ………ごg……」

 

黒身の子は何かを呟き息絶えた。

ばっちゃんはすぐに槍を抜いた。

 

その時、黒身の親の側にあった大木が、人間の3倍はある大きなカマキリに変わった。

太地のじいさんが言った。

「ヤス。あれが黒身の親玉だ。名を黒身妖(こくしんよう)と言う」

黒身妖(こくしんよう)は横目に私達を眺め、何も言わず森に消えていった。

 

母親の黒身(こくしん)が言った。

「許さん………許さんぞ!古から我らを迫害し、子まで奪うのか!」

 

太地のじいさんが崖を見上げて言った。

「黒身よ。これはわしらとお前らとの約束だ」

「そこの女は禁を犯して黒氏洞穴へ入っておるぞ!一族はみんな分かっておる!」

皆、ざわついた。

 

あたしの事だ。

バレていたか。

でももう、ここで何を言ったってどうにもならない。

命がひとつ亡くなったのだから。

何を言ったって無駄だ。

 

あたしは子の亡骸の前に尻をつき、その硬い体を抱きしめた。

黒い血は手がヒリヒリとした。

 

崖の上の黒身は刃と羽を震わせて言った。

「おのれ髪長氏の一族め。どこまで我らを虐げる??許さんぞ。許さん。………女!我が娘の亡骸を抱くな!!お前達が殺したのだろうが!?抱くな!!」

 

あたしは涙がこぼれた。何だ?これは何をしている?何故憎しみ合う?何が約束だ?

それで子供が死ぬのか。あたしとあいちゃんは黒身のおっちゃんに助けてもらったのに。

 

崖の上の黒身は触覚を震わせた。

「………おい、女。お前の一家はシロバコを下界に持ち出しているな?………遠くにいても分かる………。都会の病院で我らの一族に憑かれているな?」

 

婆様が諦めた顔で言った。

「………そうじゃな」

「子を、家族を失う気持ちを知るがいい。悪魔の一族、髪長氏の一族め、思い知らせてやる。お前らの家族を引き裂いてやる」

母親の黒身は都会の洗練された女性に化けた。

 

あたしは体中、真っ黒になりながら子の頭をゆっくりと土へと離した。

「…………行くといい。でも、あたしも行く」

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

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黒身(こくしん)の子が震えるように触覚を動かしていた。

他の部分はもう動かすことが出来ない。

たくさんの槍(ヤリ)が身体を貫いていた。

 

あたしは思わず叫んだ。

「………?………? ちょっと!!ちょっと!!子供でしょ!?」

 

一際大きな身体をした………太地のじいちゃん??が言った。

「屋白のばあさん。ここは『林業組合』だ。なぜ孫がいる?」

「わしは年老いた。後はこの子に継がせる」

「そういうのは『林業組合』の会合で言ってくれないと………」

 

一歩下がった暗がりから元カレのヤスが出てきた。

「美香?美香か!?お前、何故ここにいる?」

「ヤス!?え、いや、連れてこられた」

 

「ジュラニギャミチュ、ジェグジェレ、ごめんね、ジュガリ………」

 

洞穴の崖の上にいる黒身(こくしん)。

上半身は人間に化けているけど………。

絶望の淵に見えた。

土に突っ伏してよく分からない言葉を繰り返していた。

この子の名だろう。

 

ばっちゃんは洞穴を指差して言った。

「美香。よく聞け。この黒氏盆地の人間と黒身は棲家を分けている。洞穴からこっち側が人間の土地、向こう側の森が黒身の土地。この子供の黒身は………。多分、崖の上から足を滑らしたのだろう。そして見回りに見つかってわしの所へ知らせがきた」

 

「………事故じゃん。帰らせればいいじゃん!大人がよってたかって虫だけど、カマキリ?だけど、どうしてここまでするの!?」

 

「もしわしらが黒身(こくしん)の森に入ったら八つ裂きにされる。同じようにわしらの平地に入った黒身は串刺しにされる。黒身が平地に入っていいのは年に一回だけ、シロバコの確認の時だけ。お互い様だ………」

 

「………でも血が………あんなに」

 

「美香。よく聞け。お前が納得せんのを分かって言う。太地のじじい、ヤスの一家の仕事はその名の通り『退治』。

 

そしてわしらの名字は『屋白』。昔、ここにあった社を任されていたからだ。だがわしらと黒身(こくしん)との約束の間に神を入れるのはおかしい。

 

だから社はなくなった。そして役立たずになったわしらの一家の仕事は………。境界線を破った黒身(こくしん)に『トドメ』をさすこと。皆が嫌がることだ………」

 

「………は?え?あたしにやらせるの?は?殺させるの?」

 

ヤスがうつむいたまま言った。

「美香。俺も太地一家の人間だ。爺の後を継がなきゃいけない。逃げ惑う黒身(こくしん)の子供を突き刺す気持ちも考えてくれ」

 

しばらくは薪のパチパチとなる音と、崖の上の黒身(こくしん)のすすり泣きしか聞こえなかった。

 

 

………なにコレ?

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

あたし、美香とばっちゃんは真夜中の山道を登った。

 

「ばっちゃん。黒氏洞穴に行くの?」

「そう、本当は頭巾をつけた人間しか登ってはいけない。お前は特別だ。………詳しくは後で話すが今、わしとお前以外の家族は、京香たちは、東京で野生の黒身(こくしん)共に囲まれている」

「ええっ。ちょ、どうするの!?」

「詳しくは後だ」

 

しばらくすると光が見えた。

 

覚えてる。

黒氏洞穴。

 

大人の背くらいの入り口。

奥は深くない。

赤い布を挟んだシロバコが天井まで積み重ねてある。

ゆらゆらと揺れるろうそく。

 

小学校の頃。遊び半分だった。

友達のあいちゃんと忍び込んだ。

バレたら叱られるどころの話じゃない。

何年も蔵に入れられると聞いていた。

 

で、出会ったんだ。

ろうそくを吹いて遊んでた時。

急に背筋が急に凍る気がした。

ろうそくの影がおかしくなった。

入り口に人間の大人ほどの黒いカマキリがいた。

 

「ぎ、ぎじ。ぎ。何故だ。今日は髪子(かみんこ)の約束の日だ。何故、子供がいる?」

 

カマキリ、黒身(こくしん)はあたしの前に来て片方の目を押し付けた。

あたしは息が止まりそうで、あいちゃんは大声で泣き叫ぼうとした。

「泣くな。ぎ、待ってろ」

黒身(こくしん)は触覚で、積み上げたシロバコを舐めるようにして首を振った。

「お前らの髪はある。もうここへは来るな」

あたし達はしばし気を失った。

 

で、今。

 

黒氏洞穴前の小さな平地に火が炊かれ、

頭巾をした爺さん婆さんが集まっていた。

爺さん婆さんっていっても農耕の人間。逞しい。

 

いや、でもそれより………槍(ヤリ)がたくさん…………………。

 

人間の子供程の大きさの黒身(こくしん)の身体を、沢山の槍が貫いていた。

その子は地面に顔をうずめ、小さなうめき声をあげていた。

もう殆ど動けなかった。

黒い血が溢れていた。

 

そして洞穴の上の森からは………。

上半身だけ人間に化けた黒身(こくしん)が泣き叫んでいた。

 

「お願いします!お願いします!その子は、その子は、まだ子供です!お願い!」

 

「ぎ、ぎぎ」

 

あたしは思わず叫んだ。

「…………?…………? ちょっと!!ちょっと!!子供でしょ!?」

 

 

 

つづく。

 

 





盆が終わった。

憂鬱だ。

 


なぜに大阪に転勤だ。

なんだこの暑苦しい街は。

 

でも髪子(かみんこ)をしなければならないから、お盆には丸1日かけて実家に帰る。


東京の京香姉ぇは何故帰って来ない?

やっぱり頭いいんだろうな。外資で昇進だってさ。

できない妹、美香はもう心折れてますハイ。

 

適齢期すぎる前に地元で結婚すっか。

お椀みたいな盆地でさ。


ヤスは林業やってるって言ってたな。

一度ヤッたな。高2の時か。

まあ、そんなとこか。

子供は好きだからそれなりの人生だろう。

 


退職。

ありがとうございました。

 

大阪の家財道具は全部売った。

服も地味なものだけ。

あの陰気臭い盆地にブランドものは要らない。

 

京香姉ぇに止められるから退職の事は誰にも言ってない。

体ひとつで帰っても広い家だし何とかなるでしょ。

 

地下鉄、新幹線、鈍行、バス、タクシー、徒歩………。

隣の国の首都行ったほうが早いんですけどっ!?

 

くったくた。田舎の夜は早い。もう家族は寝てるだろう………。

かける鍵もないしな。

 

と、思ったら玄関の引き戸が急に開いた。

ばっちゃんがいた。変な印の入った頭巾と槍??を持っていた。ヤリ??

あたしの顔を見てばっちゃんは、あたし以上に驚いていた。

 

「なんだ、お前、美香、ここで何をしている??」

「え?え?大阪捨てて帰ってきたよ」

ばっちゃんは片手で顔を抑えた。

 

「誰もいないから油断しとった。………頭巾、見たよな?」

「え?いやいや、それより槍」 


「………ほんっとにお前は馬鹿よの。………これは黒身(こくしん)を退ける印だ」

「………カマキリ」

「誰もお前ら姉妹に教えていないのに。なぜお前は知っている?」

 

「子供の頃、友達と黒氏洞穴に忍び込んだ時に見た。怒られると思って誰にも言わなかった」

「………そいつはシロバコの髪を数えていたか?」

「触覚をシュルシュルって。『お前らの髪はある』って言われた。何もされなかった」

 

ばっちゃんは額に手を当て深い溜め息をついた。

「最も不向きなお前にわしの後を継がせることになるとは………」






つづく。

 

 

夜。

 

黒身(こくしん)はその尖った歯と刃を鈍く光らす。

狩りの時間だ。

 

母さんは失明するかもしれない大怪我。

私は母さんを自分の個室に入れてもらった。

例の医師はニヤニヤと、

 

「ご家族一緒のほうが心強いでしょう」

 

何を言ってる。一度に襲いやすいだけだろうが。

私は母さんとベッドを近づけた。

 

「何故ずっと黙っているの?」

「母さんは絶望なんてしない」

「………うん」

「京香はどうして私らの名字が屋白か分かる?」

「分からない」

 

「私らの先祖は黒氏洞穴の側に社を建てる一家だった。でも今や社は無いし私達の名も当て字になった」

「黒身(こくしん)に対抗したの?」

「そうだろうね。だから私らは門だ。年に一度のシロバコの確認以外、黒身(こくしん)を黒氏洞穴、黒氏町には入れない」

 

シュー………

 

スライド式のドアが開く音と床を照らすライト。

カーテンに女性の影が映った。

 

「屋白さん。お声が聞こえますよ。もう休みましょうね」

「………うるさいよカマキリ!」

 

私はつい大声を出してしまった。

 

「あらあら…………。どうしたのです?私どもがMRIの結果を偽っているかも知れないと?脳に重大なダメージを受けていることを隠しているとでも?

 

お母様の目はもう完全に見えなくなっているのに、私どもがまだ見えるかもしれないと、陰で嘲笑っているとでも?ひどいなぁ………あら先生」

 

『医師』の影が現れた。

 

「もう目は見えませんよ。介護が必要な年齢までもうすぐだと言うのに。どうやって盲人を介護するのでしょうね。黒氏町には大きな病院、介護者施設は無いですしね」

カーテンに映る『医師』の影は『幼い女の子』に変わった。

 

「先生、言い過ぎです。もう少し遊びましょう」

『女性』の影は『杖をついた老人』に変わった。

 

幼い女の子の影が話した。

「角膜はもうダメ!二度と家族の顔は見れないよぅ」

 

杖をついた老人の影が話した。

「ふはは、先生、この仕事しか生きがいのない娘さんはとてもお強い。いじりがいがあって仕方がない」

 

「あははぁ。あたしはここではお医者さんなんだから、あなたも看護師さんらしくしてね」

 

「はは、先生、どうしましょう?」

 

「屋白京香ちゃん。あたしは明日、あなたをころすの。電車の事故を見て頭がおかしくなっちゃったーでいいでしょ。車椅子みたいに落としてあげる。

 

ここはお姉ちゃんが家族だけの部屋にしてくれって言ったよね。あは。そしてそのお母さんは目が見えない。やりたい放題だよね。バカかよ。あひゃひゃ。

 

ここは○階だよ?落ちたら即死だよ?あはぁ自死と盲目。残された家族は絶望の淵に落ちまーす」

 

「はぃは、先生、少しずつ食べ物が滲み出てきました。おいしい、おいしい」

 

2人の影は大きなカマキリへと変わった。

 

そこへ突然、バタバタと足跡が響いてきた。

 

「あっ。………あー来た来たよぅ」

「………来ましたねぇ」

 

男性看護師の慌てた声が聞こえた。

「ちょ、ちょっと。面会は終わってます、ちょっと、まず医師に………」

 

父親が部屋に駆け込んできた。

「千佳!京香!大丈夫か!!」

そして荒々しくカーテンを取っ払った。

「千佳!千佳!分かるか!俺だ!」

 

 

(………集まる。集まる。この家族の芯はギブスの女の京香だ。まずあいつを壊す。おいしい。おいしい。みんな一生に一度しかしない顔を見せておくれ。ひゃぁ)

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

母さんはベッド脇に座って深呼吸をし、バッグからシロバコを取り出した。

 

「お母さん………車で来たの?」

「昨日の夜から8時間かかった。早くしないと間に合わなくなる。昨日から恐ろしいモノをたくさん見たでしょう?」

 

「………うん」

「あいつらは黒身(こくしん)と言う」

「こくしん?」

 

「人間の大きさの黒いカマキリ。何にでも姿を変えられる。多くは昼間、普通の人間として暮らしている。


だけど標的の人間を見つけると、色んな幻覚を見せて酷い状況を作り出し………絶望させてその『感情』を喰らう。喰われた人間は多くの場合、自ら命を断つ」

 

母さんは私の毛を1本抜いてシロバコに収め、上を向いて大きく鼻をすすった。

 

「私達の住む黒氏盆地の森はあいつらの根城なの。だから私らは毎年の盆、あいつらから逃れるため、黒氏洞穴に自分の髪の毛を収めたシロバコを置く。


この行為をした者を髪子(かみんこ)と言うの。黒身に対して『この人に手を出してはいけませんよ』というご先祖様を通したメッセージなの」

 

「………シロバコ、洞穴から出してきて大丈夫なの?」

 

「分からない。でも京香は本来、黒身が手を出せない黒氏町の出身。だから髪子(かみんこ)を行っていない京香は、あいつらにとって絶好の獲物なの。普段、食べたくても食べれないモノだから」

 

「そんな話、初めて聞いた」

 

「母さんも全ては知らない。でも母さんが知っていることは、京香が家庭を持ってから話そうと思ってた。他にも色々伝えたいところだけど、母さんは一刻も早く黒氏洞穴にシロバコを納めに行かないと」

 

「………夜勤の看護師とさっきの医師は多分、人間じゃないよ」

 

「母さんもさっきの医師は黒身(こくしん)だとすぐに分かった。何故かは分からないけれど。でもあいつらは物理的には人間を殺さない。


死なない範囲で、落胆と恐怖と、そして絶望を煽るだけ。それがあいつらの食べ物だから。今は京香に頑張ってとしか言えない。母さんも頑張るから」

 

母さんは私の髪が入ったシロバコを持って出ていった。

 

しかし駐車場の車に乗り込んだ瞬間、上から車椅子が落ちてきたらしい。

母さんは失明するかもしれない大怪我を負った。

 

すぐに駆けつけたのは『あの医師』だった。

 

そして警察がいくら調べても、どうやって病院の上から車椅子が落ちてきたのか分からなかった。

 

 

 

夜が来る。

 

 

 

 

(つづく)