ベートーベン 現代に来る | コリンヤーガーの哲学の別荘

コリンヤーガーの哲学の別荘

30年温めてきた哲学を世に問う、哲学と音楽と語学に関する勝手な独り言。

 アメリカメジャーリーグのワールドシリーズを見ていた時、いきなりルートヴィヒ・バン・ベートーベンがわたしの家にやってきた。彼はテレビで映された画面を見て、「どうしてほかの場所様子が、この箱にうつっているのか」と尋ねてきたので、電波とか、放送とか、現代の技術について語ったが、どうしても彼にはピンと来なかったらしい。

 ベースボールというゲームについて、それがスポーツだといっても、「スポーツ」がなにかがわからないらしかった。なので「あなたの時代にもテニス」という競技があったでしょ?といったらなんとなく理解した。

 ベートーベンは、やがて、ベースボールのルールを理解したようで、試合を楽しんでいたが、バットで小さなボールが100mを超えホームランになった時、「人間が鍛えれば、こんなに球を飛ばすことができるのか」と驚嘆したようであった。

 しかし、スポーツの「勝ち負け」が、なにか戦争の戦闘のように勝者に「名誉」が与えられないことに、「何のために戦うのか?」とわたしに聞いてきたので、わたしは「あなたが作曲するのは、人に勝つためではないが、戦いではなかったのか?」と聞いたら、彼は「その通り」と答えた。

 

 CDで、ベートーベンのピアノソナタを再生した。するとベートーべンは、「これはわたしの作品ではないか」と叫んだ。そこで、わちしは、「そうです」といって、今でもあなたの作品は、愛され、こうして再生装置で聴かれているのです。と説明した。

 

 翌日、わたしは、フィギャースケートの大会にベートーベンを連れて行った。ロシアの若い女性が「三回転ジャンプ」をみせた。その時、演者のスカートが水平に広がり、あらわになった演者の太ももを見た時、ベートーベンは「こんな不謹慎な演技を皇帝陛下は許可したのか」といいながら、演者の美しき肢体に釘付けとなり、ほとんど卒倒しそうであった。

 

 ベートーベンは、セックスレスではなく、ちゃんと恋人たちと結ばれたが、独身を通したから、性的には満足し人生だったとは言えない。が、この苦悩こそ、彼の作品を支えている・

 

 スケートのBGMは、ラフマニノフやメンデルスゾーンだったが、ベートーベンは、「わたしならもっと良い音楽をつけることができる」といった。

 

 わたしは、彼にいった。だからあなたは、ここにいてはいけない。あなたの時代にこそあなたの居場所あるのです。