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さて、去る 一昨年の12月5日(木)の「お見舞いの手紙・続報・3」のブログの冒頭に、
「(前略)去る10月8日(火)の『お見舞いの手紙・続報・2』のブログの上段に、
『(前略)去る9月17日(火)の【お見舞いの手紙・続報】のブログの上段に、
【(前略)昨日 すなわち 9月16日(月)の〖お見舞いの手紙〗のブログの上段に、
〖(前略)本日 すなわち 9月16日(月)の〔一周忌のお悔やみの手紙(鰻の蒲焼・418[カレーうどん・父親の食事])〕のブログの冒頭に、
〔(前略)姉から、姉の義理の兄の一周忌のことを聞かされました。それで、読者の方々におかれましては 御承知のことであらせられますように 父親の在宅介護のことで 自宅に張り付いていなければなりませんので 参列出来ず、代わりに お悔やみの手紙を書いて 御仏前に お供えしてもらうべく 御香典を 現金書留に同封して 送りました。すなわち、このお悔やみの手紙の内容ですが、一般的な手紙にある〘頭語(書き出し)〙や〘時候の挨拶〙は不要です。お悔やみの言葉から書き始めます。そして、法要に伺えない お詫び と 理由を、出来るだけ簡潔に 短い言葉で書きます。それから、故人の お人柄 や 思い出などを書きます。次に、故人の冥福を祈る言葉を述べ、お供え や お花を 御仏前に お供え頂きたい との旨を書き添えます。ならびに、〘御自愛下さい〙、〘お身体を お大事になさって下さい〙 そして 〘御身体 お厭い下さい〙などの御遺族を気遣う言葉を書きます。および、結びの言葉 つまり 仏式の一周忌法要の場合は 結びの言葉は〘合掌〙となります。また、後付けとして 最後に、手紙を書いた日付、左下に自分の名前を記し そして 宛名を書きます。因みに、金2萬円を同封しました。なお、2は 偶数で 割り切れる数字であることから、故人 と 御遺族との縁が切れることに繋がるとされてきました。この為に、香典で 偶数の金額を包むことは、あまりよくないこととされてきました。ところが、最近では 香典に 2萬円を包むことは 特に問題ないとのことであります。序で乍ら、縦書きで 金額を書く場合は 大字と呼ばれる漢数字の旧字体を使って書くようにするとのことであります。(後略)〕と記させて頂きました。
また、このブログの中段やや下に、
〔(前略)父親によりますと、親戚に 電話をしたら、具合が悪くて 肺のKrebs( 独語)(ネガティブ[英語:negative]で御座いますし、お読み下さっている 方々に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。がん[ 敢えて、平仮名で記させて頂きました]のことです。以下、Krebsと示させて頂きます。英語では cancerといい、独語と同様に、蟹[英語では、crabも 蟹の意味です]という意味も 御座います。この組織が 蟹の形態に似ているというところから、命名されたとのことです。よって、イメージ療法が 御座いますが、免疫担当細胞が この蟹の形態をした組織を食べる様子をイメージしたら、よいのではないか、と思われます)で 東京医科歯科大学に入院していると聞いた とのことでした。(後略)〕と記させて頂きました。それで、父親によりますと、昨日に続き 連日になりますが、お見舞いの手紙を書いて欲しい とのことでした。そこで、父親の介護のことがある中で 朝迄 掛かって、この手紙を書きました。 因みに、今回は 父親から、金3萬円を包むように言われました。なお、金3萬円であれば、上記のように 偶数では ないので、全く 問題ない と思われました。それで、上記と同様に 現金書留に同封して 速達で送りました。
上記のように 送付した お見舞い
(後略)〗と記させて頂きました。そして、本日の午後7時8分に、この親戚の お方の長女から 電話が入りました。 因みに、携帯電話に登録していない電話番号でありましたし 日没後でありましたので、誰かと思い 慌てました。なお、この長女の お方は、去る 昨年の5月6日(日)の〖弔問客の来訪・続報6〗のブログを記させて頂きました際に、誠に有り難いことに 見えた お方でした。それで、この長女の お方によりますと、この来訪以降の 昨年の6月から 診療 そして 検査が重なるようになり、上記のように 肺のKrebsで ope.(オペ・英語:operation)(手術のことです。以下、ope.と示させて頂きます)をした とのことでした。そして、高齢ということもあり 抗がん剤治療のような 積極的な治療は施さずに、緩和ケア病棟に入院している とのことでした。そこで、御承知のように 抗がん剤は 正常な細胞も 叩くので、宜しかったですね と回答しました。また、その長女の お方によりますと、両親とは 離れて暮らしている とのことでした。序で乍ら、その親戚の夫婦の方々の婚姻を 祖母が 世話をしているのです。(後略)】と記させて頂きました。
ならびに、去る 9月22日(日)の【義理の兄 と 姉の来訪・32・中編・4】のブログの中段に、
【(前略)姉によりますと、叔母(三女)が 圧迫骨折をして 7時間のope.(オペ・英語:operation)(手術のことです)をした とのことでした。そして、叔母(四女)が見ている とのことでした。因みに、姉によりますと、tuberculosis,T.B.(英語)(上記の理由で、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。結核のことで 御座います。なお、ツベルクリンは御承知のことであらせられますね。ですから、推測して頂ける英語であると存じ上げます)菌が関係しているとのことでした。(後略)】と記させて頂きました。
それで、この叔母(三女)にも、上記のように お見舞いの手紙を書かなければならないと思われました。但し、この叔母(三女)は 未亡人であり、一人住まいをしています。従って、Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。日本語では、病院のことです。以下、Hp.と示させて頂きます)に入院していますから 自宅には 誰も居ません。その為、現金書留を用いて お見舞いを送っても、誰も 受け取る人が居ません。そこで、近くに住んでいる 叔母(四女)夫婦に 速達の現金書留で送ることにしました。因みに、今回は 父親との話で、金5萬円を包むことになりました。なお、金5萬円であれば、上記のように 偶数では ないので、全く 問題ない と思われました。
上記のように 送付した お見舞い
(後略)』と記させて頂きました。
ときに、昨日 すなわち 12月4日(水)の『石の上にも 三年』のブログの中段やや上に、
『(前略)本日の午前中 すなわち 午前9時8分に、姉から メールが入りました。(後略)』と記させて頂きました。このメールによりますと、上記の叔母(三女)の世話をしていた 叔母(四女)が、うつ病で 入院したとのことでした。それで、上記の叔母(四女)夫婦に お見舞いとして 速達の現金書留で送ることにしました。因みに、今回も 父親との話で、金5萬円を包むことになりました。
上記のように 送付した お見舞い
(後略)」と記させて頂きました。
ときに、去る 昨年の5月8日(金)の「叔母からの突然の電話連絡・続報2」のブログの下段に、
「(前略)去る4月26日(日)の『叔母からの突然の電話連絡・続報』のブログの下段に、
『(前略)去る3月22日(日)の【叔母からの突然の電話連絡】のブログの下段に、
【(前略)去る2月29日(土)の〖姉からの突然の電話連絡〗のブログの下段に、
〖(前略)一昨日 すなわち 2月27日(木)の〔母親の三回忌の挨拶〕のブログの中段やや上に、
〔(前略)不思議な因縁ですが、研修医として 最初の受け持ちが R.A.の患者さんでした。そのことを 今回 三回忌を迎えるにあたり 上梓させて頂きました。(このことは、去る1月24日(金)の〘製本・委託〙のブログ そして 去る2月12日(水)の〘笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗から 大乗へ・前編〙のブログなどに記させて頂きました)(後略)〕と記させて頂きました。
そして、今朝 すなわち 午前8時46分に、姉から 突然の電話連絡が ありました。それで、上記の叔母(三女)が 王子のHp.に転院したとのことでした。それで、姉によりますと、この叔母(3女)が 父親に電話して欲しいと言っているとのことでした。また、叔母(四女)は、まだ 入院しているとのことでした。そして、姉によりますと、この叔母(四女)の長女が よく やっているとのことでした。そこで、この長女にも、言葉を添えて その 上梓させて頂きました 本を進呈しました。
そこで、父親に 叔母(三女)が 電話して欲しいと言っていると伝えました。すると、朝のうちは 電話することは出来ないと訴えていましたが、朝食後、父親は、叔母(三女)に 電話をしました。但し、叔母(三女)は 入院して 退行していますので、ネガティブなことばかり 言われたとのことでした。しかも、姉によりますと、自分は 何本も 上記の叔母(三女)に電話しているとのことでしたが、前述致しましたように 転院したばかりですので、如何なものかと思われました。(後略)〗と記させて頂きました。そして、本日の午後5時23分に この叔母(三女)から 電話が着信しましたが、僅か 9秒で切れてしまいました。なお、大部屋に入院していますので、こちらから 電話連絡することは 適いません。(後略)】と記させて頂きました。去る 一昨年の3月6日(火)の【母親の転帰】のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。
それから、本日の午後3時47分に、この叔母(三女)から 電話が入りました。上記のことが ありますので、直ぐに 通話ボタンを押しました。因みに、音楽の音量を下げましたので、12秒 掛かりました。なお、この叔母(三女)が、去る4月19日(日)の【日本国憲法・第24条について・続報2(日本民族の結婚の伝統)(姪の出産)】のブログに記させて頂きました 姪の出産のことを言及しました。そして、この叔母(三女)によりますと、多磨霊園のあった お墓を 上記の母親が眠っている小平霊園の共同墓地に移したとのことでした。序で乍ら、この叔母(三女)によりますと、体調は よくないとのことでした。そして、叔母(四女)も よくないとのことでした。(後略)』と記させて頂きました。そして、本日の午後1時に、叔母からの 突然の電話連絡が ありました。それで、留守番電話に メッセ-ジが残されていました。(後略)」と記させて頂きました。
そして、去る 昨年の10月18日(日)の「叔母からの突然の電話連絡・続報7」のブログの下段やや上に、
「(前略)去る6月24日(水)の『叔母からの突然の電話連絡・続報6』のブログの下段やや上に、
『(前略)去る6月1日(月)の【叔母からの突然の電話連絡・続報5】のブログ
の下段に、
【(前略)去る5月28日(木)の〖叔母からの突然の電話連絡・続報4〗のブログの下段に、
〖(前略)去る5月9日(土)の〔叔母からの突然の電話連絡・続報3〕のブログの下段に、
〔(前略)このメッセ-ジによりますと また 電話するとのことでありましたが、電話が 掛かってこなかったので、午前8時50分頃 こちらから電話しました。まず、固定電話に電話しましたら、〇番を押してくれとの案内が入りまして 留守番電話に繋がるようでした。因みに、去る 一昨年の8月16日(木)の〘固定電話のナンバー・ディスプレイ機能(父親の食事)〙のブログに記させて頂きましたように、当家の固定電話には、ナンバー・ディスプレイ機能が付けられています。そこで、このナンバー・ディスプレイ機能で、昨日 掛かってきた 携帯電話の電話番号を調べました。それで、携帯電話に電話しました。
すると、この叔母によりますと、シンガポール や 九州で生活していた 子供たちは 帰って来たとのことでした。また、上記の 入院していた 叔母(三女)は 老人ホームに移るとのことでした。
ならびに、去る2月21日(金)の〘新型コロナ・ウイルス〙のブログに、新型コロナ・ウイルスのことを記させて頂きました。なお、この叔母によりますと、この新型コロナ・ウイルスのことが なければ、上記のように 叔母(三女)の共同墓地もある 小平霊園に お墓参りに行こうと思っていた とのことでした。(後略)〕と記させて頂きました。
また、去る5月24日(日)の〔肉親の来訪・6・後編〕のブログの上段に、
〔(前略)去る5月9日(土)の〘叔母からの突然の電話連絡・続報3〙のブログの下段に、
〘(前略)上記の 入院していた 叔母(三女)は 老人ホームに移るとのことでした。(後略)〙と記させて頂きました。姉によりますと、叔母(三女)は 既に サニー・ライフ板橋(老人ホーム)に移った とのことでした。 因みに、父親によりますと、叔母(三女)は 天涯孤独とのことでした。(後略)〕と記させて頂きました。そして、本日の午後4時22分に、この叔母(三女)から 電話が入りました。上記のことが ありますので、直ぐに 通話ボタンを押しました。因みに、音楽の音量を下げる時間が入りましたが、今回は 10秒で 電話に出ることが出来ました。なお、叔母(三女)によりますと、老人ホームに入居して 落ち着いたとの旨でした。そして、体調が しっかりしていないとのことでした。それで、父親に 午後9時迄 なら 電話して欲しいとのことでした。そこで、この叔母(三女)に 父親に代わるかどうかを訊いて、2世帯住宅の隣に居る 父親のところに行って 電話を取り次ぎました。(後略)〗と記させて頂きました。そして、昨日の午後5時11分に、上記の 叔母からの 突然の電話連絡が ありました。それで、留守番電話に メッセ-ジが残されていました。そこで、父親に聞かせて、直ぐに 速達で 返信しました。(後略)】と記させて頂きました。
および、去る6月21日(日)の【父の日・夏至・部分日食】のブログ
の中段やや上に、
【(前略)本日は 父の日でもありますね。 因みに、父親の在宅介護に携わっておりますので、毎日が 父の日であるような心構えでおります。それから、来る 6月24日(水)は 父親の誕生日でもあるのです。(後略)】と記させて頂きました。すなわち、本日は 父親の誕生日ですので、本日の午前11時16分に その叔母(三女)から 電話が入りました。それで、父親に取り次ぎました。因みに、突然の電話連絡でしたので、手に持っている器に入っている液体を零してしまいました。なお、その少し前に 父親の携帯電話に この叔母(三女)から 着信が ありましたが、父親によりますと 出られなかったとのことでした。そこで、この叔母(三女)に 電話を 掛けようとしていたところでした。(後略)』と記させて頂きました。本日、父親が、この叔母(三女)に 電話したいと言い出しました。それで、電話を取り次ぎました。以下、父親 と その叔母(三女)との電話の内容であります。すなわち、その叔母(三女)によりますと、自宅を引き払ったとのことでした。そこで、上記のように サニー・ライフ板橋(老人ホーム)に 居るとのことでした。そして、歩けるが、車椅子とのことでした。それから、テレビを見ることは出来るとのことでした。なお、父親のよりますと、会いに行きたいとのことでした。因みに、声を聞くことが出来て嬉しいとのことでした。しかも、父親によりますと、母親 と 叔母(三女)と 三人で 奥日光に行ったとのことでした。そのうえ、父親によりますと、母親が居なくて 寂しいとのことでした。序で乍ら、その叔母(三女)によりますと、電話は 午後9時なら いいとのことでした。
ならびに、その後、父親は、岐阜県立大垣商業高等学校の同級生(男性)に電話しました。
および、その後も 三重県の親戚に電話しました。すると、父親によりますと、一言 話して 切れてしまったとのことでした。そして、こちらから電話しても、留守番電話になりました。それから、暫くして 漸く通じました。なお、その三重県の親戚によりますと、檀那が 82歳で亡くなったとのことでした。また、この三重県の親戚によりますと、隣に兄弟の嫁が住んでいたのですが、名古屋の息子と同居することになったとのことでした。それで、一人になって 寂しいとのことでした。 因みに、その息子の息子は 京都大学に入学したとのことでした。(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る1月11日(月)の「親戚からの突然の電話連絡・続報12」のブログの下段に、
「(前略)去る 昨年の12月23日(水)の『親戚からの突然の電話連絡・続報11』のブログの下段に、
『(前略)去る12月6日(日)の【甥からの突然の電話連絡・続報10】のブログの下段に、
【(前略)去る12月4日(金)の〖叔母からの突然の電話連絡・続報9〗のブログの下段に、
〖(前略)去る11月14日(土)の〔叔母からの突然の電話連絡・続報8〕のブログの下段に、
〔(前略)本日 すなわち 11月14日(土)の〘マッサージ(父親)・137・中編・1〙のブログなどに記させて頂きましたように、マッサージ師の方の対応をしました。その最中 すなわち 本日の午後1時38分頃に、上記の叔母(三女)から 電話が入りました。それで、2回以上 父親に 折返し 電話するかどうかを訊きましたが、後にするとのことでした。そこで、翌日の 午前10時45分頃、折返し 電話しました。(後略)〕と記させて頂きました。本日の午前9時36分頃に、上記の叔母(三女)から 電話が入りました。それで、直ぐに すなわち 11秒で 通話ボタンを押しました。ところが、相手の応答がありませんでした。そして、30数秒で 電話が切れてしまいました。(後略)〗と記させて頂きました。本日の午前11時50分頃に、甥から 固定電話に 突然の電話が入りました。それで、留守番電話に メッセ-ジが残されていました。そこで、特定記録扱いの 速達郵便で、手紙を書いて 郵送しました。(後略)】と記させて頂きました。昨日の 遅い時間帯 すなわち 午後9時41分頃に、親戚から 固定電話に 突然の電話が入りました。それで、留守番電話に メッセ-ジが残されていました。すなわち、【叔父さんは・・・】との 父親の近況を知りたい様子の内容でした。そこで、今朝、父親に電話するかどうかを訊きました。ところが、本日 すなわち 12月23日(水)の【父親のこと・続報29】のブログの下段に、
【(前略)本日の午前中も 父親によりますと、〖身體が えらい。〗とのことでした。それで、本日の午前9時5分頃に 父親の検温をしましたら、誠に有り難いことに 父親の体温は 36.8℃でありました。因みに、平熱ですが、大事にしてもらっています。(後略)】と記させて頂きましたように、父親によりますと、後にして とのことでした。それから、父親は、食事をしました。そして、父親に電話するかどうかを 3回目に訊きましたときに、渋々 電話するとのことでした。従って、本日の午前10時27分に、電話しました。すると、この親戚によりますと、娘が インドネシアに移住しているとのことでした。しかも、コロナ禍のことがあり 東京へは行けないとのことでした。序で乍ら、誠に有り難いことに、日本 と インドネシアの関係は いいですね。
なお、先方から そろそろとのことでありましたので、当方から 【どうぞ よい年の瀬を お過ごし下さり、良い お年を お迎えになられて下さい。】と伝えました。(後略)』と記させて頂きました。
また、父親が、上記の叔母(三女)に 電話したいとのことでした。ところが、その後 父親によりますと、電話しないとのことでした。(後略)」と記させて頂きました。
および、去る3月31日(水)の「親戚からの突然の電話連絡・続報17」のブログの下段に、
「(前略)去る 3月27日(土)の『親戚からの突然の電話連絡・続報16』のブログの下段に、
『(前略)昨日 すなわち 3月26日(金)の【親戚からの突然の電話連絡・続報15】のブログの下段に、
【(前略)去る1月24日(日)の〖親戚からの突然の電話連絡・続報14〗のブログの下段に、
〖(前略)去る1月19日(火)の〘親戚からの突然の電話連絡・続報13〙のブログの下段に、
〘(前略)本日も、父親によりますと、上記の叔母(三女)に 電話したいとのことでした。ところが、その後 今回も 父親によりますと、電話しないとのことでした。(後略)〙と記させて頂きました。そして、本日 父親に、上記の叔母(三女)に 電話したいかどうかを訊きました。すると、父親によりますと、電話をするとのことでした。それで、父親によりますと 入れ歯を嵌めないと 話すことが出来ないと言うので、父親に 外したばかりの入れ歯を嵌めさせました。それから、電話を取り次ぎました。ところが、〘電源が入っていないか、電波の届かない所に居ます〙とのアナウンスが流れて、その叔母(三女)への電話が通じませんでした。(後略)〗と記させて頂きました。そして、父親に、上記の叔母(三女)に 電話したいかどうかを しばしば 訊きました。すると、父親によりますと、電話をするとのことでした。それで、いざ 電話をしようとしますと、父親によりますと 疲れたとのことであり、上記と同様に 電話しないとのことでした。(後略)】と記させて頂きました。それから、本日になって 父親によりますと、上記の叔母(三女)に 電話をするとのことでした。しかも、父親によりますと 入れ歯を嵌めないと 話すことが出来ないと言うので、父親に 外したばかりの入れ歯を嵌めさせました。それで、その叔母(三女)に 電話しましたら、【お掛けになった 電話番号は 現在 使われておりません。】とのことでした。すなわち、その叔母(三女)は、電話契約を終了したようであります。それで、父親には、その叔母(三女)から 電話が入る迄 待つしかないと伝えました。もしくは、他に電話するか と話しました。すると、誠に有り難いことに 父親は、納得してくれました。(後略)』と記させて頂きました。今度は 父親によりますと、姉に電話するとのことでした。(後略)」と記させて頂きました。そして、一昨日 すなわち 3月26日(金)の「父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・207」のブログに記させて頂きましたように 入浴した後 父親は、当方が 父親の衣類を洗濯している間に 姉に電話しました。それで、明日 すなわち 4月5日(月)の「鰻の蒲焼・902(カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段やや下に、
「(前略)昨日 すなわち 4月4日(日)の『鰻の蒲焼・901(カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや下に、
『(前略)去る4月2日(金)の【父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・208】のブログの上段やや下に、
【(前略)父親によりますと 前日 姉に電話したが、〖恐ろしい。あいつは 鬼だ!〗とのことでした。そして、父親の本意では ありませんが、デイ・サービスに行くように言われたとのことでした。因みに、去る 昨年の4月8日(水)の〖鰻の蒲焼・593(カレーうどん・父親の食事)〗のブログの中段やや下に、
〖(前略)去る 昨年の7月2日(火)の〘榊(カレーうどん・父親の食事)・15〙のブログの下段にやや上に、
〘(前略)父親によりますと、姉に譲渡した土地を 売らなければよかった とのことでした。(後略)〙と記させて頂きました。そして、昨日も、父親によりますと、姉に 土地を譲渡しなければよかったとのことでした。(後略)〗と記させて頂きました。昨日も、父親によりますと、姉に 土地を譲渡しなければよかったとのことでした。それで、父親によりますと、姉のことで 〖死にたい!生きていたくない!〗とのことでした。但し、人は この世の修行が終わらなければ、あの世に移行することは 適わないとされています。なお、今迄 父親は、姉に電話をする度に もう懲りたと話していました。それでも、繰り返し 姉に電話をしました。因みに、去る 6年前の5月23日(土)の〖親の言葉〗のブログの上段に、
〖(前略)去る5月18日(月)の〘一大事とは〙のブログに記させて頂きました吉田松陰によりますと、江戸在獄中の、安政6年10月20日(旧暦)付(刑死の約1週間前)、父、叔父、そして、兄等に宛てた書状の中で、〘親思う心に勝る親心 けふの訪れ何と聞くらむ〙という句が詠まれています。子が親を思う心よりも、子を思いやる親の気持ちのほうが遥かに深いということを伝えています。この吉田松陰の言葉も有名なので、以前、父親から、よく聞かされました。(後略)〗と記させて頂きました。すなわち、父親は、姉のことを思っているのであります。そして、父親によりますと、本当に 懲りたとのことでありました。
序で乍ら、家政婦によりますと、姉も 父に 恐ろしいと思わせるようなことを言わないで、電話を切ればいいのに とのことでした。(後略)】と記させて頂きました。昨日も 父親によりますと、上記のように 【生きていたくない!】とのことでした。(後略)』と記させて頂きました。昨日も 父親によりますと、『あの世に行きたい。』とのことでした。(後略)」と記させて頂きます。父親によりますと、義理の兄は 週に 1日 すなわち 月曜日に 相談役として 出社するのみとのことでした。
それから、本日は 甥(長男)に電話をしたいとのことであり、午後0時45分頃 休日でありますので 甥(長男)に電話を 取り次ぎました。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)