構造家騎手論 | だから構造家は、楽しい

構造家騎手論

明日はダービーだ。

京都にいた頃は、よく京阪電車に乗って淀の競馬場に通ったものである。

やはり、馬を見ないことには賭けても面白くもなんともなく、今の仕事についてからは、学生気分の余韻のあった1年目の前半以外はほとんどしていない。今年はどうやらディープインパクトという馬が強そうである。


競馬における主役はもちろん「馬」である。基本的には馬のポテンシャルで勝ち負けが決まるスポーツである。しかし、馬だけを並べてヨーイドンというわけにもいかないので、馬には騎手が乗る。ジョッキーは、レースに勝つために、馬の個別の特性を熟知し、馬の能力を最大限引き出さなくてはいけない。そのため、ジョッキーの才覚もレースの勝ち負けの重要なファクターとなる。

能力が高く一番人気に推される馬であっても、ジョッキーがペース配分や位置取りなどの判断を誤れば敗れるし、武豊や安カツあたりの名ジョッキーが7~8番人気程度の馬を一着にもってきてしまうこともある。


このサラブレッドとジョッキーの関係建築家と構造家の関係は非常によく似ている(と勝手に思っている)。

この6年と少しの間、トップクラス(G1級)の建築家と構造家のやりとりを間近で見続けてきて思ったことだ。

建築界を競馬界になぞらえるなぞ不謹慎な、とお叱りを受けるかもしれないが、自分ではとても的を射た表現だと思っている。


いわゆる『建築』においては、その設計における主役は「建築家」であることは言うまでもない。

しかし、建築家がその設計にまつわる全ての事柄について神のごとく万能、とはいかないのが実情である。構造にしろ、設備にしろ、必ずコンサルタントとの協働を伴う。こと、形の決定に関して言えば、数あるコンサルタントのうちでも、最も構造の影響を受けてしまうものだ。つまり、構造家とのコラボレーション次第で、空間の質が良い方向へ向かうこともあればその逆もありうるのだ。馬が騎手次第で、凡走したり劇走したりするように。

なにも、構造家が有名であれば、必ず良い作品になると言っているのではない。どちらかというと「合う・合わない」という相性があり、イメージの共有や相互理解ができるか否かが重要だ、ということを強調しておきたい。




年齢差に配慮しすぎたり、勝手に『格』のようなものを意識してしまい、一方が他方に遠慮してしまうような状態になると、それはもはや適切なコラボレーションができる状態とはいえず、そこからは突きぬける力をもつような建築はうまれてこないと断言してもよい。

両者が互いに尊敬しあうと同時に、対等にモノを言う、まさに人馬一体の状態で遂行されたプロジェクトは、必ずといってよいほど名建築になっていることを、僕はこの6年の間に体験している。


建築に限らないことだが、やはり相互理解は基本中の基本である。これは、担当者のコミュニケーション能力にも左右されるからやっかいなものである。トップクラスの建築家の事務所ほど、所員のコミュニケーション能力が高いのも、(僕の実体験からすると)どうやら事実のようである。