ほんの少しの間でしたが、児童養護施設に定期的にか通った事があります。

近くに施設があると知り、何かお手伝い出来ないかと突然連絡を入れてみた。
そしたら、ボランティアさんを募り、小学生を対象に塾みたいなものをしているので、そこに来てくれないかと。

週に一度だし、なんとか通えるかと1年だけでしたが、お手伝いさせてもらいました。


そこでの経験は衝撃的でした。

私は小学生としか関わってないですが、その子どもたちの学力の低さにまず驚き。

そしてやる気のなさ。
口のや態度の悪さは、小学生とは思えないほど迫力さえありました。

どうしてなんだろう。
1年間そればかり考えていました。

そこに住む子たちは、ほとんどが虐待児です。
守秘義務があり詳しい事は教えてもらえないですし、私も聞いても仕方のない事なので、聞きませんが。

ですが、元いた家では勉強どころではなかったのだなという事は用意に想像できました。

とにかくいつもイライラし、すぐに怒る。切れる。
急に甘えてきたかと思えば、塾の文房具がなくなっている。後で職員に連れられて謝りにくる。
文房具を盗っていった事に気づく。

出てくる言葉もすごい。
「あんたたちが来るから勉強しなきゃいけないから来るなよ」
ドリルをのぞき見ると、
「見てんじゃないよキモい」
等など。

家で親にするはずの態度を他人にしかできないからなのか。
今まで自分が言われたりされてきた事をまねているのか。

この子たちまともに育つのかな?
職員の方々が「うちの子たちが、うちの子どもが」と親身に心配しているのに通じないのか...

どんな事情があるにしろ、この子たちをここまでにした親御さんをついつい非難してしまう。


なによりも先にも書いた学力の低さ。
この施設では、高校に入学出来る子も半分以下。うまく入学出来ても卒業まで出来るのは、その時聞いた話ではまだ1人だけでした。

それでも、18才になると施設を出なくてはいけない。
帰れる家はないから、当然一人暮らし。
もしくは住み込みのお仕事を見つける。

短大を卒業し就職までなんとか決まったうちの長女でさえ、一人暮らしは難しいよねと思っているのに。

それを今時、中学出で。
過酷な生活は大人なら想像出来る。
だから塾を施設内に設け、「せめて最低の高校にでも行かせたい」と願う職員の方々。


この子たちには感謝の気持ちはまったくありませんでした。
育まれてないものは芽生える訳がありません。

ここで親の親としての役割の重要生を強く感じました。
そしてそれを他人が担うのは何倍も大変。
私が継子を育てる過程で日々感じていた事をここでも思いました。

ですが娘は、実母からの愛情をたっぷり注がれて過ごした赤ちゃん時代がありました。

なので、大人を信用はしていましたから、その点で苦労はなかった。
ありがたいことだったんだな。

そう考えると、この施設で子どもたちに教えたい事。
それは、愛しかない。

だって子どもってお母さんの喜ぶ顔が見たいから、勉強でもなんでも頑張る事ってありますよね。

自分が大好きな人を喜ばせたいって小さくても思う。
その大好きな人が頑張っても喜んでくれない。それどころか自分を疎んじてる。
だから頑張る意味がわからない。

親からの愛情は求めても無駄。
多分その親も愛をうけてないから。
でも他人では、親ほどの深く報いを求めない愛はやっぱり得られない。

では誰がこの子どもたちに、誰にも負けない最上の愛を与える事が出来るのか。


それは神様だけです。


いつかこの子たちに神様を伝えたい。
親からの愛を得れなくても、満たされた気持ちを感じる力はきっとあるはずだから。

そんな経験も私が「子どもワークショップ」を東京で開催しなければと思ったきっかけの一つです。

この子たちを招待出来るようになるのはいつになるか解らない。
まず今回を成功させ、次に繋げるよう邁進するのみです。