ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 | One of 泡沫書評ブログ

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ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書 809)/青砥 恭
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格差が広がるといわれる日本社会において、ますます社会問題化する学力差だが、すでに問題はそういうレベルではないという強烈な事実が活写されている。読んでいて辛くなる本だ。日本もここまで来ていたか・・・と暗澹とならざるを得ない。


著者は高校を中退する若者たちにインタビューを続け、その背後に貧困があるとみる。すなわち貧困が、すべての基盤である家庭や家族を崩壊させ、負のスパイラルに落ちていく最大の原因であると分析しているのだ。したがって教育に関する問題と、その原因となり得る貧困を、社会全体の損失とみなして解決していくことを強く求めている。非常に妥当な提案といえる。


ただ、こうしたフィールドワークを熱心に行うようなジャーナリストにありがちなのだが、格差の原因を「新自由主義」とかに求めるところだけは残念だった。やはり目の前に悲惨な少年少女が居ると、ついそう感じてしまうのだろう。わたしもそうだったから、気持ちはよくわかる。著者はところどころで、競争を強要する社会のありようを批判し、「共生」を説くが、残念ながら競争を否定すれば衰退が待っているだけなのだ。そうなると、最初に切り捨てられるのはこの本に出てくるような若者たちだろう。非常に逆説的だが、この事実を受け入れないと、構造的になにも解決しないのだ。本文にある「友だちを蹴落とし、競争に勝ち抜くことを生きがいにする子ともはいないのである。(p226)」などのような「やさしい」論理が、逆に作用していることに気付いてほしい。


おそらく「新自由主義」とか批判されるような人は、まさにこのような「生まれながらの機会の不平等」をなくすために日々奮闘し、たとえばその解決策のひとつとしてのベーシックインカム(BI)や負の所得税を模索していたりするのだと、わたしは思っている。しかし、真に競争的な提案は既得権益層の反発にあって骨抜きにされ、その結果、「競争原理が人心を荒廃させる」というような宣伝でデモナイズされてしまうのだ。


だから、出来れば著者のような人こそが、経済を正しく俯瞰し、「機会の平等」と「セーフティネット」、あるいは「フレキシキュリティ」などを正しく整備したうえで、健全な競争を促進させ、経済成長を促すべきだと主張してほしいものだ。



ちょっと関係ないが、いつもなんとなく見てしまう暇人速報でこんなのがあった。だが、これは笑えない。


ゆとりはここまでひどいのか・・・と思ってしまったこと - 暇人速報


暇人速報なのでこれは単なる「放談」で済むが、現実問題として、ある世代で傾向的に見られる学力低下は「嘲笑」してすむような問題ではない。この低下した学力の原因は、著者の言うように、貧困による構造的なものでああるだろう。「ゆとり」とかいって笑っていられるうちは、幸せである。