だから構造家は、楽しい -33ページ目

出会い

夕方から、大学時代の同級生が構えている事務所で行われた、とある会に参加。

同世代の若手建築家たちと共に、ここ数年の住宅建築中心について語り合いながら酒を飲み交わすというもの。


普段の仕事で付き合いのある伊東事務所やSANAAのスタッフは、学生時代にコンペで活躍するなど比較的華やかな経歴の持ち主ばかりで、入所後も雑誌の表紙を飾るような華のある建築作品などを担当していっている言わばエリートたちなのだが、今日集まった面々は、もう少し若手の建築家(西沢大良さん、塚本由晴さん、石田敏明さん、手塚貴晴さんら)の下で数件の新築住宅や改装工事を担当した後に、独立している人たちだ。


皆、熱い


当たり前のことであるが、普段あまり接点の少ない人たちの考え方を知ることは重要である。

人間、自分が日常接しているものが世のスタンダードだと思い込みがちなものである。

伊東事務所やSANAAではカバーしきれていない領域が存在していることを再認識させられる。

無論、伊東事務所やSANAAとのプロジェクトでしか経験できない貴重で華やかな世界も存在しているわけで、そうしたトップクラスの建築プロジェクトに副所長という肩書きで参画できている自分が非常に恵まれた立場にいるということも同時に再確認できる。(逆に、その肩書きを外したときに僕は何をなすことができるだろうか?)


自分の幅を広げることのできる今日のような語らいの場は、とても新鮮で重要な経験となる。

今日の最大の収穫は、僕自身が初めて世代」というものを自分の設計活動に対して意識したことだろう。


もちろん、僕ら構造設計者は、建築家から仕事をもらうのが一般的なわけで、その際に、世代縛りを設定してしまうと、単純に仕事の数も幅も減ことになるだけなので、常識的に言えば、世代限定的な仕事をするのは、経営者として賢くないことだと言える。


自分から世代を限定していくつもりはさらさらないが、共に仕事をしていく上で応援したくなるのは同世代の建築家だろう。


建築家自身が、自分の(世代的な意味を含む)特徴を加速させるような構造家を適切にチョイスできるようになれば、必然的に構造家にも世代差があわられてくる、というのが健全な姿だと今は思っている。


今日の日を共にした同世代の建築家たちとは、

「○○世代の建築」と呼ばれうるような建築を共につくっていけるような期待感が僕の中には残った。

とても良い出会であったと思う。


もうしばらくの間は、僕は建築を信じることができそうだ。


建築構造物の構造性能最適化とロバスト性に関するセミナー

建築構造物の構造性能最適化とロバスト性に関するセミナー

というタイトルの建築学会主催のセミナーに参加してきました。


ま、難しいです。


建築構造物の設計にあたり、僕ら構造設計者は、たくさんの仮定のもとに計算を行い、その計算結果をもとにして、設計している建物が安全であるかどうかを判定します。

仮定は所詮仮定ですから、正確ではありません

計算結果そのものが不確定性を有しています


ロバスト性というのは「不確定性に対する頑強性」と邦訳されることが多いある種の概念で、制御の世界では随分前から存在しているらしい。建築の構造設計においても、その不確定性を有する仮定を使用している以上、その不確定性に対して影響が少なくなるように設計をしておきましょうというのが、今回のセミナーのテーマ。


鉄骨の強度というものは、信頼おける製鉄所で作られている規格品なわけで、その材料としての性能については、不確定性は非常にわけです。


逆にコンクリートなどは、配合強度を11月からは設計基準強度に対し温度補正で+3ニュートンしなさい、みたいな感じで、えらくいい加減に決められていて、ヤング係数1つとりあげるにしても、不確定性がきいわけです。


また、地盤については、敷地の中でボーリング調査を複数本すればそれぞれの内容がピタリ一致することなどまずありません。限界耐力計算法では、地盤による増幅を検討させていますが、それなんかは、ものすごく不確定性が大きいわけです。


限界耐力計算でなくても、地盤については、一種、二種、三種と3種類に大別されていて、Tcの値もそれらに応じて0.2秒、0.4秒、0.8秒と、なんとも大雑把に定められています。本当は建物の敷地に応じて0.65だったり0.7だったりするハズなんですけどね。


で、まぁ、そうやって大雑把な仮定のもとに行った計算結果に対して、これだったら安全だろうという判断をしています。


今回の偽造事件で、連日報道されている耐震強度というのも、保有水平耐力という増分静的弾塑性解析という計算方法等によって得られる数値をもとにはじき出されるわけですが、それというのは、建物のモデルに対し水平方向の力をゼロの状態から少しずつ増やしながら作用させていって、どこまで力を増やしてやったら建物が壊れるか?ということを計算しているのです。これは、建物の持っている水平方向の力に対する強さの1つの評価方法に過ぎません


当然のことですが、実際の地震力というのは、地面がある時間ガサガサゆすられた場合に、その慣性力としては、右左右左と繰り返しガサガサと作用するわけで、増分解析のようなじわーっと一方向に作用し続けるものとは根本的に内容が違わけです。


でも、内容は違うと言っても、水平方向の力という意味では、地震も増分解析も同じなので、増分解析等で求められる保有水平耐力の値をそこそこのレベルに保っておけば、地震に対してもそこそこ有効だろうという意味で国交省が定めているものなのです。

あくまでも、安全性を判定するための一つの計算方法であり、地震力をダイレクトに反映したものではないということは、僕ら技術者は当然理解しておかねばいけません。

「震度5強で倒壊の可能性アリ」という言葉のもつと言いますか、それこそ不確定性はものすごく大きいのです。

地震なんて、地震波の周波数と建物の固有周期の関係が運悪くあたってしまったりすることもあるわけだし、ヒューザーが使っていた仕上材が偶然に建物の減衰性能を高める材料・工法だったりすれば、ひょっとしたら、震度6でもあのマンションが倒れず、別の建物が倒壊することだってあるわけです。

連日報道しているマスコミさんたちも、その辺のことを少しは理解しておいてくれないと、いたずらに国民の不安を煽り、混乱を引き起こす結果になってしまいます。

世の中に壊れない建物などないのが事実です。

その事実に対し、僕ら建設業に関わる人間はそれぞれの職能の範囲において壊れにくいように作る努力をしなければいけないわけです。


今回のセミナーも「不確定性を考慮することでより壊れにくい建物設計しましょう」という主旨で行われたわけです。

が、まだまだ整理不足というか実務に適用するには早すぎる、というのが率直な僕の印象で、いずれはきちんと研究していただかなくてはいけないことだとは思うのですが、もう少し、実際に行われている設計や施工の現状を知っていただき、足もとを固めてもらいたいと思いました。


僕ら技術者も、設計で用いている数多くの仮定のうち、どれについては不確定性が高く、どれについては不確定性が低い、というものを日頃から意識していくべきだとは思います。


学会も、多くの計算規準類を発刊しているわけだから、その中に登場する設計式において、それらの一つ一つがそれぞれどの程度の不確定性に対し作られたものを明確にすることから始めていくべきなのではないだろうか。


そんな風に感じたセミナーでした。



東京ミッドタウン

竹中工務店の案内で、防衛庁跡地の再開発事業である東京ミッドタウンの現場見学会。


超高層ビルの現場見学は六本木ヒルズに続いて二度目なのだけれど、

超高層ビル(しかも、その中でも大きめ)ともなると、

技術力が必要→そもそもゼネコンが優秀→整理整頓を含め「客の案内」にも慣れている。

という図式ができており、現場見学特有のわずらわしさが少ない。


高層オフィス棟の間仕切りがない一般階というのは、大展望台と同じですね。

今回は、さしずめ、快適な東京名所見物といった感じでした。


ミッドタウン/東京タワー

東京タワーがこんな感じで見えます。


ミッドタウン/新美術館

黒川紀章さんの新美術館はこんな感じで見えます。

画像が汚くてすいません。

(工事中なので流石にガラスは綺麗ではありません)


ミッドタウン/ヒルズ

六本木ヒルズと対峙してます。


ミッドタウン/新宿新都心

新宿方面です。


ミッドタウン/赤坂

赤坂方面です。


ミッドタウン/大使館宿舎棟

足もとには、アメリカ大使館宿舎棟があります。

若き日のボスの担当作品ですね。



これらを見てると、森ビルが作った巨大模型を思い出します。

森ビル模型@バルセロナ

巨大模型



ここから見えるほとんどのモノが、誰かしらが設計し誰かしらが建てた「建築」なのかと思うと、自分のちっぽけさがよくわかります。

と同時に、東京という都市のすごさを再認識させられてしまいます。






複素数

振動についての勉強をしていたところ、ちょっとわからない記述があり、共役複素数について調べたくなり、Google検索をかけてみました。

すると、出るわ出るわで、中にはわかり易い解説のものもあり、疑問点はあっさりと解決しました。


今更ながら、便利な世の中ですね。


確か、複素数を初めて習ったのは高1の時。

当時は、インターネットもなく、平易に書き下ろしてくれた参考書もなく、とっつきにくかったです。


今の高校生たちはこうした情報を簡単に得ることができるので、幸せモノだと思ったりもしますが、どれくらい、恩恵はあるものなのでしょうか。


僕にとって中学校の数学は、算数の延長みたいな感じで、リアルなものと結びつけることで、簡単に理解できたので得意科目だったのですが、高校に入って登場した複素数は、うまくリアルなモノと結びつけることができなかったし、「虚数」という言葉につく「虚」の文字が、どうにも嫌でした。そして、その後しばらくは、数学が点の取れない科目になってしまい、僕は数学に対してしばらくの間、自信を失うことになりました。


浪人の時に通った「大数ゼミ 」という数学専門塾で、参考書や入試問題集の問題を解くためのテクニック解説的な講義ではなく、その単元の本質部分を浮き立たせてくれる講義を受けることで、ようやく本質部の理解ができ、そのときは目からウロコの連発でした。「本質が理解できていれば、後は(努力次第で)何とでもなる」という感覚を自分のモノにし、数学を得意科目だと呼べるようになったときは、何かから解放された幸福感のような特殊な感覚を体験することができました。


今日調べていた中には、そういう本質的理解を助けてくれる解説も転がっていたため、そんな昔のことを思い出してしまいました。


しかし、あまりに簡単にわかる(大した苦労もせずに問題が解決してしまう)という状況は、僕らのような時間の少ない社会人にとって便利なのは確かなのですが、次代の日本の技術力を担う若者たちを教育するという視点で考えた時には、この状況が望ましいことなのかどうかは、案外、微妙なことのような気もします。

池田巖展

親しくさせていただいている漆芸家の池田巖さんの個展を見に、上京してきた母、家族とともに赤坂見附のホテルニューオータニへ行く。

池田巌さんは現代の漆芸家として作品を作るだけでなく、漆芸の歴史についても研究されており、うちの祖先の塗師としての業績や、漆芸界・茶道界に誤って伝えられていたうちの家と他家との関係について、色々と調べていただき、説を正した論文や書物を発表してくださっている方でもある。


今回の展示作品の特徴は、薄く削った竹の素地に何ヶ月もかけて漆を塗り、それを、木槌で壊しながらダイナミックで躍動感あふれる作品にしたてたもの。「壊す」と言っても、崩れ落ちる寸前の状態であり、壊れてしまう直前特有の緊張感がみなぎり、しかも力強さがある


池田巖展


今回の作品には、棗だとか花器といった特別な用途はなく、漆芸をファインアートの世界に導いたという意味で、通常の漆器とは異なる作品のなのかもしれないが、半ば素人の僕にとってはとても魅力的だった。かつての家業であった塗師という職業にさらなる興味を抱かせてくれたような気がする。

人は見た目が9割

竹内 一郎
人は見た目が9割

という刺激的なタイトルの本を読みました。


とても面白かったです。


見た目が9割というのは、ちょっと挑発的すぎる気もしないではないですが、真意を伝えるためには言葉のみでは7%程度しか伝わりませんよ、言葉以外の部分が93%ですよ、という意味のようです。言葉以外の部分をざっくりと「見た目」と言ったわけですね。ようするに『ノンバーバル(非言語)コミュニケーションの大切さ』について書かれた本です。


漫画家であり演出家である、というこの著者のキャリアが活かされた本だと思いました。


絵・背景だけで気持ちが伝わる。コマの配置で迫力が変わる。

俳優のセリフの間で、喜怒哀楽の違いが伝わる。

俳優の立ち位置で、相手との関係が良なのか悪なのかが異なる。


そうした、著者のキャリアを活かした解説が混じることで本全体の説得力がましています。

そのため、著者のキャリアに直結していない一般論についても、読み手をうなずかせる構成上の上手さもあったかと思います。


ものの言い方、体感距離、タイミング、先入観、姿勢・・・


そういったモノたちのちょっとした違いで「同じモノ・出来事・気持ち・・・」が異なった印象でとらえられてしまうのが、現実です。


僕が、中学生の頃から、ずーっと「当たり前」と思っていて、自分なりに創意工夫していたことが、そのまま文章化されていたのですね。


ので、本を読んでみて、新しい何かを発見できて感激した、ではなく、未整理だったものが整理・再確認できて腑に落ちた、という感じでしょうか。


たまたまフラッと立ち寄った駅前の本屋で、何気なく手に取り、何となく気に入って買ったわけですが、偶然にしては出来過ぎていると思えてしまい、なんとも不思議です。



施主として

昨日は、リフォームについてゴキブリ対策中心に書きましたが、今日は「施主」を体験したことによって感じたことについて書いてみたい思います。


デザイン全般は大学時代の同級生でもあるスープデザインの土井伸朗君がやってくれました。

「基本的にここをこういう風にしたい。」ということは僕たち夫婦が決めたんですけど、実際に寸法をおこしたり、見積もりがとれる状態に図面を仕上げることまでは仕事をしながらではできないので、お任せしました。


素人の施主ではなく知識も多いので色々と注文や文句が多くて大変だったと思います(笑)。

ありがとう。


施主としては、可能な限り安く納めたいわけですから、見積もりチェックも厳しくなります。結局は人件費が高くつくということで、セルフビルドできる部分は可能な限り自分でやるという方針を決め、そうでないところとの調整をするのに苦心しました。


結局、壁・天井の白ペンキ塗り、軽微なモルタル補修、パテ塗り、天井の聚楽落としは、盆休みを利用して自分でやりました。

自ら塗装中

ので、解体・搬出を盆休み前までに、そして、内装工事スタートを盆休み後となるように調整したわけです。


終盤にくると、当初の設計通りには進んでいない部分の、お金の調整が入りました。ここでも施主としての僕は、可能な限り安くすむように粘るわけですね。土井君もさぞ苦労したことだと思います。


でも本当にいい家になりました。

今、うちの家には、普通に売ってる家具はひとつもないんです。もともとオーダーで書棚とテーブルを作らせていたというのもありますが、リフォームで壁面書棚もうまく作ってくれましたし、昼の子供の遊び場を兼ねた収納ベッドも上手にデザインしてくれました。50㎡をくまなくフルに使いきれてるので随分と広くなりました。

ほぼ完成1  ほぼ完成2


追加でカウンターや子供机も自作しましたし、家具にも拘りが持てるようになりました。


いや、本当に、いい家にしてくれたと思います。


僕は普段、構造がメインの仕事なのですが、巾木や上がりかまちのデザインにも意識がいくようになりましたし、チリひとつにしてもぶさいくなものは許せなくなりましたから(笑)。

フローリングの張り方が横か縦かで随分議論もしましたしね。


で、施主を経験してみて一番よかったことというのは、普段の仕事では見ることのない建築家の側面を見れたということでしょうか。


施主やゼネコン・工務店との調整に奔走し、必死になって建築を良くしようと考えているのに、僕ら構造は「そんなの構造的に全然ダメ」とかあっさりと言っていたのですね。あぁ、ごめんなさい。

僕だって「そんな変更ダメですよ」って言うのは、本当はうれしくないんです。

でも自分の職能ですから守るべきものは守らなければならない。

(そういう意味で、意匠事務所の若いスタッフに対しては最近少し優しくなったかもしれませんけど。)


で、そういう風にお互いに気まずい思いをしなくてすむよう、発生しそうな事件を可能な限り事前予測し回避するのも立派な職務だということで、積極的に建築でモノを考えるようになってきたということでしょうか。


野球の守備では、レフト前ヒットを打たれた際に、ライトは打球と逆の一塁線側に向けて走るのです。正確に言うとレフトの補給位置と二塁ベースを結ぶ直線上です。バッターが隙を見て二塁にまで走れば、打球を取ったレフトは二塁に投げなくてはいけません。レフトが二塁に投げた球が万が一暴投になった場合、ライトがバックアップするためです。その万が一の暴投があったことに気づいてからボールを追うのでは時すでに遅しなのですね。


形やディテールについて考えている時も楽しいもんですが、こういう経験的な読みで不意のトラブルを回避するのも大事なプロの仕事だと自覚できると、それはそれで楽しいもんなんですよ。


リフォーム

部屋をリフォームしてから丁度1年たちました。


家族4人ですがワンルームでもあり、「かっこいい部屋」だと自分では思っています。

デザインはスープデザインの土井伸朗君がやってくれたんですが、施主である僕を大満足させてくれたわけで、良い仕事をしてくれたわけです。

でも、そもそもリフォームをした目的は「かっこいい部屋にすること」なんかではなく、「ゴキブリ退治」だったのです。


とにかくよく出たんですよ。

バルサンを幾度となく焚きましたが根本的な解決にはなりませんでした。

床と壁の小さな隙間を徹底的にコーキングしても、大型は発生しなくなりましたが、小さいヤツらは僕らの気づかない小さい隙間を通ってくるのですね。

家庭内ゴミの処分方法も工夫し、いくら清潔な暮らしをしてもダメなのです。

これは僕らの生活方法を改善するだけで解決する問題ではない

ということは簡単に理解できました。


梅雨時になり発生量が増えてきて、うちの奥さんが耐え切れずノイローゼになりかけてたので、思い切ってスケルトンの状態になるまでぶっ潰してのリフォームをしたのです。

スケルトン


SRC造のマンションですから、基本的には、戸境(壁・天井・床)と各種の管をチェックすれば、虫類がどの位置から進入しているのか予測できます。


壊してみて、一番あやしかったのは、トイレの裏の縦シャフト。コンクリートブロック壁がPSを囲っていたのですが、管理組合の承諾を得てそれも壊したところ、天井スラブに穴がポッカリあいていましたしかも上階トイレからの排水管の継ぎ目から水がポタポタと落ちている


上階から自由に虫は出入りできるし、しかも水が常時供給されている状態だったのです。

また、縦管自体が、最上階と最下階でしか横方向に固定されていない状態でした。これでは地震の時に建物の揺れ方と管の揺れ方が異なるので、水漏れ事故が発生し易い状態になっていたのですね。随分といい加減な施工をしていたものです。


水漏れについては、マンションの共有物の補修なので、修繕積立費で修理してもらい、穴は、モルタルを大工センターで自分で買ってきて、自分で練って塗りこみ埋めました。


他にも、風呂周りのガス管や水道管がPS壁を通ってくる際に穴があったので、そこも埋めましたね。

使わなくなった電気用の管なんかもパテ埋めしましたし。

とにかく、外部と繋がっている穴という穴は徹底的に塞ぎましたよ。

穴埋めby嫁


次に、あやしかったのが台所からの排水配管の勾配が十分に取れていなかったことです。一部で逆勾配が発生していました。年に1回高圧ポンプ清掃というのがあったので、そのときには流れていたのでしょうけれど、やはり、排水管の勾配という基本的要素ですらまっとうに施工ができていなかったのですね。

当然、新しく勾配を取り直しました。

排水管勾配調整


で、こんなところっていうのは、これからマンションや住宅を買おうとしている一般の人は気づきようがないわけですよ。モデルルームだろうが実物だろうが、所詮綺麗に仕上げられた後のものを見ての話ですから。販売員も、ちゃんと作られている、という前提でしかモノは言いませんし。

施工者や監理者のモラルを信じるしかないのが実情というのは非常に悲しいですね。


でも、おかげさまで、現在のところ、家の中にゴキちゃんたちの発生源ができているような感じはありません。





野村克也「私の履歴書」

日本経済新聞の朝刊の裏一面に「私の履歴書」という連載がある。

父親が日経新聞をとっていたこともあり、モノ心というか、僕が新聞を読むようになった頃から、よく読んでいるシリーズだ。各界の著名人や成功して世をリードした(している)人の自叙伝のようなもので、だいたい、30回連載くらいだろうか。僕の非常に好きな、そして、今の自分に少なからぬ影響を与えてくれている連載である。ちょうど今は、社会人野球シダックス監督の野村克也氏が書かれている。

一般大衆的には弱小球団だったヤクルトスワローズを古田敦也選手を育てながら強くした監督時代に、サッチーこと沙知代夫人と共に有名になったかもしれないが、元々は南海ホークス時代に三冠王を含めた日本プロ野球史上でもトップクラスの実績を残している大選手である。僕が小学生になるかならない頃に、叔父に連れられ、大阪球場で南海-ロッテ戦を観戦した記憶があるが、そのときに監督兼キャッチャーで4番を打っていた人だ。

 

さて、その野村氏の連載も終盤にかかってきており、今週は阪神監督就任から辞任した頃について話しが及んでいる。興味深かったのは、野村氏が阪神監督辞任の際に、久万オーナーに対し、チームを強くしたいのであれば、自分の後任には、厳父的な存在感があり、かつ、球団生え抜きでない人材である『星野仙一氏』を監督にするよう強く進言したこと、であった。

 

野村氏は理論派で、選手にも徹底的に理詰めでモノを考えさせていき、個々選手があらゆる局面で個人の能力をきちん引き出せるように対応力をアップさせ、チームを強くしていくタイプである。一方の星野氏は熱血漢で、人心掌握の術を心得ており、選手のヤル気・モチベーションをアップさせることで潜在能力を引き出しチームを強くしていくタイプである。

そして、野村→星野という流れで、星野監督就任2年目にして阪神は優勝した

 

僕は、この二人のどちらもが好であるし、どちらのよさも持ちたいと思っている。その一方で、現実の自分自身を分析すれば、星野氏ではなく野村氏に近い性格だと思っている。僕は理詰めでモノを考えるタイプの人間である。自分自身の経験として、自分の頭でしっかりと考え理解したときほど、自分に力がついたと実感し、そして自信をつけてきたからである。そういう意味では、事務所の後輩たちにも自分の頭でしっかりとモノを考えていって欲しいと思っているし、自分の力で這い上がってきて事務所を強くしてもらいたいと思っている。僕は野村氏同様に、解くための理屈やそのヒントは教えるけれども、先に答えを教えることはしないタイプなのだ。

 

ところで、今朝の連載記事には、野村氏が、星野監督による阪神優勝の後、久万オーナーに対し「星野監督にして良かったですね」と言ったことに対し、久万オーナーから「あなたは詰めが甘かった」と言われたことが書かれてあった。

野村氏の推察によると、その意味は、野村氏は「4番クラスを外部からとってくれ、エース級も必要だ。強くするにはお金がかかるのを理解してくれ。」と球団に訴えるだけだったのに対し、星野氏は「広島の金本選手、大リーグでの実績をもつ伊良部投手などのFA選手をとってくれ。これ位のお金は必要だ。」とフロントの権限に踏み込んできてチームの補強案を具体的に示したとされることに対してのオーナーの言葉であるという。

 

野村氏は、フロントにも頭をつかって考えることを要請し結果的にチームを強くしようとしたのに対し、星野氏はある意味でフロントには頭を使わせずにチーム構想については自分の考えをつらぬいてチームを強くしということなのだろうか。オーナーにしてみれば、星野流も当初は中々受け入れられたものではなかったとは思うが、改革をするためには保守的であってはいけないと英断されたのであろう。

 

野村氏を指しての『詰めが甘かった』という言葉を見て、少しドキッとしてしまった

そして、自分の価値観が、また少し変化(進化)したような気がする。

 

こうした伝記モノは、僕にとっては、とても面白く興味深い読み物なのですね。

 

熱核融合実験炉

ニュースで、熱核融合炉の実験施設が南フランスに建設されることが決まった、と聞いた。

日欧で誘致合戦を繰り広げた結果、EUに負けたらしい。

日本の場合は六ヶ所村が候補だったようだ。


土曜に結婚した僕の同級生は、この核融合の研究をしている。

原子爆弾や原子力発電所などは、ウランなどの核分裂反応を利用してエネルギーを取り出す危険なものだが、核融合は重水素と三重水素を使った核分裂よりも比較的安全なモノだという。


彼は、高校時代から「これからは核融合だ」と言っており、そして京大の原子核工学科に入学した人間。

かれこれ15年その道で頑張ってるのだからすごいのではあるが、それを思うとなんとも残念なニュースだ。


日本ってこういう外交政治力に弱のよね。

大体、何省が頑張るべきことなのか

文科省なのか経産省なのか外務省なのか。

こういう縦割り感がアリアリな状態が、いかにも弱そうである。

(ちなみに、文部科学大臣が会議に出席していたので、文科省が正解。ちゃんと外交できるのかね。)