無駄に怖がらないで一緒に瞑想しようぜ
2月13日に大きな地震がありましたよね。福島沖でM7,震度6、山梨では大体震度4~3でした。揺れ始めて早々に「災害大月」っていう公共のアナウンスが割れた音声で「地震が発生しました・落ち着いて行動しましょう」とかすっごい意味のない空虚なアナウンスを流していたんですがたかが震度4で???悪いけど、震度4や3で「落ち着いて」とかいうのって関東人としてはモグリだから。生え抜きの関東人なら震度4までは「まぁ大きいな」5で「ドアと窓開けるか」6で「あれ?大きいかな」だから。それを早々に震度4くらいでアナウンスして大げさに騒ぐことの方が何か変な誘導を感じるよ。さぁ、怖がれ、怖がれ!!って。変な反応なのかもしれないけれど、今回の地震で山梨震度4の私の感覚は「凄い安心感」だったの。ああ、小出しにしてくれているな、とかやってくれてるな、みたいな。「全托」っていうか。まぁ変なのかもしれないんだけれど、本当にそう思っちゃったのよね。これ↓のせいかな。だから次の日FBなんかでみんなが「怖かった~!」とか次の地震を心配しているのがなかなか違和感あった。ただ東北の方・福島近辺の方は原発のこともあるからやっぱり怖かったし心配だったと思う。それは本当に、そう思うのが自然。地震対策はしっかり見直そう。避難グッズはまた点検し直して、入れ替えよう。避難場所や連絡方法の再チェック。これらをしたら、あとはもう無駄に怖がってもどうにもならないよ。無駄に怖がっても、マジに無駄。やれる備えをやった後は、「その時」が来た時にうろたえないで丹田に力を入れて口角を上げていよいよかな、と思ったら超ニッコリして今の人生に感謝して死ぬ。私は自分で自分の前世を観るようなワークをしていた時に「修行の途中で死んじゃった修行者」の過去生をたくさん見たことがありました。修行途中で死んじゃったから、やっぱり執着があって成仏できていないんだよね。その人たちをどうしたら笑顔にできるか?過去生を観ながら考えた。で、色々試してみて結局のところ「今際の際にニッコリ笑ってこときれる」でいいんだと解った。補陀落渡海の途中で沈んじゃった人とか有難いお経を持って帰る途中で行き倒れちゃってる人ととか見たんだけれどそういう人達とは対照的に行き倒れてるけれど成仏してるっていう人も観たのです。その違いは何??と観ていたらどうも、今際の際に「無念!」「こんなはずでは!!」という執着の念でなくて「儂、ここまでだけどこれでよくやった!」っていう手放し感、全托の気持ちを持つかどうかの違いだった。だからさ・私達には備えられることも備えても防げないこともあるけれど最終的に、いよいよの時には「これでここまで!自分よくやった!!」とか「もうここまでだけどこれが天の采配!!ありがとうこの人生!!」みたいに意地でも思えばそれで成仏はできるみたいだったよ。今際の際にはとにかくニッコリ笑ってやるぞ!!!ってこれだけは心に決めて、どんな状況の最後が訪れたとしても忘れない、って決めたらそして生きているときにも一点そのことに向かって生きようと思えばそんな、そこまで何もかも怖がることはないんじゃないかと思うよ。コロナも地震も経済破綻もね。具体的にはどうしたらいい?っていうのはシンプルですが瞑想を日々ちょっとでいいからするのがいいと思う。瞑想をすると自分の感情と「自分」が離れるからね。瞑想する元気もない人いますか?吉濱ツトムさんのこの動画、良いですよ。私は全然やる気がしないときでもとにかくこれを流してこの動画と一緒に瞑想します。7分ぐらいの瞑想だけれど、良い感じです。短いのも、もしかしたらいいのかもしれない。自分の集中度によっていろいろ聞こえる音が違うのも面白いんだよ、これ。瞑想する元気のない人は「これを流しているだけでもいいし、見ていなくてもいい」とまで言ってくれているのはこの方の本当に優しいところですね。