越前国の白山めぐり② ~白山比咩神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

加賀国一宮の
白山比咩(しらやまひめ)神社です。



霊峰・白山(はくさん)を
ご神体山として

白山比咩大神(しらやまひめ)を

祀るといいます。



全国に3000社ほどある
白山(しらやま・はくさん)神社の
総本社だそうです。

 



白山(はくさん)・

富士山(ふじさん)・
立山(たてやま)は、

 

日本三霊山(にほんさんれいざん)

といわれていて

 

山岳信仰の聖地

なのだそうです。

 



創建は、第10代・
崇神(すじん)天皇の世
[紀元前91年]といわれ

すぐ北にある
舟岡山(ふなおかやま)が
はじめの鎮座地だといいます。



白山を遥拝するための
「まつりのにわ」

とされたようです。

舟岡山の山頂には、いま
『白山比咩神社創祀之地』

という碑があるといいます。



あたり一帯は
河岸段丘(かがんだんきゅう)
になっていて、

白山から流れてくる
手取川(てどりがわ)に
けずられたといいます。

 



舟岡山が
船型の丘となっているのは

 

中州のように

台地がのこったから

のようですね。




また、舟岡山からは
縄文中期の遺跡がみつかった

といいますから、

4500年前からすでに
ひとが暮らしていたようです。

 


川の浸食がすすんで
水面がさがったためでしょうか?

第15代・
応神(おうじん)天皇の世
[西暦297年]には、

北西1キロほどにある
十八講河原(じゅうはちこうがわら)

という

 

手取川の河畔に
遷ったといいます。

 


しかし、たびたび
水害にみまわれたそうです。

 

手取川は暴れ川としても
知られるらしく、

 

手取川によって

けずられた大地が運ばれ

 

金沢(かなざわ)平野の一部・

手取川扇状地をつくったといいます。

 



716年には、舟岡山の南・

安久濤の森(あくどのもり)に
遷ったといいます。

このとき、現在地には
末社・三宮(さんのみや)が
あったようです。

 

 

1480年の大火で
本宮が焼失したため、

末社・三宮の地に

本宮が遷ったのが

 

いまの
白山比咩神社だといいます。

ですから、所在地も
「白山市三宮町」
となっているようですね。



安久濤の森は
古宮公園(ふるみやこうえん)として
整備されていて

水戸明神(みとみょうじん)が
祀られているといいます。

手取川扇状地をうるおす
七ヶ用水(しちかようすい)の


取入口にもなっているため
水戸(みと)というようです。



手取川は、
7度水路を変えたといわれ

かつての水路が、いまでは
用水路になっているようです。

手取川によって運ばれる
霊峰・白山の霊水は

ひとびとの暮らしを支える
「いのちの水」とされたようですね。



ですから、
白山比咩大神もまた

生きとし生けるものの
「いのち」の祖神
ともいわれるようです。



平木諏訪(ひらきすわ)神社

南を流れて、

 

徳光(とくみつ)PAや

徳光海水浴場へそそぐ

大川も
 

手取川の旧水路

だといいます。



手取川は、かつて
比楽河(ひらかがわ)とも
いわれたようです。

比楽(ひらか)が
平木(ひらき)に
なったのでしょうか?

 



比楽河の河口は
比楽湊(ひらかのみなと)
となり、やがて

本吉湊(もとよしみなと)
となったようです。

 



これは、
室町時代にひらかれた

三津七湊(さんしんしちそう)という
湾港都市のひとつで

当時、日本の
十大港湾とされたようです。

 



のちに、
北前船の寄港地にもなった
といいますから

手取川流域は
漁港としてもさかえたようですね。



また、白山は

島根の
大山(だいせん)

長崎の
雲仙岳(うんぜんだけ)
とともに

白山火山帯(大山火山帯)をなす
活火山だといいます。

 

自然の神秘に

満ちあふれた山のようですね。



そんな、
霊峰として仰がれる

白山をひらいて

山岳修行の道場としたのが
奈良時代の僧・
泰澄(たいちょう)だといいます。

 

 

越前国生まれの

泰澄は36歳のとき[717年]


前人未到の

白山に登頂すると、

最高峰の

御前峯(ごぜんがみね)に

 

白山妙理大権現
(はくさんみょうりだいごんげん)を

祀ったといいます。

 



伝承によると、泰澄は
白山登頂にさきがけて

ここ、舟岡山の
妙法窟にこもったそうです。

そのとき、
白馬に乗った貴女があらわれ

安久涛の渕(あくどのふち)に

ゆくよう告げたといいます。

 

 

そこで、泰澄はいわれたとおり

安久涛の渕で修行をつづけていると

 

ふたたび、貴女があらわれて

白山山頂までたどるよういったそうです。

 

 

こうして、

白山に登頂した泰澄は

 

頂上ちかくの

転法輪窟にこもって

修行をつづけたところ、

 

翠ケ池(みどりがいけ)のほとりで
貴女のほんとうの姿と

あいまみえたといいます。

 

そこで、本性である

白山妙理大権現を

祀ったようですね。

 

ですから、

白山妙理大権現は

女神だといいます。



つづいて、

 

別山(べつざん)で

小白山大行事(だいぎょうじ)

にまみえ

 

大汝峰(おおなんじみね)で

大己貴命(おほなむち)

にまみえ

 

それぞれの峯に

祀ったようです。

 


泰澄が感得した
白山権現(はくさんごんげん)を

祀る山岳信仰は、

白山信仰(はくさんしんこう)

といわれ
 

山岳信仰の流行とともに

全国にひろまったようです。

 



ですから、ここでは

 

白山を祀っていた
白山比咩神社と

泰澄がひらいた
白山信仰が

 

むすびついたようですね。

 

とはいうものの、

泰澄が拠点としていたのは

越前国のほうで

 

加賀国の

白山比咩神社ではない

という話もあるようです。

 

 

白山信仰には

3つの拠点(山道)があり

 

北は加賀国の

白山比咩神社

 

西は越前国の

平泉寺(へいせんじ)白山神社

 

南は美濃国の

長滝(ながたき)白山神社

 

が栄えたといいます。

 

 

馬をつなぎとめて

登拝にむかったことから

 

加賀馬場

越前馬場

美濃馬場

 

ともいわれ

 

禅定道(ぜんじょうどう・修行登山道)の

三馬場(さんばんば)として

しられたようです。

 

 

しかし、やがて

三馬場はいずれも


比叡山(ひえいざん)
天台宗(てんだいしゅう)

勢力下となったようです。

 

 

室町時代になると

加賀一向一揆(かがいっこういっき)

によって、

 

白山比咩神社は対立し

荒廃したといいます。

 

大火によって

本宮から三宮の地に

遷ったのもこのときで、

 

社殿の再興もできないまま

100年が過ぎてしまい

 

加賀の白山衆徒は

廃絶したのだそうです。

 


ようやく、復興されたのは

安土桃山時代のころだそうです。

江戸時代になると、

 

白山山頂の管理を

三馬場のどこが担うかで

ずいぶんと揉めたようです。

 


転機となったのは、
明治時代のようですね。


神仏分離政策によって

白山権現社がすべて
白山神社にかわったといいます。

これによって、
白山比咩神社が
白山神社の総本社とされたようです。

 

 

白山に祀られていた

おおくの仏像も

山を降ろされたといいます。

これを、

下山仏(げざんぶつ)といい

 

白山市にある

林西寺(りんざいじ)に

安置されているようです。

 

林西寺は、

泰澄が建立したものの

 

のちに、

蓮如(れんにょ)に帰依して

真宗大谷派になったようです。

 

白山信仰と一向衆が

ここでひとつになっている

とおもうと感慨深いですね。

 


いまでは、白山山頂は
白山比咩神社の境内となり

 

白山比咩神社の

奥宮があるといいます。

 


さて、気になるのが
ご祭神です。

白山比咩神社では


白山比咩大神(しらやまひめ)
を祀るといいますが、

これは
『菊理媛尊(くくりひめ)』

と同神だといいます。

 



白山比咩大神は
古事記・日本書紀には

登場しません。

しかし、菊理媛尊は

日本書紀に一度だけ

登場するようです。

 



黄泉平坂(よもつひらさか)という
あの世とこの世のさかいで

亡き妻・イサナミ
夫・イサナギ
仲裁したといいます。


菊理媛神亦有白事
伊奘諾尊聞而善之


菊理媛がなにかいうと
イサナギはこれを聞いて
よく思ったそうです。

これによって、
イサナミ・イサナギは

たがいに納得して(?)

今生の別れとなったようです。



ですから、
白山比咩神社では

白山比咩大神(菊理媛尊)
を祭神として

伊弉諾尊(いさなぎ)
伊弉冉尊(いざなみ)


もあわせ祀るといいます。



とはいうものの、なぜ
白山比咩=菊理媛尊

となるのかは
よくわからないのだそうです。

 



一説には、もともと
三宮に祀られていたのが
菊理媛神であり、

本宮が遷座したときに
混同されたからともいうようです。



本宮には、もともと
イサナミが祀られていた
ともいうようですし、

泰澄が感得した
白山妙理大権現も


イサナミと名のった

といいます。

 

さて、どうでしょうか?



荒廃したせいか

資料が少ないというもの

あるのかもしれません。

 

しかし、

ホツマツタヱをひもとけば

 

菊理媛(きくりひめ)と
白山尊(しらやまかみ)の

関係もよくわかるようです。

 

 

それは、つぎの記事で

じっくりみてみようと思います。

あとふたつ、気になったのは

神門前にあったこちらの社です。

 

 

荒御前(あらみさき)神社

といい、

 

荒御前大神

日吉大神

高日大神

五味島大神

 

を祀るといいます。

 

荒御前大神は

神功皇后(じんぐうこうごう)

三韓征伐のさいに

守護した神だそうです。

 

 

天照大神

「荒」魂といわれ、

 

天照大神

「御前」に向かい合った

向津媛命(むかつひめ)
のことだとすると、

 

瀬織津姫(せおりつひめ)

を祀るのかもしれませんね。

 

瀬織津姫の聖地

六甲山(ろっこうさん)にも

菊理媛が祀られていました。

 

 

さいごに、こちら

疫病退散のいわれがある

「ヨゲンノトリ」だそうです。

 

江戸時代の

加賀国白山にあらわれて

疫病を予言したという不思議な鳥で、

 

この姿を朝夕拝んでいれば

災厄を逃れられるのだそうです。

 

 

アマビエのようなお話は

各地にあるようですねキラキラ

 

 

越前国の白山めぐり③ へ つづく

 

 

 

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☆白山めぐり全記事リスト☆

越前国の白山めぐり① ~平木諏訪神社~

越前国の白山めぐり② ~白山比咩神社~

越前国の白山めぐり③ ~菊理媛神~

越前国の白山めぐり④ ~綿ヶ滝~

越前国の白山めぐり⑤ ~平泉寺白山神社~

越前国の白山めぐり⑥ ~白山稚児神社~

越前国の白山めぐり⑦ ~日野神社~

越前国の白山めぐり⑧ ~大塩八幡宮~