夢について・続報324・シンクロニシティ・後編 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 (半角で 6万文字以内という字数制限に達しましたので、こちらのブログ記事に 前回 すなわち 3月20日(水)の「夢について・続報324・シンクロニシティ・中編・10」のブログの続きを記させて頂きます。前回のブログから 話が つな がっておりますので、前回のブログも 御覧頂きますと おわかり頂け易い と存じ上げます)

 

 さて、去る 7年前の3月1日(水)の「肉親の来訪(両親の食事)」のブログの冒頭に、

「(前略)前述致しましたように いまだ 臨床医学の講義を受けず の頃でしたので、母校の臨床医学のことは 分かりませんでした。その後 母校の臨床医学を学びまして、万が一まんがいち M.L.(英語:malignant lymphoma)が再発したら、母校の血液内科に紹介しようと思っておりました。このことは、姉夫婦には 伝えてありました。ちなみに、母校でしたら 『丸山ワクチン』があります。また、この血液内科では、同期生が 准教授をしています。なお、学部1回生のときの学年担任が、医学のことで 何かのときには 同級生に委託するようでなければ とのむねを言及していたことを思い出しました。(後略)」と記させて頂きました。また、去る 10年前の10月7日(火)の「ボランティア・地域医療」のブログ去る 9年前の1月25日(日)の「ボランティア・地域医療・その2」のブログ 、去る 9年前の1月29日(木)の「ボランティア・地域医療・その3」のブログ去る 9年前の8月8日(土)の「ボランティア・地域医療・その4」のブログ去る 8年前の7月8日(金)の「ボランティア・地域医療・その5(新入生歓迎会)」のブログ去る 7年前の8月28日(月)の「ボランティア・地域医療・その6(両親の食事)」のブログ去る 一昨々年さきおととしの8月8日(日)の「ボランティア・地域医療・その7(令和3年)」のブログ去る 一昨年おととしの7月9日(土)の「ボランティア・地域医療・その8(令和4年)赤とんぼ」のブログ去る 一昨年おととしの8月7日(日)の「ボランティア・地域医療・その9(令和4年)」のブログ去る 昨年の8月7日(月)の「ボランティア・地域医療・その10(令和5年)」のブログ そして 去る 昨年の11月18日(土)の「ボランティア・地域医療・その10(令和5年)・続報」のブログなどに、

「(前略)先輩から委託されて学部生であった頃から関わっております、母校の医学部と某・看護の大学が主催しています 地域医療研究会(後略)」と記させて頂きました。ちなみに、その地域医療研究会で、前述致しました 血液内科の同期生に、彼の母親を紹介しました。すると、誠に有り難いことに、導かれているように、ことが運びました。なお、去る 10年前の10月8日(水)の「親の受診に付き添っていること・1」のブログ そして 去る 10年前の11月9日(日)の「親の受診に付き添っていること ・2」のブログのそれぞれ ともに中段やや上、さらに、去る 9年前の2月23日(月)の「天皇陛下行幸の君恩によくして」のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の関係の 20年以上前の 「高橋春光」という男性から 仕事で使うから 「マイナス イオン」の情報を知らせてもらいたいと依頼されたときにも、誠に有り難いことに、上記のように、導かれているように ことが運びました。ついながら、去る 8年前1月1日(金)の「謹んで新年の御祝詞を申し上げます。(智慧と愛)」のブログの中段やや下、去る 9年前5月18日(月)の「一大事とは」のブログ の後半、去る 9年前3月21日(土)の「介護」のブログ の上段 そして 去る 10年前の10月18日(土)の「心身医学会」のブログの中段やや上などに、

「(前略)もと・心理療法内科の学会の理事長に依頼されて、某・日本医療心理学院で、早稲田大学やお茶の水女子大学の心理の大学院生に心身医学の講義を行っていました・・・(後略)」と記させて頂きました。

 また、去る 10年前の10月9日(木)の「笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗しょうじょうから 大乗だいじょうへ」のブログの下段に、

「(前略)心療内科の学会の理事長の、2回に渡る依頼により、大学を辞して、同・理事長のもとで、心療内科の診療に携わりました(後略)」と記させて頂きました。 ちなみに、上記の もと・心理療法内科の学会の理事長は、同一人物です。すなわち、上記の 某・日本医療心理学院で 診療、研究 そして 教育に携わっているときに、偶然にも 前述致しました 「マイナス イオン」の情報をることが出来ました。

 話を戻しますが、その某・都立高校の3年生のときに 同級生であった 「大島 賢司」という男子の母親は、母校の医学部附属Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。日本語では、病院のことです。以下、Hp.と示させて頂きます)に入院することになりました。ついながら、前述致しましたように、当方が留守のときに、彼が 当家に来ました。それで、両親が対応しました。そこで、彼は、血液内科の医師への紹介料として ¥10万円を置いていきました。しかしながら、ぐに 丁重に手紙を書いて、その¥10万円を お返ししました。ちなみに、それから、数年が経過して 母校の医学部附属Hp.に メロンを持って お見舞いに行きましたら、退院したとのことでありました。それで、そのメロンは、彼の家に贈りました。

 ならびに、去る 9年前の8月8日(土)の「ボランティア・地域医療・その4」のブログの上段から、

「(前略)去る11月17日(月)の『黒胡麻ごま』のブログ の中段に、

『(前略)去る10月7日(火)の【ボランティア・地域医療】のブログ で記させて頂きました地域医療研究会で、学部生の頃から、埼玉県神泉村(当時・無医村)(ここのフィールド[英語:field]は約四半世紀続きました)に伺っておりまして、医師になってからは、9年間伺っておりました。夏の健康診断は3日間ありますので、4泊5日になることがあり、その間の食事となる玄米を酢でしめて持って行きます。夏でありますが、冷蔵庫に入れられませんので、あと梅干しで補います。古来、中国では、梅は薬用として用いられ、三毒(食物の毒、身体の毒、そして、水の毒)を消すとされています。ちなみに、大乗仏典・維摩経によりますと、三毒とはとんじんとされています。

 この無医村のフィールド(英語:field)へは、ディーゼル・エンジン(英語:diesel engine)であるJ.R.八高線、バス、そして、村営バスを乗りいで行くのですが、村営バスの運行が一日2本であり、バスから村営バスに乗り換えるときに、約1時間40分の待ち時間がありました。(後略)』と記させて頂きました。

 毎年、夏の今頃、すなわち、8月の第2週で御座ございました。健康診断の場所は、村の地域センターや体育館でした。季節が今頃になりますと、毎年、このことを思い出します。前述の、去る10月7日(火)の『ボランティア・地域医療』のブログ で記させて頂きました、母校の医学部と某・看護の大学が主催しています地域医療研究会の学部生の方々かたがたには話したことですが、バスを待ってフィールドに向かうとき、愈々いよいよこれから無医村に赴任ふにんするような気持ちになりました。

 健康診断3日目、すなわち、最終日の健康診断が夕方に終わりますと、その日のうちに失礼致しました。健康診断では、内科を担当致しました。去る1月29日(木)の『ボランティア・地域医療・その3』のブログ の上段に、

『(前略)地域医療研究会の夏の健康診断の4泊5日が終了した、(今日の日付と同じ)平成15年8月8日(金)のことで御座ございます。十二支じゅうにしで一周して、今年と同じひつじ年のことです。学部生の方々かたがたはもう一泊して、この日の夜、肝試きもだめしとかレクリエーションをして夏期合宿をめるのが例年のことでした。母校の男子学部生のかたから、肝試きもだめしを勧められましたが、学部生の方々かたがたで楽しんで下さいと丁重に話して、これまで失礼致して参りました。その後、肝試きもだめしで問題があったということは聞いておりません。

 帰宅するために、毎年のように、一人で路線バスを待っているときのことです。バス停の前で、住職のようなかたの運転する自動車が停まりました。誠に有り難いことに、最寄りの駅まで送ってくれるとのことで御座ございました。但し、前述の去る11月17日(月)の【黒胡麻ごま】のブログ で記しましたように、荷物が多いので、誠に申し分けないと思い、車で送って頂くのでは無く、お布施ふせをさせて頂きました。(後略)』と記させて頂きました。学部生の方々かたがたは、この最終日の健康診断が終わった後、上記のように打ち上げをして、もう一泊して帰ることが例年のことであるようでした。ちなみに、肝試きもだめしは小学校6年生のときの林間学校以来、経験致しておりません。

 

 前述のように、医師になってからは、9年間伺っておりました。そして、10年目に、村の方針で健康診断を地域の医師会にゆだねることになりまして、ここのフィールドは終わりになりました。その医師になってからの健康診断9年目(最後の年)の3日目(最終日)、すなわち、平成16年8月6日(金)、健診会場である某・体育館前で、健康診断終了後に撮影されました写真を、下に掲載させて頂きます。画像をクリック(英語:click)(もしくはタップ[英語:tap])して頂きますと、拡大致します。

 誠に有り難いことに、周囲はすべて学部生の方々かたがたです。最後列でスーツ(英語:suit)を着ていますのが、当方です。

 

 

神泉

健診会場である某・体育館前

 

 

神泉

学部生の方々かたがたと共に

 

 

 

 

(後略)」と記させて頂きました。すなわち、上記のように 医師になってからは 9年間伺っておりましたが、そのうちの1回のみ 偶々たまたま その血液内科の同期生と 一緒に 診療を行うことになって、宿は 同じ部屋で 休むことになりました。それで、その同期生から聞かされたことであります。すなわち、上記の 某・都立高校の3年生のときに 同級生であった 男子の母親は亡くなったとのことでありました。但し、その母校の医学部の同期生によりますと、その母親の生命力は とても強かった とのむねでありました。それで、そのことを その某・都立高校の3年生のときに 同級生であった 男子(その母親の息子である彼のこと)に 文書で伝えました。

 および、その 某・都立高校の3年生のときに 同級生であった 男子とは、誠に有り難いことに、こちらから 年賀状を送って 一昨年おととしの令和4年まで 年賀状の交換していました。ところが、 一昨年おととし すなわち 令和4年の彼からの年賀状によりますと、「還暦を迎え 思うところあり、本年にて 年賀状は納めとする所存です。今後とも メール、LINE、電話などで 引き続き 連絡させて頂きたく・・・(用いられている漢字 そして 送り仮名がなも含めて、原文通り)」とのことでありました。つまり、「年賀状は 今年で 最後にして頂けましたら、年賀状以外の手段で交流させて頂けましたら」とのことでありますね。ところが、彼は引っ越していて 電話番号は変わっていまして、しかも、過去の年賀状を見ても 彼のメール アドレス や 電話番号は書かれてありませんでした。したがいまして、こちらから 連絡する手段がないのであります。そのうえ、一昨年おととし以来 2年以上 彼からは 連絡がありません。

 ときに、本日の夢のことに戻ります。すなわち、彼が 駅のホームにるのであります。

 ならびに、もうひとつの夢のことであります。すなわち、その 某・都立高校の3年A組のときの教室に行くのであります。ところが、自分の座席が わからないのであります。ちなみに、その教室は3階でありますが、1階には 1年生のときの教室であった 1年A組があります。なお、その 1年A組の教室に隣接している 思い出深い トイレに行くのであります。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)