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One of 泡沫書評ブログ

世の中にいったいいくつの書評ブログがあるのでしょうか。
すでに多くの方が書いているにもかかわらず、なぜ書評を続けるのか。
それは、クダラナイ内容でも、自分の言葉で書くことに意味があると思うからです。

6.プラチナ期

5期メンバの高橋愛がリーダに就任した頃のモーニング娘。は一般に終わったグループだと思われていると書いた。実際、セールスもパッとせず、一般への露出も限られれば、にわかにはそう思うのも致し方ないだろう。わたしもそうなので人のことは言えない。

しかし、色々興味をもってみていくと、どうやらこの時期、モーニング娘。のライブパフォーマンスはグループ史上において頂点に達していたようなのである。俗に「高橋体制」と言われる2007年から2011年までの期間、ファンからはアルバム(?)のタイトルを取って「プラチナ期」と呼ばれているようだ。この時期は、なんというかアイドルというより(アイドルなのだが)、何か鬼気迫るプロ意識を感じる不思議な時期なのである。ライブパフォーマンスの激しさとその完成度をみると、わたしのようなロートルは客席にいるだけで疲弊してしまいそうなほどである。また、アイドルとしてのビジュアル性もかなりのもので、デビュー当時はまだ子供だった5期の高橋、新垣、6期の亀井、道重、田中の5名が「大人の女性」に成長しており非常に驚かされる。おまけに歌唱力も歴代の中で群を抜いているという状況であった(道重除く)。

確かに、この時期の映像を観てみるとじつに「カッコイイ」。そして、子供だと思っていたメンバが皆、ものすごく「カワイイ」。「黄金期」のメンバに比べると華やかさはないが、それはおそらく時代の後押しがあったかないかの違いで、客観的に観ればパフォーマンスとしての完成度は比べ物にならないほど高いものだ。何というか、アイドルってここまでやるの?という感じである。

エポックとなるのが『リゾナントブルー』であろう。これをライブで観たら、まあよほど嗜好のベクトルが異なれば別だが、普通に「なんだこりゃ。カッコイイじゃないか」と思うのではないか。無論、所詮アイドルだといわれてしまえばそれまでであるが。


話はやや逸れるが、この時期のハロプロは、モーニング娘。の他にも「℃-ute(キュート)」の矢島舞美、「Berryz工房」の菅谷梨沙子や須藤茉麻、またソロで活躍する真野恵里菜など、ビジュアル的にはおそろしく美形のメンバを排出しており、オッサンからするとどうにも理解できない方向へ進化しているように思えてならない。実際、この後9期10期として加入することになる子供たちは、これらハロプロのメンバに影響を受けてオーディションを受けたり、ジュニア育成機関などで育っているらしく、わたしの知らない方向でファン層を広げていったように見受けられる。


この時期のハロプロは「ハロヲタ」「モーヲタ」と呼ばれる一部のコアなファンによって支えられていたものと思われる。そもそも音楽市場そのものがシュリンクする状況にあって、また同じファン層を食い合う強力な競合「AKB48」の台頭などもあって、果たしてハロプロおよびモーニング娘。は商業的にどのような位置づけにあったのだろうか。このあたりきちんと数字を追っていないので恐縮だが、おそらくは非常に苦しかったのではないだろうか。当時のアップフロントの戦略や思惑など、サラリーマンとしては別の意味で気になるところだが、それは兎も角、5年間にも及んでリーダを務めた高橋愛の卒業が2011年、そして新垣里沙の卒業がこの2012年の5月のことである。

(気が向けば、つづく)


5.ラガード期

この当たりから「イノベータ理論」に当てはめるのが厳しくなってくるが、便宜上2003年から2007年くらいまでをラガード期としたい。

後藤卒業以降に起きた象徴的なエポックをあげるとしたら、まずは2005年の矢口真里の脱退が挙げられるであろう。この「事件」は、歴史を振り返ると、その後のモーニング娘。の一つの転換点に思える。

2003年、第6期メンバとして亀井絵里、道重さゆみ、田中れいなの3名に加え、すでにソロで活躍していた藤本美貴の4名が加入し、モーニング娘。は16名体制となった。その後すぐに保田圭が卒業したため、メンバはしばらく15名体制で活動することとなる。数が多すぎたせいか、モーニング娘。本体はそれぞれ「さくら組」「おとめ組」の2体制に分かれることになった。しかしこの仕組みはその後2004年に辻、加護の両名の卒業とともにうやむやになったようだ。なお、長らくエース格として活躍したなっちこと安倍なつみはこの頃に卒業している。

この頃はまだバラエティや地上波の歌番組にも頻繁に露出しており、未だ知名度は衰えていないが、明らかに往時の勢いは失われてきたように思う。ちなみに、私事で恐縮だがわたしがもっともハマッたモーニング娘。はこの時期(15名体制)のことである。それまでわたしは松浦亜弥にばかり注目していたのだが、第6期が加入したあたりでモーニング娘。本体の魅力に気づき、さかのぼって色々観始めたのである。つまり、わたしが自分で分類した類型に寄れば完全なレイトマジョリティ、考えようによってはラガードに近い。このように流行に疎いわたしがAKB48にハマらないのも必然といえるだろう。

話が逸れたようだ。

2005年になると、すでに述べたように突如として矢口真里の「脱退」が起きる。折りしも2代目リーダの飯田香織が卒業してつかの間のことであった。飯田の後、3代目リーダとして就任間もない矢口真里が「恋愛スキャンダル」によって「脱退」してしまうというこの「事件」は、おそらく事務所的にも最悪のタイミングであっただろう。というのも、これは石川梨華の卒業を直前に控えたツアーの真っ最中でもあり、また7期メンバ久住小春が正式に加入する直前のことでもあったからだ。他のメンバはさぞ混乱したものと推測される。

これがもし、石川梨華の卒業、そして久住小春の加入の後、ある程度プロモーションが完了した時期であれば多少対応も違っていたかもしれない。明らかに安倍・飯田が卒業した後のモーニング娘。の看板は、キャリアの長さやバラエティでの露出の面で矢口以外にはあり得ず、これらのイベントの後でのことなら、もう少しソフトランディングできていたかもしれない。この件については色々と取り沙汰されているが、昨今の矢口真里の成功を見るにつけ、わたしもついつい「下衆の勘繰り」をしてしまいそうになる。歴史小説なら格好の題材になる状況であろうが、いずれにしてもモーニング娘。にとっては相当ネガティブな影響を及ぼしたものと想定される。

ちなみにハロプロ内でもっとも人気のあった安倍なつみ、後藤真希、松浦亜弥そして石川梨華の4名で「DEF.DIVA」というユニットが作られたのもこの頃(2005年)である。これは非常に華やかなユニットであったが、人気メンバの寄せ集め、悪く取れば「テコ入れ」とも受け取られかねない編成であった。これもまた後知恵だが、こうした手を取らざるを得ないほどハロプロが落ち目になっていたことを逆説的に証明していたのかもしれない。(とはいえ、今見ても非常に華がある。この時期がもっとも「円熟した」時期といえるかもしれない。)

矢口のあとは4期メンバの吉澤が引き継ぎ、混乱を収拾しつつ5代目リーダとして2年近くメンバを引っ張っていたが、2007年の吉澤の卒業に際してまたしても「事件」が起きる。この頃、第8期メンバの光井愛佳、中国からの留学生・ジュンジュン、リンリンの3名が相次いで加入することになるのだが、吉澤の卒業に伴いリーダが藤本へバトンタッチされるや否や、直後にスキャンダルで藤本が「脱退」することになったのである。改めて日付を見るとなんと吉澤卒業から1ヶ月も経っていない。再びモーニング娘。は混乱した(と思われる。実態はよく知らない)。

また、やや時間が前後するが、2006年には加護の「喫煙事件」が起きている。その後、2007年には再度の「不祥事」を起こしたということで、ハロプロから脱退(契約解除)させられている。これはすでにモーニング娘。本体を離れた後のことであったが、現役時の彼女のイメージを考慮すると、残念ながら相当ネガティブな印象を与えたのは事実であろう。

新メンバの加入と主力メンバの脱退。「卒業」というかたちできれいに組織が作れず、スキャンダルからの脱退という混乱でますます組織が弱体化していく。この当時のモーニング娘。は傍からみるとそのように映る。2007年以降は冠番組も次々と終了し、メディアへの露出も減る一方であった。一般のイメージでもこの頃にはもう「過去のグループ」となっていただろう。わたし自身、この頃には興味をほとんど失っており、実際のところどういう状況だったかはよくわからない。この記事もWikipediaを見ながら書いている。ただ一つ確実なことは、一般のイメージは間違いなく「終わったグループ」「スキャンダルでメンバが脱退するグループ」になっていただろうということだ。

しかし、色々調べていると、じつは吉澤ひとみから高橋愛へバトンを渡された、2007年以降のモーニング娘。はかなり興味深い進化を遂げていたようなのである。

(気が向けば、つづく)

4.レイトマジョリティ期

2000年~2002年頃をレイトマジョリティ期と定義したい。2000年に第4期メンバとして石川梨華・吉澤ひとみ・辻希美・加護亜依の4名が加入し、『ハッピーサマーウェディング』や『I WISH』、『恋愛レボリューション』『ザ☆ピース!』などの曲を発表した時期である。



この4期メンバは明らかに「当たり」で、石川と吉澤、辻と加護の組み合わせはそれぞれ対照的ながら、ビジュアル的にもキャラクタ的にも非常に華があった。この時期は冠番組である「ハロー!モーニング」なども始まり、メンバはバラエティや歌番組などでも引っ張りだこで、特に勢いのあったフジテレビでは「めちゃイケ!」で複数回特番が企画されている。「ミニモニ」や「三人祭」など、ハロー!プロジェクト内でメンバを入れ替えるシャッフルユニットが数多く編成され、それらがいずれもヒットしまくり、イベントも大盛況という状況で、何かやれば何でも当たるといっても過言ではないまさに「黄金期」であった。余談だが、このとき松浦亜弥や藤本美貴などもソロデビューしており、ハロプロはこの時期この世の栄華を極めていたといえよう。

ここにおいて、彼女たちの国内での知名度と人気はほぼ頂点に達したと言っていいだろう。「国民的アイドル」と呼ばれ始めたのもこの頃のようである。

先ほど「黄金期」と書いたが、実際、ファンの間ではこの時期を「黄金期」と呼ぶこともあるようだ(…と書いたが、実際はよく知らない)。いずれにしても、モーニング娘。のことを積極的に知らない人がイメージするのはこの頃のメンバだろう。中澤姉さん他、飯田、なっち、ゴマキ、矢口、圭ちゃん、つじかご、チャーミー石川、よっすぃ~の10名である。実は中澤は2001年にモーニング娘。を卒業しているのだが、『恋愛レボリューション21』にも参加し、ハロプロ初期メンバかつ最年長(?)として知名度は抜群なので黄金期に所属すると考えてよいだろう。

2001年以降には第5期メンバである高橋愛、紺野あさ美、小川真琴、新垣里沙の4名が加入し、モーニング娘。は13名体制という大所帯になった。この時期も『Mr.ムーンライト~愛のビッグバンド~』『そうだ!We're ALIVE』などのヒット曲に恵まれており、聞き覚えのある人も多いだろう。ただ、有名になりすぎた反動か、はたまた派手な3期4期の成功を見て色を変えようと思ったのか、第5期メンバはそれまでの3期4期に比べいささか地味な印象であり、あくまで結果論だが、彼女らはバラエティなどにおいて今ひとつ結果を残せなかった。これは一つの方向性を決定付けることになるのだが、それはまた後の話である。

2002年、人気絶頂の時期に後藤真希が卒業しモーニング娘。は一つの区切りを迎える。依然として忙しい状況であるのは変わりなく、見た目には人気は衰えていないのだが、この世は何事も諸行無常、盛者必衰の理(ことわり)である。この頃から次第にモーニング娘。の人気は停滞し始めたように思える。

(気が向けば、つづく)
3.アーリーマジョリティ期

1999年前後、モーニング娘。は後藤真希を新メンバとして迎えることになった。第3期メンバとしてただ一人オーディションを勝ち残った彼女は、当時、弱冠13歳にもかかわらず、とても中学生に見えない端正な顔立ちに加え、ド派手な金髪といういでたちでインパクトは十分すぎるほどあった。その後藤が加入してすぐに発表されたシングル『LOVEマシーン』の出来栄えも素晴らしく、スマッシュヒットしたことは皆さんよくご存知のとおりだ。わたしは音楽に疎いのでうまいこと評価できないが、わたしのような素人が聞いても、「ウムこれはヒットするのも当然の名曲やね」と言わされそうなw勢いを感じる。実際、この曲はモーニング娘。最大のヒットを記録し、セールスはダブルミリオンまで後一歩というところに迫るほどだった。

ここへ来て、モーニング娘。は完全に「キャズムを超えた」といえよう。デビューからわずか2年足らずでここまでのし上がることができたのは、後藤真希の加入やプロデューサつんく♂の手腕等、色々な要因があると思うが、わたしは何か、時代の「綾」のようなものを感じる。この頃になってくると、若い世代で「モーニング娘。」のことを聞いたことがない人を探すのが難しいほどになってくる。わたしのような情報難民ですら『LOVEマシーン』の有名なサビ、「ニッポンの未来は~♪」を知っていた。ただ後知恵かもしれないが、この時点ではまだ若い世代だけが知っているという状態であったと思う。「うたばん」における「保田いじり」「飯田いじり」はこの頃だと思われるが、実際わたしはリアルタイムで観たことがなく殆ど詳細を知らなかったし、日常的に音楽やテレビに接しない人や、世代の異なる方々にとってはまだまだ知名度が低かったと思われる。

とはいえもう「キャズム」は超えている。あとは時間の問題だっただろうし、実際、一気にスターダムにのし上がったのは歴史の示すとおりだ。ちなみに矢口真里の「セクシービーム」でおなじみの『恋のダンスサイト』は、第4期加入直前のこの時期(2000年)のことである。つんく♂も神がかっていたいたのであろう。わたしなども、願わくば人生で一度くらいこういう経験をしてみたいものである。



ところで今、『LOVEマシーン』を改めて聞き返してみて意外なのが、当時はみんな歌が上手だったということだ。現在のモーニング娘。は「歌割」が非常にはっきりしており、歌唱担当は明確に分かれているのだが、このMVを観ると飯田や市井、圭ちゃんに至るまできちんと歌割があって、しかもけっこう上手い。やはりモーニング娘。はアイドルというよりは正統派の歌手グループという分類のほうがよい気がしてくる。

(気が向けば、つづく)


モーニング娘。その1はこちら

コンサルティングやマーケティングの世界で使われる「イノベータ理論」というものがある。イノベーションが普及する際の購買の動向を5つのステージに分割するというアレで、もちろん意識の高い皆さんはご存知だと思うが、念のため説明すると、イノベーションは概略次のような順でフォロワーが広がっていき、一般に膾炙していくという理屈(?)である:

1.イノベータ 誰も知らない頃から注目してる人
2.アーリーアダプタ 早い段階でその流行に接する人
-------------------キャズム--------------------
3.アーリーマジョリティ 普通よりちょっとだけ敏感な人
4.レイトマジョリティ 保守的な人
5.ラガード ものすごーく保守的な人

少しだけ補足すると、2.のアーリーアダプタと3.のアーリーマジョリティの間に「キャズム」と呼ばれる一種の溝、壁のようなものがあって、これを超えないと爆発的な流行に至らないということだそうだ(キャズム理論)。これを俗に「キャズムを超える」というらしい。これをいったん超えてしまえば、あとは面白いように広がっていく。iPhoneやiPodなどの流行などは記憶に新しいところだ。

パッと見た感じ、このフレームはモーニング娘。の栄枯盛衰を説明するのにとても都合がよさそうである。実際には少し違和感があるというか、これでは消費する側とされる側が正反対になっているため理論の使い方としておかしいのだが、とにかくちょっとこの「イノベータ理論」および「キャズム理論」を援用させていただきながら、モーニング娘。の歴史を簡単に振り返ってみたいと思う。なお、わたしの主たる情報源は、Wikipediaを初め、YouTubeや2ちゃんおよびそのまとめサイト、その他、タダで読めるWeb記事と10年前の記憶などであるため、そのつもりで読んでいただきたいw なお、文中敬称略とする。

1.イノベータ期

1997年、ASAYANでオーディションが行われ平家みちよが合格した。このとき、直前で不合格となった次点の5名を集めて一つの企画がなされた。言うまでもなく、この5人で全国をめぐり、手売りで5万枚のセールスを達成すれば「デビューさせる」という企画である。もちろんこの5人とは、第1期メンバである中澤裕子・石黒彩・飯田圭織・安倍なつみ・福田明日香の5名のことだ。このときはまだ、ほとんどの人が彼女たちの存在を知らなかっただろう。もちろんわたしも例外ではなく、そもそも彼女らの存在どころか、ASAYANという番組があったことすら知らない。まさに黎明期であった。

2.アーリーアダプタ期

1998年前後、早くも第2期メンバのオーディションが行われた。ここで、保田圭・矢口真里・市井紗耶香の3名が加入し、1998年頃の『サマーナイトタウン』『抱いてHOLD ON ME』『真夏の光線』など、ファンにとっては比較的なじみ深い楽曲が相次いで発表されるが、当時はまだほとんど注目されなかった(と思う)。


また、メンバの中で特に歌唱力に定評のあった、最年少メンバの福田明日香はこの時期に脱退している。彼女については、他のメンバからいじめがあったなどの噂があるが、ことの顛末についてはあまり詳しいことはよくわからない。いずれにしても、この福田の脱退と2期メンバの加入を境に、メンバが頻繁に入れ替わるという現在にもつながるモーニング娘。のスタイルが出来上がったといえる。

グループにおいてメンバが入れ替わることは音楽界においてはそれほど珍しいことではない。たとえば、英国のロックバンド「DEEP PURPLE」などはバンドのメンバが入れ替わり、脱退だけでなく再加入もあった。また、本邦においても「ラウドネス」などの例がある。とはいえ、いわゆるアイドル・グループがそのメンバを頻繁に変えるというのは例がないのではなかろうか。モーニング娘。はそもそも「アイドル」なのかどうかという議論もあろうが、少なくともわれわれのような音楽に疎い人間からすると非常に新鮮な演出に映ったことは間違いない。

この当時のモーニング娘。は「アーリーアダプタ」の典型的な例といえるだろう。先鋭的なファンの間では話題になっていながらも、その知名度は未だお茶の間にまで達してはいなかった。当時の状況からすれば、このままブレイクスルーができず、歴史の片隅に埋もれてしまった可能性も十分にあっただろう。だが、ここでまさに「キャズムを超える」出来事が起きた。

(気が向けば、つづく)

先日なにげなくYouTubeで「モーニング娘。」の動画を見かけ、10年くらい前にハロー!プロジェクト、とりわけ松浦亜弥さんとモーニング娘。本体にかなりハマッたことを思い出した。懐かしくなって当時の映像をいくつか観ていたら、いつのまにか現役のモーニング娘。にどっぷりとハマッてしまった。三十路をとうに過ぎたおっさんが、中学生や高校生がほとんどの子供たちが歌って踊る映像を見てニヤニヤするのは本当に申し訳ないと思うが、ハマッてしまったのは致し方ない。

おっさんがしみじみ語るのが気持ち悪いのは重々承知だが、もし興味が少しでもあれば『恋愛ハンター』と、通算50曲目のシングルとなる『One・Two・Three』をぜひ映像で観てみてほしい。われわれ世代が知っているモーニング娘。とは違う、何というかとても「かっこいい」印象を受けるのではないか。最初は「え?ナニこの歌?ナニこの変な踊りw」と思うかもしれないが、何回も聞いてると麻痺してきてクセになると思う。昔、一度でもハロオタになった覚えがあるおっさんおばさんは、きっと新メンバや道重さんについて何か色々と評論したくなること請け合いだ。もちろんわたしも同じで、だからこそこんなしょうもないエントリを起こそうと思ったのである。筆の勢いで何かと引き合いに出されるAKB48との違いについても語りたくなるが、それはいずれまたの機会に譲るとして、ここでは筆の乗るまま、何回かに分けてモーニング娘。について書かせていただこうと思う。



リアルタイムでは存じ上げなかったのだが、ちょうど今年(2012年)の5月に、7代目リーダーである新垣里沙さん(と8期の光井愛佳さん)が卒業されたそうだ。黄金期を支えたメンバはとっくの昔に居なくなってしまっており、比較的モー娘。として認知されているであろう5期メンバも、高橋愛さん、新垣里沙さんの相次ぐ卒業で誰も居なくなってしまった。このような状況にあって、あえて言うがモーニング娘。は完全に「過去のグループ」として人々の記憶から消えてしまっているのではないだろうか。かくいうわたしもこの『One・Two・Three』を観るまではそう思っていた。「モーニング娘。?あ、まだやってたの?何期メンバとか言われてもわからないよ」と。

モーニング娘。だけでなく、松浦亜弥さんやメロン記念日、カントリー娘といった多数の人気ユニットを擁するハロー!プロジェクトは、90年代後半から2000年初めにかけて爆発的に大ヒットした。日本人で知らない人は居ないのではないかというほどの盛り上がりを見せ、国民的アイドルの名をほしいままにしていた。その「黄金期」を知るわれわれの世代にとって、「モーニング娘。」と言われて思い出すのはやはり後藤真希さんであり、安倍なつみさんであり、加護亜依さんや辻希美さんであろう。そして、そのときに頭に流れる音楽は『LOVEマシーン』や『恋愛レボリューション21』、『ザ☆ピース!』などの曲に違いない。じっさい、テレビなどもそういう扱いのようで、OGたちで結成した「ドリームモーニング娘。」という新しいユニットにおいても、やはり選曲はこれらのヒット曲が中心となっている。つくづく、人気商売において「ヒットし続けること」「人々の記憶に残り続けること」ということの難しさを痛感する。

しかし、である。冒頭にも述べたように、新垣里沙さんの「卒業ソング」である『恋愛ハンター』や、50曲目のシングル『One・Two・Three』を観たりしているうちに、あっさりとモーニング娘。の魅力にとりつかれ、今ではいい年して「ライブ、見に行ってみようかな…」「握手会か…」などと、10年前ですら思いもよらなかったことを思うようになってしまった。

(気が向けば、つづく)

算数・数学が得意になる本 (講談社現代新書)/講談社
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ここのところ、わたしのいる業界で数学、とりわけ統計学の重要さが非常に高まってきている。「ビッグデータ」なるバズワードもずいぶん人口に膾炙し、いまや猫も杓子もビッグデータの大合唱だ。しかしながら、実際に超大量のデータを使った解析を行う、いわゆる「データ・サイエンティスト」の数ははっきり言ってぜんぜん足りていない。実際、実務レベルで”ビッグデータ”を扱えているのも一部の先進的なウェブ系企業(Google、FacebookやGREE等)だけであって、ベンダが手を出せているとは思えない。完全に(ハード屋/アプリ屋の)マーケティング先行型のブームであろう。 

と、まあ偉そうなことを言ったが、もちろんわたし自身にこうした高度なリテラシがあるわけではないので、別に何か上から語れるようなことは何もない。単に数学の本を読んだからこういう前置きが言いたかっただけである。あまりきれいに本文につながりそうにないので、前置きはこの辺にして本題に入ろう。

本書は数学教育の専門家が、四則演算から微積分まで、つまり小学校~高校までの算数・数学を一通りおさらいしてくれるという内容だ。著者のこれまでの経験を元に、あらかじめ初学者が「躓きやすいポイント」を先回りして押さえてくれているので、大変わかりやすい本に仕上がっている。内容は高校までの数学なので、言い方は悪いが高校までの数学ができるなら「簡単すぎる」内容である。ただし、人それぞれ分野によっては苦手なところもあるだろうから、手軽に全体を復習する本としてはお勧めだ。

とはいえ、算数・数学が苦手な人は、これを読んでも数学特有の「わかったようなわからないような・・・」という感覚は完全に払拭できないだろう。やはりいくらか反復練習をしたベースがないと、知識として定着するレベルにはいたらないのではないだろうか。また、易しいとはいえ当然ながら数式や記号、図形などはガンガン出てくるので、こういうものにアレルギがある人は読み進めることすら辛いだろう。

そういう意味では、おそらくこの本の対象読者は現役の学生か、もしくはそうした子供を持つ親のために書かれたものであろう。(と思ったら、前書きにもそういう趣旨のことが書いてあった。) 子供ができたら読んでおきたい本だ。

過去の書評> 数学でつまずくのはなぜか
語学で身を立てる (集英社新書)/集英社
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Polyglot という言葉がある。日本語で言えば「多言語話者」というらしい。Poly- というくらいだから複数だというのはわかるが、ではいくつくらいの言語を操れれば Polyglot を名乗れるかといえば、じつは明確な定義があるわけではないらしい。ただ、 Multilingual という言葉があることを考えると、やはり四ヶ国語以上操れる人のことを呼ぶことが一般的だそうだ。

ということで例によって前フリは以上だが、著者は母国語である日本語はもちろん、イタリア語、フランス語、ドイツ語、英語他、都合7ヶ国語を操る、文字通りの Polyglot であるという。そんな語学研修のプロである著者が、実務家の観点から非常に丁寧に「身を立てる」方法について指南してくれている。

ところで本書のタイトルは『語学で身を立てる』であるから、当然ながら語学学習の話はまるで書いていない。英語の学習法などはほとんど書いていないので、そういうものを求めている向きは、うっかり間違って買わないように注意を促したい。ただ言語学の話や語学学習メソッドの話も多少入っているので個人的には結構ためになった。意外にこういうことは英語学習の本に書いていないものだ。参考までに提示しておこう。

<代表的な英語学習法>




メソッド特徴など
訳読法一字一句を母国語に訳していく)
ダイレクト・メソッド学習言語を用いて学ぶ
オーディオ・リンガル・メソッドヒアリング→スピーキング重視
コグニティブ・メソッド(認知法)文法を理解することによって言語運用能力を発達させる
コミュニティカブ・アプローチ


この他にも色々あるらしいので、興味のある向きはすこし調べられてはいかがだろうか。わたしだけかもしれないが、独学ばかりでやっていると体系的な学習法とか教授法とかを知らないので、どうも効率の悪いことをしている気がしてならない。もちろん語学学習は個人の努力と忍耐が一番重要であり、一義的には勉強にきちんと時間をかけることがすべてだと思うが、実際には短期間で一気に習ってしまうという方法論もある程度確立されているらしいので、調べてみるにしくはないだろう。(しかるべき先生を見つけ、きちんとお金をかければ、であるが)。

本書の面白いところは、タイトル通りきちんと目的を果たしているところだろう。語学屋にありがちな、無駄に薀蓄をひけらかしたり、やけに叙情的な感じになったりすることがないのも好感が持てる。市場の説明や細かい職種の紹介、先達のキャリアや語学留学の要否など、700円で得られる知識としては十分すぎる内容だと思う。多少ビジネスに寄りすぎているところもあり、非論理的な表現を許してもらえば、「文系的な」人は少し違和感を感じる内容かもしれないが、わたしは必要な目的に対して手段をきちんと提示しているところに好感を持った。著者自身もきっとこの本のとおり、プロフェッショナルに徹したビジネスマンなのだろう。ということで、ぜひ一読をお勧めしたい一冊だ。



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なんとなく思い立って観てみた。二年前に非常に簡単な感想を書いたが、今回あらためて観直してみると色々な発見がある。と言っても英語の勉強を兼ねて英語字幕で観たので内容が把握できていない部分もあるかもしれないが、以下に少しだけネタバレとともに感想を書いた。

本作はご存知の通り、ベストセラー作家スティーブン・キングの書いたミステリー小説を下敷きに、フランク・ダラボン監督が映画化したものだ。Wikipediaなどをみると、原作は『刑務所のリタ・ヘイワース』という名前だったそうだ。リタ・ヘイワースは40年代アメリカで人気を博した女優さんだそうだが、本作の非常に重要な位置を示すある意味でネタバレの一種なのかもしれない。まあ、とにかく本作は人生で一度くらい観てまったく損はない名作だと思うので、ぜひ機会を見つけて楽しんでいただきたい作品である。

【ネタバレ】

以下はネタバレを含む感想であるので未見の方はご注意ください。

本作の評価は高く、一般には概ね「希望を捨てず数十年もの間、忍耐強く頑張った主人公の感動物語」というものだろうと思う。たしかに表層的にはそのように映る。有能な銀行員だった主人公・アンディは、娑婆でのスキルを塀の中においても遺憾なく発揮し、刑務所内においても特殊な位置についた。はじめは主任刑務官の節税を手伝っただけだったが、噂を聞きつけた多くの刑務官の手助けをするうちに、いつの間にか所長の秘書のような立場になり、かれの「裏帳簿」を管理するようになる。

こういうシーンを観て凡人たるわたしはどう思ったか? もちろんこれは、「希望を諦めなければいつかかなう」などという感想ではなく、「塀の中ですら、やはりこれまで培ったスキルが全てであり、何にもできないやつは何にもできないまま朽ちていくのだな」という諦念であった。

考えてもみよ、終身刑で刑務所に収監され、そこから出てきたといっても、多くはブルックスのように悲しい末路を遂げるだけだろう。50年も刑務所で暮らし、徹底的に世の中とズレた状態で社会復帰するなんて無理に決まっている。しかし、意思の力と、それを裏付けるスキルさえあれば、こんな世界でも一定の地位を手に入れ、それを利用してさらに娑婆でのお金も工面することすら出来るのだ。

芸は身を助く、というと少し矮小化しすぎている感もあるが、結局はそういうことだろう。one of themなら何処にいても希望は持てないが、自分のスキルを高く売れる市場があり、そこに適切にマーケティングをして売り込み、さらに高い目的のために活動すれば、いつか希望は花咲くかもしれない。たとえそれが10年20年という歳月の先にあるものだとしても、諦めなければいつか希望は手にすることが出来る。―――ただし、スキルがあれば。これが本作最大の教訓だろう。そう考えると穿ちすぎだろうか?

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【ネタバレあり】

映画評論家の町山智浩さんが著書でご紹介されていたもの。どうやら実際にあった出来事をベースに脚本が書かれているようだ。あらすじを書くのが得意ではないのだが、ある程度説明しないと書きたいことが書けないので、仕方がないのでがんばって書いてみよう:

―ーーカリフォルニア州近くのリッチモンド。ここはアフリカ系アメリカ人やヒスパニック系の住民が多い、いわゆる貧困層が多く住む地域だ。リッチモンド高校のバスケットボール部は弱小で、最近の戦歴は4勝22敗、チーム内の空気も荒んでいる。かつてリッチモンド高校の躍進を支えたOBのケン・カーターはスポーツ用品店を営む経営者だが、前任のコーチからの紹介(?)で4ヶ月だけ母校のバスケットボールチームのコーチを引き受けることになった。

バスケチームのコーチを引き受けたカーターは、就任早々、部員たちと契約を結ぶ。その内容は、「授業に毎日出席し、一番前の席に座ること。成績はGPA2.3以上を維持すること。練習には遅刻しないこと。これを守れなかったものは腕立て1000回!」というもの(細かいところは適当ですw)。部員たちは反感を覚えつつも、カーターに従ううちにチームはみるみる強くなっていき、チームは勝利を重ねていく。しかし、部員たちは次第に増長し、学業もおろそかにして成績を維持できなかった。カーターはこれらの「契約」の罰則を遂行し、体育館をロックアウトする。当然、試合もキャンセルすることになり、市民や親からの猛批判を受けることになる。ーーー

と、まあ相変わらず下手くそなあらすじだが、だいたいこのような話である。コーチ・カーターは、スポーツを教えるだけでなく、人生に必要な忍耐や学問などの大切さを身をもって教え、まともに卒業すら出来ず、貧困のスパイラルに陥っている母校をなんとかしたいと考えていたのだ。そのカーターの崇高な考えに、校長を始め、現実の前に屈していた人々がどんどん感化されていき、最後はその教え子たちの一部がきちんと大学に進学し学位を取るという感動的な映画である。

さて、前振りはここまでで、本当に書きたかったのはこんなことではない。おそらく、日本の視聴者はこの映画を観たら誰もが同じ感想を持つであろう。それは、「クルーズ」という部員である。

彼は3ポイントシュートが得意な選手なのだが、最初の契約のシーンでカーターに捨て台詞を吐き、荒んだギャング生活に身を落としてしまう。その後、試合で輝く元チームメイトを見て、もう一度チームに戻りたいと体育館にやってくるのだ。そのときのシーンが、

安西先生・・・バスケがしたいです・・・

にしか思えないのである。そういう意味でも面白い映画であった。