大和国の二上山めぐり③ ~加守神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

二上山(にじょうさん)
登山口に

葛木倭文座天羽雷命神社

ともに祀られているのが

加守(かむもり)神社
です。

 



ここは、地名も
「加守(かもり)」といい

かつては、
葛木倭文座天羽雷命神社も

「加守明神」
いわれていたようです。

ですから、本来は
加守神社の地なのでしょう。

 



ご祭神は

掃守(かもり)氏の祖・
天忍人命(あめのおしひと)

だといいます。

 



ご由緒によれば、

初代・神武(じんむ)天皇の父・
ウガヤフキアワセズが生まれるさい

海辺に建てられた
産屋(うぶや)にて

「蟹(かに)」
「掃(はら)った」ことから

『蟹守(かにもり)』
といったのがはじまりだそうです。

これがのちに、
「掃守(かもり・加守)」という
役職や氏族になったといいます。

この氏族は、機織とともに
全国にひろまったようですね。

 



「蟹を掃った」というと
たいしたことないように
思われますが、

ホツマツタヱによれば
「カニ」とは

「蟹」ではないようです。

 




ひとなりに さくらぎかにの
くさなせは すせりぐさにて
かにはきて くさかれいゆる
なもすせり


天照大神のひ孫・
海幸彦(うみさちひこ)

 

本名(斎名)を
「サクラギ」といったようです。

生まれたときに
「カニの曲(くさ)」を患い

「スセリ草(くさ)」によって
「カニ」「吐(は)く」ことで

病(くさ・曲)による
死(かれ・枯)をまぬがれ
癒したといいます。

これによって、
海幸彦(サクラギ)は
「スセリ(火須勢理命)
呼ばれたようですね。



「カニ」とは

諸説あるようです。


まずひとつめは、

赤ん坊が母親の

おなかのなかで排泄する

「胎便(たいべん)」
のことかもしれません。

胎便の混じった羊水を
赤ん坊が飲んでしまい
肺に胎便がたまることを

「胎便吸引症候群」
ともいうようです。

いまでは、

呼吸器をつけるなどで

対処できるようですが
 

ともすれば、

死に至ることもあるらしく
注意が必要だといいます。

 



また、もしくは
赤ん坊が生まれたとき
身体についているという

 

白いロウのようなもの
「胎脂(たいし)」

のことかもしれません。

「胎脂をぬぐう」ことを
「カニを掃く」といった
のでしょうか?

胎脂が

乾いてはがれるさまは
脱皮のようだともいいます。

 



さらに、
赤ん坊の顔や頭に
あらわれる湿疹は

 

母親の体内の毒が

子におりたとして
「胎毒(たいどく)」

といわれていたようです。

 

これを除くために

「胎毒くだし」という薬を

服用していたといいます。

 

また、胎毒のことを
「くさ」「くさけ」とも
いったようですから、

 

ホツマツタヱの記述とも

ずいぶん近いようですね。

いずれにせよ、

「カニ」というのは


生まれたての赤ん坊が
わずらう病のことのようです。



ヲシテ文字から
ひともとくならば、

「カ」は「光」であり
「ニ」は「丹・荷」となりますから

天の意思(光・靈)を
身体におろしたさいの
赤ん坊につく垢を

「カニ」といった

のかもしれません。

 

加守神社の御朱印は

蟹が描かれているのですが

 

よくみれば手足はすべて

桜の花びらになっています。

これもまた、桜が由来の
サクラギ・海幸彦による

のでしょうか?





かれしらひげの
すせりもて たみよみかえる
まもりとて はたきてうくる
みやゐこれかな


スセリ草の効用によって
「カニの曲(くさ)」から守り

赤ん坊を病から
甦らせた(救った)ことから

海幸彦(サクラギ)は
「スセリ宮」
ひらいたといいます。

スセリ草には、
シラヒゲ(白髭)という
別名があったことから

シラヒゲ宮とも
いったようですね。

これが、琵琶湖の西にある
白髭(しらひげ)神社
なのだそうです。

 


スセリ草というのは
芹(せり)の一種といわれ

白髭のような
根をはるのだといいます。

また、もしくは
クログワイ(黒慈姑)
ことかもしれません。

こちらは、小穂から
白髭のような白い糸を
たくさん生やすようですね。

水田にはえる厄介な草
でもあるようです。



こうして、
スセリ草の専門家となった
海幸彦(うみさちひこ)は

弟・山幸彦(やまさちひこ)との
兄弟喧嘩(政争)のすえに

弟・山幸彦を世継ぎとして認め
弟を支える立場にまわった
といいます。

この、
弟・山幸彦豊玉姫の子が
ウガヤフキアワセズです。

妊娠していた豊玉姫
九州から日本海をわたって
北の津(気比)につくと、

産屋(うぶや)の

茅葺(かやぶき)屋根も
ふきおわらないうちに
出産されたといいます。

そこで、御子の名は
ウガヤフキアワセズ(鸕鶿草葺不合尊)
といったようです。

しかしながら、ウガヤさまも
「カニ」におかされていたといいます。



このとき、

産科医として活躍したのが
 

カツテ(勝手神)

 

だそうです。

 

このかたが、今回の

主役となるかたですね。

 




かつてはいすも
みゆもあぐ うがやのゆとは
このはなの しろきかにさく
こはうのめ またあまかつら
いまみこの かにつははけは
ここもあり すせりみやより
みゆすすめ まくりとともに
かにおたす


ウガヤフキアワセズが
生まれるとき

カツテ(勝手神)は、まず
椅子と産湯を
用意したといいます。

椅子とは
出産用の長椅子のこと
でしょうか?

また、このときの産湯は
ウガヤの湯といって、

「湯の花」というような
効能のある温泉のもと(硫黄)を
溶かした「薬湯」だったようです。

こうして、カツテは

ウガヤフキアワセズの
「カニをはいた(吐・掃)」

といいます。

しかし、
はいたもののなかには
ココモ(胎便?寄生虫?)

混じっていたようです。

そこで、海幸彦(さくらぎ)は
スセリ宮からスセリ草や
マクリ(海人草)を送りとどけ

カツテがそれを

飲ませる?薬湯とする?ことで
 

ウガヤフキアワセズの
「カニ」を治したといいます。

 



こうして、
ウガヤフキアワセズは生きながらえ
長寿をまっとうしたそうです。

ホツマツタヱにのこる
「カニ」を「はく」とは
「蟹」を「掃く」ではなく

 

「赤ん坊の命を救う」という

重要な言葉だったようです。

つまり、
ウガヤフキアワセズの

命の恩人であり

 

「カニをはいた」のが
カツテ(勝手神)

だったというのです。

このかたは、
カツラギヒトコトヌシ(葛城一言主)
の息子だといいます。

 

葛城一言主神社

祀られる神さまですから

 

葛城にゆかりのある

かたのようですね。

 


ところで、以前

若狭(わかさ)にある
 

泉岡一言(いずみおかひとこと)神社
カツテ(勝手神)を祀る神社では?

という考察をしました。

 


若狭の地というと

父・山幸彦

母・豊玉姫

 

夫婦喧嘩をして

別居をはじめた地であり

 

子・ウガヤフキアワセズが

置いてけぼりにされた地

でもあります。

 


ウガヤフキアワセズは斎名(本名)を

「カモヒト」といい

 

ウガヤフキアワセズが

幼少期を過ごした地は

 

若狭にある

加茂(かも)神社

ともいうようです。

 

【福井県・若狭の地図】

もしかすると、このとき
ウガヤフキアワセズを養育したのも

カツテ(勝手神)なのかもしれません。

ウガヤフキアワセズこと
「カモヒト」「子守」をしたから
「カモモリ」「カムモリ」
となったのではないでしょうか?

 

「カニ」を「はらい」

「カモ」を「まもった」この

カツテの子孫がやがて

 

蟹守・掃守・加守

(かむもり・かもり)


となったのではないでしょうか?


つまり、加守氏の祖は
カツテ(勝手神)かもしれません。

 

ホツマツタヱでも

カツテの事跡というのは

若狭までのようです。

 

では、

加守神社で祀られている
加守氏の祖・天忍人命
どなたかというと

 

このかたも、

カツテ(勝手神)と

つながるようです。


 

カツテの孫は
ツルギネ(剣根命)といい

葛城国造となって
葛城氏の祖になった

といいます。

 

しかし、ツルギネには

娘しか生まれなかった

のかもしれません。

 

ツルギネの娘・
カツラ姫とカツラヨリ姫は

ともに、

 

第2代・
綏靖(すいぜい)天皇

妃として入内したようですが
子はなかったといいます。

 

とはいえ、

綏靖天皇の宮

 

葛城一言主神社の

すぐちかくにひらかれた

といいますから

影響力はあったのでしょう。

 



『先代旧事本紀』によれば
 

ツルギネの娘・

賀奈良知姫(かならちひめ)

と結ばれたのが
 

天忍男命(あめおしお)

だといいます。

 

この、

天忍男命=天忍人命

とする説や

 

天忍男命の父を天忍人命

とする説があるようです。

 

ともかく、この

天忍男命・天忍人命の一族に

 

ツルギネの系譜は

取りこまれていったようです。

 

やがて、

天忍男命・天忍人命の系譜は

尾張(おわり)氏の祖

となったといいます。 

 

ホツマツタヱによれば、

天忍男命(あめおしお)とは


タカクラシタ(高倉下命)
孫にあたりますから

家系としては
申し分ないようです。

 



ですから、
加守神社というのは

カツテの孫・ツルギネや
ツルギネの娘と
天忍男命が暮らした地

なのかもしれません。

そうして、
天忍男命や天忍人命が

『掃守(かむもり)』を継いだ

のかもしれません。

 



さらにいうと、

「カモモリ」がのちの

カモ賀茂)氏

つながったとも考えられそうです。

 

葛城一言主神社

カツラギヒトコトヌシ

 

高鴨(たかがも)神社

アチスキタカヒコネ

 

同一神である
という説もあるらしく

「カニ」の「ツハ(曲・唾)」をはいた

「カムモリ」の事跡が

 

鴨都波(かもつば)神社として

鴨氏発祥の地となった

 

ということも

考えられるのかもしれません。

 

 

加守神社、すごすぎますびっくりキラキラ

 

 

↓よければクリック

↓お願いします。


神社・お寺巡りランキング

 

 

大和国の二上山めぐり④ へ つづく

 


 

☆二上山めぐり全記事リスト☆
大和国の二上山めぐり① ~二上山~
大和国の二上山めぐり② ~葛木倭文座天羽雷命神社~
大和国の二上山めぐり③ ~加守神社~
大和国の二上山めぐり④ ~大津皇子~
大和国の二上山めぐり⑤ ~葛木二上神社~
大和国の二上山めぐり⑥ ~岩屋~
大和国の二上山めぐり⑦ ~中将姫~
大和国の二上山めぐり⑧ ~當麻山口神社~
大和国の二上山めぐり⑨ ~當麻都比古神社~
大和国の二上山めぐり⑩ ~當麻寺~
大和国の二上山めぐり⑪ ~当麻蹴速~
大和国の二上山めぐり⑫ ~まとめ~