野村克也「私の履歴書」 | だから構造家は、楽しい

野村克也「私の履歴書」

日本経済新聞の朝刊の裏一面に「私の履歴書」という連載がある。

父親が日経新聞をとっていたこともあり、モノ心というか、僕が新聞を読むようになった頃から、よく読んでいるシリーズだ。各界の著名人や成功して世をリードした(している)人の自叙伝のようなもので、だいたい、30回連載くらいだろうか。僕の非常に好きな、そして、今の自分に少なからぬ影響を与えてくれている連載である。ちょうど今は、社会人野球シダックス監督の野村克也氏が書かれている。

一般大衆的には弱小球団だったヤクルトスワローズを古田敦也選手を育てながら強くした監督時代に、サッチーこと沙知代夫人と共に有名になったかもしれないが、元々は南海ホークス時代に三冠王を含めた日本プロ野球史上でもトップクラスの実績を残している大選手である。僕が小学生になるかならない頃に、叔父に連れられ、大阪球場で南海-ロッテ戦を観戦した記憶があるが、そのときに監督兼キャッチャーで4番を打っていた人だ。

 

さて、その野村氏の連載も終盤にかかってきており、今週は阪神監督就任から辞任した頃について話しが及んでいる。興味深かったのは、野村氏が阪神監督辞任の際に、久万オーナーに対し、チームを強くしたいのであれば、自分の後任には、厳父的な存在感があり、かつ、球団生え抜きでない人材である『星野仙一氏』を監督にするよう強く進言したこと、であった。

 

野村氏は理論派で、選手にも徹底的に理詰めでモノを考えさせていき、個々選手があらゆる局面で個人の能力をきちん引き出せるように対応力をアップさせ、チームを強くしていくタイプである。一方の星野氏は熱血漢で、人心掌握の術を心得ており、選手のヤル気・モチベーションをアップさせることで潜在能力を引き出しチームを強くしていくタイプである。

そして、野村→星野という流れで、星野監督就任2年目にして阪神は優勝した

 

僕は、この二人のどちらもが好であるし、どちらのよさも持ちたいと思っている。その一方で、現実の自分自身を分析すれば、星野氏ではなく野村氏に近い性格だと思っている。僕は理詰めでモノを考えるタイプの人間である。自分自身の経験として、自分の頭でしっかりと考え理解したときほど、自分に力がついたと実感し、そして自信をつけてきたからである。そういう意味では、事務所の後輩たちにも自分の頭でしっかりとモノを考えていって欲しいと思っているし、自分の力で這い上がってきて事務所を強くしてもらいたいと思っている。僕は野村氏同様に、解くための理屈やそのヒントは教えるけれども、先に答えを教えることはしないタイプなのだ。

 

ところで、今朝の連載記事には、野村氏が、星野監督による阪神優勝の後、久万オーナーに対し「星野監督にして良かったですね」と言ったことに対し、久万オーナーから「あなたは詰めが甘かった」と言われたことが書かれてあった。

野村氏の推察によると、その意味は、野村氏は「4番クラスを外部からとってくれ、エース級も必要だ。強くするにはお金がかかるのを理解してくれ。」と球団に訴えるだけだったのに対し、星野氏は「広島の金本選手、大リーグでの実績をもつ伊良部投手などのFA選手をとってくれ。これ位のお金は必要だ。」とフロントの権限に踏み込んできてチームの補強案を具体的に示したとされることに対してのオーナーの言葉であるという。

 

野村氏は、フロントにも頭をつかって考えることを要請し結果的にチームを強くしようとしたのに対し、星野氏はある意味でフロントには頭を使わせずにチーム構想については自分の考えをつらぬいてチームを強くしということなのだろうか。オーナーにしてみれば、星野流も当初は中々受け入れられたものではなかったとは思うが、改革をするためには保守的であってはいけないと英断されたのであろう。

 

野村氏を指しての『詰めが甘かった』という言葉を見て、少しドキッとしてしまった

そして、自分の価値観が、また少し変化(進化)したような気がする。

 

こうした伝記モノは、僕にとっては、とても面白く興味深い読み物なのですね。