序論@塾講師なら実名、学校教員なら匿名?――性犯罪報道における「社会的制裁」の公平性を考える
前回、「塾講師なら実名、学校教員なら匿名?」という疑問を提起しました。
今回は、その疑問を実際の報道事例から検証してみます。
調べてみると、まず分かったのは、学校教員についても塾講師についても、実名報道と匿名報道の両方が存在するということでした。
したがって、「学校教員は匿名、塾講師は実名」という単純なルールがあるわけではありません。
例えば、2026年6月に青森県で、教え子の男子生徒に対する不同意わいせつの疑いで48歳の教諭が逮捕された事件では、報道は「48歳の教諭の男」という表現で、氏名を公表していませんでした。
一方、最近、横浜市で14歳の男子生徒に対する不同意わいせつの疑いで逮捕された26歳の塾講師については、「塾講師・〇〇〇〇〇容疑者(26)」と実名が報じられています。
つまり、少なくとも実例としては、「教員=匿名」「塾講師=実名」という一律の扱いではないものの、私が当初感じた「塾講師については実名報道がかなり多いのではないか」という印象には、調べてみるだけの理由はありました。
ただし、ここで慎重にならなければなりません。
こども家庭庁は、2025年に報道された子どもへの性被害事件をまとめています。その中には、小学校教員、中学校教員、高校教員などの事件だけでなく、学習塾の元教室長、学習塾経営者、塾講師などの事件も複数含まれています。
ところが、この資料は「どの事件が実名報道だったか」を集計した資料ではありません。したがって、現時点で私が調べた範囲から、
「塾講師のほうが学校教員より実名報道される割合が高い」と断定することはできません。
ここは、最初に抱いた私自身の疑問についても、いったん結論を保留したいと思います。
では、何が実名報道と匿名報道を分けているのでしょうか。
事件の重大性でしょうか。
被害者の年齢でしょうか。
被害者を特定してしまう危険性でしょうか。
容疑者の社会的立場でしょうか。
それとも、警察発表を受けた報道各社それぞれの判断なのでしょうか。
私は、ここが今回の問題の核心ではないかと思います。
例えば、学校教員については、被害児童・生徒が特定されることを防ぐために、容疑者の勤務先や氏名を控えるという判断があり得ます。
しかし、同じように未成年の教え子が被害者となった塾講師について、そのような配慮が必ず同じように働いているのか。
逆に、学校教員について実名を報じる場合には、なぜ被害児童・生徒の特定につながらないと判断されたのか。
こうした点は、一つ一つの事件について確認してみなければ分かりません。
そして、ここで私は「書かれた側」の立場からも考えてみたいと思います。
私は、子どもに対する性犯罪について、社会的な非難や相応の制裁があってはいけないと言っているのではありません。
実際に犯罪を犯したのであれば、当然、その責任を負わなければなりません。
しかし、社会的制裁が当然だとしても、その制裁の重さが職業によって違ってよいのでしょうか。
例えば、同程度の犯罪について、一方は実名を全国に報道され、もう一方は匿名のままになるとします。
両者の間では、逮捕された時点から受ける社会的なダメージが大きく違ってくる可能性があります。
実名は新聞やテレビだけでなく、インターネット上にも残ります。
勤務先を失うことはもちろん、家族、友人、近隣住民などにも知られる可能性があります。
そして、逮捕された時点では、まだ裁判によって有罪が確定していない場合もあります。
それでも実名が公表されれば、その後の人生に長く影響する可能性があります。
もちろん、「だから実名報道をやめるべきだ」と言いたいのではありません。
社会的制裁を受けるべき人がいることは否定しません。
私が問いたいのは、その社会的制裁が「公平に」行われているのかということです。
もし同程度の犯罪について、ある職業の人は実名で報じられ、別の職業の人は匿名になるのであれば、その違いには誰もが納得できる合理的な理由が必要ではないでしょうか。
「学校の先生だから匿名」
「塾講師だから実名」
ということであれば、私は疑問を感じます。
しかし、逆に、
「学校の先生だから実名」
「塾講師だから匿名」
という扱いであっても、同じ疑問が生じます。
問題は、どちらが得をするべきかではありません。
同程度の事件について、被疑者がどのような職業に就いているかによって、実名報道による社会的制裁の重さが変わってしまってはいないか、ということです。
そして、もう一つ忘れてはならないと思うことがあります。
実名報道をするかどうかを決めるのは、裁判所ではありません。
刑事裁判で有罪か無罪かを判断するのも、もちろんメディアではありません。
しかし、メディアが容疑者の氏名を広く社会に知らせることによって、その人に極めて大きな社会的影響を与えることはあります。
つまり、メディアは法律上の刑罰を科す機関ではないものの、結果として非常に大きな「社会的制裁」を生じさせる力を持っているのではないでしょうか。
だからこそ、その力が公平に使われているのかを問うことは、決して「犯罪者擁護」ではないと思います。
むしろ、報道の自由や国民の知る権利を尊重するからこそ、その反面として、実名を公表することによって生じる重大な不利益についても考える必要があるのではないでしょうか。
そして私は、「更生」という問題も忘れてはならないと思います。
仮に犯罪を犯し、刑事裁判で有罪となり、刑罰を受けた人であっても、その後に更生して社会に戻る可能性があります。
被害者の人生を守ることは当然です。
再犯を防止することも当然です。
犯罪を犯した人に責任を取らせることも当然です。
しかし、それらと「罪を償った人間が社会に戻る道を残すこと」は、必ずしも矛盾するものではないと思います。
だからこそ、実名報道によって生じる社会的制裁についても、職業によって不公平な差が生じていないかを考える必要があるのではないでしょうか。
今回の調査では、残念ながら、現段階では「塾講師のほうが実名報道されやすい」と断定できるだけの統計的な材料は得られませんでした。
しかし、教員にも実名・匿名の双方があり、塾講師にも実名・匿名の双方があることは確認できました。
そして、ここから先がむしろ重要なのだと思います。
なぜ、この事件は実名なのか。
なぜ、こちらの事件は匿名なのか。
その判断基準は本当に一貫しているのか。
そして、もし一貫していないのであれば、その違いは何によって生じているのか。
私は、これを「塾講師を実名にするべきか、学校教員を匿名にするべきか」という問題として考えるのではなく、
「同じような犯罪について、職業によって社会的制裁の重さが変わってしまっていないか」
という問題として、もう少し調べてみたいと思います。
社会的制裁が必要なら、なおさら公平であるべきです。
犯罪を犯した人が誰であるかによって、制裁の重さが変わるような社会でよいのか。
そして、その違いを生み出しているのが報道機関の判断なのであれば、その判断について私たちはどこまで知ることができるのか。
これは、被害者を守ることとは別の意味で、考えておくべき問題ではないでしょうか。
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