前記事に関連しての昔話。
私はかつては恋愛依存症のような傾向があって
前記事で夢に出てきた彼と付き合う前にも常にいつもボーイフレンドをキープしているような状態で、
(まぁ今私を知っている人はみんな信じないだろうが、私は恋愛ハンターでだいたい狙った獲物は逃さない傾向にありました。陥とせる獲物しか狩らないからかもしれませんが。)
でも自分ばかりが好きでたまらない関係でこじれてしまったり
逆に相手ばかりが私のことを好きで気持ちが悪くなって別れたり
うまくいかない関係が続いていました。
この彼は長く気持ちの良い友人だったのに、
私が呪いにかかったみたいに急にその彼のことが好きになってしまって付き合い始めて
結局私の方ばかりが好きで空回りするような結果になって別れたわけです。
それで私は私のパートナーシップの作り方は変だ、対等な人間関係を築けていない、と気がついた。
うまく人を愛したり、愛を受け取れない。
人との距離の取り方もよくわからない。
結局私は自己愛とか自己受容感、自己肯定感がとても低くて、そこが全ての原因であるということに気がついたわけです。
このままの自分で
自分の欠けた空洞みたいなものを埋めてもらいたいがために他人を求めていても何にもならない、
いつも同じことの繰り返しになる。
私が私をきちんと愛してあげられなければ、他人を私が愛することなんてもっとできるわけがない。
まず私自身を自分の中を愛で満たして、その満たされた愛がコップのフチから流れ出るように周りに浸透していく、
これが愛することの基本であるのに
私にはそれが出来ない。
だからまさに
ボーイフレンドを作るのに「獲物を狩る」というような表現が使える。
そんな人間関係の作り方をしていたら、
それは自分という素晴らしい器が愛でいっぱいに満ちて、それが愛で満ち満ちてその美しいカップから思わず溢れでるように周りに愛を注ぐ、
なんていう愛し方はできるわけがありません。
そしてその繰り返しから「出る」決意をしました。
その活動の一環として、公開処刑のように自分育ての有様をリアルに一般公開するブログを始めました。
それが今でも時々「前世のブログ」として話題に出す前ブログ。
(敢えてリンクは貼らないです、悪いねぇ)
私は10年かけて自分の色々なトラウマや、欠けた部分、自分を許すこと・自分を認めること・自分を愛することを学んで積み上げてきました。
初期の頃はシータヒーリングに行ったり
ワークブックをやったり
毎日アファメーションをしたり
初心者なりにそれは一生懸命いろんなことをしてきました。
本を読んだり運動したり瞑想をしたり
精神関係のブログをたくさん読んだり
たまには講演会に行ったりすることによって
だいぶ自己受容や自己肯定感は上がっていきました。
そして私はいま、自分という器に愛がかなりたくさん入っている、
私の心臓は愛のエネルギーで満ち溢れている人になっていることが体感でわかります。
一番私が変わったのはやはり母が倒れてからの1年の経験です。
あの1年で私は自分のハートが愛のエネルギーをたくさん出せる人間になったということが体感で分かるようになりました。
(出すことを遠慮しなくなった、っていうかな)
その辺りは母が倒れる前にセッションを受けたことのある霊能者の先生に母が倒れて全て落ち着いた後にもう1回セッションを行って頂いた時に
その先生に心臓から強い愛のエネルギーが溢れていて素晴らしいです、というお墨付きの言葉も頂いたので客観的にも観測して頂いております。
もちろん、今の私が天使のような善人だ、という話ではなくて
やっと人並みに人を愛するエネルギーというものが出せる、
人を愛すること・自分を愛することができるようになったというだけの話です。
ちょっと誤解のないように。
話戻って前記事の彼は
私がちゃんと自分に向き合う、
自己愛、自己評価を高めていくための心の勉強を始める正にきっかけとなった人です。
彼との別れ方は非常に嫌なものでしたけれども
彼と別れなければ私は心の勉強をしたりスピリチュアルに興味を真剣には持たなかったかもしれない。
何度も書いたけれど、今から思うとなんであんなに好きになっちゃったのか本当に分からないんですよ。
本当に呪いにでもかかったみたいな感じ。
そういえば付き合うきっかけになったのも彼と名乗る人からの「幻の直電告白」というミステリーだった。
やっぱり
もうハイヤーセルフのはからいというか、
お前、男女関係に自分の心の救いを持ってたらろくなことにならないぞ、という
ダメ出しみたいなものをもらったような天の采配を感じます。
まぁだから酷い別れ方をしたわけですが、
感謝してるし
人生において大切な登場人物でした。
今も東京で元気に暮らしていることでしょう。
なにげに素敵なモーニングでも。
彼とはずいぶん一緒にモーニング食べたな。

