ストラクチュラル・デザインの行方 | だから構造家は、楽しい

ストラクチュラル・デザインの行方

建築学会大会のシェル空間構造委員会主催のPDに参加。


タイトルは

ストラクチュラル・デザインの行方


パネラーは

佐々木睦朗/伊東豊雄/佐藤淳/渡辺誠/松島史郎

(発表順・敬称略)


という非常に豪華な顔ぶれ。


後半戦にはさらに

新谷眞人/川口衞

(同上)


という二人が加わったわけだから、なお一層豪華。



そして、その内容は豪華な顔ぶれにふさわしく、


参加してよかった


と思うことのできる充実した内容でした。


パネラーの皆さん、少しずつ違う視点や立場ではいらっしゃいますが、皆さん未来指向であるという共通点をお持ちでした。




もちろん感想については、人それぞれであってよい、と思っていますが、


僕はこうした


未来指向な先駆者たちの話を聞くのが基本的に好き


ということもあり、今日はとても面白かったです。



大森先生をはじめとする、主催された委員会の先生方の努力に敬意を表したいと思います。




僕もA5版のノートにメモを取りながら聴講しましたが、気がつくと9ページにわたっていました。




僕はこういうイベントや会を聴講したときには、いつも、


今後の自分にとってどうであるか?


ということを強く意識しているわけですが、今回もそれなりに、自分の進むべき方向を暗示してくれたような気がします。





結局、「今」というのは、歴史という大きな流れの中の「ある瞬間」でしかないということ。


確かに、昔(たとえば、ミースが活躍したころであったり、日本の高度成長期であったり)に比べると

今の技術は比べ物にならない位に発達を遂げています。


とすれば、僕自身にとっての「現代」の中で、いかに意味のある「できること」をやるか、ということが大事になってくる。

今の技術も、じきに過去のモノへと追いやられるわけだから、どうせやるのであれば、


そこには普遍的な概念であったり哲学・思想が存在しているものでなければ意味はないのだろうと思う。




そしてまた、僕の職能は構造という側面から建築を捉えることなのだから、新しい技術がいかに発達しようとも、そこに


構造の論理や仕組み


が欠落したものには組みしちゃいかんのだろうな、と。

つまり、

「面白い」だけで乗っかってはダメ

ということなのだろうと、今日のようなPDを聴講すると強く諭されるわけです。



構造家を名乗る人というのは皆その点については同じであると信じていたいところです。





余談になりますが、今から10年前に、僕が大学で学んでいた内容というのは、


これまでの設計(技術)は、そこにある構造を解析した結果が、OKNGであるかを判定することで、NGがなくなるまで断面や座標を変えるまで何度も試行錯誤を繰り返す必要がある。


これからの設計(技術)は、すべてOKとなるものを論理に基づいてコンピュータにより自動的にことである。


というものでした。



「すべてOKのものを見つけ出す行為」=「設計」なのだとすれば、

後者の思想にたどりつくのはきわめて自然なことであると受け止めていました。


一応、後者の技術については、断面探査という意味ではずいぶん前から実現されていますし、座標(位相・形態)という意味でも佐々木さんの手を介すことによってようやく建築と呼べるレベルのモノが実現されるようになりました。

福岡や各務原 の自由曲面シェルで作られた建築は、伊東さんや佐々木さんの感性に加え、しっかりとした構造の論理により形態が導かれているわけです。


つまり10年前に「これからの設計」と言われていたものの扉は確実に開きはじめているというわけです。


じゃぁ、いきなりガラガラっと時代が変わり、後者の方法(10年前にこれからの設計と僕が学んだモノ)が主流になるのか、と問われてもそれは今の僕にはよくわかりません。後で振り返ってみて答えが確認できるものなのでしょう。


少なくとも「今」という時代は、まだ、前者の方法であっても、デザインそのもの・構法・材料の使い方など、何か面白いトピックがあれば、それだけで雑誌なども取り上げてくれる時代なわけですし、実際、新谷さんや佐藤さんという現役のメジャーな人の発表内容についても完全に前者のタイプの話だったわけですから、現代はまだまだ前者タイプを許容してくれている時代だとも言えます。



実際に、前者の方法で設計そのものは出来てしまっているのだから、実務を行う上で(今のところは)何の問題もありません。


佐藤さんは、「コンピュータで決めた形はつまらないことが多く、むしろそもそも面白い形にちょこっとだけ力学的理由をつけてあげればそれでよいのではないか」、という類のことを言っていましたし、新谷さんに至っては、「そうなれば構造設計者の仕事がなくなってしまうのではないか」とえらく弱気な不安をもらしてもいましたし。

どちらかというと、お二人ともに前者の方法でよいというような感じでした。


本気でそのように思っているのか、それとも、たまたま今現在は後者の方法をマスターしていないから賛同することができないだけで本音としては賛同したいと思っている、のかどうかはよくわかりません。

機会があれば、直接伺ってみたいと思います。




そして、いざ今の僕自身の仕事についてこのことを省みると、

前者8:後者2
位の割合でやっているわけで、僕自身もまだまだ、前者の方法(従前のやり方)に引きずられているのが実際です。


やはり慣れ親しんでいますから。


その上で、僕自身は今後どうしていきたいんだ?と自問自答してみると


やはり、かのような教育を受け、そして、実務経験を積むにあたっても、佐々木さんと伊東さん・磯崎さんによるあのようなすばらしい作品群を目の当たりとしてきたわけだから、いつまでも前者の方法に甘んじてばかりではいけない、という気持ちが非常に強くこみあげてくるわけです。



かといって、それは実務をこなしながら探求できるものなのか?ということについて考えてみると、

佐藤さんの発表内容を見ていればわかったことですが、たくさんの仕事を抱えながらでは、何か革新的なレベルの事柄には到底手をつけれていないわけで、若いうちに仕事をたくさんこなしながら同時に本当に新しいことをやっていこうとするのは


ナカナカカンタンニハイキマセンゾ


と思い知らされてしまいました。



そんなわけですから、今回のPD自体はとても面白く夢のあるいい話だったのですが、自分自身の問題としては、それなりにいものでもありました。


でもやっぱり気持ちの上では、これからの設計、というものを真面目に自分の中に取り込みたいと強く思ってしまうわけだから、

ここはひとまず、僕自身はおとなしく野に伏してみて(=多少仕事の量を減らしてでも)、自分のポテンシャルを高めるための努力をしてみるのも悪くはないな、という気にもなるわけです。



そのためには、僕の日常を構成する環境については明らかに今のままではダメなわけで、本気でスタッフの採用や拠点の増加(京都事務所の開設)について考えなくちゃいけないよなぁ、ということになってくるわけです。