全国に約3,800社ある
日吉(ひよし・ひえ)神社
日枝(ひえ・ひえだ)神社
山王(さんのう)神社
の総本社が
日吉大社(ひよしたいしゃ)
です。
比叡山(ひえいざん)
延暦寺(えんりゃくじ)の
天台宗(てんだいしゅう)とも
関わりがふかいことから
神仏習合の時代より
山王権現(さんのうごんげん)
ともいわれていたようです。
これは、唐(中国)の
天台山を守るという
山王元弼真君
(さんのうげんひつしんくん)
を比叡山の守護神とした
ことにはじまるといいます。
仏教と神道の
合一をあらわすという
山王鳥居(さんのうとりい)
でも知られていますね。
日吉大社には
東本宮(ひがしほんぐう)
西本宮(にしほんぐう)
という、2つの本殿があります。
東本宮には
この地の神を祀り
西本宮には
大和(奈良)の神を
祀っているようです。
もともとは、神体山の
八王子山(はちおうじやま)
山頂にある大岩・
金大巌(こがねのおおいわ)
を祀る磐座(いわくら)信仰
にはじまるといいます。
そこは、東本宮の祭神・
大山咋神(おおやまくい)
の陵墓ともいわれるそうです。
山上の信仰から、のちに
山麓に里宮が築かれたのが
東本宮にあたるようです。
西本宮は、
飛鳥時代に第38代・
天智(てんじ)天皇が
近江大津宮
(おうみおおつのみや)
に遷都をおこなったさい
大和(なら)の
勧請したことにはじまるそうです。
日吉大社では
大物主神=大己貴神
として、西本宮では
大己貴神(おほなむち)
が祀られているといいます。
ですから、日吉大社は
土地神を祀る
東本宮エリアと
大和の神を祀る
西本宮エリアに
わかれているようです。
表通りにあたる
日吉馬場(ひよしのばんば)
をはじめ参道も
比叡山延暦寺の
根本中堂に向かって
作られているようで
仏教色を強く感じます。
しかしながら、
2つの本殿をみれば
南側にある
高穴穂宮(たかあなほのみや)
を向いているようで
神道色も濃いようです。
第12代・
景行(けいこう)天皇から
第14代・
3代が暮らしたという
伝説的な宮なのですが
くわしくは、あとの
高穴穂神社でみてゆきます!
日吉大社は、ご祭神の
大山咋神(おおやまくい)
をはじめ
謎のおおい土地
謎のおおい神社です。
古代には、おおくの
渡来人が暮らしていたらしく
ご祭神の里宮である
東本宮のまわりには
朝鮮半島ゆかりの
横穴式古墳群があるようです。
また、東本宮のすぐ隣には
亀井霊水(かめいのれいすい)
が湧いていたり
東本宮の向かいにある
樹下宮(じゅげぐう)にも
いいますから
水と関わりの深い土地
でもあるようですね。
古墳を築いた渡来人は
やがて、石工職人の
穴太衆(あのうしゅう)
として全国にひろがったようです。
そして、この地をおさめた渡来人
三津首(みつのおびと)
からは
日本の天台宗の祖・
最澄(さいちょう)
が生まれたといいます。
最澄の父・
三津首百枝(ももえ)
最澄の母・
藤原藤子(ふじわらのとうこ)
は、子を授かるために
八王子山の奥にこもった
といいいます。
7日間の山籠もりを
行う予定だったのですが
5日目の朝に
霊夢をみたとして山をおり
夢のお告げどおりに
最澄をさずかったといいます。
山頂よりすこし
北西にはいったその地には
のちに、最澄もおとずれて
父母がなしえなかった
7日間の山籠もりを行ったようです。
比叡山にこもるまえに
まずはゆかりの地にて
挨拶をしたのでしょうか?
この聖地には、
神宮寺(じんぐうじ)
が築かれていたといいます。
そんな、神宮寺ですが
織田信長による焼き討ち以前には
すでに廃絶していたようです。
が建てられると
天神地祇(てんじんちぎ)が
祀られたといいます。
おそらくは、これも
『八王子』山にあわせて
『北斗七星』に祈願する
という意味もあるのでしょう。
とても静かな場所にあります。
たしかに、山籠りするには
良い場所かもしれません。
急こう配ですが、
大宮川(三津川)まで
降りてゆくこともできます。
この川で禊でも
していたのでしょうか?
こうゆう渓谷を歩いて
小さな滝をみつけるのも
とても楽しいものです。
すこし歩けば
布掛岩(ぬのかけいわ)
もみられるようです。
よくみれば、
スズメバチの巣が
はりついていますね。
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