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One of 泡沫書評ブログ

世の中にいったいいくつの書評ブログがあるのでしょうか。
すでに多くの方が書いているにもかかわらず、なぜ書評を続けるのか。
それは、クダラナイ内容でも、自分の言葉で書くことに意味があると思うからです。

「なんでだろう」から仕事は始まる!/小倉 昌男

¥1,365
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先日、極東ブログの書評を読んで『小倉昌男 経営学』を読んでしまった、というエントリをあげたが、あれ以来、小倉昌男さんが気になってしかたがない。色々みていると、またしてもfinalventのおじさんが気になる書評を上げているではないか。早速アマゾンに行ってみるも、在庫がない。マーケットプレイスで買ったら38円だった。なんということであろうか。こんなにいい本なのに、適正なプライスがつけられていない(まあ安く手に入るに越したことはないのだが)。

さて、内容であるが、正直なところfinalvent氏よりうまい書評を書く自信はまったくない。というか、あの書評に影響されて手に取っているわけだからどうしても影響を受けてしまう。そんな詮ない弁明はさておき、finalvent氏は「不思議な人だ」と評しているが、たしかに日本を代表する大企業のトップとしてはかなり不思議な部類に入ると思う。こういう浮世離れした感覚は、どちらかというと「世捨て人」的な感覚であって、こう、仕事一筋です、みたいな人生を送ってきた(と思われる)人が、なんでこんなことを言うのだろうと思うところはある。今まで社会的なところに一切タッチしたことのない世間知らずの学者が、年を取って人生を総括するときに何か「綺麗事」を言っているようにも読めなくもない。これが宅急便を創始した人の言葉でなければ、「何言ってんだ、この爺」となってもおかしくないだろう。それくらい、ちょっと「ほんとにこんなことでいいのか?」と思ってしまうような純粋なことばかり書いてある。

日々の些事にばかりとらわれていると、だんだん本質的なところから遊離してしまうというのは我々のようなサラリーマンでもよくあることだ。日々のルーチンを漫然とこなしているだけになると、だんだんとモチベーションが下がってきて、ただ日々の糧を得るためだけの冴えない作業の連続になってしまう。

これに上司や経営者のビジョンのなさが加わると、もう最悪である。組織はただ日々のルーチンを回転させるためだけに存在するレームダックと成り果てる。そう言ってもそこそこの規模以上の日本企業は、だいたい過去数十年に蓄積した有形無形の資産があるし、それなりの既得権もできあがっており、従業員も割合優秀だったりするために、なかなか潰れずだらだらと延命されてしまう。しかし、そこにはプリミティブな「やりがい」とか「使命感」のようなものはない。そこで働く人たちは色々な理屈をつけながらも、ただひたすら前例を踏襲し、自分だけは怪我しないように、という事なかれ主義の隘路にはまってしまうのが、現在の日本の産業界における課題なのだろう。


最近わたしが小倉氏に惹かれているのは、こういった社会全体の閉塞的な感覚を吹き飛ばす若気の至りのような、いわば一種の純粋さに感動を覚えているからだろう。こんな純粋な気持ちで仕事に向き合って良かったんだ、という感覚である。すぐに「そんなことじゃ仕事は回らないよ」という声が聞こえてきそうだが、こちらには宅急便の創始者がついているんだと思えば心強い。そう思うと、これは仕事にやりがいを見出せなくなった中堅社員、いわゆる「ミドル」に向けた「セラピー本」なのかもしれない。(わたし自身がミドルなのかどうかは措いといて)


それにしてもわたしは著者のことを亡くなるまで存じ上げなかったのが悔やまれる。そういえば、単なる気のせいかもしれないが、著作に感銘を受けたときには既に著者が故人となっているということが多くなってきた気がする。年を取るのは嫌なものである。


<追記>レームダックというのは、死に体の「政治家」に対して使われる呼称であり、一般論としての「死に体」という意味では使わないようです。
海外ニートさんがブログを閉鎖されたらしい。詳しいことは調べていないが(調べる気にもならないが)、伝え聞くところによると、個人情報をつきとめられ、2chかどこかで脅されたということである。本来であれば裏取りしてから書くべき話かもしれないが、おそらくこれは事実であろう。かつて何度も似たような事件があったからである。

海外ニート氏は28歳までパチプロなどをしてだらだらと過ごす、いわゆる「ニート」であったらしいが、オーストラリアにステイしたときにその自由さに感動し、一念発起して英語を学びつつ、そのまま海外へ移住してしまったという方である。日本の閉鎖的な空気に耐えきれず、この国で普通の生活を送ることは諦めていたと語っていたが、そのネガティブな動機がポジティブな行動につながっていったわけだ。ドロップアウト組のヒーローといえよう。もちろん、「世捨て人」を尊敬するわたしにとってもかれは「ヒーロー」であった。わたし自身、かれのブログには大きな影響を受け、いかに自分が有害な「社畜」になっていたのか蒙を啓かされたものである。わたしにとっても思い入れの深い方である。今回の事件は非常に残念であった。

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海外ニートさんの主張は明解だ。まとめると、要するにこういうことであろう:


「体育会系的な暴力文化のもとで、理不尽な労働環境で長時間労働に価値を見出し、それでも低い生産性しか実現できない日本社会、日本企業は間違っている。それはただの社畜だ。もっと多様性を尊重し、人間らしい生活ができるように意識を改革すべきである。結局のところ仕事などたいして重要ではなく、もっとも大切にすべきなのは自分自身の健康であり、家族なのだ。社畜は知らず知らずのうちに多様性を排し、社畜を拡大再生産しようとしている。この不幸の連鎖を立ちきり、人間らしい働き方を取り戻そう」


現在、このような価値観は若い人を中心に大きな支持を集めている。これは間違いなく海外ニートさんのブログの影響力によるものだろう。かれはあたらしい価値観をもつ若者にとってのオピニオンリーダーであった。ネット上では、多くの元社畜がこの不幸の連鎖を終わらせようと奮闘しているのをよくみかける。わたし自身、どちらかというと社畜的な働き方をしているが、心情的には海外ニートさんの主張に心から賛成している。成果を問わず、単なる前例踏襲主義としての長時間労働はたしかに「クソ」だ。さっさと帰りつつ、成果を挙げる方がよっぽどマシだと思っている。

しかし、もっと大きな社会システムとして考えるとどうだろうか。かれの個人的な価値観がマクロに成り立つかどうかは疑問に思っている。もう少し歴史的な経緯を踏まえ、わが国における労働観に即したwork ethicを考えないと大きな誤解を招くだけではないかと危惧している。

このあたりは難しいが、頑張ってもう少し具体的に書いてみよう。かれの考え方は素晴らしいと思うし、個人の働き方としては諸手を挙げて賛同するが、もう少し視野を広げて、日本企業の労働観とマクロに寄り添うためには、少々ひねりが足りないと考えている。こうした豊かな働きかたを実現するには、前提として高い生産性が担保されていなければならないからだ。かれは海外にその解答を求め、実際に手に入れた訳だが、日本においてはおそらく一足飛びには実現できないであろう。皆が海外ニートさんのような働きかたをすれば、日本は単に労働生産性の低い、どうしようもない国家になってしまうのではないか? この高い生産性を維持できるであろうか? わたしはこの点についての解答をもっていない。したがって、心情的には共感しつつも、制度として取り入れるにはもう少し考えなければならないと思っている。

だが、仮にわたしの主張が正しいとしても、これまでの一方的な社畜文化に一石を投じ、多くの元社畜に希望を与えた海外ニートさんの評価が変わるものではない。

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一般に日本企業はゲマインシャフトであるといわれる。これは山本七平氏のことばを借りれば、企業とは機能集団ではなくひとつの共同体であるということだろう。共同体では、契約によって労働力を提供しその対価を金銭で支払うというような、いわば英米的な企業体としての機能は副次的なものであり、まずは共同体の一員としてどのようにふるまうか、という倫理が期待されるわけである。そこで空気を読まず、ルールにしたがわない反社畜はもはや理屈ではない。排除(村八分)すべき異物に過ぎないわけである。

こうした文脈で海外ニートさんの問題をとらえるとよくわかる。共同体の一員は、かれのような危険思想を持った人間はなんとしてでも排除しなければならない。捨ててはおけない。しかし、追放しようにももはや国から居なくなってしまっているので何ともしようがないわけだ。言論で勝負しようにも、そもそもこれは価値観の問題であるので、宗教戦争のような体を帯びてくる。互いの神を懸けて争っているのだが、一方はじつに享楽的な考えであり、社畜側からすると許すべからざる存在である。放っておけば多くの同志が感化され、競争力が失われてしまう(と社畜側は信じている)。ではどうすればよいか。どんな手を使ってでも、言論を封殺するしかないではないか。

これが、個人情報を収集してまで海外ニートさんを潰そうとした動機であったと、わたしは考えるのである。

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わたし自身、社畜的な働きをしている一方、社畜的な生き方を否定しているので、このあたりのアンビバレントな感情はなんとなくわかる気がする。皆、自分がおかれている立場を超然として批判されるのは耐えられないものだ。だがそうだとしても、こうした禁じ手による言論封殺は許されるものではない。自分と異なる考え方の人とも、あくまで議論によってたたかうという大原則を守れない人は巡り巡って多くのものを失うであろう。「異論に耐える」これこそが、わが国が成熟するために最初に必要なリテラシではないだろうか。

いつの日にか、海外ニートさんがブログを再開してくれることを切に願うものである。
累犯障害者 (新潮文庫)/山本 譲司

¥500
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ちきりんさんが夏休みの読書として紹介していたもの。そのとき過去の書評にもリンクが貼られており、非常に興味深い書評だったためすぐに書店に出向き買い求めてみた。

一読して衝撃を受けた。たしかにここにはすごい世界が書かれてある。これは久々の「広く読まれるべき本」であろう。この手の話題は、文字通り読書以外の手段では知り得ないのではないか(マスメディアや行政はこうした難しい問題には及び腰になりがちだ)。著者の山本譲司氏は議員秘書時代に詐欺容疑によって実刑判決を受け、収監されている間にこの問題に気づいたという。ちきりんさんも言うように、人生は何がきっかけになるか本当にわからないものだ。

個人的に蒙を啓かされたのは、聴覚障害者の世界観のくだりである。我々聴者はものを考えるときに言語をもって考える(頭の中でしゃべる)が、元来耳の聞こえない聾唖者はそうではないはずだ。そうすると、文字を読むときのアプローチも自ずと異なり、何かを考えたりするときの脳の働き方も、聴者のそれとは違うかもしれない。そうした差異によって生じる世界観の違いがあるということに、わたしは本書を読んではじめて気づいた。これはひとつの例に過ぎないが、おそらく多くの読者にとっても目から鱗であろう。これを読むと、健常なる方は、「普通の生活を営んでいる」という事実に罪悪感を感じ、こうした書評を書くこと自体に偽善を感じるかもしれない(わたしは、本書読了後もなんら福祉に関する活動をしようと思っていないし、現に何もしていない)。それでも、本書が広く読まれることだけは期待したい。単に知識として得るだけでも、知らないよりはマシだと思うからだ。

本書は2006年に単行本が上梓されたようだが、本文からはその時点での日本における福祉行政の難しさがにじみ出ており、著者の苛立ちも伝わってきた。しかし、文庫版(2009年)のあとがきによれば、わずか数年で大きな「前進」が生まれていることがわかる。関係者の継続的な活動もさることながら、本書の出版が大きなきっかけになったのであろう。「ペンの力」は改めて偉大だと思う次第である。
小倉昌男 経営学/小倉 昌男

¥1,470
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ある日、何気なくネットサーフしていたらベンチャー通信というサイトをみつけた。そこには、いわゆる「アントレプレナー」と呼ばれる偉大な方々が色々語ってくれるコーナがあるのだが、小倉氏はクロネコヤマトの宅急便の生みの親として紹介されていた。これを読む限り、どっかその辺の隠居したおじいさんが言いそうな、まあ誤解をおそれず言えば「ありきたりな」ことを言っているだけのように思える。わたしは最初そのように思って、特にそれほどの感慨を持たなかったのだが、後日見つけた極東ブログの書評がじつに興味深いものだったため、思い直して買ってみたのだ。

結論からいうと、finalventさんの書評はたいへん的確だと思う。小倉昌男さんという方は、たしかに、変な人だ。人の心をうつ何かを持ちながら、それでいて妙に自然体なのだ。達観しているとでも言おうか。

「宅急便」というのは、われわれの世代にとって物心ついたときには既にそこにあった社会インフラの一部であろう。「宅急便というのはヤマト運輸の商標で、一般には宅配便というべきなんだ」とかいうトリビアがあったくらいである。まさに宅急便は個人向け宅配のデファクトスタンダードとも言える存在であろう。小倉さんは二代目社長だが、この宅急便事業を育て、日本中をカバーする配送ネットワークを作り上げた中興の祖である。世襲経営者というよりは、起業家にちかいのだろう。宅急便以前に、日本全国をカバーする宅配事業は郵便小包しかなかったのだ。それをサービスの向上のため民間でやろうと思い立ち、実際にやってしまったのである。個人宅配のサービスがここまで向上したのは、ひとえに宅急便のおかげであるといっても過言ではないだろう。もちろんクール宅急便などもそれまで存在しなかった。

本書は経営者の述懐としては抜群に勉強になる部類に入ると思うが、ひとつ重要なことがよくわからない。それは、小倉さんはなぜ宅急便事業などというハイリスクな事業をはじめようと思ったのか、ということ。この根本的なところがわからない。だが本書を読んでいただければ明らかなように、かれはもちろん当てずっぽうではじめたわけでなく、ちゃんとそろばんとはじき、「ネットワーク事業」という宅急便の本質を見抜き、成功すなわち粗利が出るまでのロードマップを描いている。このあたり「個人宅配事業へのアプローチ」として一章を割いているほど、ちゃんと事業の見通しについてつまびらかにしているのだが、しかしそれでも、やはりなぜ当時として成功の確率が低いこんな事業をはじめようと思ったのかがいまひとつわからないのだ。現在の宅急便の成功を知っている今の立場から振り返ってみても、こんな高リスクな事業は止めた方がいいとした当時の取締役の気持ちの方がまだ理解できる。当時も小倉さんほど確信を持っていた人はいなかったのではないか。

ヤマト運輸(当時)はいわゆるオーナ企業であるので、一見ワンマン経営なのかと思いきや、よくよく読み進めていくと、父親であったり労働組合であったり取締役会であったり、なかなか社長の一存でエイヤと決められるものでもなかったようである。(株式会社なのだから当然なのだろうが、)きちんと取締役会で諮り、合意を得てから経営に落とし込んでいくところは、正直やりにくかったのだろうなと思う。特に古い会社ということもあって、労働組合との付き合いはなかなかしんどそうであった。しかし、自伝を読む限り、理想的なかたちで労使が強調して企業として成長していったようである。このへんの機微は、労働組合にとんと縁のないわたしには今ひとつ体感できない感覚であるが、苦い情報が上がらない正規のルートを補助するかっこうで労働組合をうまく活用していたあたりが、並みの経営者ではないということの証左でもあるだろう。


なお類書である『経営はロマンだ!』は、日経新聞に連載されていた「私の履歴書」を単行本化したものである。こちらも自伝なので基本的な流れは同じだが、ヤマトで経営をする前の話(生い立ちや家族の話)と、引退後の福祉事業についての記載が増えている。いわば「ボーナス・トラック」であろうw ところどころ写真もついており当時のよすがを知るいい資料にもなる。昔の彼女と妻の話などはすこし涙が出た。こういうところは現代の男性には真似できないであろう。

経営はロマンだ! 私の履歴書・小倉昌男 (日経ビジネス人文庫)/小倉 昌男

¥630
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恐怖の病原体図鑑―ウイルス・細菌・真菌(カビ) 完全ビジュアルガイド/トニー ハート

¥1,890
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子供のころ、リチャード・プレストンの『ホット・ゾーン』を読んだ。アフリカ、キンシャサの洞窟で発見されたというこの未知のウィルスは、感染した宿主を「全身の穴という穴から血を吹き出して死に至らしめた」という。この恐ろしい殺人ウィルスは「エボラ」と名づけられた。もう、このさわりだけでもあの恐怖と興奮が蘇ってくる。わたしはこの本を何度も何度も読み返した。

キンシャサの洞窟。シャルル・モネ。マールブルグ病。エボラ・スーダンにエボラ・ザイール。そしてアメリカにも飛び火したエボラ・レストン。これらの殺人ウィルスとたたかうCDCとユーサムリッド。こうした言葉のひとつひとつを今でも克明に覚えている。「危険レベルはHIVよりあぶない”レベル4”」「全身から血を吹き出して死ぬ」などの表現が、まだ中二病丸出しのわたしに大きな影響を及ぼしたのは言うまでもない。あの独特のデザインをした「バイオハザードマーク」などもはっきりと覚えている。

残念ながら、『ホット・ゾーン』は諸事情により映画化はされなかったようで、結局、『アウトブレイク』という名前で(別物として)映画化されることになった(これは正直残念な作品であった)。しかし、のちにプレイステーションで『バイオハザード』という素晴らしいゲームに出会うことができたのは、バイオハザードマニアとして慶賀の至りである。この世界的なゲーム作品のおかげで、「(微)生物災害」という意味の言葉も大きく人口に膾炙した感がある。今やハリウッドの映画などでもバイオハザードをモチーフにした作品はよくあるパターンになっており、アメリカ疾病管理センタ(Centers for Disease Control and Prevention;CDC)やアメリカ陸軍感染症医学研究所(U.S. Army Medical Research Institute of Infectious Disease;USAMRIID)といえば、サブカル好きでなくとも知っているほどの存在になっている。バイオハザード好きとしてはよろこばしい限りである(?)。



さて、恒例のつまらない前フリはこれまでにしよう。本書はウィルスだけでなく、細菌、真菌(カビ)、そして原生虫といった「病原微生物」をビジュアルに解説した図鑑である。本書を読めばこれらの4つの微生物が微妙に異なる”いきもの”であることがわかるであろう。(ウィルスが生物なのか?というのは実に深遠な問いであるが…) 冒頭に述べたエボラももちろん登場しているし、みんな気になるHIVも、冬場になると怖くなるノロウィルス、インフルエンザウィルスも載っている。ウィルス以外からは黄色ブドウ球菌、炭疽菌、ボツリヌス、結核、コレラ、マイコプラズマ、ヘリコバクター・ピロリと、誰もが気になるウィルスが写真で見れるという、実に「誰得」な本と言えよう。見ているだけで背筋が凍る、だったら見なければいいじゃないという本である。本書を買うと食事の前には手を洗おうという気になること請け合いである。




バイオハザード ディジェネレーション コレクターズ・エディション [DVD]/アリソン・コート/甲斐田 裕子,ローラ・ベイリー/安藤麻吹,ポール・メルスィエ/山野井 仁

¥4,980
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ホット・ゾーン/リチャード プレストン

¥1,223
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アウトブレイク [DVD]/ダスティン・ホフマン,レネ・ルッソ,モーガン・フリーマン

¥2,100
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アイアムアヒーロー 1 (ビッグコミックス)/花沢 健吾

¥560
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エマージング(1) (モーニングKC)/外薗 昌也

¥550
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感染列島 スタンダード・エディション [DVD]/妻夫木聡,檀れい,国仲涼子

¥3,990
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人生における指針のようなものを探して、最近はとくに「ビジネス書」を探してうろつくことが多くなった。気付けばここ数カ月の間に、技術書とビジネス書ばかり買ってしまい脳みそがパンク状態のため、ここらで少し整理も含め、読書録として少しまとめておきたい。


なぜ会社は変われないのか―危機突破の風土改革ドラマ (日経ビジネス人文庫)/柴田 昌治

¥680
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これはどこで手に入れたのか。浜松町のWTCに入っている本屋ではなかっただろうか。さすがビジネス街だけあって日経ビジネス文庫がやたらと多い。これは以前に読んだ『V字回復の経営』などに近い、会社建て直しを取り扱った本だ。登場人物がやたらと「意識が高い」ところがフィクションだな~という気がするが、単純に読み物として面白いのでこれはオススメできる一冊だ。たかだか社員数1600人程度の会社で、このような派閥抗争があったりするところがリアル過ぎて気持ち悪い。



すべては一杯のコーヒーから (新潮文庫)/松田 公太

¥500
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現在は議員として活躍中の松田公太氏のタリーズ創業記。正直、帰国子女の鼻持ちならないエリートだと思っていたのだが、なかなかどうして、熱い体育会系の熱血漢であることを知った。タリーズジャパン創業においてはネイティブ並みの英語力が大きく寄与したことは言うまでもないが、やはりアントレプレナーは「パッション」がモノを言うのだろうというのがよーくわかる一冊だ。まあ自伝でもあるので多少は割り引いて読まなければならないのだろうが、読んでいるだけで高揚してくるような大変気持ちの良い本である。こちらも、お勧めである。何と言っても500円だ。文庫本はこれだからやめられない。お得すぎる。




一勝九敗 (新潮文庫)/柳井 正

¥460
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先日ご紹介した『社長失格』の書評において、ついうっかり「柳井さんなども「1勝9敗」というわりに失敗事例についてはほとんど筆を割いていない。」などと口走ってしまったのだが、よく考えたらそんなことを言えるほど内容をちゃんと覚えていない。これではいかん、事実誤認だったらどうしようと思って本棚を見たが、なんと本書がなくなっている。引っ越しの際に売ってしまったのだろう。あわてて新しく買いなおしたが、やはりこれも500円。安い。安すぎる。今度は反省の意も含めて、付箋を貼りまくったわけだが、わたしの記憶はまったく当てにならないことが分かった。柳井さんはこの本でこれでもかというほど失敗事例を書いているではないか。というより、もっと驚いたのが、わたしは過去にこの本の書評を書いている。やはり凡人は本をいくら読んでも内容を忘れるのだという無様なことをさらしてしまった(笑)。



アメーバ経営 (日経ビジネス人文庫)/稲盛 和夫

¥680
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こちらも超有名な京セラ稲盛氏の「アメーバ経営」解説本であるが、個人的にはあまり魅かれなかった。なぜだろう?



仕事で成長したい5%の日本人へ (新潮新書)/今北 純一

¥735
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こちらは溜池山王の改札前で平積みされていたのでつい新刊かと思って買ってしまったもの。よく見たら去年(2010年)の本であった。この方はじめて知ったのだが、どうやらフランス資本の化学メーカで長くキャリアを築いておられたようで、有名な方のようである。類書がいくつかあるがどれも同じ話ばかりなので、どれか一冊だけ読めばいいだろう。内容はほとんど自慢話の類であるが、実際手に取ったのは「まえがき」に書いてあることに少し感銘を受けたからでもある。実際、こういう名のあるビジネスマンのやることを気持ちだけでも実践できるようになれば、わたしのような凡人でも多少はこの世の中で生き残る道を探していけるかもしれない。



以上、どれもさくっと読める割に得るものは大きいため、広くオススメできるビジネス書たちでした。
孤独のグルメ 【新装版】/久住 昌之

¥1,200
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「モノを食べる時はね 誰にも邪魔されず
 自由で なんというか
 救われてなきゃあダメなんだ

 独り静かで 豊かで……」

(第12話 東京都板橋区大山町のハンバーグ・ランチ)

グルメ漫画は『美味しんぼ』や『ミスター味っ子』、『鉄鍋のジャン!』など、基本的にお笑い系(?)の作品が多いが、本作も初期の『美味しんぼ』に通ずるものがある、いわゆる「瑣末なことをクソ真面目に描写することでギャグに昇華している」系の漫画である。冒頭の引用は、主人公がとあるハンバーグ屋でアルバイトの外国人を人前で罵倒する店主に抗議するシーンで吐いた名台詞なのだが、本作にはこうした名言がたくさん登場する。そのためであろう、インターネットでは少しばかり話題になっていたようだ。

半信半疑で買ってみたのだが、その評判は嘘ではなかった。買って本当に良かったと思える素晴らしい漫画である。何度も読み込める漫画というのはそうそうあるものではない。読めば読むほど味の出る不思議な作品だ。何より谷口ジローの絵がいい。細部まで描き込まれた漫画はまさに職人芸と呼べるもので、主人公の心象をあますところなく描き出している。はじめて行った店の店内を観察する感じが良く出ているし、店を決めるまでの心の動きもまるで自分が感じているような気持ちになる。主人公の表情もいい。

物語の主役となる井之頭五郎の職業は輸入雑貨の貿易商。しかも時代を先取りした、オフィスを持たない「ノマド」ビジネスマンである。しかも独身。下戸。そして、作中に一切名前が出てこないため、じつは漫画を読んでいるだけだと名前すら分からない。そのかれが、仕事の合間にさまざまなところでひたすら外食する。言ってみればただそれだけの内容なのだが、言いようのない「男のロマン」が満載なのである。こうした生き方に「ハードボイルド」を感じるのはわたしだけだろうか? 本書が人気なのは、飼いならされて自由を失ったおっさんたちが、五郎の自由な生き方に中二病的なダンディズムを感じ取り、それが琴線に響くからだろう。異論は認めない。

ひとつ注意しておきたいことがある。扶桑社から文庫版も出ているのだが、安いからと言って文庫版を買ってはいけない。絵が小さくてせっかくの谷口ゴローの美しい絵が台無しになっている。値段は二倍だが、大判で読みやすく、しかも作者の対談集などもついている「新装版」のほうを買うべきだ。
ライフネット生命というベンチャー企業がある。20代くらいの世代にはものすごく名前が売れているだろうが、インターネットに親しんでいない世代にはなかなかピンとこないのかもしれない。日本生命出身で、「生命保険のエキスパート」出口治明氏、そしてBCG出身、HBSでベイカー・スカラー(上位5パーセントの成績優位者に与えられる)を取得したという気鋭の若手岩瀬大輔氏とで興したベンチャー企業である。いわゆる「色のついていない」保険会社としては74年ぶりの創業ということで、その確信犯的、失礼、革新的なビジネスモデルは、既存の業界の常識を文字通り破壊(付加保険料の開示)しており、まさに「イノベーション」の名にふさわしいベンチャー企業である。

このお二人、おそらくゴーストライタの手によるものとは思うが、立てつづけにビジネス書を出しており、わたしのような「情弱」はつい手にとって買ってしまう。まあ、読んだところで行動に移さなければ意味がないわけだが、わかっていても買ってしまうのは情弱の本領発揮というところだw いくつか買ってしまったので以下に軽く備忘として残しておくことにします。



百年たっても後悔しない仕事のやり方/出口 治明

¥1,500
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2011年4月に丸善で本書の出版記念セミナをやるという噂を聞きつけ、無理やり時間をつくって丸の内までダッシュしたのだが、残念ながら「品切れ」で入れなかった。たった100枚の整理券(しかも電話予約可)では当然だろう。内容はすっかり忘れてしまったが、今の仕事に行き詰まりを感じていたため、多少の気休めにはなった覚えがある。



入社1年目の教科書/岩瀬 大輔

¥1,500
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もう結構なロートルになってしまったが、今更こんなのも買ってしまった。新人のときに買わなければ意味がない本である。ここに書いてある内容は素晴らしいが、30過ぎのオッサンが今更心を入れ替えても…時間は戻ってこない。それに、本書に書いてある内容は意外にハードルが高い。最近の学生は世代的に、我々の頃にくらべて「出来る」やつが多いと聞くが、それでもここまで意識をもって仕事ができれば、おそらくどの分野、業種においても成功できるであろう。こういうライフハックは仏教における「悟り」の境地と同じで、「極意を語るのは簡単だが、実行するのは難しい」という類のものである。実際、ここに書いてある生活を10年続けることができれば、おそらく岩瀬氏とまではいかなくても、上場企業の課長くらいにはなれるだろう。充実したサラリーマン生活を送りたければ、ぜひ新人のうちに、できれば学生時代のうちに読んでおくべきと言える。歳を取ってから読むような人はダメだw

それにしても売れているようだ。5月19日初版だが、6月7日で早くも3刷めである。これは日垣さんには及ばないが、ホンマモンのベストセラといっていいのではないか。気になるのは購買層である。まさかほとんどわたしのようなアラサーが買ってるんではないだろうな…。



132億円集めたビジネスプラン/岩瀬 大輔

¥1,260
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これはライフネット生命を創業するときの「業務日誌」のようなもの。起業するときの参考になるかもしれない。しかし、岩瀬氏のようなチートな経歴でなければ結局起業は難しいのではないか? と思ってやる気がなくなる効果もあるため、要注意だ。やはり人間、今日明日努力するだけではだめなのだ。継続してキャリアを積み、いざというチャンスを逃さず、リソースを一気につぎ込むという才覚が必要なのである。そして、何より重要なのが「人脈」。こればかりは、得ようと思って得られるものではない。しかし得ようと思わなければ、絶対に得られないのも事実である。人生は一筋縄ではいかない。



生命保険のカラクリ (文春新書)/岩瀬 大輔

¥819
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業界の暴露本ともいえる本。




余談だが、人生に迷い始めてビジネス書や自己啓発書ばかりを読んでいると、得も言われぬ劣等感や鬱的な感情にさいなまれることが多い。こういう本を書くような人は、どう贔屓目に考えても、やはりわたしやあなたよりは優れているのだ。そして、競争に身を置こうと思えば、こういう人たちと伍していかなければならない。「かれらは僕と違うよ…」などと敗北宣言をしても誰も一顧だにしてくれはしない。世界は広くそして厳しいのである。「世間はお前らの母親ではないっ…」とは利根川先生の弁だが、その通り過ぎて心が痛む。

と、いうことで、人生に疲れたときや仕事に悩んだときは、こういうビジネス書(や、それに準ずる自己啓発書)に救いを求めるようなことはしないほうがよいであろう。こういうときは、ぜんぜん関係ないノンフィクションや、古典を読むとか、あるいはジョギングにでも行ったほうがいいだろうw


なお、余談ついでにもうひとつ記しておこう。保険会社は、その保険料を算出するときに、ものすごく複雑な数理計算というを行っており、それを専門に担当する「アクチュアリー」という役職というか資格がある。一説によれば、司法試験に匹敵する難易度だというので、数学に自身のある方は受けてみるのも一興かもしれない。データが飛躍的に増加する現代のビジネス社会において、確率や統計といった専門領域は今後ますます重要になることはあっても、なくなることはないだろう。もしかしたら次のイノベーションはこの分野にあるかもしれない。同じ士業を選ぶにしても、会計士、弁護士ではなく、これを目指すのはなかなか良い戦略だと思うのだが、わたしは数学がダメなので、残念ながら見送っている。
マイクロソフトで学んだこと、マイクロソフトだからできること。/樋口 泰行

¥1,680
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著者の経歴を見たら実にチートだ。大阪大学を出て松下電器に入るところまではまだ「まとも」なキャリアだが、そこからは典型的な外資ジョブホッパーとして漫画みたいなキャリアを積んできている。

この本を読んだ感想はひとつ。「マイクロソフトのような超巨大企業の経営者など普通の人間にはできない」ということだ。ここまで高密度なハードワークを、50歳を超えてやれと言われて、出来る人がいるだろうか? 少なくとも年次で上がってきました的なキャリアだと「ちょっと、ごめんなさい」という感じではないだろうか。

たとえば、マイクロソフトには「ミッドイヤーレビュー」なるイベント(?)があるらしい。こんな感じだ。

―――マイクロソフトの決算期は6月。つまり、新しい期は7月に始まるが、そのちょうど真ん中に位置する1月がミッドイヤー。ミッドイヤーレビューは、その1月に米国本社の経営幹部と世界中の現地法人や事業部門との会議である。これが半端なものではないのだ。

米国の幹部はCOOのケヴィン・ターナーを筆頭に40人ほどが顔を揃える。それに対して1国30人ほどのチームが、その国の政治状況も含めた経営環境を報告。それにどんな戦略で向かうかを発表し、質疑を受け、侃々諤々のディスカッションを行う。(中略)これが1国につき丸1日がかりなのだ。どんなに短くても8時間。長引けば日付が変わり、10時間以上になることもある。ちなみに私が初めて参加した2008年度は12時間。2009年度は8時間だった。(68ページ)


この後、いかにミッドイヤーレビューの内容が「濃い」のかの記述が続くわけだが、なんとまだこれは序の口で、日本法人の社長としての本番はこの後に続く「ワールドワイドレビュー」というのに参加しなければならない。これは、各国のレビューを行ったCOOのケヴィン・ターナーが、CEOのスティーブ・バルマーのレビューを受けるというものだ。ターナーの後ろには樋口氏を含む世界の13エリアの代表、および本社の各事業部のトップが50人ほど控えており、バルマーとガチンコでレビューするというイベントだという。しかも、なんとこのレビューはほとんどぶっ続けで丸2日かけてやるという凄まじさだ。

読んでいるだけで気分が悪くなった。ワールドワイドで売上高6兆円クラスとなればこのくらいやって当たり前、という意見もあろうが、やはりこういうことができる企業はまれだと思う。そして、ここまでやっていながら、モバイル、スマートフォン市場では完全に出遅れているという事実に、グローバルなビジネスの恐ろしさを痛感する。(まあ、マイクロソフトは、コアビジネスの「Windows」でめっちゃ儲かってるんでしょうけど)

出自は完全な「外資系」である樋口氏だが、経営にあたっての想いはどちらかというと「昔ながらの日本的なマインド」という印象を受けた。うまく表現できないが、どちらかといえば「古き良き日本」の働き方と言えばいいのだろうか。少なくとも「外資系」のスマートでドライなビジネス、というステレオタイプな印象ではない。ビジネスというのは、出自に関わらず、マーケットに対する誠実さと謙虚さをもって、地道な信用を継続してつくっていくしかないのかということなのかもしれない。

それにしても、今とはビジネス環境も会社の規模も違うだろうが、かつてこの会社に成毛さんがいたというのがちょっと信じられないw
今日はちょっとだけ趣向を変えて、インターネットにおける匿名問題について触れさせていただきたい。長い割には大した内容でないので、時間のあるときにお付き合いいただければ幸いである。


言うまでもなく、当ブログは匿名で運営している。意識的に個人情報を明らかにしていない。なぜ匿名でやっているかといえば、実名で何かを公に向かって書くと、それは必ず会社と結び付けられるだろうという判断からだ(わたしはサラリーマン)。わたしは零細俸給者とはいえ、当然取引先には顔と名前が知れているし、そこからお金を頂戴しており、上司に命令をされて、ようやく生きている。このような典型的超ドメ企業の歯車が、自らの意思でもって自分の名前をWebに公開し、世に自分の意見を問う、そんな大それたことができるだろうか。これが政治的に中立で無害な内容ならよいであろう。たとえば「ラーメン食べ歩き」というようなブログならどうだろうか。いくら内容にこだわっても、せいぜい「あ、ラーメンお好きなんですね」ということで、取引を停止させられたり、譴責を受けるようなことはないであろう。むしろ会話のネタになるなど、営業の助けになるかもしれない。しかし、それが書評しかもかなり反主流の本(?)をよく読んでいるとなるとどうであろう。微妙なところではないか。城繁幸氏の本などを礼賛するなど、「その思想に問題がある」と評価される可能性は非常に高い。


同様の理由から、取引先の内情を書いたり、雇用契約先の暴露をしたりすることは、かなり意識的に排除している。じつはかなり面白いエピソードもあるのだが、わたしはそれらをほのめかすことはあっても、何かが特定できるような書き方は臆病なまでに慎重になっている。これはもちろん法的な問題にならないようにという配慮からだが、本音は、おそらく法的には全く問題がなくても、タイミングと運が悪ければ即、職を追われるかもしれないな、というチキンな考えが頭をよぎるからである。たいしたスキルもなく英語もできない超ドメ企業の一俸給者は、自衛のためには現在の雇用契約先にしがみつくしかない。よって「配慮」せざるを得ないわけだ。ということで「取引先」および「雇用契約先」に対する配慮から、過剰に言論を自主規制しているのだが、これなどはまさに「マスゴミ」と揶揄される大手マスメディアの「自主規制」と同じ構図であろう。守秘義務といえば聞こえはいいが、要するに保身に汲汲としているだけではないか。自らの立場を明らかにしない言論など便所の落書き程度の価値しかない。匿名の言論に価値などないという論に、わたしは一部首肯せざるを得ない。及び腰なオピニオンなどに価値があるだろうか?


ただし、である。だからと言ってすべての言論が実名でなければならないか、というとそんなことはないだろう。たとえばわたしはこの匿名という仕掛けがなければそもそもブログなど書こうという気すら起きなかった。同じような人は世の中にたくさんいるだろう。それに、アメーバではちゃんとアカウントがあり、それなりの期間、同じアカウントで続けていれば、匿名と言いつつも一定の連続性がうまれる。こうなると、いくら匿名と言っても、普通に考えれば「評判」を気にしてまともなことを書こうという気持ちになる、格好良くいえばインセンティブが生まれる。わたしですら、もう3年以上続けているこのアカウントに多少の愛着が生まれるものだ。そんなアカウントを使って、わざわざ信用を毀損するようなことをするだろうか?これは、Twitterのアカウントなども同じである。書き捨て用のアカウントならともかく、継続的に使っているハンドルネームはもはや「匿名」ではなく、「半匿名」とでも言うべきもので、完全な匿名とは区別するべきなのではないか? とすら思うわけである。


まあ、インターネットが完全な「匿名」であるなどと信じるほどわたしもリテラシは低くないが、場合によってはこの「半匿名」ですらない本当の「匿名」というのも必要だと思う。たとえば、はてなの匿名ダイアリのような特殊な仕組みだと、かなりの水準で匿名性が担保されている。そのため相当ノイズはあるにせよ、興味深いエントリが少なくないのも事実だ。難病の話とか、家庭崩壊の話とか、告発めいたものとか、ものすごく込み入った相談(というより愚痴?)に近いようなものは、確かに「半匿名」のブログに書くのはためらわれる。そういう意味で、目安箱的な使い方で匿名ダイアリを使うのはアリだし、そういう文脈では匿名の存在意義も認められると思う。いくら強烈なノイズがあるからといって、まず「禁止」と言う発想は、自称リバタリアンとしても同意する訳にはいかないだろう。(と、言いつつ「ブログ炎上」したりでもしたらあっさり前言撤回して「匿名は酷い」とか言うと思いますがw)


と、勢いでここまで書いてしまったが、このような文脈での議論はすでに出尽くしているであろう。面倒なので詳しくは調べないが、ひろゆきなどがこの手の「実名/匿名」論争で「匿名でもいいじゃん」と結論付けていたような気がする。Lilacさんも同じようなご意見をきれいにまとめており、ほとんど同意なので、わざわざ新たに何か書く必要もなかったのかもしれない。


実名推進派は人の気持ちがわからない人が多い。 : ひろゆき@オープンSNS

ネット実名は強者の論理。まじめに論じる匿名のメリット - My Life After MIT Sloan


と、いうことで、所詮サラリーマンが片手間に考えるようなことは、ネット強者たちはとっくに考えていましたよ、というオチでした。