滋賀県大津市にある
日吉(ひよし)大社
の周辺をめぐります。
これまでにも、たびたび訪れている
ご縁の深い神社さんです。
訪れたのは、昨年3月ですから
すっかり更新もおくれています。
ちょうどいまごろ(4月半ば)は
山王祭(さんのうさい)
が行われていることでしょう。
神社の縁起にもかかわる
重要なお祭りですね。
若宮神社は、そんな
山王祭にかかわる神社で
日吉大社の
境外108社のひとつ
だといいます。
比叡山(ひえいざん)を源流として
日吉大社の境内をめぐり
琵琶湖(びわこ)にそそぐ
大宮川(おおみやかわ)
の河口にあたります。
また、
日吉馬場(ひよしのばんば)
という桜並木の参道と
大津と敦賀をむすぶ
北国海道(ほっこくかいどう)
[西近江路(にしおうみぢ)]
が交わる
比叡辻(ひえつじ)
という要衝だったようです。
山王祭では
7つの神輿(みこし)を船にのせて
琵琶湖にくりだす
船渡御(ふなとぎょ)
がおこなわれ、
坂本城址公園の
七本柳(ひちほんやなぎ)
をでた船は
唐崎(からさき)の沖で
粟津御供(あわづのごく)
というお供え物をいただいてから
ここ、若宮神社に帰着して
ふたたび日吉大社まで
もどってゆくといいます。
日吉大社には
東本宮(ひがしほんぐう)
西本宮(にしほんぐう)
という、ふたつの本宮があり
それぞれ別の神さまを
祀っているといいます。
東本宮に祀られているのは
大山咋神(おおやまくい)
だといいます。
謎のおおい神さまで
検証誌のほうに、このかたの
記事を書いたりもしました。
ご神体山である
八王子山(はちおうじやま)
には
金大巌(こがねのおおいわ)
という磐座があり
もともとは、この巨大な岩に
大山咋神を祀ったのが
日吉大社のはじまりのようです。
伝承によれば
ヤマクイの御陵とも
いわれるようですね。
【八王子山の金大巌】
第10代・
崇神(すじん)天皇の世には
祭祀がはじまっていたといわれ
弥生時代から、この地の
信仰はつづいているようです。
飛鳥時代になると
第38代・天智(てんじ)天皇が
近江大津宮(おうみおうつのみや)
へ遷都をおこない
奈良(大和)の
三輪山(みわやま)から
大物主神(おおものぬし)を
この地に勧請したといいます。
これが、西本宮の祭神・
大己貴神(おほなむち)
だといいます。
いわゆる、出雲の
大国主命(おおくにぬし)
といわれるかたですね。
大物主神と
同神とされているようです。
(※ホツマツタヱでは
大物主神=クシヒコですね。)
山王祭の『船渡御』は
大物主神が琵琶湖をわたって
日吉大社にやってくるさまを
再現しているといわれ
『粟津御饌』とは、漁夫・
田中常世(たなかつねよ)が
船で粟飯を献上したことによる
のだといいます。
また、粟津御饌は
天智天皇に献上された
ともいわれ
これを気に入った天皇が
毎年訪れることを約束した
ともいうようです。
若宮神社は、そんな
大物主神や天智天皇の
船がたどりついた港であり
交通の要衝でもあることから
日吉大社の窓口的な地
だったのでしょう。
といいますから
天智天皇による
近江大津宮遷都(667年)の
前後だったようですね。
ご祭神は
東本宮の祭神でもある
大山咋神(おおやまくい)と
原初神・
国常立命(くにとこたち)
だといいます。
「若宮」といえば
「本宮ご祭神の御子神」が
祀られるのが一般的ですが
ここでは、御子神どころか
原初神が祀られているのも
気になるところです。
ホツマツタヱ的には
「ワカヤマクイ」を
あててみたいところですね
また、
国常立尊とあわせてみれば
「八王子」山の由来も
気になるところです。
ホツマツタヱでは
国常立尊の8人の御子が
『ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ』という
『八皇子』だといいます。
はじめは、
ヱの尊が琵琶湖で
国を治めていたそうです。
ホツマツタヱによれば
ヤマクイが一枝(ひとえだ・60年?)で
山を築いた(土地整備をした)ことから
日枝山(ひえのやま)
といわれたのが、いまの
比叡山(ひえいざん)
のようです。
ですが、もしかすると
「ヒヱ」という言葉も
8皇子のうち
「ヒ」の尊と「ヱ」の尊に
祭神である大山咋神と
鴨玉依姫命(かもたまよりひめ)
の婚姻によって
鴨別雷神(かもわけいかつち)
が生まれるさまを
あらわした祭だといいます。
祭のなかでは
産屋神社での出産シーンを
おえた神輿は、
鼠社(ねずみのやしろ)まで
到着を競うのだといいます。
『鼠』も、もともとは
『子(ね)』であり
方角や暦に関わりがある
とされるようですね。
このあたりも、
『子(こ)』である鴨別雷神や
国常立尊の『子』である
トホカミエヒタメと
つながるのかもしれません。
「子」や「若(皇子)」へ
思いをはせてしまう
若宮神社さんですが
由緒書き以上の伝承は
よくわかりませんでした。
祭神のほかに
気になることといえば
このように
早朝に参拝をすると
朝日がみえることでしょうか。
方角的にも、日の出のほう
また、琵琶湖周辺では
境内に竈(かまど)を祀ることが
おおいようですね。
これも、
信仰によるのでしょう。
ホツマツタヱにも通じる
古代の祭祀の姿がいまに
残っているのかもしれませんね。
若宮神社をぬけて
さらに漁港のほうへゆくと
ちいさな社が
ならんでいました。
不思議なスポットです。
由緒もほとんど、わかりませんが
日吉大社と関わるのでしょう。
こちらが
中央のお社です。
別雷神(わけいかつち)
国之常立命(くにとこたち)
豊川稲荷大神(とよかわいなり)
が祀られています。
日吉大社では
大山咋神と鴨玉依姫命の子が
鴨別雷神とされていますから
ここもまた
若宮神社ということでしょうか?
ただ、ホツマツタヱからすると
猿田彦との関わりもあって
ワケイカツチ神として称えられた
かもしれませんね。
ともに、琵琶湖の西岸を
開拓したといいます。
比叡辻護因は
比叡辻で護因を祀る神社
ということでしょう。
日吉大社では
産屋神社や鼠社とならんで
流護因(ながれごいん)神社が
祀られています。
を祀る神社のようですね。
日吉大社ゆかりの
平安時代の僧侶であり
第71代・
後三条(ごさんじょう)天皇
との縁によって、以後
日吉大社への
天皇行幸のきっかけを
つくったかたのようですね。
もともとは、
東本宮の本殿裏手に
祀られていたといいますが、
水害で流されたため
現在の地に移されたたしく
「流れ護因」となったようです。
そんな護因霊を、ここ
こちらは、
若宮千舟神社だそうです。
船舶や漁業の守護でしょうか?
詳しくはわかりませんでした。
若宮河内神社は
1キロほど北にある
河内神社さんでしょうか?
あたりの地形が
河内に似ていたことから
枚岡(ひらおか)神社の神を
勧請したといいます。
こちらは、
白紡弁財天ですね。
こちらも、
由緒はわかりませんでした。
いったいどんなかたなのでしょう?
若宮漁港からは、対岸の
平安時代末の歌人・
俊恵(しゅんえ)はこんな
歌を残しているようです。
ほととぎす三津の浜辺に待つ声を
比良のたかねに鳴き過ぐべしや
琵琶湖西岸の
比良山を詠んでいるようですが
これもまた
深読みできそうな歌です
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