僕を支えた母の言葉 義理の関係について
大好きな、野口 嘉則さんの本を読みました 僕を支えた母の言葉/野口 嘉則 ¥1,050 Amazon.co.jp 野口さんはブログで知り、大好きになり本も必ず購入して読んでます。でも私、この話には辛かったです。女で一つ苦労してお子さんを育て、お子さんがどうんなに反抗的になろうといつでもお子さんを認め信じるお母さん。事故でお母さんが亡くなった後、本当のお母さんでないと知るのです。そしてこれは実話です。私の長女は継子です。4才からもうすぐ20才を迎えるまで主人と共に育ててきました。なので金銭的にも苦労せず、育てることが出来たし、高校、大学、就職とこの時代にしては順調に進ませることも出来たと自負してます。ですが、この本のお母さんのように出来たかと言えばそれはまったくないです。ふとすると、娘を信じられないと思うことは1度や2度ではなかったです。その上あまり細々話をしない娘が何を考えてるか分からなくていつも不安でした。その事で夫婦喧嘩もたくさんしましたし、下の二人の娘にも私がいたらないばかりに迷惑をかけたこともあったと思います。そんな私が心の底から渇望したのが、娘を信じたい。実母と別れ寂しい思いをしてる娘に寄り添いたい。心の底から娘を愛したい。娘の全てを認めたい。母になりたい・・・でした。それが私にはなかなか出来ないということを、この娘を育てる過程で嫌というほど思いしらされました。お母さんになるってすごい事なんですよね。なのでこの本のような立派な母親を見ると自分の悩みがとても自分勝手な事に思えて辛くなってしまうのです。善隣教では義理の関係は3大不幸のうちの1つと教えられます。ここで始めて、継母となった私の苦しかった思いを理解してもらえてうれしくて涙が止まらなかった事を思いだします。世間ではやはり、継子の苦労がやはりクローズアップされますから。もちろん子どもの方が何倍も辛くて寂しくてというのは傍にいる継母が一番わかっているのです。一番わかるからこそ、それを敷いている事になる自分が許せず辛い。でも世間にはこの本のような立派なお母さんもたーくさんいました。私のようになんとかかんとかお母さんになった人もいるでしょう。そして、自分の子どもも上手に愛する事ができない方もいるのではないでしょうか?それは本当に辛い事だと思います。自分の子どもを信じられない時、自分の子どもを認められない時、母親にとってそれほど悲しい事はないのではないでしょうか。そして、そんな母親を責めるのではなく、その母親の心の底の闇を誰かが理解し、理解してもらえたと母親が感じられた時、そのお母さんは子どもに寄り添えるお母さんになれる。神様はどんなに駄目な母親でも、理解し、寄り添ってくれています。