だから構造家は、楽しい -30ページ目

新しいリアル

午後、初台の石黒事務所へ。


確認申請質疑の対応方法について協議。


質疑そのものの内容はともかく、作業時間的にヘビーな質疑内容だけに出戻りがないように事前確認。


そのあと、オペラシティへ。


伊東豊雄 建築|新しいリアル  


ようやく見ることができました。


凄い迫力ですね。


お上品に見てまわのではなくリアルに感じて深く考える展覧会。


ほんの一部ではありますが、自分がそこにあるものの当事者であれたことには、ただただ感謝せねばなりません。



と同時に、強烈なプレッシャーといいましょうか、

これでもかといわんばかりの重圧を感じる展覧会でもありました。



1分の1のTOD'S壁面の模型をくぐり、ビデオメッセージを見たその後の長い通路に、

今にいたる伊東さんの長~い歴史が控えていたのには、ガツンとやられました。



そういえば僕は1999年以降の伊東さんしかリアルには知らないんだよな・・・

という単純明快な事実に気づく。


誰だってそうですが、当然のごとく今に至る過去が存在します。

突然の変節などではなく、しかるべき積み重の後に今があります。




生半可に今の姿があるのではない、軽く見るなよ



という訴えかけには、半分当事者気分であった僕にですら、重すぎるくらいの説得力がありました。






単に、そこにある形を見て「是か非か」を語っても仕方のないこと。




そんな表面的なことじゃない。



確信しているモノが違いすぎる。




おこがましくも、いずれは伊東さんのような人物に追いつきたい、と真摯に思い、構造というフィルターを通してではあるけれども建築について精一杯の勉強と努力をしている身としては、今ここにある圧倒的な差は、やはりこたえます。




そんでもって、その上で、さて、どうするか。


サイレンススズカが圧勝した毎日王冠の2着がエルコンドルパサーであったことをとりあえず思い出して慰めることにしておこう・・・。(なんのこっちゃ)





斜めに構えたフリをしたコメントを発してこの場から逃げ出してしまうのは、嫌だ



じゃ、真正面から受け止められるのか・・・。



とりあえず今は素直に白旗揚げてしまうのが一番『楽』なんですけどね。。。



豊島園

本日は次女の誕生日


「どこかへ連れて行け」


という家族中からの視線に耐え切れず、遊園地へ行くことに。



これまではディズニーばっかりだったので、たまにはベタな所へ行こう、ということで選んだのが


豊島園


予想通りに、ベッタベタでした。



ディズニーのような過剰な演出もなく、混雑もしていない。


アトラクションも微妙に古い。



やっぱ、遊園地はこうでなくちゃ。



待ち時間もないから、同じアトラクションの中でも空いてるマシンの中から好きなものに乗れる。。。


メリーゴーランド


であるにも関わらず、家族たちよ、なぜにブタを選ぶのだ・・・。



ま、ゆったりとした時間は、どこか妙に懐かしく、良い気分転換になりました。




そして最後に抱く感想は、


やっぱ、ディズニーはよくできているよなぁ。。。




札幌ドーム

札幌ドーム


って、別に日本シリーズを見に札幌に行ってきたわけじゃありません。


札幌に行ってこの写真を撮ったのは、確か佐々木事務所時代3年目の夏旅行のときだったから、5年前。


札幌ドームが竣工して最初の夏でした。


このドーム、何がすごいかって、新庄の守っているセンターの後ろがガバッと大きく開んですよ。


今回の日本シリーズでは全然話題になりませんでしたが。。。


何のためにかって言うと、サッカーグラウンドを出し入れするために、です。


センターの後ろ側から見ると、こんな感じ。


ボウブリッジ外側

このドーム、元々が、ワールドカップ開催が大きな目的でしたから、サッカーができるよう天然芝に太陽の光を当てつつ、ドーム競技場を作れ、という国際コンペが開催されたわけでして、在り来たりなアイデアとしては、屋根を開閉させて日照時間を確保させる方法が思いつくわけです。


ところが、このコンペの勝者の場合、そうではなく、天然芝のグラウンドを別途用意しておいて、そいつを普段は外に置いといて、試合の時だけ中に入れてやる、という案を出して勝ったのですね。(もちろん、そんな理由だけで勝ったわけではありませんが)


その勝者とは、言わずもがな、原広司さんのチームで、構造は、佐々木さんや竹中・大成の精鋭部隊が入っていたわけです。

で、まぁ、ドームなわけですから、本当は形が閉じていなくちゃいけないわけですが、原さんは、蓑を伏せたみたいに、ズバッとセンターの後ろの部分で、ドームを切って、そして、その下をサッカーグラウンドを通過させる、という提案をしたそうです。


伏せたザルを上から押した場合と、伏せた蓑を上から押した場合では、ザルの方が縁が閉じている分、抵抗力がありそうなのは、直感的にわかると思いますが、力学というのは、そうした実に素直なものでして、蓑の場合はやはり、先端が開いているから、その部分が水平に開いてしまいペチャっとつぶれてしまうのですね。


シェルは境界が命、という言葉の良き例えです。


結局、札幌の場合は、2枚目の写真の部分がまさにそれなのですが、佐々木さんが「ボウブリッジ」というシステムを考え出して、ヨコに開こうとするスラストをブリッジ自重と斜め吊材で拘束しつつ、かつ、プレストレスで鉛直の変形や開口部の縁応力も制御するという離れ技をやってのけて、形の上では開いているけれども力学的には閉じている、という状態を実現しているわけです。


見た目は何気なく存在していますが、これがなくては、このドームはそもそも成立していないわけで、ハツラツとプレーする新庄のすぐその背中には、そういう大きなストーリーがあったのですね。


新庄劇場が日本一という形で完結したわけですが、そういうドラマチックな映像をみながらも、


僕はTV局の意図とは無関係に、

やはり、シェルは境界が命だよなぁ、


と思いニヤニヤしながらテレビを見ているわけです。


このドームから得られる教訓としては、もともとシェル効果を期待して作っていたもの・作らねばならないものを、デザインなどの非構造的な理由で突然恣意的にスパッと切ったりするときは、境界については、それ相応にうまく解き直してやらねばならない、ということです。

それができていなければ、そもそもシェルではなくなるわけですから、シェルとして仮定していたスリムな断面が劇的に変化するのは当然のこととなります。


断面効率のよいシェル(軸力系)をデザイン上の理由で否定し、曲げ系にならざるを得ない状況を作ってしまったからには、シェルとしてであれば30cmでできていたものが100cmになってしまったからといって、それは仕方がないというか当たり前の話なわけです。

君は誰と幸せなあくびをしますか。

槇原敬之の生演奏を聴いてきました。



結婚おめでとう!!













 ・

 ・

 ・









ウソです。









大ウソです。









本日は佐々木事務所在籍時の後輩の結婚式でした。


その証拠に、手前にはあの人の後姿が・・・。





ピアノは新郎自らが演奏してくれました。


とても上手でした。





自ら作曲した歌をバンド仲間に歌わせてしまった自分の結婚式を思い出しました。






そんな過去の恥話はどうでもよいのですが、


とにかく、とても素敵なお嫁さんでした。







おめでとう。


幸せな家庭を築いていってください。



こころの玉手箱

日経新聞夕刊の裏一面が面白いです。


こころの玉手箱」という連載があって、今週は安藤忠雄さんが執筆です。

それに加え、今日の夕刊は藤森照信さんが駅舎建築ベスト3を執筆されてました。


つまり、裏一面の上半分を安藤さんと藤森さんで占拠。

豪華です。


ちなみに藤森さんの選んだ近代建築駅舎ベスト3は、東京駅・門司港駅・旧奈良駅。


横綱が東京駅。

大関は不在で

関脇が門司港駅。

小結が、原宿か国立か奈良かで迷ったあげく、東京が二つというのもどうかと思い、旧奈良駅にしたそうです。


大関がいない、という表現からも東京駅が突出しているとの評価。



安藤さんの連載も心に響きます。


安藤さんの言葉には、いつも刺激を受けるというか励まされます。


制度とかしがらみとか、そういうしょうもないものを蹴っ飛ばしてくれて、


本来は当たり前なハズなのに実現・実行するのが何故だか難しくなっちゃっていることを、堂々と


当たり前のこと


として言ってくださる。


だから、なんだか勇気を与えてもらったような気になるのです。


簡単そうでとても難しいことなのですが。。。




そんな安藤さんも、どうも最近は施主の言うことを聞きすぎていたそうです。


そろそろ本当に自分の作りたいものへとシフトしていきたいご様子。


それはそれで相当に勇気の必要な発言だとは思うのですが、


大新聞で堂々と言っちゃうのだから本気なのでしょうし、


それを言えてしまう安藤さんはやはり素敵です。



今後の作品が楽しみです。


ストラクチュラル・デザインの行方

建築学会大会のシェル空間構造委員会主催のPDに参加。


タイトルは

ストラクチュラル・デザインの行方


パネラーは

佐々木睦朗/伊東豊雄/佐藤淳/渡辺誠/松島史郎

(発表順・敬称略)


という非常に豪華な顔ぶれ。


後半戦にはさらに

新谷眞人/川口衞

(同上)


という二人が加わったわけだから、なお一層豪華。



そして、その内容は豪華な顔ぶれにふさわしく、


参加してよかった


と思うことのできる充実した内容でした。


パネラーの皆さん、少しずつ違う視点や立場ではいらっしゃいますが、皆さん未来指向であるという共通点をお持ちでした。




もちろん感想については、人それぞれであってよい、と思っていますが、


僕はこうした


未来指向な先駆者たちの話を聞くのが基本的に好き


ということもあり、今日はとても面白かったです。



大森先生をはじめとする、主催された委員会の先生方の努力に敬意を表したいと思います。




僕もA5版のノートにメモを取りながら聴講しましたが、気がつくと9ページにわたっていました。




僕はこういうイベントや会を聴講したときには、いつも、


今後の自分にとってどうであるか?


ということを強く意識しているわけですが、今回もそれなりに、自分の進むべき方向を暗示してくれたような気がします。





結局、「今」というのは、歴史という大きな流れの中の「ある瞬間」でしかないということ。


確かに、昔(たとえば、ミースが活躍したころであったり、日本の高度成長期であったり)に比べると

今の技術は比べ物にならない位に発達を遂げています。


とすれば、僕自身にとっての「現代」の中で、いかに意味のある「できること」をやるか、ということが大事になってくる。

今の技術も、じきに過去のモノへと追いやられるわけだから、どうせやるのであれば、


そこには普遍的な概念であったり哲学・思想が存在しているものでなければ意味はないのだろうと思う。




そしてまた、僕の職能は構造という側面から建築を捉えることなのだから、新しい技術がいかに発達しようとも、そこに


構造の論理や仕組み


が欠落したものには組みしちゃいかんのだろうな、と。

つまり、

「面白い」だけで乗っかってはダメ

ということなのだろうと、今日のようなPDを聴講すると強く諭されるわけです。



構造家を名乗る人というのは皆その点については同じであると信じていたいところです。





余談になりますが、今から10年前に、僕が大学で学んでいた内容というのは、


これまでの設計(技術)は、そこにある構造を解析した結果が、OKNGであるかを判定することで、NGがなくなるまで断面や座標を変えるまで何度も試行錯誤を繰り返す必要がある。


これからの設計(技術)は、すべてOKとなるものを論理に基づいてコンピュータにより自動的にことである。


というものでした。



「すべてOKのものを見つけ出す行為」=「設計」なのだとすれば、

後者の思想にたどりつくのはきわめて自然なことであると受け止めていました。


一応、後者の技術については、断面探査という意味ではずいぶん前から実現されていますし、座標(位相・形態)という意味でも佐々木さんの手を介すことによってようやく建築と呼べるレベルのモノが実現されるようになりました。

福岡や各務原 の自由曲面シェルで作られた建築は、伊東さんや佐々木さんの感性に加え、しっかりとした構造の論理により形態が導かれているわけです。


つまり10年前に「これからの設計」と言われていたものの扉は確実に開きはじめているというわけです。


じゃぁ、いきなりガラガラっと時代が変わり、後者の方法(10年前にこれからの設計と僕が学んだモノ)が主流になるのか、と問われてもそれは今の僕にはよくわかりません。後で振り返ってみて答えが確認できるものなのでしょう。


少なくとも「今」という時代は、まだ、前者の方法であっても、デザインそのもの・構法・材料の使い方など、何か面白いトピックがあれば、それだけで雑誌なども取り上げてくれる時代なわけですし、実際、新谷さんや佐藤さんという現役のメジャーな人の発表内容についても完全に前者のタイプの話だったわけですから、現代はまだまだ前者タイプを許容してくれている時代だとも言えます。



実際に、前者の方法で設計そのものは出来てしまっているのだから、実務を行う上で(今のところは)何の問題もありません。


佐藤さんは、「コンピュータで決めた形はつまらないことが多く、むしろそもそも面白い形にちょこっとだけ力学的理由をつけてあげればそれでよいのではないか」、という類のことを言っていましたし、新谷さんに至っては、「そうなれば構造設計者の仕事がなくなってしまうのではないか」とえらく弱気な不安をもらしてもいましたし。

どちらかというと、お二人ともに前者の方法でよいというような感じでした。


本気でそのように思っているのか、それとも、たまたま今現在は後者の方法をマスターしていないから賛同することができないだけで本音としては賛同したいと思っている、のかどうかはよくわかりません。

機会があれば、直接伺ってみたいと思います。




そして、いざ今の僕自身の仕事についてこのことを省みると、

前者8:後者2
位の割合でやっているわけで、僕自身もまだまだ、前者の方法(従前のやり方)に引きずられているのが実際です。


やはり慣れ親しんでいますから。


その上で、僕自身は今後どうしていきたいんだ?と自問自答してみると


やはり、かのような教育を受け、そして、実務経験を積むにあたっても、佐々木さんと伊東さん・磯崎さんによるあのようなすばらしい作品群を目の当たりとしてきたわけだから、いつまでも前者の方法に甘んじてばかりではいけない、という気持ちが非常に強くこみあげてくるわけです。



かといって、それは実務をこなしながら探求できるものなのか?ということについて考えてみると、

佐藤さんの発表内容を見ていればわかったことですが、たくさんの仕事を抱えながらでは、何か革新的なレベルの事柄には到底手をつけれていないわけで、若いうちに仕事をたくさんこなしながら同時に本当に新しいことをやっていこうとするのは


ナカナカカンタンニハイキマセンゾ


と思い知らされてしまいました。



そんなわけですから、今回のPD自体はとても面白く夢のあるいい話だったのですが、自分自身の問題としては、それなりにいものでもありました。


でもやっぱり気持ちの上では、これからの設計、というものを真面目に自分の中に取り込みたいと強く思ってしまうわけだから、

ここはひとまず、僕自身はおとなしく野に伏してみて(=多少仕事の量を減らしてでも)、自分のポテンシャルを高めるための努力をしてみるのも悪くはないな、という気にもなるわけです。



そのためには、僕の日常を構成する環境については明らかに今のままではダメなわけで、本気でスタッフの採用や拠点の増加(京都事務所の開設)について考えなくちゃいけないよなぁ、ということになってくるわけです。


盆踊り

幼稚園の盆踊り大会がありました。


ゆかた


母親が役員をやっているもんだから、父親はずっと見ていなければなりません。


というわけで今日は午後は仕事はしてません。


何でこの時期に盆踊りなのかはよくわかりませんが、来週からスタートする新学期に備えての肩慣らしみたいなもんでしょうか。


こういう突発的なイベントだと普段は着ない浴衣姿などを見れるので、子供の成長を如実に感じることができます。


あと、周囲の同世代の子と比べてどうなのか、ということも。


体格だけはやたらとデカイことだけは良くわかりました。



送り火

8月16日の京都は五山の送り火です。


お盆で家々に戻ってきていたご先祖さまの御霊が、火にのってあの世に戻られるそうです。


実家近くの上賀茂橋の上から、大文字と船形を見るのが我が家の慣習です。


大文字

大文字

舟形

舟形

(三脚がなかったのでぶれてますが。。。)


見終わった後、家に戻って庭で花火をしました。

花火



これで名実ともに盆は終わりです。


明日夜には東京に戻ります。


六稜会館

高校の同窓会がありました。

15年ぶりの再会。
懐かしい人も多く、幹事さんたちも頑張ってくれ、楽しかったです。


同窓会の会場は、数年前に高校の敷地内に完成した

六稜会館

という名の同窓会館。


会館外観2


会館外観

卒業生から3億の寄付金をつのり2003年に完成しました。


ちなみに会館の設計は卒業生でもある竹山聖(85期)さん。

高校・大学ともに先輩後輩の間柄というわけですね。


構造は、今川さん(TIS&Partners)です。

D51(直径51ミリ)という超極太の異径鉄筋を使い「鉄筋なので曲げが容易」という名言が話題になった建物でもあります。


2003年完成の建物ではありますが、どちらかというと”90年代チック”な、強烈な幾何学が支配するコンクリートの塊です。


僕自身、寄付をした一人、つまりは施主の一人、なわけで、

完成当初、


「あぁ、こんなもん、作っちゃって」


と思っていました。


しかし、今回、同窓会の会場としてこの会館を利用してみて思ったことは、

うちの高校のような、伝統が重くのしかかり、いわばエリートとしての色々な期待・重圧を受けながらその後の人生を一所懸命に歩んでいる卒業生たちを受け入れる器としては、なんとなくデザインされた薄っぺらな今風の建物よりも、こうしたシンボリックな強い形態の方が確かにふさわしかったのだろう、と。


雑誌発表されている写真だけで、どうこう勝手に思っちゃ駄目ですね。

やっぱ、建築は実物を体験しないと。


反省です。

ちなみに、

D51を使うような厚いコンクリートの塊を浮かせる、という強烈な建築コンセプトを実現させるわけですから、構造は相当な無理を強いられていました。


写っている柱は耐火被覆込みだとは思いますが、かなり極厚のH鋼のようです。


柱


阪神大震災時には校庭が液状化したような場所なので、杭の設計なんかは相当に大変だったろうと思います。



同窓会の終了後は、これまた新しくなった校舎の見学へ。


これまた強烈なコンクリート打ち放しの校舎でした。


中庭


旧校舎の残影は、米軍機による機銃掃射の跡が残る一部を保存しているのみでした。


旧校舎保存壁

その下には、空襲で命を落とした生徒を偲ぶ殉難之碑。


殉難之碑


手塚治虫さん(59期)も、その時期にこの校舎で学んだ一人でした。


どんな思いで青春時代を生きたのでしょうか。


こういう命の積み重ねの上に今のこの時代があるのだということは、年に一度くらいは思い出しておいたほうがよいのかなと思ったりもします。



輪の家

先週末の土日に、

設計者(TNA/武井誠+鍋島千恵)と構造設計者(ASA/鈴木啓)それぞれから案内いただいていたオープンハウスに行ってきました。



軽井沢の建売別荘。


それはまぁ気持ちのよい別荘でした。


部屋の中にいる以上に、森の中にいるという実感がありました。




輪の家外観1

外観です。


リビングと暖炉

リビングチェアに座った際の視線です。


リビング上から

リビングチェアに座る子供たち。


トラス階段

トラス階段


キッチン

キッチン。

森を眺めながらの調理は気持ちよさそうですね。


少しボケてますが夜景


この抜けっぷは、尋常じゃありません。


間違いなく今年の話題作です。(少なくとも僕の中では)






一般論として、給排水や電気・空調用のダクト類・ユニットなど、


『建築として必要なれどデザイン的にあまりうれしくないモノたち』


をいかにデザインするか(もしくはいかにデザインの中に隠蔽するか)


という問題は、


建築設計をやっていく上で永遠の課題なのかもしれませんが、


この建物では、かなり高度に成功していると感じました。


その徹底っぷり(というよりもむしろ武井クン固有の繊細さ)には脱帽です。


そして、何よりも、森の中にいるんだという実感を与えることに成功しているところに、この建物の良さを感じます。




構造もまた、実に原理に忠実であり、それでいながら、一つ上の世界に到達している素晴らしい作品だと思いました。


構造壁の全く無い木造住宅


柱の外側に厚板をボルトで接合。


厚板にそれなりの「せい」があり、梁として高い剛性が出るので、ラーメン構造が成立します。


せいの高さからすれば、破壊モードは、柱の曲げ破壊もしくは接合ボルトによる柱へのめり込み破壊ではないかと推察されます。


(このあたりの細かいことは、明日の夜に鈴木さんと会うよていなのでその時にでも聞こうかな。)


柱の曲げ強度の問題なのであれば、材の選択については、ひとえに「強度勝負」となります。


高強度の材を取り揃えている、中国木材の構造用集成材を用いているそうです。



最下階の柱脚についても非常にうまく解けていました。


一般的手法に基づき土台の上に載せると、ピン柱脚となります。


柱の曲げモーメントを一定値以下に保つには、柱高さを柱脚剛接の場合の半分にしなくてはなりません


それではこの建築の良さが半減してしまうので、1階(地階?)RC壁の内側に抱かせることで、面内方向を埋め込み扱いとして剛接化し、1番下のガラス高さを確保しています。


結果論なのかもしれませんが、建物の水平剛性を発揮させるための板部材がRCであれ木であれ柱の外側に取り付くという共通化を果たしているわけで、そのアイデアが出た時点で、「解けた!勝負アリ!」みたいな感じになったのではないかと思います。



意匠と構造がうまくマッチしている建物というのは、僕が構造家として常に目指しているものであり、それが見事に実現されている様には、建築家・構造家の双方にただただ敬意を表するばかりです。