鋼構造座屈セミナー
今日は朝から、田町の建築学会にて「鋼構造座屈セミナー」に参加。
先日の高減衰シンポジウムよりはましと言うか設計者とすれば身のあるセミナーだった。
まず良かった点は、お土産というか、セミナー資料として座屈性能評価式データベースというCD-ROMをつけてくれたことだろう。
僕ら設計者は、鋼構造設計規準や鋼構造座屈設計指針(共に建築学会)や座屈設計ガイドライン(土木学会)などの刊行物を参照しながら、柱、ブレース、梁の座屈(梁は横座屈)に対する安全を検証している。
これら刊行物に示されている座屈は、ある一般化された個材(あるいはラチス・トラス等の一つの系をなす部材)の座屈、あるいは板の局部座屈について論じているだけで、最近の研究結果が反映されているものではない。
複雑な座屈現象としての連成座屈や塑性状態を考慮した座屈耐力、座屈後の釣合い経路を考慮した座屈後耐力といった、近年の学会論文(いわゆる黄表紙)や技術報告集、大会梗概集等において提案されている設計式やそこで論じられている座屈現象などを、幅広く整理・分類してくれたものがこのデータベースである。大学での研究は「研究のための研究」「やってることが先生によってバラバラで実務に役立たない」などと揶揄・批判されがちであるが、それらバラバラの研究成果をこうやって整理・分類し公表するということは僕ら設計者にとっても大きな一つの力となりうる。これは学会でこそなしえた一つの成果物であるし、こうした行為は、学会の大きな社会的存在意義なのだと思う。
午前中は、このデータベースの説明。
昼休みに、名古屋大の田川浩助教授と日建設計の朝川氏(ともに研究室の先輩)と3人で学会地下の定食屋で昼食。最近の鉄骨工事単価について意見交換をする。日本のプロジェクトであっても韓国のファブで鉄骨製作させて日本に船で運びこむ方が安いこともあるということを教えてもらう。鉄そのものの値段の問題ではなく、製作単価の問題のようだ。そういえば、まつもと市民芸術館の顔でもあるガラス象嵌GRCパネルにうちこまれたガラスも韓国で作らせていた。日本でやらせると高いというのは、単純に人件費の問題なのかもしれない。JIS規格の鉄を使い、溶接を含めた製品精度を監理する自信があれば、韓国で作らせてそれを輸入すること自体には何も問題はないのかもしれない。
午後からは、骨組座屈の統合的評価法というサブタイトルのもと、12本の研究発表。
大雑把に言えば、
「それは考慮すべき大事なことかもしれませんね」
「その考え方(評価法)は面白いかも」
「本当にそんな細かいことまで考えなきゃいけないの?」
に分類される。
剛接ラーメンの座屈長を階高とする従来の考え方について「それは安全側すぎると思う」という研究発表は設計者としては興味深かった。
また「ブレース付き低層骨組みの不整感度特性」というタイトルの発表も興味深かった。僕らは普段、施工や製作上の不整のない状態について解析し、その結果にある安全率を上乗せして設計をするわけだが、この発表は、不整のない最適設計された骨組みに対し、考えうる最悪の不整状態を与えて、その時に耐力がどの程度低下するかを調べたものであるが、およそ2割の低下を起こすということであった。普段の設計で2~3割りの安全率上乗せをしているのが丁度よい塩梅であることを示す良い例なのかもしれない。
東京にいると、こうした催しに比較的容易に参加できるのは魅力的なことである。関西に引込むとこの点についてはハンデを背負うことになる。悩ましい限りだ。
セミナー終了後、上谷先生と、先日の京都でのプロジェクト参加の件について話しをした。
基本的には僕の進めたい方向へ話しを進めてくれて良いと言ってもらえた。
手続きについても、この夏でなく、ギリギリ冬でも良いと言ってもらえた。ありがたいことである。
手続きが終わるまで確定とはならないが、4月からは独立した上で、東京・京都の2拠点での活動がスタートしそうである。
京都へ
恩師を訪ねに京都へ。
大学院を卒業してから6年と少し経つが、随分と建物が新築、改修されている。
入学したての頃に一般教養の授業をうけた、総合人間学部の校舎は、取壊しの後、新築されていた。なんの面影もない。
時計台の後ろにはガラスの箱が増築されているし、時計台の中にフランス料理店までが入っている。独立法人化により、学内でできることの幅が広がったのは良いことかもしれないのだが。
建築学科も新キャンパスへ引越途中であり、僕が昔使用していた研究室は、蛻の殻で半分廃墟のようである。懐かしさというよりは寂しさを感じながら、本館2階奥の教授室へ。
メールにてお誘い頂いた件について、助手の方、系列の別研究室の助教授を交えて、3時間超にわたり議論する。
簡単に言うと、研究室で進めている「とあるプロジェクトへの参画」を打診されたわけだ。
自分で言うのも変だが「さすが」という内容のことを築きあげようとしている。
内容は、ボスのやっていることとは、一見180度正反対のことだ。
多分、ボスは、こう言うだろう。
「そんなものを使っても、俺が作る建築以上の建築は作れん。」
と。
今日、見せてもらった資料を見る限り、現段階では、まだまだそういうレベルのものだと感じた。
が、僕は、そのプロジェクトにかなりの可能性を感じた。
あくまでも「直感」だが、構造設計者の職能すら変わりうる力を持ったものではないかと思った。
また、ボスと正反対に位置するかに思えることではあるが、核となる部分・底にあるものはボスも先生も同じではないのか、という気がしてならなかった。
「構造設計とは何か?」ということを先生達なりに真剣に考えている。その答えの一つなのだろう。
僕にとっては、なによりも、ボスと真逆に位置するように見えていることに意味があるのかもしれない。
ただし、自分を鍛え上げなければ、このハイレベルなプロジェクトについていくこともできない。
ここでついていけなければ、多分、この先、ボスの掌の上から外へ飛び出すことはできないだろう。
「この話し乗るべきだ。」それが、今の僕の答えだ。
当然ながら、僕自身は来春4月から、独立した構造家としての人生をスタートさせるつもりである。
独立後に大学に片足を突っ込むことにはリスクがある。仕事も研究も片手間でできるほど、甘いものではない。そして「東京」も簡単に離れられる場所ではない。どういう立場で、プロジェクトに参画するかは慎重に考えないといけないだろう。ただ、リスクを恐れて自らの手で自らの可能性を閉じるような真似だけはしたくない。
親バカ日記
子供が成長していく姿を見ることは、親として、とても嬉しいことだ。
親としてのフィルターがかかっているので、いわゆる「親バカ」なことではあるのだが、客観的に見たとしても、その進化過程は非常に面白いのではないかと思うこともある。
長女は、そろそろ5歳になろうという4歳児である。
数字に強いのが、親として頼もしい。1000までなら普通に数えられる。
もちろん世の4歳児のスタンダードなどは全くわからないので、この「数字に強い」とか「頼もしい」という表現は、ただの「親バカ」でもある。
そんな彼女が、最近、足し算を覚え始めた。
最初は「足し算」といっても、答えが10で納まる問題しかできないのである。
つまり自分の指を使って「1、2、3・・・」と数えるのだ。
そこへ6+8という問題が登場した。
彼女にとってその時点での自分の能力を越える新たな問題に直面したわけだ。
どのような手段でそれを解決していくのか、親として非常にドキドキしながらそしてワクワクしながら見た。
彼女は「パパ、手を貸して」と言い、僕の指を6本をたて、自分は8本の指をたて、それらを1から順に14まで数えきった。で、笑顔で「14!」。ごもっとも。
自分の指が10本までしかないことを理解し、もう少し指が欲しいと考え、親の指を使えば事足りるだろうという発想があっただけでも、親としてはうれしい出来事だ。とにかく成長である。
そして、いくつかの答えが20以下の足し算をこなしたあとに、15+7という問題が登場した。
当然、2人の指の数を超えているので、僕と彼女の指を使うというこれまでの方法では解決できない問題なのである。でも、それは指を数え始めて初めて気づくことなのであるが、それを始めないのだ。どうやら二人分の指の数を超えていることを察知していたようである。僕は、彼女が「ママ、こっち来て」ぐらいのことを言い出すのだろうか、と想像していたら、さにあらん。
なんと、自分の指を7本たてて、
「じゅうご(15)」
とつぶやいた後、自分の指を、
「16、17、18、19、20、21、22」
と7つ分だけ数えたのである。で「22!」と笑顔で答えたのだ。僕の指も使っていない。
これには驚いた。「こいつ賢い!」
これまで、二人分の指を使って数えるという方法を重ねていくうちに、もはや1から15までの数を順に数える必要がないことを理解してしまっていたのだろう。
どの瞬間にそう理解できたのかは、聞いても答えてくれなかった。
「だって、15+7でしょ。」という返事である。
『なんでそんなことを聞くの?当たり前じゃない』というような感じであった。
少なくとも足し算の概念は理解している。なんとも嬉しいではないか。
ひょっとしたら、15まで数えるのが「面倒くさい」というような「ずぼらな発想」がそうさせたのかもしれないが、親としては、それでも十分だと思う。
ちなみに
3+□=9、で□の中は?
という問題は、既にできるようになってしまった。
+や=の記号の意味もわかっているようだ。
多分、夏頃には3桁+3桁くらいできてそうな雰囲気だ(←親バカ)。
小学校は入るまでには九九くらい覚えてそうな雰囲気だ(←超親バカ)。
とにかく、子供の成長を見るのは、この上ない喜びである。
人生の転機、というと大袈裟だが
昨日の講演会ではないが、伊東さんやボスみたいに悟りを開かれてしまうと、その後に僕らが何をやっても、御釈迦さんの掌の上でちょろちょろ動き回っているだけなんじゃないか?と思ってしまう。
今のやり方のままでは、ホントにその通りにしかならなんのじゃないかと。僕にとっては『深い』問題だ。
このままでは「ミニボス」というか「コムツロウ」で終わってしまう。
確実に見習っておくべきボスイズムがあるのは事実だし、それは永遠に持ち続けてよいとも思っている。
よそ様に「コムツロウ」と呼ばれるほどになれれば、それだけでも十分に飯は食っていけてそうな気はするのだが、何か違う。嫌だ。
ボスは木村先生の呪縛を自力で乗り越えた、と言っている。
僕もいつかボスの呪縛を自力で乗り越えたい。
しかし、そのためには、今のやり方では、どうにもダメなのだ。
決定的に不足しているものがある。。。
などと思っていると、母校から一通のメールが届いた。
人生には転機があるというが、その一種かも知れない。
嫁とも相談しなくては。
もちろん、ボスにも相談せねばならないことでもある。
個人事業と会社設立
以前に「独立時に、会社設立とすべきか個人事業とすべきか」といった相談をしていた友達の公認会計士(高校時代の同級生)から久しぶりに連絡があった。決算期ピークを越えて、仕事が少し落ち着いたらしい。
しかし、独立の仕方にも色々あるのだなぁ。
個人事業でも、白色申告に青色申告。
会社設立にしても、有限会社と株式会社。
何やかやと、違いがあるみたいだ。
とりあえず、会社設立の方が手続きやその準備が面倒くさそうだ。僕のやりたいイメージとしては、会社設立だったんだけどなぁ。毎月、家に給与を振り込みたいし、代表取締役社長だし。でも個人事業としても、預貯金を毎月引き落とせば実態は同じ話ではあるし、社長などはただの形式なので、本質的な部分ではない。会社は信用力があるという一般論はわかるけれど、始めのうちは、若い建築家との個人的な信頼関係からでしかスタートできないわけだし。
彼女いわく、規模の小さい間は個人事業としておいて、後で会社にすればよいのでは、とのこと。
そういわれれば、ボスもそうだったんだよなぁ。
まんざい
ここまで、ちょっと固めの日記ばかりだったけど、毎日建築のことばかりを考えているわけではない。
実は、こまった悩みもある。
6月25日に高校時代の同級生の結婚式があるのだけれど、その中で余興を頼まれている。
クラスと部活の両方が同じだったこともあるのだが、もう一人の友達とともに漫才をすることになっている。
もう一人の友達というのは、それは、お笑い得意の、クラスでも人気者だったやつだ。
僕の結婚式の時も、漫才をやってくれて、かつ、おおいにウケた実績もある。
僕は産まれも育ちも関西なので、お笑いは好きだし、その内容にも厳しいほうだと思ってはいるが、基本的に人前で漫才などするタイプではない。
かと言って、友達の頼みなので、一肌脱がないわけにもいかんのだ。
よっしゃ、いっちょ、やったろかぁ。
で、さっき友人からメールでネタが届いた。
実は2週間前にも一度ネタが届いたのだが、僕が突っ返していたのだ。
「ネタが高度すぎる」という理由で。
今日届いたネタは、まぁ、これならいけるだろう、というものだ。
友人も忙しい中、ネタを一から書き直してくれたわけだし、ここでさらなるダメだしをするわけにもいかんし。
うまくブラッシュアップしていくしかないかな。
展覧会の準備はこれで一区切りついたのだが、今度は披露宴の準備が始まるなぁ。
当面、事務所で、つっこみの練習せなあきませんなぁ。
「なんで、D25やねーん!」
「ピン接とちゃいまんがな。男は、やっぱ、剛接でっせー」
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あほらし・・・
構造家騎手論
明日はダービーだ。
京都にいた頃は、よく京阪電車に乗って淀の競馬場に通ったものである。
やはり、馬を見ないことには賭けても面白くもなんともなく、今の仕事についてからは、学生気分の余韻のあった1年目の前半以外はほとんどしていない。今年はどうやらディープインパクトという馬が強そうである。
競馬における主役はもちろん「馬」である。基本的には馬のポテンシャルで勝ち負けが決まるスポーツである。しかし、馬だけを並べてヨーイドンというわけにもいかないので、馬には騎手が乗る。ジョッキーは、レースに勝つために、馬の個別の特性を熟知し、馬の能力を最大限引き出さなくてはいけない。そのため、ジョッキーの才覚もレースの勝ち負けの重要なファクターとなる。
能力が高く一番人気に推される馬であっても、ジョッキーがペース配分や位置取りなどの判断を誤れば敗れるし、武豊や安カツあたりの名ジョッキーが7~8番人気程度の馬を一着にもってきてしまうこともある。
このサラブレッドとジョッキーの関係と建築家と構造家の関係は非常によく似ている(と勝手に思っている)。
この6年と少しの間、トップクラス(G1級)の建築家と構造家のやりとりを間近で見続けてきて思ったことだ。
建築界を競馬界になぞらえるなぞ不謹慎な、とお叱りを受けるかもしれないが、自分ではとても的を射た表現だと思っている。
いわゆる『建築』においては、その設計における主役は「建築家」であることは言うまでもない。
しかし、建築家がその設計にまつわる全ての事柄について神のごとく万能、とはいかないのが実情である。構造にしろ、設備にしろ、必ずコンサルタントとの協働を伴う。こと、形の決定に関して言えば、数あるコンサルタントのうちでも、最も構造の影響を受けてしまうものだ。つまり、構造家とのコラボレーション次第で、空間の質が良い方向へ向かうこともあればその逆もありうるのだ。馬が騎手次第で、凡走したり劇走したりするように。
なにも、構造家が有名であれば、必ず良い作品になると言っているのではない。どちらかというと「合う・合わない」という相性があり、イメージの共有や相互理解ができるか否かが重要だ、ということを強調しておきたい。
年齢差に配慮しすぎたり、勝手に『格』のようなものを意識してしまい、一方が他方に遠慮してしまうような状態になると、それはもはや適切なコラボレーションができる状態とはいえず、そこからは突きぬける力をもつような建築はうまれてこないと断言してもよい。
両者が互いに尊敬しあうと同時に、対等にモノを言う、まさに人馬一体の状態で遂行されたプロジェクトは、必ずといってよいほど名建築になっていることを、僕はこの6年の間に体験している。
建築に限らないことだが、やはり相互理解は基本中の基本である。これは、担当者のコミュニケーション能力にも左右されるからやっかいなものである。トップクラスの建築家の事務所ほど、所員のコミュニケーション能力が高いのも、(僕の実体験からすると)どうやら事実のようである。