月はその姿を隠していた。
どこにあるかも分からず時折、薄い雲が光を帯びるだけ。
そして鈴虫もカエルも1匹も泣かなかった。
あたしとヤスは黒氏盆地の入口にいた。
「久しぶりだね。ヤス」
「………。こんな形では会いたくなかった。でも、綺麗になったな。美香」
「まあ………プロポーズは取っといて」
「あの黒身(こくしん)も馬鹿じゃない。チーターになったって東京にいくには人間の交通機関の方が早い。多分、今頃は単線電車のホームで泣いているだろう。始発までまだ2時間はある」
「あたしは彼女と一緒に東京へ行く」
「………あいつがその気になったらお前なんて八つ裂きだぞ]
「………いいの。そうしたいの。駅まで送って」
ヘッドライトだけが照らす夜道はあの黒身(こくしん)の心の様だった。
目の前で我が子を殺された母親は………。
暗澹とし、どこにつながるか分からない道をずっと彷徨うのかな。
絶望は本来、彼らの餌らしいけど。
これ以上の絶望ってあるのかな。
暗い、暗い底なし沼へと沈み、もがき苦しみ、呼吸さえも諦めてしまう。
しかし終わらない。死ねない。諦めと後悔と怒りと悲しみが一度に降ってくる。
底なし沼の中で千本もの尖った雨が突き刺さる。
死ねず、殺されず、そうなった者しか分からない、本当は一生、必要のない感情。
何故かあたしはそれが分かった。
だからばっちゃんの跡継ぎには『最も不向き』なのだろう。
本当はその感情を持ってはいけないから。
単線電車の駅についた。
「美香。死ぬなよ」
「それは分からない」
「死ぬなよ」
「生きて帰ったら結婚してあげるよ」
「………どうかあいつの………黒身の母親の心を救ってやってくれ」
「分かってんじゃん。あたしと考えることが一緒だね。そら出世しないわ。じゃね」
無人駅のホームに出るとベンチで母親が座っていた。
あたしは近づいて隣に座った。
「今、死にたいか」
「………ううん」
「私はお前の家族を殺しに行くのだぞ」
「………分かってる」
「………ジュラニギャミチュの身体は暖かかったか?」
「それがお子さんの名前なんだね。あなたは何と呼んだらいいの?」
「もう馴れ合いか。お前は屋白京香の目の前でズタズタにする。それまでに名前が必要なのなら早苗(さなえ)と呼べ」
「人間の名があるの??」
「早苗は曽祖母にトドメをさしたお前らの先祖の名だ」
早苗は美しかった。
そりゃ、何にでも姿を変えれるから芸能人にもなれる。
でも………子を想う目なんだ。本当は復讐なんてしたくない。
でも………そうでもしないと一族が納得しないのだろう。
あたし達が子供を殺した。
そしてあたしには子がいない。
でも親が子供を失った目は………こういう目なんだと分かる。
長い長い沈黙の後、始発の電車が来た。
あたしは早苗の目の前の席に座った。
早苗が真っ暗な車窓を見ながら言った。
「家族を殺しに行く者と守りに行く者。おかしな旅だな」
「あたしは家族を守りに行くんじゃない。あなたを助けに行くの」
「ほざけ」
つづく。