One of 泡沫書評ブログ

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世の中にいったいいくつの書評ブログがあるのでしょうか。
すでに多くの方が書いているにもかかわらず、なぜ書評を続けるのか。
それは、クダラナイ内容でも、自分の言葉で書くことに意味があると思うからです。

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はてなの新ブログサービスが使いやすそうだったので、開店休業状態になっているこのブログを移転してみることにしました。

One of 泡沫ブログ

「書評」に拘ると書くネタが枯渇することがわかったため、書評というテーマすら外し、本当の意味での泡沫ブログとして心機一転、更新頻度の向上を目指してがんばりたいと思いますw

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デフレ化するセックス (宝島社新書)/宝島社
¥780
Amazon.co.jp

『名前のない女たち』シリーズでおなじみ、中村淳彦氏の新刊。例によって、同じような話と知りつつも買ってしまった。この手の話はなぜか気になってしまう。新年一発目の書評がこれというのも何かの縁であろう。

氏の著作はこれまで数冊ほど読んできたが、そのどれにも一貫した著者の問題意識というか、ある種の「贖罪」のような感覚を感じる。「春をひさぐ」という、一般には「反社会的」な商売に従事せざるを得ない女性たちへの屈折した愛情とでも言おうか。ライターとして、彼女らをネタにしているという事実はあるにしても、取材を続けていく中で、こうした商売に手を出さざるを得ない女性たちのおかれた境遇を目の当たりにすると、こういう一種矛盾した感情になるのは致し方ないのかもしれない。開き直って”悪者”に徹しきれない、氏の人の好さが透けて見える気がする。無論これはわたしの勝手な想像に過ぎないが。

本書は、前著『職業としてのAV女優』とほとんど同じような内容ではあるが、取り上げる範囲が「セックス産業」全体ということで、前回よりも多少大きな枠組みで描かれている。「セックス産業」なので当然、AVに関しても取り上げているが、それだけでなく、いわゆるソープランドやピンサロといった営業型の店舗で働く女性たち、そしてわたしは知らなかったのだが、「援デリ」という個人売春の一種についても取材されている。こうしたセックス産業に従事する女性たちに対して行われるインタビューを中心に、この「業界」の世相を切り取るといういうものだ。中村氏の著作に親しんだ人には特に驚きはないだろうが、20年前のセンスで性風俗産業を捉えている人には衝撃的だろう。長引く不況やグローバル化による影響は、セックス市場にも容赦なく押し寄せている。いまや女性の「性」は値崩れしまくった挙句、「性」に対する常識まで変えてしまった観がある。

中村氏は「おわりに」でこのように述懐している:

私は長年、「親や彼氏がどう思うか?」「人間は1人で生きてはいけないので、身近な人を裏切らないほうがいい」「金銭感覚が狂うと元に戻れない」などの理由で、女性がセックス市場で働くことに懐疑的であったが、もはやそんな悠長なことを言っていられる状況ではなくなってしまった。例えセックス市場であっても、精神的苦痛のない居場所があって、社会との接点である経済活動に参加して、平均的な女性より少しでもゆとりある生活を実現できていれば、もはや恵まれているのではないか、と思うようになった。」

ここには、多数の女性にインタビューしてきた氏の本音が詰まっているように思う。「遊ぶお金に困ったから…」というような人たちだけが踏み入れる世界だったはずのセックス市場は、もはや完全に一部の高スペック女性たちがしのぎを削る、狭き門になってしまったという。確かに、女性アイドルの質の低下と、それに反比例するかのように美しくスタイルに恵まれたAV女優たちが次々に誕生する世相は、どこか狂っているような気がしなくもない。だが、こうした構造的な不況は、もしかしたら、我々のような”一般の”労働者が将来直面する未来をちょっとだけ先取りした風景なのかもしれない。

■過去の書評
名前のない女たち 最終章
日本売春史

職業としてのAV女優 (幻冬舎新書)/幻冬舎
¥840
Amazon.co.jp

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「仕事ができるとはどういうことか?」

よくある泡沫系ビジネス書のタイトルにありそうな文言だが、実際、「仕事ができる」というのは一体どういうことなのであろうか。

日常、業務を遂行していて、

「ああこの人は仕事ができるな」
「できると思ったけど意外に詰めが甘いな」
「この人はできないと思っていたけど、上司が変わったら人が変わったように仕事ができるようになったな」

というようなことはよくあるだろう。こういうことはおそらく無数にあって、それを体系化、言語化、あるいは抽象化したものがいわゆる「ビジネス書」を始めとする広義のライフハックになるのであろう。そのため、こうした類の本や記事は、表現こそ違えどだいたいどれも似たような話になってしまうのではないか。(何冊も買ったわたしが言うのだから間違いないw) 

わたしは受託開発を生業とする低レベル社畜のひとりであるが、一応、業界の末端に属するものとして「仕事ができるということは何か?」というようなことを、いつも考えてながら仕事している。職種的に「SE業界」などとひとくくりにされる我が愛すべき業界は、個別の業務を見ていくとあまりにも幅が広すぎて、総体として「コンピュータを扱っているから」というような雑な整理だと、とても一つの枠に収まるものではない。職種(アプリとかインフラ)だけでなく、顧客の業界や業種によっても何か微妙な感覚が違うし、コミットするフェーズやプロジェクトの規模によっても様相が大きく異なる。「SEだからこういうことをすればよい」というのは、例えば「データベースの管理をマスターせよ」「若いうちに資格を取っておけ」というようなことはまあ的外れでないとしても、全体としてざっくり「こういうふうにしたらいい」というようなことは、抽象的にすぎるきらいがあり、結局「意識が高くなる」だけであまり意味がないのではないか、と思っている。どこの業界でもそうだろうが…。

また、こういう話になると、どうしても元マイクロソフトのスーパーエンジニアであるとか、Web業界のスーパープログラマであるとか、そういう一部のチートな人たちが受託業界をdisりはじめるので、中の人にとってあまり生産的ではない。(主張はもっともなのだが、世の中の数万、数十万人もいるエンジニアが皆が皆同じようなレベルにあるわけがないだろう、ということ。別に海外のエンジニアが特段レベル高いわけではなくて、トップクラスのエンジニアは日本も含めて各国どこも似たようなものではないか。シリコンバレーだけは例外だとしても、他の国も似たようなものじゃないかと推測している。)

話が逸れたが、だからわたしは、具体的にこの業界で「仕事ができる」ためには、もっと個別の「ケーススタディ」を教えたほうがよいのではないかと考えている。後輩や新人などを育成したり、あるいは他部署から人が異動してきた、あるいはビジネスパートナと一緒に初めて仕事をするとか、そういう場面で、どうやってかれらにスキルトランスファーをすればよいだろうか? あるいは、自分がそういう立場になったとき、どういうアプローチをとれば、上司や顧客から「こいつは仕事ができそうだ」と思って信用してもらえるだろうか?

例えば、簡単なケースを考えてみる。

「わたし」の所属する組織は、業界では比較的名が通りはじめたグループウェア製品「A」を専門に取り扱う部署だとしよう。Aは米国の会社で製造されており、日本の法人が最近できたばかりだ。Aの国内シェアはまだまだだが、まったく売れていないこともない。まずまずの市場を抑えており、最近は引き合いも増えてきたように感じる。「わたし」の所属組織は、Aの販社として製品(ライセンス)の販売と保守サポートが主たる収益源となっており、たまにSIもやる、というビジネスをやっている。もちろんAだけでは売り上げが足りないから、場合によっては他のグループウェア製品も担ぐこともあるが、基本的な部門の方向としてはAを前面に売っていこうという戦略である。

さてそこで、「わたし」は製品の「保守サポート」部門に配属されたと考えてみよう。「わたし」にとって、仕事ができる、とはどういうことだろうか?日本の会社では、こういう場面であまりジョブディスクリプションが明確にされないことが多い。あまり詳しくは知らないが、所謂「外資系」企業も、日本法人の設立が古いところなどはわりと「現地化」してしまって、数字以外のところは殆ど何も指示されないことが多いのではないだろうか。この場合、「わたし」が何をすべきか、上司から達成基準を明確に示されればよいが、今回はそれがないものとする。つまり、部署に配属され、「君は今日からサポートをやってくれ。詳細はB君に指示を仰ぐように」と言われるだけで、他に何も情報がないというシーンを考えてみたい。

さて、「わたし」はどうすればよいだろうか?



…などと意味深な問いかけをしたが、もちろんこんなものに模範解答などあるわけがない。上司から具体的なことが何も示されていないのだから、特に達成することなどない、という意見もあるかもしれない。サポートの業務が何なのかわからないから、やりようがない、という人もいるだろう。いやいや、わからないのならB君に質問して聞けばいい、という人もいるかもしれない。これだけでは前提条件がわからないからやれない、という意見もあるかもしれない。色々なやり方があるだろう。

ただ、こういうときに、「こうしよう」とか「こうしたらうまくいきそうだ」というイメージが複数あり、かつ、そこにいたるまでの細かい質問に答えられる人は、所謂「仕事ができる」確率が高いのではないだろうか。

「こうしよう」というイメージは、自分だったら業務をこう回す、という一連のワークフローが見えているということだ。そこには当然、自分ひとりのテクニカルな部分だけでなく、組織の制約条件を考慮した「現実的な」方法があるということだし、必要に応じてほかの人や他部署、ほかのパートナを巻き込む力も含まれるだろう。また、細かいレベルでの質問に答えられるというのは、イメージしたワークフローが詳細なTODOレベルに落とし込めているということである。いざとなれば、常に自分が手を動かしてこうする、というイメージを持っているというのは、迫力があるものだ。さらに、そこからサポートの目的、収益モデル、必要な技術くらいを基本とし、さらにそこから、業界のシェア、他社の動向、自社のリソース状況などなど、ひとつの幹から枝分かれして色々な切り口で分析し、行動に落とし込めれば文句なしだろう。

ちなみに、わたしが「わたし」であったら、おそらくこうするであろう:

まず、保守サポートという業務の目的を確認する。問合せから問題クローズまでのリードタイムを短くすることが目的なのか、あるいは既存顧客からの満足度を最大化すればよいのか、このあたりを確認するだろう。大雑把に目的を確認するのだ。場合によっては、サポートの効率化をするよりも、メンバの育成を優先したほうがいいのかもしれないし、あるいはチームリーダは、この経験を通してわたしに製品のアーキテクチャを知ってほしいと考えているのかもしれない。調査に対してどのくらいのコスト(時間)をかけてよいのかも重要な変数である。

次に、必要な技術についてざっと確認するだろう。この製品のアーキテクチャを調べ、必要なマニュアルの入手方法や使用されている典型的な技術をおさらいする。必要に応じて、有償トレーニングの受講も検討し、上司に相談するかもしれない。色々と自由に試すことのできる環境がないなら、仮想サーバ等を準備できないかどうか検討することも考えるだろう。また、過去の問合せ履歴の視認性を確認したり、メーリングリストの有無、顧客との接点となる方法(メール、電話)等についても一応確認すると思う。これまでまったく使ったことがなければ、とりあえず適当なPCを準備し、インストールして色々といじるだろう。

また、現在のリソースの状況もみるだろう。サポートのメンバは何人くらいいて、どのくらいのスキルがあるのか。自分がその中でどういうポジションを期待されているのかも考えるだろう。技術レベルの底上げを期待されているのか、メンバ間のコミュニケーションコストを減らすことを期待されているのか、はたまたスペシャリストとして難しいインシデントを優先して捌くことを期待されているのか。もしくは、単に製品を覚える機会を与えられているだけなのかもしれない。

実際にインシデントをアサインされたらどうだろうか。まず、回答のルールはあるのか。自動回答でないなら、個別に担当宛にメールを返さなければならないが、このあたりはシステム化されないのか。なぜしていないのか。自分がするとしたら、どういう仕組みで自動化システムを作るだろうか。とりあえず手動でやるとしても、間違いがないように何らかの仕組み化をすべきだが、されているだろうか。等々、ひとつひとつのオペレーションにも自らの言葉で意味づけをし、現在の与えられた制約条件の中で、できること、間違いのないこと、効率のよいこと、改善できるところはないか、考えると思う。

当然、この先には、そもそもこのサポートビジネスを続けていくべきなのか、利益率はどうなのか、将来性はどうなのか、A社とのアライアンス状況は良好なのか、市場は拡大傾向にあるのか、などといった戦略面にも気を配っていく必要があるのかもしれないが、それはおそらくまた「次の話」であろう。しかしながら、こうしたことも当然、頭に入っていなければならない。

このように、頭に思い浮かぶことを書いていくと、あまりに多すぎてとても書ききれないが、こうしたことを一旦出しつくし、抽象化して捉えなおすとおそらく1ヶ月くらいでサポート業務で自分がやるべき業務フローが出来上がると思う。こういう態度が「仕事ができる」ということではないか、とわたしは考えている。もちろん、わたしはよかれと思ってやっているのだが、外から見たらどう見えるかはまた別なのだが…。

軽い気持ちで書き始めたが、やはり難しいものである。ビジネス書を一冊書ききるのもなかなか大変であろうw

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当ブログもめっきり更新が減ってしまい、我ながら意志の弱さを痛感せざるを得ない。当初の目的は「とにかく何か書き残す」だったと思うので、本来ならば粗製乱造でも良いから習慣化すべきなのであろうが、さいきんはPCを立ち上げても適当に巡回した後疲れ果ててしまう。個人的には、色々とやることが満載だった一年なので、ブログを書く時間がないのも事実なのだが、「時間がない」と言い訳をする人間が大成することはあり得ない(笑)。

例によってどうでもいい前フリをしてしまった。しかしながら、実際のところ、書評ブログを謳っている割に、今年はとにかく読書の数が少なかったことは率直に羞じたい。今年は昔読んだ本を読み返すことが多かったが、未読の本を読む数がずいぶんと減った気がする。1年で50冊も読んでないのではないだろうか?勿論この数字は新書やお手軽文庫も含めての数である。こんなに少ないのは20歳くらいで本を読むようになってから初めてかも知れない。

50冊って多いんじゃない?と思った方は、薄っぺらい本が短時間で読めることをすっかり忘れているのだ。例えばわたしは先日『村西とおるのコワ~いAV撮影現場の話』という本を読んだのだが、これなど2時間もかからなかった。こういう本を入れると50冊くらいすぐいくものだ。

一方で骨太な本もアマゾンで色々買うのだが、殆ど「積読」行きで活字を追うのが非常にしんどい。ここ最近で面白そうだと買った本を紹介すると、次のような感じである:

『主君「押込」の構造』(笠谷和比古)講談社学術文庫
『中空構造日本の深層』(河合隼雄)中公文庫
『ルソン戦―死の谷』(阿利莫二)岩波新書
『玉砕を禁ず』(小川哲郎)光人社NF文庫
『ルソン島戦場の記録 たたかいと飢えの中を生きて』(沢田猛)岩波ブックレット
『その数学が戦略を決める』(イアン・エアーズ)文藝春秋
『リーダーシップ練習法』(木名瀬武)日本経団連出版
『東電国有化の罠』(町田徹)ちくま新書
『なぜ日本は変われないのか』(山本七平)さくら舎

読んでないのでリンクを貼っていないが、節操なく買う割には書棚の肥やしにするだけで、読書家としては本当に最低の部類であろう。

一方、読み始めたまでは良いが、書評を書くほど読み込むことをせず、内容が頭に入ったのか入ってないのか不明な本も多い:

『ロスジェネ心理学』(熊代亨)花伝社
『たった独りの引き揚げ隊』(石村博子)角川文庫
『ただ坐る』(ネルケ無方)光文社新書
『謎とき平清盛』(本郷和人)文春新書
『ビッグデータの衝撃』(城田真琴)東洋経済新報社
『臆病者のための裁判入門』(橘玲)文春新書
『自分の小さな「箱」から脱出する方法』(アービンジャー・インスティチュート)大和書房
『アメリカは今日もステロイドを打つ』(町山智弘)集英社文庫
『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』(町山智弘)文春ペーパーバック
『29歳からの人生戦略ノート』(金田博之)日本実業出版社

書評の種は無数にあるのだが、読んだ本をきちんと咀嚼して書き記しておかないと忘れてしまって何の意味もない。だらだら読んだ時間が無駄になるだけである。今年はそういう意味で勉強を怠ってしまった一年であった。Twitterをいじっている時間をやめれば読書の時間は大幅に確保できる。ちと早いが、2013年の抱負は、本を100冊読む…ではなく、Twitterに接する時間を減らす、ということにしたい(笑)。

それではよいお年を。

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会社で「ブランド人」になれ! 組織で生き抜く10のルール/阪急コミュニケーションズ
¥1,575
Amazon.co.jp

ひっさびさに書くネタがまたぞろ自己啓発寄りのビジネス書というのがアレだが、まあモーニング娘。ブームもひと段落したところでちょうどよいリハビリだろう。

本書は例によって田端さんが紹介されていた本だと思っていたのだが、このエントリを書くに当たってよくよく見返してみるとタイトルが違うw というか作者が違う。あっれー? ま、いいか。ちなみに田端さんが紹介していたのは『ブランド人になれ!』で、著者はトム・ピーターズである。版元が同じなのもミスを誘発する原因かもしれない(などと言い訳をする)。

トム・ピーターズのサラリーマン大逆襲作戦〈1〉ブランド人になれ! (トム・ピーターズのサラリー.../阪急コミュニケーションズ
¥1,365
Amazon.co.jp

気を取り直して本書『会社でブランド人になれ!』の寸評をしてみたい。本書はイタリア系アメリカ人で、米国のジョン・ハンコック・フィナンシャル・サービシズという金融・保険サービスの企業で会長兼CEOまで上り詰めたデービッド・ダレッサンドロ氏が説く「サラリーマンとしての処世術」である。氏はWikipediaなどによれば同社を拡大成長させた中興の祖であり、経営者としても一流であったようだが、この本はビジネスの戦略について指南するような本ではない。これはずばり、サラリーマンとして出世するためのハウツー本である。おお、身も蓋もない。

多少、文化的な面で異なる点もあるかもしれないが、一説によればアメリカのビジネス環境の20年遅れが日本のビジネス環境であるらしいので、こうした時代背景を考えるとむしろ今のわが国にピッタリかもしれない。サラリーマン諸氏はとりあえず読んで損はない一冊であろう。

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長らくモーニング娘。についての駄文を書いてきたが、少しだけ補足。本日(2012年10月10日)に、現リーダの道重さゆみさんがアメブロでブログを始められたそうだ。ぐぐればすぐ出てくるのでリンクは張らないが、タイトル画像が昭和っぽくてなかなか艶かしい。引き続きグリーのブログも続けるそうだが、一日にそうそう何回も更新できるものなのだろうか?おそらくはマネージャが最終確認を行っているとは思うが、変な投稿ミスがないことを祈りたい。

これまで芸能人のブログなど見たことがなかったのだが、最近、道重さゆみさんと田中れいなさんのブログだけは毎日チェックするようにしたところ、驚いたことがある。それはコメント数の多さだ。おそらく、芸能人のブログにおいては、PVはもちろんのこと、このコメント数の多さも人気のバロメータの一つになるのであろう。何せ、一日に数回更新されることもあるエントリの、そのいずれにも300から400個のコメントがつくのだ。これには驚いた。それだけでも驚きなのだが、道重さんのアメブロ初回エントリには、10月10日22:00現在でなんと1,100以上のコメントがついている。なんともはや。

道重さゆみさんは、モーニング娘。の復権を狙ってかなり意図的にキャラを作りこんでいるようだ。かつて6期加入間もない頃の姿を思い返せば、現在の”はじけっぷり”には多少危ういものを感じるが、総合的にみるとアイドルとしての一つの完成系を見るようで見ていて非常にすがすがしい。とくに彼女が素晴らしいのは、ラジオやテレビなどで他のハロー!プロジェクトのメンバのことをかなりの頻度で話題に出し、所属とフルネームを言ってからエピソードを紹介するという、その徹底振りである。これはハロプロの知名度向上を意識した行動であると思う。じつにすばらしい営業である。

彼女自身、自己紹介の際には「モーニング娘。の道重さゆみです」という。これはハロー!の他のメンバも同様なので、おそらく事務所の教育なのではないかと思うが、彼女の場合は他のメンバを紹介するときも必ず所属と名前を断ってから、エピソードなどを紹介するところが優れている。わたしはこの事実に非常に感銘を受けたのだが、ネットで検索しても案外指摘されていないようだ。20歳そこそこでこうした気配りができるというのはかなり凄いことだと思うのだが、それほど珍しいことでもないのだろうか?

比較のため、他の芸能人がどのようにされているのか調べるべきであるが、本業があるのでなかなかそうもいかない。今後、調査できればぜひ調べてまとめたいと思っている。

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モーニング娘。その5はこちら
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長らく中途半端なモーニング娘。語りをしてきた。周りに熱く語る相手もいないため、こういうしょうもない話を書ける場があるというのは幸せなことである(アメーバさん本当にありがとうございます)。オフラインで書けよ、という話もあろうが、まあ、こうやって米国のインターネットアーカイブに黒歴史を残すのも一興であろう。

正直、この年になってくるとアイドルを見る目は若い頃とはぜんぜん違っていて、ああ、あの子かわいいなぁという感じよりも、娘が幸せになって欲しいなという感覚に近い。生き馬の目を抜くようなショービジネスの世界にあって、体調に十分留意され怪我にも気をつけて、心身ともに健康にやりきっていただきたいと思う次第である。個人的には、いまどき、この多感な時期に異性とまったく触れ合わないというのは後々よくない影響もあると思う。したがって普通に恋愛などもさせてあげればいいのにと思うのだが、そこは商売上、やはり難しいところもあろう。まあ仮にあったとしても、多忙のためゆっくりお付き合いするというわけにもいかないであろうが。

多忙といえば、スケジュールを見て驚いたのだが、ツアーの期間などは特に忙しく、移動→収録の繰り返しで本当に休む間もないようだ。収録は数時間に及ぶであろうし、もちろん稽古などもしなければならない。コンサートそのものも一日に2、3公演あったりするようだ。勿論、他の芸能人の方も同様なのだろうが、現役というのはこうした過酷なスケジュールをあくまで笑顔でこなす必要があるわけだ。強靭な体力と精神力を要求される決して楽な商売ではないだろう。つくづくサラリーマンでよかったという思いが去来する(笑)。

ともあれ、ドロドロした世界であることは間違いない。オッサンとしては、モーニング娘。だけに限らず他のアイドルたちもなるべくいいかたちでアイドル生活を終えていただきたいと思うものである。考えようによっては、年端もいかない女性たちの青春を略取していると取られかねない、ある意味でスレスレの商売と言えなくもない。ブログなどにも毒々しいコメントを残す人も散見されるが、大人として節度ある態度でやっていきたいものだ(子供かもしれないがw)。この手の商売は昔から「谷町」とともに成長する相互互恵的なビジネスでもあると思うので、贔屓の演者がいるのであれば、是非「粋」なパトロンを目指していただきたいと思う。


と、言うことで10回にわたって書いてしまったモーニング娘。のエントリはこれで終わりです。ありがとうございました。(了)

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さて、長らくぶつぶつと気色悪い語りをしてきたが、ここで気持ち悪いついでに「モーニング娘。」の楽しみ方について考察してみたい。おそらく、「えー、アイドルとかまじキモい」という人が殆どであろうが、ここは一つ、人生なにごとも楽しんでみようじゃないか、という前向きな気持ちで考えていただきたい(笑)。何だかいつもの書評のノリになってきた。

たしかに一部の先鋭的なファンには色々問題があるのかもしれない。そこまで極端な例はともかく、基本的にはオッサンが主たる消費者であることを考えると、わたしのようなオッサンが若い娘に、下手すると本当に自分の子供と同じ年頃の女の子たちにきゃあきゃあ言うという構図は、原理的に気持ち悪い絵になってしまうことは否定できない。これはエロゲやアニメなどのテーマでも同じなのだが、一般に気持ち悪いという価値判断は「当然」であろう。だが、できるならこうした世間の声を真摯に受け止め、かといって感情的になることもなく「好きなものは好き」「いいものはいい」とした上で、分別ある行動を心がけ地道に「キモい」イメージを改めていきたいものである。

ところでアイドルといっても色々である。あまり詳しくは知らないのだが、見た感じ「AKB48」のファン層とハロプロのファン層の間には深い断絶があるように感じられる。一方で「ももいろクローバーZ」などはまったく新しい市場を開拓しているようにも見える。(ももクロのファンは本当に楽しそうである。)この辺は派閥同士が色々なところで「神学論争w」をしており、とくにハロプロ勢とAKB勢の売り方が正反対であるためか、お互い口汚く罵り合っている様は本当に興味深い。こうした議論を眺めるのもまた一興であろう。このように、同じアイドル市場と一言で言っても色々あるものだ。

話が逸れた。「モーニング娘。の楽しみ方」の話であった。

モーニング娘。の楽しみ方とは何か? 引っ張るほどでもないので結論を言おう。それは「成長物語」これに尽きるのではなかろうか。モーニング娘。が頻繁にメンバを入れ替え、素人同然の子供がイチからやり始めるのはいったいなぜなのか? もちろん新鮮さを維持するとか色々な理由もあるだろうが、最大の理由は「最初は素人だった子供がだんだん大人になり、歌や踊りがうまくなっていく」経緯こそがドラマだからだと、わたしはそう考えるものである。

成長物語というのは小説や漫画ではお定まりのジャンルで、主人公たちが敵に破れ、自らの未熟さに苦しみ、修行して力を身につけ、新たな敵を倒していったり、仲間との絆を深めたりする、まあそんな感じの定義でよいと思う。『少年ジャンプ』的な展開だといったほうがいいかもしれない。できなかったことができるようになる。へたくそだった子が努力でうたえるようになる。子供だった子がいつの間にか成長している。ダンスがだんだん上手になっていく。もちろんハロプロにおいては松浦亜弥のように初めから完成されていたという「例外」はあるものの、モー娘。は原則としてポテンシャル採用が多い。こういうバリバリの体育会系の話が魅力なのではないだろうか。

ときには外の敵だけでなく、仲間の才能に嫉妬し、メンバ内での争いも起きたりすることもドラマといえるかもしれない。たとえば飯田、なっちの諍いや、後藤真希が鳴り物入りで入ってきたときの、後藤となっちの「センタ争い」は、われわれ世代にとっては懐かしい話だ。最近では新垣と田中の仲違いからの関係修復や、9期鞘師に公然と挑戦する10期石田の存在などは久しぶりのモーニング娘。っぽい話であり、微笑ましい。

かつてアイドル界で頂点に立ちながらもいまや二流に落ちぶれてしまったという評価も、こう考えるとむしろこれこそがモーニング娘。の原点なのかもしれない。AKB48勢の後塵を拝す状況が長く続いた今こそが一番面白い時期なのではないか。

(気が向けば、つづく)


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前回「新生モーニング娘。」となにげなく書いたが、新垣、光井の卒業後、このキャッチフレーズは公式にも使われているようである。おそらく営業的にも、15年目の節目を機にメンバを一新し、フレッシュなイメージで再度進出する、という意味があるのではないだろうか。5月の新垣の卒業から8代目リーダ道重へのバトンタッチ、そして新体制の発表および新曲のプロモーションへと、まあきれいにつながったように思う。蛇足だが、こういうプロモーションを企画して実行する運営側の人間にインタビューしてみたいものである。

ところで、肝心の「新生モーニング娘。」のメンバは次のとおりだ:

道重さゆみ (6期)リーダ
田中れいな (6期)
譜久村聖  (9期)
生田衣梨奈 (9期)
鞘師里保  (9期)
鈴木香音  (9期)
飯窪春菜  (10期)
石田亜祐美 (10期)
佐藤優樹  (10期)
工藤遥   (10期)

「誰?」というのが正直な感想であろう。6期メンバである道重、田中は今年でキャリア10年目を迎える「ベテラン」だが、彼女らを除いた他の8名はわずか1年そこそこの新人に過ぎない。実際わたし自身、方々調べてようやく顔と名前が一致したという状況である。一般の方は、もうなんだかさっぱりわからないであろう。「モーニング娘。」という看板はまごうことなきハロプロの「フラッグシップ」だが、他のユニット、たとえばBerryz工房や℃-uteなどのメンバのほうがキャリアが長いという、面白い(?)状況になっている。

グループの知名度があるのは大きなアドバンテージだが、同時に、一般には常に過去のイメージで語られてしまうという障害も招く。メンバを常に入れ替えていくというグループの性質上、「知っている人が一人も居ないが、これが今の現役であると認知してもらうこと」というのは彼女らにとって思いのほか重要な課題かも知れない。とくに、おそらくは1年以内に控えていると思われる道重と田中の卒業の後、現役メンバたちは自らの力だけでこの困難を克服していかねばならないであろう。今後、モーニング娘。というグループを宝塚のような一種の「エコシステム」に脱皮させていくためには(このような意図があるかどうかは知らないが)、「グループのメンバ編成は常に変化している」、そんなメッセージを市場に対して訴えかけることが欠かせないであろう。今年の活動は、今後のモーニング娘。がいずれ消えてしまうのか、はたまた一つのエコシステムとして生き続けるのか、その試金石となるかもしれない。

とはいえそう簡単にはいかないであろう。モーニング娘。の主戦場であるアイドル市場は、「アイドル戦国時代」(誰が言い出したのか知らないが、上手いことを言うものである)と言われるほど非常に競争の激しいマーケットになってしまっている。言うまでもなく圧倒的なトップを走るAKB48は最大かつ最強の競合であろうが、他にも「ももいろクローバーZ」など新興の勢いもなかなか興味深いものがある。こうした競合の勢いを鑑みると、かつての覇者がフレッシュなイメージで再出発するというのは果たして業界にどのような影響を及ぼすであろうか。

(気が向けば、つづく)



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色々見ていると、プラチナ期におけるファンの思い入れは非常に強そうである。そこで、わたし自身があまりよく存じ上げなくて恐縮なのだが、現在のモーニング娘。の話をする前にもう少し「プラチナ期」について述べてみようと思う。2007年以降、2011年に9期が入るまでオーディションによるメンバの新規加入が一度もなかったため、この時期のメンバは歴代のモーニング娘。においてもいちばん長い期間同じメンバで過ごしたようである。このときのメンバは次のとおりである:

高橋愛    (5期)リーダ
新垣里沙  (5期)
亀井絵里  (6期)
道重さゆみ (6期)
田中れいな (6期)
久住小春  (7期)
光井愛佳  (8期)
ジュンジュン(8期)
リンリン   (8期)

モーニング娘。の歴史をみると、4年間も大きくメンバが変わらなかったのは珍しいようである(久住小春だけは2009年に卒業)。ここまで長期政権になるとそれなりにメンバにも色が出てくるのも頷けよう。前述したように、この時期のモーニング娘。のパフォーマンスはじつにアーティスティックで、ストイックにアイドル道を邁進していたように思う。自分で言うのも何だが、本当に「ストイック」という言葉がぴったりであろう。目立ったスキャンダルもなく、「アイドル」としてのプロ意識は歴代の中でも最高だったのではないだろうか。メンバ全員が、アイドルとしての自己規定を強烈に意識していたものと思われる。

普通に考えれば、二十歳そこそこの女性が恋愛に興味がないわけがない。尾篭な話で恐縮だが、精神的にだけでなく、身体的にも色々な興味がわく時期でもある。こういう時期において、文字通り「偶像」としての自分を演じきるというのはなかなかできることではあるまい。もちろんそれが仕事だと言ってしまえばそれまでであるが、かつて何人ものアイドルが「普通の女の子になりたい」とか「恋愛スキャンダル」で「ファンの期待を裏切る」ことがあったことを鑑みると、プロとしての矜持を強烈に感じるのである。


ただし、あまりにもストイックであったためか、バラエティなどではいまひとつ活躍できなかったというのも事実であろう。例外的に6期の3名だけは器用に(好き勝手に?)やっていたようだが、これまで「黄金期」がやっていたようなおバカな企画はついぞ見かけなくなった(わたしが知らないだけかもしれないがw)。もちろん原因は他にもあろうが、やはりテレビ的な演出を考えると高橋、新垣では地味なイメージはぬぐえない。良い悪いではなく、これも一つの方向性であっただろう。この時期にこそ熱烈なファンがいるのもこのあたりに理由があるのではなかろうか。

こうして長らくメンバが固定していたモーニング娘。だが、2010年に6期亀井が療養のために卒業し、時を同じくしてジュンジュン、リンリンが中国に戻ることになった。ついで2011年初めにに9期メンバが加入し、さらに半年後に10期メンバが加入することでメンバの新陳代謝は一気に進んだ。2011年には高橋愛が卒業し、さらに2012年5月には新垣、光井が卒業したため、モーニング娘。はある意味でまっさらな状態になったといってよい。

ここで話はようやく現在につながる。今年の5月に6期メンバの道重さゆみが第8代目リーダに就任し、「新生モーニング娘。」としての第一歩を踏み出すことになったのである。

(気が向けば、つづく)


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