数学でつまずくのはなぜか | One of 泡沫書評ブログ

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数学でつまずくのはなぜか (講談社現代新書)/小島 寛之
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小中高を通して学習する教科の中で、数学はほかの主要教科に比べて一種独特の立ち位置にあるような印象を受ける。一部の数学を愛する人は、数学は社会をより鮮やかにしてくれる素晴らしい知識であると説くが、多くの人にとっては文字通り「数が苦」であり、憎しみの対象であったりする。


残念ながら世の中にはこうした「数学が素晴らしくて仕方ない」と思える人と、「数学なんて大嫌い」という人の間に大きな断絶がある。前者がいくら声高に宣伝しても、後者の耳には届かないだろう。著者はこうした断絶をなんとかして埋めようと、本書で数学の親しみ方を教えてくれている。そして、それはかなり、成功したといえよう。


著者は学校数学の基礎となる「代数」「幾何」「解析」のそれぞれについて、子どもがつまずきやすいポイントについて実例を挙げ、解説しながら数学の親しみ方を非常に分かりやすく書いている。数学が得意だったという人も、自分の過去を振り返ってみて「そうそう、そういえばここでつまずいた」と懐かしく思いだすのではないだろうか。当時、「これはこうすれば点がもらえるが、本当はどういう意味なんだろう?」というような記憶はたくさんあると思うが、大人になった今、そうした疑問を振り返るのも面白いと思う。子どものいる親には必ず読んでほしい内容だ。



ところで数学は創造的な学問だとよく言われるが、学校でやる数学は少し違っている。たとえば本書でもこのような紹介がある。


「アメリカの経済学者であるボウルズとギンタスの実証研究によれば、学校教育の中での語学や数学の成績は、意外なことに、「創造性」「積極性」「独立心」などとは負の相関を持ち、「我慢強い」「堅実」「学校への帰属意識が強い」「如才ない」などの性質と正の相関を持つとのことだ」(本文p29)


要するに、自分の頭で考える人ほど、学校の勉強に苦手意識を持つということを言っているわけだ。


わたし自身の経験からもこれは正しいと思う。受験数学を経験した人はご存じだと思うが、いわゆる受験のための数学は、ひたすら解法をパターン化して覚え、それをいかに反射的に再現するかというテクニックを反復練習すればよいので、本質的な理解が得られなくても別に構わない。むしろ自分で考えるのではなく、ある程度のところで割り切るというのが王道であるといえる。逆に自分でとことん考えるというスタイルは、スピードの上では有害であったりする。


たとえば「数学的帰納法」などは、仮定の仕方を知っていればOKであり、「背理法」なども「矛盾である」という言葉とセットで覚えれば、意外とテストの点は取れる。むしろ「背理法って、一体どういうことなんだ?」と本質的なところに疑問を持つような学生は落ちこぼれていく可能性が高い。こうした本質的な部分は、それこそ数学の根幹であるから、ふつうのガキが理解するのには時間がかかるためだ。そしてそれは当り前なのだが、まさにその思惟の時間こそがネックとなって、授業についていけなくなるのだ。


だがこうしたことはある意味では仕方のないことであろう。創造力を中心に育てようとする教育はリスクが高いし、公教育としても配慮を欠くだろう。これはバランスが難しい問題だが、日本のように人間の数が多い国で一定のレベルを確保しようとすると、画一的な詰め込み、知識偏重となってしまうのは致し方ない気がする。しかしグローバル化が進み、産業構造が変わった今、こうした「富国強兵」的な考えはすでに時代遅れとなっているのも事実である。


先日紹介した「ドキュメント高校中退 」のように、そもそもそれ以前の問題もあったりと、公教育を取り巻く状況はいつの世も難しいものだ・・・。