こんにちは5児のエンジニアパパA5です。
今回は【ハイハイのすごさ】
~文明は45㎝に宿る~
について話します。
【結論】
赤ちゃんは安全で安定した床で
上体を起こしハイハイをすることで、
両目から手をつく床までの距離の
『視覚の収束』を会得する。
その両目から手までの
45㎝に集中できるようになることが、
様々な脳の領域の進化をもたらすのである。
【本文】
生命は海を母とし、
文明は床を母とする。
by A5
↑こちらの記事で、
赤ちゃんの集中力を高め、
知能を効率良く伸ばすには、
『ハイハイ』が重要であると話しました。
このハイハイが出来るようになる事と
『視覚の収束』を会得し、手元を
集中して視るられるようになる事の間には
密接な関係があります。
アマゾンの奥地で
生後間もない頃に地面でハイハイを
する機会を与えられないまま(危険なので)
成長するシング―族の赤ちゃんは
親におんぶされて乳幼児期を過ごす為、
親と同じ目線で視覚を収束します。
つまり、
遠くのものを見る能力が優れて育つのです。
視覚を調整して
15m先の物体に目の焦点を合わせられるのです。
これは、
両目の間隔6㎝を底辺とし、
対象までの15mを高さとする視覚の三角形
を作って、獲物をしとめる能力です。
しかし、
シング―族は近距離に対する視覚が
発達しておらず文字をもちません。
両目の間隔6㎝を底辺とし、
手元までの45㎝を高さとする
視覚の三角形を作る能力が無いのです。
近くを見る能力は
ハイハイによって促進されます。
ハイハイこそが、
目から手元までの距離に
視覚を収束させる能力なのです。
この目から手元までの距離45㎝は、
目から机までの距離であり、
私たちにとって
本を読む時の距離であり、
物を書く時の距離であり、
絵を描く時の距離であり、
楽譜を書くまでの距離であり、
彫刻をするときの距離なのです。
つまり
人間の文明は45㎝に宿る。
と言えるのです。
安全な床を持たない原始社会では
ハイハイが行われず、
その結果至近距離を見る視覚が
全くと言っていいほど育たなかったため
書き言葉も持たず、文明も進みませんでした。
極寒の地に住むエスキモーの赤ちゃんは
毛皮にくるまれて母親におんぶされ
3歳近くまでハイハイの機会を与えられません。
これはわかっているだけで
3000年近くエスキモーの文化が変化していない
点を考え合わせると、
乳幼児期を床で過ごす事の重要性がわかります。
エスキモーは書き言葉を全く持たず、
話し言葉も極めて未熟です。
読む材料が無い、あるいは読む内容が無いと
必然的に無教育の状態になります。
そして、それは知能の発達に
致命的な影響を与えうるのです。
床を持たない文化は、
床を持つ文化に対して、
その未開性を否定できないでしょう。
高度な建築技術を産んだ
エジプトの床、
哲学と神話を産んだ
ギリシャの床、
脳の外科手術を産んだ
インカの床
どれも今なお残っています。
日本においても『床を持つ事』で
文化が開けています。
石の床を持たない日本は
竪穴式住居のころは未開でしたが、
大陸から稲作が伝わり、
米を貯蔵する為に
木製の高床式倉をつくり、
板間の床を持つ住居に住むようになってから
飛鳥文化が始まっています。
当時の日本の文化は
中国からの輸入でしたが、
床を持つことで『文字の読み書きする環境』が整ったことで、
文化が開く準備ができたと言えるでしょう。
3000年前のエジプト
2000年前のギリシャ、インカ
1000年前の日本
これらの時代に生きた人達は
文化を生み出し、
美しい芸術を生み出しました。
かたや、
床を持たない原住民の文化は
単純なものでしかありません。
このように、
ハイハイの機会を与えられないと、
脳の様々な領域に致命的な影響が出ます。
『視覚の収束』がその代表的なものです。
教育が体系化している現代においては
ある程度の年齢になれば
決められた内容の教育を受けられるので、
インプットの質は平等と言えますが、
乳幼児期にハイハイの機会を
十分に与えられたかどうかによって
脳の原始的な素質の部分において
その後何年かけても追いつけない
決定的な差がつくという事を、
知っておくべきなのです。
これは長い人間の文明の歴史が
証明しているのですから。
【結論】
赤ちゃんは安全で安定した床で
上体を起こしハイハイをすることで、
両目から手をつく床までの距離の
『視覚の収束』を会得する。
その両目から手までの
45㎝に集中できるようになることが、
様々な脳の領域の進化をもたらすのである。
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