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先日、極東ブログの書評を読んで『小倉昌男 経営学』を読んでしまった、というエントリをあげたが、あれ以来、小倉昌男さんが気になってしかたがない。色々みていると、またしてもfinalventのおじさんが気になる書評を上げているではないか。早速アマゾンに行ってみるも、在庫がない。マーケットプレイスで買ったら38円だった。なんということであろうか。こんなにいい本なのに、適正なプライスがつけられていない(まあ安く手に入るに越したことはないのだが)。
さて、内容であるが、正直なところfinalvent氏よりうまい書評を書く自信はまったくない。というか、あの書評に影響されて手に取っているわけだからどうしても影響を受けてしまう。そんな詮ない弁明はさておき、finalvent氏は「不思議な人だ」と評しているが、たしかに日本を代表する大企業のトップとしてはかなり不思議な部類に入ると思う。こういう浮世離れした感覚は、どちらかというと「世捨て人」的な感覚であって、こう、仕事一筋です、みたいな人生を送ってきた(と思われる)人が、なんでこんなことを言うのだろうと思うところはある。今まで社会的なところに一切タッチしたことのない世間知らずの学者が、年を取って人生を総括するときに何か「綺麗事」を言っているようにも読めなくもない。これが宅急便を創始した人の言葉でなければ、「何言ってんだ、この爺」となってもおかしくないだろう。それくらい、ちょっと「ほんとにこんなことでいいのか?」と思ってしまうような純粋なことばかり書いてある。
日々の些事にばかりとらわれていると、だんだん本質的なところから遊離してしまうというのは我々のようなサラリーマンでもよくあることだ。日々のルーチンを漫然とこなしているだけになると、だんだんとモチベーションが下がってきて、ただ日々の糧を得るためだけの冴えない作業の連続になってしまう。
これに上司や経営者のビジョンのなさが加わると、もう最悪である。組織はただ日々のルーチンを回転させるためだけに存在するレームダックと成り果てる。そう言ってもそこそこの規模以上の日本企業は、だいたい過去数十年に蓄積した有形無形の資産があるし、それなりの既得権もできあがっており、従業員も割合優秀だったりするために、なかなか潰れずだらだらと延命されてしまう。しかし、そこにはプリミティブな「やりがい」とか「使命感」のようなものはない。そこで働く人たちは色々な理屈をつけながらも、ただひたすら前例を踏襲し、自分だけは怪我しないように、という事なかれ主義の隘路にはまってしまうのが、現在の日本の産業界における課題なのだろう。
最近わたしが小倉氏に惹かれているのは、こういった社会全体の閉塞的な感覚を吹き飛ばす若気の至りのような、いわば一種の純粋さに感動を覚えているからだろう。こんな純粋な気持ちで仕事に向き合って良かったんだ、という感覚である。すぐに「そんなことじゃ仕事は回らないよ」という声が聞こえてきそうだが、こちらには宅急便の創始者がついているんだと思えば心強い。そう思うと、これは仕事にやりがいを見出せなくなった中堅社員、いわゆる「ミドル」に向けた「セラピー本」なのかもしれない。(わたし自身がミドルなのかどうかは措いといて)
それにしてもわたしは著者のことを亡くなるまで存じ上げなかったのが悔やまれる。そういえば、単なる気のせいかもしれないが、著作に感銘を受けたときには既に著者が故人となっているということが多くなってきた気がする。年を取るのは嫌なものである。
<追記>レームダックというのは、死に体の「政治家」に対して使われる呼称であり、一般論としての「死に体」という意味では使わないようです。