ビッチ、律、倍音 その3 | コリンヤーガーの哲学の別荘

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30年温めてきた哲学を世に問う、哲学と音楽と語学に関する勝手な独り言。

6.ピッチと調性

 

 ここで、前回の「ビッチ、律、倍音 その2」で採り上げた、モーツァルトの交響曲第39番 変ホ長調 Kv543 を巡るわたしの勝手な話を書きたい。

 

 はじめに、ビッチについて新たな発見があった。「ビッチ、律、倍音 その1」では自信がなかったが、以下の演奏を冒頭だけでも聴いていただきたい。

 

 モーツァルト 交響曲第39番 変ホ長調 Kv-543

 カラヤン指揮 ベルリンフィル

 

 ブリュッヘン 指揮 18世紀オーケストラ

 

 前回わたしは、やっと探したショスタコーヴィチの第5交響曲の2つの演奏、スベトラーノフとヤンソンス指揮の録音に、「自信はない」という前提で、ピッチが違うと述べた。

 ここに挙げた、カラヤン指揮とフランツ・ブリュッヘン指揮の2つの演奏は、明らかにピッチが違う。カラヤン演奏の冒頭の序奏の第1音を聴いて音を頭にインプットして、すぐにプリュッヘンの冒頭に切り替えてみてくたださい。読者の皆さんにもお分かりいただけると思います。

 このピッチの差は、「僅か」どころか、ほぼ「半音」に近い。ためしに、ワルターやベームの演奏と比べると、いずれもカラヤンのピッチにほぼ一致する。

 これは、ブリュッヘンが古楽器奏者出身で、「18世紀オーケストラ」とは、モーツァルトの時代の古楽器による「18世紀」のオーケストラの「復元」を目指して彼が組織した団体であるからです。

 

 引用

 

 古楽器による演奏では、現代のA=440Hzという基準とは異なったピッチが用いられることが多い。現在バロック音楽の演奏にあたっては、A=440Hzよりも半音低いA=415Hzのピッチが最も一般的に用いられている。他にもさらに半音低いA=392Hzや半音高いピッチであるA=465Hzなどが採用されることもある。ただし、これらのピッチの数値は、現代の古楽器演奏で用いられる例である。史実をある程度反映してはいるが、当時はより多様なピッチが用いられており、A=415HzやA=392Hzという数値は、演奏の便宜をはかるために、A=440Hzを基準に平均律の半音間隔で設定されたものにすぎない。実際にそのような基準ピッチが歴史上使われていたわけではないことに注意。

 

Wikipedia 「古楽器」より

 

 したがってブリュッヘンの演奏は、当初よりモーツァルト時代に合わせてピッチを半音下げているのである。古楽器(ピリオド楽器)の演奏で、必ずピッチを下げるわけではない。同じ古楽器系のアーノンクールやトン・コープマンの演奏はピッチを下げてはいない。

 

 しかし、重要なことはピッチを下げることが、調性の性格を変更しないということである。

 

 もう一度、「ビッチ、律、倍音 その1」で示した、「表 平均律のA4からのオクターブの周波数」を見てもらいたい。

 

     音の周波数(Hz)       差(Hz)

 A    440.000

                  >    26.164

  A#   466.164 

                  >    32.829

 B    493.883

                  >    29.368

  C    523.251

                  >    31.114

  C#   554.365

                  >    32.965

 D    587.330

                  >    34.924

  D#   622.254  

                  >    37.001

 E    659.255

                  >    39.211

 F    698.456

                  >    41.533

 F#   739.989

                  >    26.164

  G    783.991

                  >    46.618

  G#   830.609

                  >    49.361

 A    880.000

            表 平均律のA4からのオクターブの周波数

 

 各半音の周波数の差は、ピッチが低くなったからといって変わるわけではない。そのまま反映される。これはブリュッヘンのモーツァルトを聴いてもほととんど違和感なく「変ホ長調」の柔らかさが反映されている理由である。カラオケで「ハ長調」の曲を「2つコード」を上げても、それは「ニ長調」に「転調」するのではなくて、ハ長調特有の音階の不揃いを持ったまま「主音」だけを移行するのである。カセットテープのスピードを上げるのと同じである。だから「調性」と「ピッチ」とは基本的に無関係である。物理法則が、音階共鳴を実現したり倍音を導いたりするのは音同士の高さの割合が決めるのであって、それはつねに「相対的」であるわけです。

 

 今回、モーツァルトの第39交響曲をいろいろ聴いてみて、いくつか発見があった。

 

 ① まず、古楽器演奏を巡って

 

 引用。

 

  ところで話は変わりますが、ピリオド楽器によるモーツァルトの演奏、例えば、フランス ブリュッヘン、や、トレバー  ピノック指揮の演奏を聴いていると、現代オーケストラの演奏に比べて、音を切る、跳ねるような特徴があって、その理由を考えていました。私は2005年に実際に古楽器のオーケストラのコンサートに行く機会に恵まれたのですが、そのコンサートでは、指揮者が指揮しながらチェンバロを弾いていました。

 後でいろいろ調べるうちに、歴史上最初のピアノは1700年ごろに、イタリアで存在していたらしいのですが、音量の不ぞろいなどの問題があって、なかなか普及せず、本格的に今日のピアノに近いものになっていくのは、1790年頃と言われており。ちょうどモーツァルトの晩年の時期に重なります。チェンバロは弦を引っ掻いて音を出すため、指で強弱がつけられないという点で、強く鍵盤をたたかないと音量が得られず、またピアノのような音量の自由さはなく、音量は、レジスターの切り替え(スイッチのようなもの)に依存しています。(ピアノの歴史については、 インターネットのWikipediaを参考にしてください。結構詳しいです。)

 わたしが聴いた古楽器の演奏で気がついたのですが、指揮者がチェンバロを弾くとき、かなり力をこめて音を跳ねるように、切り気味に弾いており、特に速いテンポの楽章では顕著で、音量の少ないチェンバロが古楽器で人数が少ないとはいえ、オーケストラの音量に対抗しようとすれば、自然とそうなる。そのことに気づいた私は、モーツァルトが1856年生まれである事実が頭をよぎりました。かなりの文献を調べましたが、モーツァルトの修行は父の手ほどきで、3歳ぐらいから始まっており、そのとき使われていたのはフォルテピアノ(ピアノの初期名称で音量を自由に扱えるという意味がこめられています)ではなく「チェンバロ」であったのです。のちにモーツァルトが成人した頃には、かなりピアノも普及していました。また音量が自由に指で調節できるということは、ピアノがチェンバロに取って代わるのは必然で、1790前後には盛んに改良が加えられていたようです。
 後期のピアノ協奏曲の20番台を聴けば、モーツァルト自身かなり早い段階で、ピアノに順応しただろうことは容易に想像できますです。なぜならこの美しいオーケストラ伴奏の上にチェンバロで独奏するなどありえません。
 
 古楽器の演奏を聴きながら、私は遥か250年前のドイツ各地での交響曲演奏を想像しました。もともとドイツ各地にはオーケストラの体裁を持った地方楽団がたくさんあり、ベートーベンの祖父も父もボン(旧西ドイツの首都)の宮廷楽団の一員であった。しかし当時の地方楽団は、「オーボエ奏者がいない」とか、楽器としての「ティンパニー」がないとか、およそ今日わたしたちの時代の「オーケストラ」とは違ったもので、そもそもオーケストラの構成がヨーロッパで統一したあり方、などというは概念として成立しておらず、ウィーンなどの一部の先進都市でのみフルオーケストラがあったに過ぎません。モーツァルトの交響曲も、指揮者がチェンバロを弾きながら演奏されたこともあるはずで、現代でも古楽器のような「当時」の楽器で演奏すると、音を切る、跳ねるような特徴の演奏になるのではないか思います。モーツァルトの初期の作品はチェンバロとピアノの過渡期に現れた天才の作品ゆえの現象と考えます。

 ところが、ベートーベンの時代になると、ピアノの完成期にあたります。ベートーベンという天才も、100%生まれつきのものをもって大成したのではなく、モーツァルト同様、幼少期の過ごし方が意味を持っているのでしょう。ベートーベンが大成することができた理由は大きく言って3つあるとわたしは考えます。

 1.アルコール依存症の父ヨハンが、モーツァルトを「稼ぎのよい音楽家として」プロデュースしたレオポルドの教育を見て、自分の息子を第二のモーツァルトにしようと幼少から息子にスパルタ教育を課し、それは時に暴力を伴った。「(ベートーベンの)幼な友だちの証言によると『子どもをピアノに向かわせるために、父親が子どもを撲(ぶ)たない日はなかった』」 福島章著 『ベートーベンの精神分析』 河出書房新社 2007 16頁。

 2.12歳ごろから家庭教師として貴族階級のブロイニング家に出入りすることになったが、この家の未亡人 ヘレーネ フォン ブロイニング(ベートーベンの第二の母といわれる)が、実母を失ったベートーベンを温かく迎え、「少年が上流階級のマナーや教養を身につけるように教育した。」 『前掲』 21頁。
 これは貴族でないベートーベンにとって、後年、ウィーンに出て成功していく上で、貴族との付き合い方や、しきたりをあらかじめ備えさせてもらったという意味で重要だと思います。
 ベートーベンはその人生で意外と「幸運」な出会いに支えられていて、特に彼を支援した多くの貴族たち(ワルトシュタイン伯爵など)との出会いは重要です。

 3.そして彼の人生が、ちょうどピアノという楽器の完成期に重なっていたことがとても重要だと考えます。それまでのチェンバロが衰退していく中で、チェンバロとは違う奏法が求められる。手本はないのです。ベートーベンは、ピアノ奏法を「自力で開拓」しなければならない立場に立たされたのであり、手の置き方、形、指使いや強弱にいたるまで、様々なパターンを試したことでしょう。こうして彼は「レガート奏法」(チェンバロと反対に、音を伸ばし気味に演奏する)を確立しました。彼がこの奏法をひとつの「模範」として確立した。だからベートーベンの弟子やその同時代の作曲家には、初級者の練習謡曲集を書いた作曲家が多い。チェルニー、フンメル、デァベッリ、ブルグミュラーなど(『バイエル』以降初等ピアノ習得でおなじみの顔ぶれ、わたしも小学生の時、ブルグミュラーからツェルニーと進んだ)は、ベートーベンのようなテクニックを得るためにどういう練習が必要かを考えたということです。

 楽器の変遷もまたその時代の音楽家に影響する。音楽家どころか単なる愛好家にもです。わたしはピアノを弾きますが、わたしが小学生の頃は、鍵盤が重くて力を入れないと弾けず、人差し指と親指で半円を描くように指を立てて弾きなさいと教わった。今は楽器の改良で、鍵盤が軽くなったので、力をいれず、指を黒鍵と黒鍵の間にまっすぐ寝かせて、鍵盤が跳ね返ってくる反動を利用して指をわざわざ上げなくてよいのです。力を入れないように演奏するのが今のピアノです。よって40歳を超えてから、小学生の頃についた癖を修正しなければならない羽目になるのです。

 

当ブログ記事「 ピアノという楽器の歴史と作曲家  再掲」(2018/1/26)

 

 2年以上前の記事だが、チェンバロからピアノへの移行期についてはもっと勉強したいと思っている。ただここでわたしがベートーベンの「レガート奏法」と言っていることは、実は単なる鍵盤楽器の主役交代だけでなく、他の楽器も含めて、楽器の演奏自体に大きい変革をもたらしたのではないかということである。それが今回モーツァルトの39番の様々な演奏を聴いてみた感想である。古楽器演奏と現代オーケストラの演奏の明らかな差異は、ベートーベンを基点にした分岐点でもあったと思うのです。

 ベートーベンが死んだのは1827年、わたしたちの現代文化は、ベートーベンの死後おおよそ100年ごろから「録音」という手段を獲得する。

 たとえば、ベートーベンの死後101年目に録音されたエーリッヒ・クライバーのモーツァルト39番を聴くと、これがわたしたちLP世代の聴いてきたモーツァルトの演奏の骨格を十分示すものであると思う。    

 

 エーリッヒ・クライバー指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団(1928年録音)

 

 エーリッヒの息子は言わずと知れた、カルロス・クライバーで、エーリッヒはベームやカラヤンに連なる名指揮者である。

 そのカラヤンは、「リテヌート」奏法を極めたが、音をあまり「切らず」、ベートーベンの「レガート」奏法の一種のオーケストラ版「完成者」だとわたしは思っている。(カラヤンがそれほど好きではないのだが、たとえばR・シュトラウスなどはすばらしいと思う) わたしはピアノの登場とはそれほど歴史を変えたと考えている。

 しかし、古楽器の演奏は、しばしば現代指揮者とオーケストラとは趣が異なるが、ベートーベン以前の雰囲気が楽しめる。

 

 ② 転調の妙

 

 以前から、ハイドンとモーツァルトの違いがどこにあるかを考えていた。わたしは、ハイドンが好きであるが、「モーツァルトより素朴」というぐらいしかの感覚であった。

 今回モーツァルトの39番をじっくり聴いて、ひとつ気がついたことは、(1)ハイドンはひとつの転調から主調に戻ってくる時間が短い。(2)モーツァルトは、ハイドンに比べて、一旦転調したらさらに転調してどんどん転調し続けて戻る。この違いは39番だけでなく40番の終楽章に顕著で、しかも属調や下属調からずっと離れた意外な調性へと変化する。ハイドンも晩年はこのモーツァルトの技巧を意識していて、最後の「ロンドン交響曲」の第1楽章のコーダで、みごとな転調の妙を見せるが、それが第1楽章だけで終わってしまう。

 40番の第4楽章のモーツァルトの転調の妙は、第1楽章の展開部に「伏線」が忍ばせてあって、その手法ははっきりとはしないが39番にも認められる。

 シューベルトのように、第1小節がハ長調で第2小節がイ短調といううな短時間で移調し、すぐに戻ってくることを繰り返す「さすらい」はロマン派まで登場しないが、聴き手はそれまでの「古典」に飽き足らなくなっていて、ゆえにハイドンやモーツァルトを「天才」と評した。

 ハイドンの同時代の。クリスチャン・バッハの作品18と聴き比べれば、転調の妙が楽曲与えるの「平凡さ」を脱して行く過程が見て取れる。

 

  原則として、音の「強弱」を可能としないチェンバロによる作曲と、ピアノ(フォルテとピアノ)をタッチの差で表現できる鍵盤楽器の登場は、一瞬で音を切ってしまう演奏から「倍音」の深さを響きとして持続させたい衝動に導く。これがベートーベンの「レガート」奏法が誕生する革命である。これがわたしたちが聴いている、今日のオーケストラ演奏に連なっているのではないか? そう思えるのてす。

 

 つづく