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さて、去る 昨年の1月21日(火)の「訪問医師・続報4(前編)」のブログの冒頭に、
「(前略)去る 昨年の10月8日(火)の『訪問医師・続報3(前編)』のブログの冒頭に、
『(前略)去る7月2日(火)の【訪問医師・続報2(前編)】のブログの冒頭に、
【(前略)去る4月9日(火)の〖訪問医師・続報(前編)〗のブログの冒頭に、
〖(前略)去る1月8日(火)の〔訪問医師〕のブログの冒頭に、
〔(前略)昨日 すなわち 1月7日(月)の〘リハビリテーション(父親)・35・前編〙のブログ そして 昨日 すなわち 1月7日(月)の〘リハビリテーション(父親)・35・後編〙のブログなどに記させて頂きましたように 父親が リハビリテーションを受けていますが、そのリハビリテーションの指示書が発行される為 に このリハビリテーションを派遣しているHp.(hospital[ホスピタル]の略です。日本語では、病院のことです。以下、Hp.と示させて頂きます)から 医師が 3ヶ月に1回来ることになりました。それで、本日の午後3時に 運転手と共に 二人で来るとのことでした。それで、午後2時57分に見えました。 因 みに、この訪問医師の方が来る前 すなわち 本日の午前9時15分頃に 父親の血圧を測りました。すると、父親の最高血圧(収縮期血圧)は 104mmHg(水銀柱ミリメートル)、最低血圧(拡張期血圧)は 65mmHg、脈拍(心拍数)が 64回/分 そして 父親の体温は 36.7℃でした。なお、 この結果を この訪問医師の方に伝えました。序で乍ら、この訪問医師の方から 転倒の話になりました。ならびに、この訪問医師の方によりますと、緊張した とのことでした。
ときに、去る 2月11日(土)の〘ある日本人医師の話(両親の食事)〙のブログの上段に、
〘(前略)過日 独人を救った日本人医師のことが放送されていました。この日本人医師と 高校(当時は、旧制中学) そして 大学が同窓であり、当方の先輩です。当方が 学部生のときには まだ ベルリンの壁が崩壊していませんでした。大学・学部生のときに 学内で 高校同窓の会を開こうと思って 調べましたら、母校に残っている医師が 約10人いました。しかし乍ら、このときは、この日本人医師のことは 日本で 知られていませんでした。
この肥沼信次医師の活動場所は、ヴリーツェン(独語:Wriezen)でした。ヴリーツェンは、独東部のポーランド国境近くにある街です。(後略)〕と記させて頂きました。上記の訪問医師の方が、何と 高校 そして 大学が同窓であり、当方の高校の先輩でした。この訪問医師の方によりますと、〔大学では 自分が 後輩だった。〙とのことでした。すなわち、この訪問医師の方は、32歳で 大学に入学しました。なお、去る 4年前の1月7日(水)の〘受験のアドバイス〙のブログの上段に、〘(前略) 大学院生の頃、主任教授に依頼されて、最終学年である6回生に医師国家試験特別講義を担当致しておりました・・・(後略)〙と記させて頂きました。高齢で 医師国家試験を受験することは たいへんですね との話になりました。
ならびに、この訪問医師の方は、在学中は 東京都文京区白山の〘つぼ八〙という居酒屋で アルバイトをしていました。 因 みに、実家は 東京都国立市の豪邸であり、三井関係の方でした。この訪問医師の方も、三井関係の会社に勤務していて、退職して 大学に入学したのでした。なお、今の自宅は、山梨県とのことでした。序で乍ら、30年ぶりの再会でした。この訪問医師の方は、卒業して 母校の大学附属Hp.の内科に入局しました。そして、山梨県のHp.に 19年間 勤務したそうです。それから、最近、訪問診療に携わった とのことでした。 因 みに、消化器内科で 内視鏡を使う とのことでした。
ならびに、運転手の方は 理学療法士の方であり、以前 見えたことがある方でした。(後略)〕と記させて頂きました。上記のように 医師が、3ヶ月に1回来ることになりました。すなわち、1月~3月として 去る1月8日(火)に来ましたので、次回は 4月~6月として 当然 4月以降に来ると思っていました。ところが、3月12日(火)の〔保険外交員・続報2〕のブログに記させて頂きましたように 保険の外交員が来ているとき すなわち 3月12日(火)の午後2時過ぎに、去る3月11日(月)の〔リハビリテーション(父親)・42・前編〕のブログなどに記させて頂きました 理学療法士の方から 電話が入りました。つまり、5月は 連休があるとのことで 何故か 4月ではなくて その前の しかも 今度の月曜日 すなわち 3月18日(月)の午前10時半から11時半とのことでした。あまりにも 唐突でした。ヘルパー(日本語:家政婦)とも、重なってしまいます。それで、本日の午後2時半から3時半とのことでした。そして、午後2時58分に 見えました。 因 みに、電話が入った 理学療法士の方から、今回は 前回と違う 運転手の方が来る とのことでしたが、今回も 運転手の方は 前回 見えた 理学療法士の方でした。
それから、その訪問医師の方が来る前 すなわち 本日の午前7時50分頃に 父親の血圧を測りました。すると、父親の最高血圧(収縮期血圧)は 125mmHg(水銀柱ミリメートル)、最低血圧(拡張期血圧)は 80mmHg、脈拍(心拍数)が 74回/分 そして 誠に有り難いことに 父親の体温は 36.4℃でした。
ときに、今回も、この訪問医師の方から 転倒の話になりました。そして、マニュアル(英語:manual)(日本語:手引書のこと)を読みあげていました。
ならびに、この訪問医師の方によりますと、東京医科大学・医学部を受験したが 不合格だった とのことでした。および、東京慈恵会医科大学は 開業医を養成する 医学部とのことでした。
また、この訪問医師の方によりますと、数学は もう ダメとのことでした。それから、多浪人生のことを 言及していました。
しかも、この訪問医師の方によりますと、前述致しました 山梨県の自宅から、近々 東京都国立市の実家に 戻る とのことでした。(後略)〗と記させて頂きました。去る6月17日(月)の〖リハビリテーション(父親)・55・前編〗のブログを記させて頂きましたときに、理学療法士の方から 訪問医師の方は 7月2日(火)の午後3時から 4時の間に来る とのことでした。それで、事前の打診もなく 日程を印刷した紙を見せられました。ところが、この日は、去る6月18日(火)の〖訪問看護(父親)・30・前編〗のブログ そして 去る6月18日(火)の〖訪問看護(父親)・30・後編〗のブログなどに記させて頂きました 訪問看護師の方が来ることになっています。そこで、調整すべく 日程の希望を 第3希望迄 出すようにしました。ところが、その後 すなわち 去る6月19日(水)に 経理(女性)から電話があり、やはり 当初の通り 7月2日(火)の午後3時から 4時の間になりました。そこで、宅急便の配達の日程も、ずらしました。
そして、午後3時5分に 見えました。 因 みに、前回 と 前々回に 見えた 理学療法士の方ではなくて、今回の運転手の方は 作業療法士の科長の方でした。(後略)】と記させて頂きました。そして、去る8月5日(月)の【リハビリテーション(父親)・61・前編】のブログの下段に、
【(前略)去る7月2日(火)の〖訪問医師・続報2(前編)〗のブログ そして 去る7月2日(火)の〖訪問医師・続報2(後編)〗のブログなどに記させて頂きました 訪問医師のことは、この理学療法士の方から、モニタリングと言うと聞かされていました。そして、この訪問医師から、次回訪問は 10月の予定と聞かされていました。それから、去る7月18日(木)の〖ケア・マネージャー(父親)の来訪・25・前編〗のブログ そして 去る7月18日(木)の〖ケア・マネージャー(父親)の来訪・25・後編〗のブログなどに記させて頂きました ケア・マネージャー(男性)の方から、3ヶ月前ではないが 100歩譲って 2ヶ月以上前に このモニタリングの日程を知らせてくれる とのことでした。ところが、上記のように 次回の訪問予定である 10月から 2ヶ月前を切って 8月に入りましても、具体的な日程は示されませんでした。しかも、上記のように 次回は 休みです。つまり、次回は 2週間後になってしまいます。それで、今回 この理学療法士の方に 10月のモニタリングの日程を 訊かなければならなくなりました。(後略)】と記させて頂きました。それで、こちらから 日程を 訊きまして、本日の午後2時以降とのことになりました。因みに、昨日 すなわち 10月7日(月)の【リハビリテーション(父親)・67・前編】のブログ そして 昨日 すなわち 10月7日(月)の【リハビリテーション(父親)・67・後編】のブログなどに記させて頂きました 理学療法士の方から、この訪問医師のことは モニタリングと言うと聞かされていました。そして、直前になって 午後2時半から 4時半の間に 来るとのことでありました。ところが、当日 すなわち 本日の午後2時26分 すなわち 4分も早く見えましたので 慌てました。なお、父親によりますと、驚いた とのことでした。序で乍ら、この訪問医師の方によりますと、次回は 10月とのことでしたが、10月は 今月なので 3ヶ月後である1月のことですね。(後略)』と記させて頂きました。本日は 午後2時半~3時に 来るとのことでありました。ところが、午後2時20分 すなわち 10分も早く見えましたので 慌てました。(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る 昨年の10月27日(火)の「訪問医師・続報7(前編)」のブログの中段やや上に、
「(前略)去る 7月14日(火)の『訪問医師・続報6(前編)』のブログ
の中段やや上に、
『(前略)去る4月14日(火)の【訪問医師・続報5(前編)】のブログの中段やや上に、
【(前略)先週 すなわち 4月9日(木)の午前9時27分 と 午前9時37分に、異例なことに 電話が入りました。すなわち、本日は、午後2時半に 来ることの確認の電話でありました。ところが、午後2時13分 すなわち 17分も早く見えましたので 慌てました。因みに、昨日 すなわち 4月13日(月)の〖リハビリテーション(父親)・83・中編・1〗のブログの上段やや下に、
〖(前略)このときは 二人の理学療法士の方が 来ましたので、特別に 家政婦を委託しました。その為に、時間が掛かり 家政婦には 金10,190円という 余分な 手当てを あげなければなりませんでした。(後略)〗と記させて頂きました。そして、今回も、二人見えますので、家政婦を委託しました。なお、今回も、この訪問医師の方から 転倒の話になりました。(後略)】と記させて頂きました。上記のように 次回の訪問予定である 7月から 2ヶ月前を切って 5月に入りましても、具体的な日程は示されませんでした。それで、ケア・マネージャーから 電話が掛かってきた序でに、この機会に そのことを伝えました。それで、本日は、午後2時半から 3時半の間に 来るとの電話がありました。ところが、当日 すなわち 本日の午後2時24分 すなわち この時間からの午後2時半よりも 6分も早く見えましたので 慌てました。(後略)』と記させて頂きました。
および、去る8月3日(月)の『リハビリテーション(父親)・98・中編・2』のブログの下段に、
『(前略)すなわち、訪問リハビリテーションの為のモニタリングのことを記させて頂きました。因みに、上記のように 次回の訪問予定である 10月から 2ヶ月前になったので、前回 すなわち 先週 こちらから 日程を打診しました。そして、1週間後の本日になって その理学療法士の方から 回答があり、誠に有り難いことに 日程が決まりました。なお、この理学療法士の方によりますと、日程は 決まったが、上記の武漢ウイルスのせいで モニタリングが中止になるかもしれないとのことでした。但し、前々回 すなわち 4月のときには、緊急事態宣言が発令されましても 中止になりませんでした。しかも、一昨日の内閣官房長官の記者会見によりますと、緊急事態宣言を出す状況にはないとのことでありました。それで、そのことを伝えますと、この理学療法士の方によりますと 市町村で 発令されることがあるからとのことでした。そこで、上記のように、国としては 現在 緊急事態宣言を出す状況にはないとの見解であることを伝えました。序で乍ら、この理学療法士の方によりますと、9月下旬に そのモニタリングの日程が 医師に伝えられる とのことでした。(後略)』と記させて頂きました。それで、本日は、午後2時半から 3時半の間に 来るとのことになりました。そして、午後2時38分に見えました。因みに、今回の運転手の方は、前々回 見えた 作業療法士の方(科長)でした。なお、昨日 すなわち 10月26日(月)の『リハビリテーション(父親)・108・中編・3』のブログの上段に、
『(前略)以前は、専属の運転手が居たとのことでした。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、この理学療法士の方によりますと、持ち回りとのことでした。(後略)」と記させて頂きました。去る 1月15日(火)の午後4時12分に 上記の経理(女性)から電話があり、文書で 本日のモニタリングの日程を渡せなかったので 口頭で お知らせするとのことでした。因みに、上記の 作業療法士の方(科長)が 運転手として 来るとのことでした。すなわち、前回と同じ 方であります。それで、本日は、午後2時半に 来るとのことになりました。ところが、午後2時12分 すなわち 18分も早く見えましたので 慌てました。なお、父親も ビックリしたとのことでした。そして、疲れたとのことでした。なお、運転手である その作業療法士の方(科長)によりますと、雪が降ってきたからと よく分からない言い訳を話していました。
それから、その訪問医師の方が来る前 すなわち 本日の午前7時55分頃に 父親の血圧を測りました。すると、父親の最高血圧(収縮期血圧)は 118mmHg(水銀柱ミリメートル)、最低血圧(拡張期血圧)は 68mmHg、脈拍(心拍数)が 64回/分 そして 誠に有り難いことに 父親の体温は 36.4℃でした。なお、去る 一昨年の5月15日(水)の「パルス・オキシメーターの購入(在宅介護)」のブログの下段に、
「(前略)早速 このパルス・オキシメーターで、父親の 酸素(O2)の飽和度(英語:saturation)を測定してみました。すると、本日の午前9時45分頃の 父親の その酸素(O2)の飽和度は、誠に有り難いことに 94%でした。(後略)」と 記させて頂きました。すなわち、本日の午前7時55分頃の 父親の 酸素(O2)の飽和度は、誠に有り難いことに 95%(左第二指) そして 脈拍(心拍数)が 61回/分でした。因みに、これらの結果を この訪問医師の方に伝えました。すると、この訪問医師の方は その場を離れてしまいましたが、カルテ(独語:Karte)(英語のcardのこと)に書いていました。
ところで、前述の 去る 昨年の7月14日(火)の「訪問医師・続報6(前編)」のブログの中段やや上に、
「(前略)去る1月21日(火)の『訪問医師・続報4(前編)』のブログの上段やや下に、
『(前略)去る 昨年の10月8日(火)の【訪問医師・続報3(前編)】のブログの上段に、
【(前略)去る7月2日(火)の〖訪問医師・続報2(前編)〗のブログの上段に、
〖(前略)去る6月3日(月)の〔リハビリテーション(父親)・53・前編〕のブログの下段に、
〔(前略)運動後 すなわち 本日の午後4時10分頃に、父親の 酸素(O2)の飽和度を測りましたら、94%でした。因みに、上記のように 運動前は 96%でしたので、2%も下がっていますね。なお、階段の昇降運動のとき すなわち 階段を下る際に 介護者は 下で支えることになっているにもかかわらず、その理学療法士の方は 父親の上から 下りてきました。それで、柔らかく すなわち 当方が 下で支えましょうか と直面化(前述致しましたように、精神分析[心理学]の用語です。簡単に言えば、指摘することです)しました。すると、この理学療法士の方によりますと、階段に 手摺があるからいい とのことでした。但し、万が一のとき、父親 すなわち 90歳(誠に有り難いことに、満91歳になりました)の お年寄が、手摺だけで 身体を支え切れるものでしょうか。(後略)〕と 記させて頂きました。そして、その後も 直面化しましたら この理学療法士の方は 父親の下に来てくれましたが、前向きで しかも 数段先に 下りてきてしまいます。それで、今回 このことを相談しましたら、誠に有り難いことに、上記の 科長の方によりますと 介護者は 父親の下に来て しかも 後ろ向き すなわち 原則通り 父親の方を向き乍ら 下りてくるべき とのことでした。
また、その訪問医師の方が 不満のことを言及していました。
ならびに、この訪問医師の方との話で、自宅に帰ると ぐったりとの内容になりました。
および、前述致しましたように、この訪問医師の方は、大学では 後輩でした。そして、この訪問医師の方によりますと、学部生の頃は クラス委員であった 当方の方から、誠に有り難いことに 声を掛けてもらった とのことでした。
しかも、去る 一昨々年の2月11日(木)の〔数学教師〕のブログの上段に、
〔(前略)誠に有り難いことに、高校一年生のときの渾名が ピタゴラス(古代希語: Πυθαγόρας ὁ Σάμιος)(古代希の数学者 そして 哲学者)でありました。因みに、ピタゴラスは ピタゴラス音階の理論を発案したとされています。なお、数学 と 音楽は 関係があるのですね。高校生のときに習っていた某・ピアノ(英語:piano)教師によりますと、昭和40年前後に 日本の某・数学者が フィールズ賞受賞対象の研究である 代数幾何における20世紀最大の超難問と云われていた〘標数0の体上の代数多様体の特異点の解消 および 解析多様体の特異点の解消〙を着想したのが、ピアノを弾いている最中だったとのことでした。〘代数多様体〙とは、最も簡略に言えば、多変数の連立多項式(例えば、四次方程式のこと)系の解集合として定義される図形と述べることが出来るとのことです。この日本の某・数学者に関します書籍は、去る 一昨年の12月17日(水)の〘万年筆〙のブログ の冒頭で言及致しました友人に差し上げました。この友人の奥方が、ピアノのプロ(英語:professional)なのです。(後略)〕と 記させて頂きました。このように 数学 と 音楽は 親和性があるという話をしました。(後略)〗と 記させて頂きました。そして、今回も、この訪問医師の方から 転倒の話になりました。それで、転倒に際して 滑り止めを貼 ったり 滑らない マットを敷いたり そして タオルを巻いたりと 直ぐに 対処している旨を回答しました。すると、誠に有り難いことに、この訪問医師の方によりますと 結構なこと とのことでした。
また、この訪問医師の方によりますと、貰ったり 貰わなかったり とのことでありました。それから、昔は 貰っていた とのことでした。
ならびに、この訪問医師の方によりますと、寝たきりとのことでした。(後略)】と 記させて頂きました。この訪問医師の方が、金沢医大の情実入学のことを話していました。因みに、1千万円とか 数千万円という金額の話になりました。また、30数年前 昭和大学医学部の情実入学が 週刊誌に取り上げられて、3回生位の学生が 数名 退学になった話になりました。なお、3回生位で退学になったら 潰しが効かないと話しましたら、誠に有り難いことに、二人共 頷いてくれました。
しかして、この訪問医師の方が、今回も 上記のように 東京慈恵会医科大学は 開業医を養成する 医学部である とのことを言及していました。
それから、同行した 運転手の方(女性)によりますと、子供の家庭教師をしてもらいたい とのことでした。
また、この訪問医師の方は、社会に出てから 大学に再入学しようと思って 結局 医学部を目指したとのことでした。それで、3年計画で 合格するように 考えたとのことでした。そして、補欠の10番で 入学出来たとのことでした。
ならびに、この訪問医師の方によりますと、お金がないとのことでした。
および、この訪問医師の方が帰った後で、父親が この訪問医師の方は 開業していないのかと尋ねましたので、開業していないと回答しました。
しかも、この訪問医師の方によりますと、やりにくいとのことでした。
そのうえ、この訪問医師の方によりますと、寄付は しなかったとのことでした。
のみならず、前述致しましたように この訪問医師の方は 当方の高校の先輩です。それで、上記の肥沼信次医師のことを言及した 高校の同窓会誌のコピーを手渡しましたら、誠に有り難いことに、その記事を書いた女性が 何と この訪問医師の方と 高校25期で 同期とのことでした。因みに、この一致には 誠に驚きました。なお、この訪問医師の方に 年賀状を送りまして 返信は貰えなかったのですが、この訪問医師の方によりますと 何で 住所が分かったのか とのことでした。それで、この高校の同窓会名簿を見た と回答しました。
加うるに、その運転手の方(女性)によりますと、名人で 竜王である 将棋棋士と 苗字は 同じであるが、関係ないとのことでした。
おまけに、この訪問医師の方が、学生の頃に ディスコで踊っていた とのことでありました。因みに、お立ち台が流行る前のことです。なお、この訪問医師の方によりますと、その頃の方が よかった とのことでした。それで、運転手の方(女性)が、どのような曲ですか と尋ねました。そこで、この訪問医師の方によりますと、【クイーン・・・など】とのことでした。(後略)』と 記させて頂きました。
それから、その訪問医師の方によりますと、誠に有り難いことに 腹に溜めるのは よくないとのことでした。すなわち、帰ってから あれこれ思うようでは とのことでした。ならびに、危険とのことでした。および、この訪問医師の方から 転倒の話になりました。
また、昨日 すなわち 7月13日(月)の『リハビリテーション(父親)・95・前編』のブログ
に、理学療法士の方のことを記させて頂きました。この理学療法士の方が、来始めた 平成29年6月12日から 3年になる 2ヶ月前に、先方の都合で 交代になりました。それで、この4月の初め すなわち 4月6日(月)から 新しい 理学療法士の方が、来ました。すると、その訪問医師の方 と 理学療法士の副主任の方(運転手の方)によりますと、誠に有り難いことに、前の理学療法士の方が 慣れてきたところだったのにね とのことでした。(後略)」と 記させて頂きました。
ならびに、前述の 去る 昨年の10月27日(火)の「訪問医師・続報7(前編)」のブログの中段やや下に、
「(前略)今回も、この訪問医師の方から 転倒の話になりました。そして、上記と同様に 手引書を読みあげていました。
および、上記の作業療法士の方(科長)によりますと、慌ただしくて とのことでした。
それから、去る 一昨々年の8月26日(土)の『親の受診に付き添っていること・50(循環器内科医[女医])・後編』のブログの中段に、
『(前略)今回は、筋肉がないと 動きにくい とのことでした。なお、感謝の印と致しまして 両親の同意の下に、この循環器内科医(女医)に 寸志として 金1万円を手渡しました。
さて、去る8月14日(月)の【リハビリテーション・9】のブログの中段やや下に、
【(前略)去る7月27日(木)の〖リハビリテーション・6(両親の食事)〗のブログの上段に、
〖(前略)去る7月13日(木)の〔リハビリテーション・5(両親の食事)〕のブログの上段に、
〔(前略)前回は 外に出てみるとのことでありましたが、気温が高かったので 延期するとのことになりました。そして、今回 やはり 32℃と気温が高かったのですが、理学療法士の方により 外に出てみる とのことになりました。但し、母親は 胸が気持ち悪い そして 背中の痛みを訴えていました。
外に 5分間 出てみまして 戻って 理学療法士の方により 心拍数を測定しました処、運動前が60であったにもかかわらず 運動後 48に下がっていました。通常は、運動後に 心拍数は上がる筈であります。これには、理学療法士の方が 初めてとのことで 驚いたとのことでした。因みに、前述の 去る7月5日(水)の〘リハビリテーション・4(両親の食事)〙のブログの上段に、
〘(前略)その理学療法士の方によりますと、デイ・サービス(和製英語:day service)にも関わっている とのことでした。(後略)〙と記させて頂きました。今回も 土曜日に デイ・サービスに関わっているとの話がありました。また、他の家にも訪問しているそうです。これらの関わっている人々の中でも 運動後に 心拍数が下がる人はいないとのことでした。 因みに、去る6月16日(金)の〘親の受診に付き添っていること・48(循環器内科医[女医])・前編〙のブログの下段 そして 去る6月16日(金)の〘親の受診に付き添っていること・46(循環器内科医[女医])・中編〙のブログなどに記させて頂きましたように、母親には 心臓ペースメーカーが導入されています。この心臓ペースメーカーを装着している為、徐脈になっても このペースメーカーが働きます。従って、実際には 心拍数が上記の48よりも 下がっていたことが 充分に考えられます。明らかに 母親の心機能が落ちていると思われました。母親には 〘くたびれましたか〙と訊きました処、庭の植物の前に居たときが そうだったとのことでした。この質問のような ボルグ・スケール(英語:rating of perceived exertion・略語は R.P.E.)(日本語:主観的運動強度)を調べました。なお、理学療法士の方によりますと、母親にとりまして 5分間の運動は オーバー・ワークとのことでした。3分間にした方が よかったとのことでした。序で乍ら、勉強になったとのことでした。当方が居てくれて よかったとのことでした。(後略)〕と記させて頂きました。(中略)
それから、一昨々日、理学療法士の方が見えました。上記のオーバー・ワークのことを 上司に報告したそうです。但し、上司からは 分からないと言われたとのことでした。(後略)〗と記させて頂きました。誠に有り難いことに、今回は、上記のときのように 心拍数が下がることはありませんでした。但し、母親によりますと、疲れたとのことでした。(後略)】と記させて頂きました。前述の循環器内科医(女医)によりますと、心拍数が 運動後 48に下がっていましたことは、arrhythmia(上記の理由で、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。不整脈のことで 御座います。以下、arrhythmia と示させて頂きます)が出ていたのではないか とのことでした。因みに、上記の理学療法士の方は 前腕の橈骨動脈で 脈拍を測っていましたから、arrhythmiaでしたら 脈が 触れませんね。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、心臓は拍動していても、身體に 有効な血流が駆出されていなかったということであります。因みに、その作業療法士の方(科長)が、『(心臓の)空打ち。』と言ってくれました。
また、この訪問医師の方によりますと、次回 来ることが楽しみとのことでした。それから、その作業療法士の方(科長) と この訪問医師の方によりますと、当方に お大事に との旨でした。そこで、医者になりますと 『お大事に』と言うばかりであり、なかなか言ってもらうことは ないですねと回答しました。すると、その作業療法士の方(科長)によりますと、恐縮とのことでした。(後略)」と記させて頂きました。その訪問医師の方によりますと、しびれは とのことでした。
ならびに、今回も、この訪問医師の方から 転倒の話になりました。
および、上記のように、この訪問医師の方は、大学では 当方の三学年下の後輩だった お方です。因みに、学部生の頃は、母校の医学部の試験の資料を持って この訪問医師の方の自宅に 届けに行きました。それで、今回、この訪問医師の方から 誠に有り難いことに、あのときは とのことでした。そこで、母校の試験の資料を 後輩に手渡すことは 当たり前のことです と回答しました。
次に、去る 一昨々年の4月28日(土)の「マッサージ(父親)・5」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る4月21日(土)の『マッサージ(父親)・4』のブログの中段やや下に、
『(前略)去る4月14日(土)の【マッサージ(父親)・3】のブログの中段やや下に、
【(前略)去る4月7日(土)の〖マッサージ(父親)・2〗のブログの中段やや下に、
〖(前略)去る3月31日(土)の〔マッサージ(父親)〕のブログの中段やや下に、
〔(前略)去る2月10日(土)の〘マッサージ・4〙のブログの下段のやや上に、
〘(前略)今回も 同様に、下の画像のように、急遽 おもてなしの準備をしました。(後略)〙と記させて頂きました。(後略)〕と記させて頂きました。(後略)〗と記させて頂きました。(後略)】と記させて頂きました。(後略)』と記させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る 一昨々年の5月7日(月)の「リハビリテーション(父親)・5」のブログの下段に、
「(前略)去る4月23日(月)の『リハビリテーション(父親)・4』のブログの下段に、
『(前略)去る4月16日(月)の【リハビリテーション(父親)・3】のブログの下段に、
【(前略)去る4月9日(月)の〖リハビリテーション(父親)・2〗のブログの下段に、
〖(前略)去る4月2日(月)の〔リハビリテーション(父親)(サービス担当者会議)〕のブログの下段に、
〔(前略)一昨々日 すなわち 3月30日(金)の〘家政婦の送別・4〙のブログの中段やや下に、
〘(前略)今回も、下の画像のように、急遽 おもてなしの準備をしました。(後略)〙と記させて頂きました。(後略)〕と記させて頂きました。(後略)〗と記させて頂きました。(後略)】と記させて頂きました。(後略)』と記させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。
および、去る 一昨々年の8月21日(火)の「訪問看護(父親)・10」のブログの下段に、
「(前略)去る8月7日(火)の『訪問看護(父親)・9』のブログの下段に、
『(前略)去る7月17日(火)の【訪問看護(父親)・8】のブログの下段に、
【(前略)去る7月3日(火)の〖訪問看護(父親)・7〗のブログの下段に、
〖(前略)去る6月19日(火)の〔訪問看護(父親)・6(アロマ・テラピー)〕のブログの下段に、
〔(前略)去る6月5日(火)の〘訪問看護(父親)・5〙のブログの下段に、
〘(前略)今回も 同様に、急遽 おもてなしの準備をしました。(後略)〙と記させて頂きました。(後略)〕と記させて頂きました。(後略)〗と記させて頂きました。(後略)】と記させて頂きました。(後略)』と記させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。今回も 同様に、下の画像のように、急遽 おもてなしの準備をしました。なお、去る 一昨々年の9月11日(火)の「家政婦への贈り物(父親の食事)・8」のブログの中段やや下に、
「(前略)昨日 すなわち 9月10日(月)の『リハビリテーション(父親)・22・後編』のブログの下段に、
『(前略)昨日 すなわち 9月9日(日)の【父親のこと・続報(父親の食事)】のブログの中段やや下に
【(前略)昨日 すなわち 9月8日(土) の〖マッサージ(父親)・23・後編〗のブログの中段やや下に
〖(前略)年に 一回の〘夏しぼり〙で 毎年 完売になる トマト・ジュースが 丁度 届きましたので、乳酸菌飲料と合わせて 三人分 お土産に あげました。
マッサージ師にあげた トマト・ジュース
(後略)〗と記させて頂きました。同様に、その配達員にも、上記の トマト・ジュース そして 飲み物(乳酸菌飲料)を あげました。(後略)】と記させて頂きました。同様に、その理学療法士の方にも、上記の トマト・ジュース そして 飲み物(乳酸菌飲料)などを あげました。(後略)』と記させて頂きました。そして、同様に、そのヘルパー(日本語:家政婦)にも、上記の トマト・ジュース そして 飲み物(乳酸菌飲料)などを 毎回 あげています。 因 みに、このヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、誠に有り難いことに、濃くて 美味 しい とのことでした。但し、苦い とのことでした。なお、上記の宅配食の配達員にも、言葉を添えて このトマト・ジュースを あげました。(後略)」と記させて頂きました。
また、去る 一昨年の1月7日(月)の「リハビリテーション(父親)・35・後編」のブログの上段に、
「(前略)去る 昨年の12月17日(月)の『リハビリテーション(父親)・34・後編』のブログの上段に、
『(前略)去る12月10日(月)の【リハビリテーション(父親)・33・後編】のブログの上段に、
【(前略)去る12月3日(月)の〖リハビリテーション(父親)・32・後編〗のブログの下段に、
〖(前略)去る11月26日(月)の〔リハビリテーション(父親)・31・中編〕のブログの下段に、
〔(前略)去る11月19日(月)の〘リハビリテーション(父親)・30・後編〙のブログの下段に、
〘(前略)今回も 上記と同様に、下の画像のように 急遽 おもてなしの準備をしました。因みに、今回も、上記の 直接 青森から取り寄せた 自然の甘さの人参が含まれた りんごの100%ジュース そして 飲み物(乳酸菌飲料)などを 三人分 用意しました。なお、帰るときに、この理学療法士の方に 手渡しました。
上記の理学療法士の方に 手渡した、自然の甘さの 人参が含まれた りんごの100%ジュース そして 飲み物(乳酸菌飲料)などを 三人分
(後略)〙と記させて頂きました。今回も 上記と同様に、下の画像のように 急遽 おもてなしの準備をしました。因みに、今回も、上記の 直接 青森から取り寄せた 自然の甘さの人参が含まれた りんごの100%ジュース そして 飲み物(乳酸菌飲料)などを 三人分 用意しました。なお、帰るときに、この理学療法士の方に 手渡しました。
上記の理学療法士の方に 手渡した、自然の甘さの 人参が含まれた りんごの100%ジュース そして 飲み物(乳酸菌飲料)などを 三人分
(後略)〕と記させて頂きました。今回も 上記と同様に、下の画像のように 急遽 おもてなしの準備をしました。因みに、今回も、上記の 直接 青森から取り寄せた 自然の甘さの人参が含まれた りんごの100%ジュース そして 飲み物(乳酸菌飲料)などを 三人分 用意しました。しかも、今回は 直接 青森から取り寄せた りんごも 出しました。なお、帰るときに、この理学療法士の方に 手渡しました。
上記の理学療法士の方に 手渡した、自然の甘さの 人参が含まれた りんごの100%ジュース そして 飲み物(乳酸菌飲料)などを 三人分 と 直接 青森から取り寄せた りんご
(後略)〗と記させて頂きました。今回も 上記と同様に、下の画像のように 急遽 おもてなしの準備をしました。因みに、今回も、上記の 直接 青森から取り寄せた 自然の甘さの人参が含まれた りんごの100%ジュース、飲み物(乳酸菌飲料) そして 京都から取り寄せた お煎餅などを 三人分 用意しました。
(半角で 6万文字以内という字数制限に達しましたので、次のブログ記事に この続きを記させて頂きます。なお、義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)