大和国の二上山めぐり⑪ ~当麻蹴速~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

當麻寺(たいまでら)
の参道を東にゆくと

当麻蹴速之塚
(たいまのけはやのつか)


があります。

 



第11代・
垂仁(すいにん)天皇の世に

出雲(いずも)
野見宿禰(のみのすくね)

相撲(すもう)をとって
力くらべをしたことから

相撲の開祖
ともいわれるようですね。

 



日本書記では、

「當麻(当麻)」の初出

となることから

當麻氏の祖神
といえるのではないでしょうか?

古事記では、

當麻匂君
(たいまのまがりのきみ)


が初出ですが、このかたは
当麻蹴速と同一人物では?
ともいわれるようです。


だとすれば、第9代・
開化(かいか)天皇
血をひくようですね。



古事記・日本書紀の
もとになったといわれる
ホツマツタヱでは、

タエマクエハヤ
として登場します。

「タエマ」とは、
二上山(にじょうさん)
を国境として

タエマ(絶え間)
といっていたようですね。


もしくは、
南の金剛山地と
北の生駒山地が
大和川で途切れる
 

タエマ(絶え間)
のことかもしれません。



「クエ」
「食え」に通じていて

「平らげる・治める」
という意味で

「ハヤ」
「はやる」であって

「勇ましい・知れわたる」
という意味のようです。

つまり、
当麻一帯の統治者
だったようですね。

また、
「はや」は「食む」にも
通じることから

大食漢だった
のかもしれません爆  笑キラキラ




たえまくえはや 
おおちから ちかねおのはし
つのおさく かなゆみつくり
とこかたり


当麻蹴速は
とても力持ちで

地金をのばして

金弓(かなゆみ)をつくった

といいます。

「つのおさく」


「角を割く」とすれば
動物の角をもぎとるほどの力
でもありそうですし、

「角を咲く」とすれば
地金を曲げて角(弓)をつくった
ということかもしれません。

また、
「角」は「突出した才能」
でもあるといいます。

「角力」とかいて
「すもう(相撲)」とよむのも
これによるのでしょうか?

 

また、

当麻君(とうまのまがりのきみ)
というように

 

「匂(まがり)」は

「鈎(まがり)」でもあり

金属を曲げること

でもあるようです。
 

つまり、金属の加工を
行っていたようですね。

「とこかたり」
「常に語っていた」
でもあるのですが

「とこ」には
「融」もあることから

 

金属を溶かすなど
製鉄にも通じていた

のかもしれません。
 

また、「とこ」は

「和やかに治める」
という意味もありますから。

有能な統治者だった

ようですね。




これおふみはる 
わがちから よにくらへんと
もとむれと なくてまかるや
ひたなげく


この金弓をまげたり

(弦を)ふみ張るほどの力が
どのくらいのものなのか
 

世のひとたちと

力くらべをしたいと
思っているのだが

そうした機会もなく
わたしはこのまま
なくなっていくのだろうか

と嘆いていたようです。

 



そした声が、
朝廷にも届いたらしく
大臣たちに訪ねたところ

野見宿禰(のみのすくね)
の名があがったといいます。

そこで、
大和(おおやまと)神社
祭主でもあった

市磯長尾市(ながおいち)

迎えにゆかせたようです。

野見宿禰といえば
島根県の出雲にいた

といいますが

一説には、
奈良県桜井市の出雲にいた
ともいわれるようですね。

野見宿禰は
こころよく承諾して

『あすくらべん』
「明日にも、くらべたい」

といったようです。

こうして、日取りが決まると
準備が進められたようです。

 




ちからくらふる
かみののり すまいのさとに
はにわなし


力くらべの
ルール(守の則)が決まり

スマイの里に
ハニワを作ったようです。

「スマイ」は、いまでも
「争・相撲・角力」の字を
あてるようですね。

「スマイの里」は
諸説ありますが、

桜井市穴師の
相撲神社の地とすれば

垂仁天皇の宮居があった
「住居(すまい)」のこと
かもしれません。

「ハニワ」は、
「埴輪・土輪」であって

「土俵」のこと
だといいます。

これは、のちに野見宿禰が

埴輪つくりをはじめるきっかけ

でもあるのでしょう。

土俵と古墳は似ている
というのも面白いです。

 




たえまはきより
のみはつに あひたちふめは


當麻は東(き)から
野見は西(つ)から

おたがいに
立ち会ったようです。

相撲の原型がすでに

おおくみられるようですね。


のみつよく くえはやがわき
ふみてまた こしふみころす 


野見宿禰の力が強く
當麻蹴速の脇を踏んで

腰(股)を踏みころした
といいます。

當麻には、相撲伝承地として
「腰折田(こしおれだ)」

があるといいます。

 




ときにきみ うちはおあけて
どよませは とみもよろこび


このときに、垂仁天皇は
団扇(うちは)をあげて
勝敗を告げたところ

ひとびとはどよめき
大臣たちも喝采をおくった
ようですね。

「うちは」が、のちの
軍配だといいます。

そして、

この褒賞として


くえはやが かなゆみおよび
たえまくに のみにたまわり


當麻蹴速の
金弓および當麻国を
野見にたまわった

といいます。

 




いえはつま つぎなしのみは
ゆみとりぞこれ 


當麻蹴速の家の
妻がいうには

わたしたちには
継ぎ子がありませんし

勝負の「つき」も
ありませんでした。

こうして、当麻の地と
金弓(金属加工)の技術を
受け継いだ野見宿禰は

『弓取り』
といわれたようですね。

いまでも、相撲の最期に
弓取り式がおこなわれるのは
これにはじまるようです。

 



どうやら、

當麻蹴速の血は
断絶していたようです。

けれども、地名として
「當麻国」は残ったのでしょう。

気になるのは、

野見宿禰が
手に入れた土地です。

大阪府枚方市の
片埜(かたの)神社には

野見宿禰が
相撲の恩賞として
手に入れた地

という由緒がのこるようです。

しかし、ここはちょっと

離れすぎている気もします。



野見宿禰の直系・
土師(はじ)氏の地は、

大阪府羽曳野市の
道明寺(どうみょうじ)

あたりといわれ
 

日本で2番目におおきい

応神(おうじん)天皇陵

もあります。

 

土師氏は、古墳の造営や

祭祀をになう一族として

さかえたといいます。

とはいえ、これも

二上山からはすこし
離れていますね。



気になるのは、


二上山の西にある
「王陵の谷(おうりょうのたに)」

 

ともいわれる
山田郷のあたりですね。

推古(すいこ)天皇陵や
聖徳太子の墓など

飛鳥時代の
重要なかたがたの墳墓が

密集している地帯です。



ホツマツタヱには
 


當麻が西に
野見が東に


とあるように
二上山の西と東で

領土をわけたのかもしれません。

だからこそ
「かたの(片野・片埜)」
なのでしょうか?

また、カタノでいうと、
奈良県桜井市穴師の

相撲神社には、

「カタヤケシ」という
言葉(地名)が残るようです。

 



ホツマツタヱでは、

野見宿禰が埴輪をつくって

天皇の墳墓におさめることで

大臣たちの殉死をふせいだ
という功績から


のみのすくねお
あつくほめ かたしところお
たまわりて はしのつかさそ


野見宿禰の褒めたたえ
「カタシトコロ」を賜って
「土師の司」にした

といいます。

「かたしところ」とは

「形をつくるところ」で

 

埴輪製作所のこと

のようです。
 

とすると、

 

「カタケヤシ」は

土俵をつくったところ

 

「カタシトコロ」は

埴輪をつくったところ

 

ともえるでしょうか?

 

桜井の相撲神社で

相撲がおこなわれ

 

道明寺の地を

埴輪製作の地とした

 

ということかもしれません。

 

であれば、やはり

相撲の褒賞でたまわった

当麻の地とは

二上山の西側の
王陵の谷あたりというのが

 

しっくりくる気もします。

 


 

とはいうものの、ここは

「當麻蹴速」の墓ではなく
 

江戸時代以前は

当麻国見(たいまのくにみ)の墓
とされていたようです。


当麻(たいま)皇子

の孫であり
 

當麻寺(たいまでら)

を遷座したかたですね。
 

むしろ、このかたが

当麻氏の礎を築いたかた

といえるかもしれません。


だとすれば、
當麻蹴速の墓とは

當麻寺の地でしょうか爆  笑キラキラ


もうひとつ面白いのは
相撲の記述の直前に

機織りについて
描かれているところです。


つきひめお たつきさきとの
かくやひめ なるうちめゐか
ことほぎし はつたなばたの
かみまつり


垂仁天皇は
カバヰツキ姫の妹・
カグヤ姫を召して

祝いの宴をおこない
7月7日

初棚機の神祭
(はつたなばたのかみまつり)


をおこなったといいます。

どうやら、この
祝いの宴の一環として
相撲が催されたようです。

ここにもまた、

当麻氏と機織りの関係
見えてきそうです。
 

 

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