淑女との戯れ ダットサン フェアレディ -20ページ目

淑女との戯れ ダットサン フェアレディ

フェアレディSP311の再生記事を中心に、あれこれと気ままにつづっています。

それは同僚の異動の話からであった・・・

 

昨年10月の異動で小生は川崎に勤務しています。

ここで週一くらいで昼食を共にする同僚がおりまして、この地での先輩である彼には、おいしいお店や面白いお店にいざなってもらっていました。

 

小生自身も開拓し顔なじみになったお店もできてこの街に馴染んできたところです。

ところが、その同僚が来月に異動になりそうな話になっています。

そうなるとちょっと無理してでも行っておきたいお店にはチャンスを作って行かなくちゃ!異動したら行くことは難しくなるのだからと、彼にはそんな気持ちの拍車がかかったようでした。

 

先日もいつものように昼食に行ったときにそんな話になり、「無理にとは言わないけれども」と前置きがあって今回のお店に行かないかという誘いがありました。

なぜそんな前置きが必要かといいますと、電車で2駅ほど乗っていかなければいけないからです。しかも、朝9時半にお店に行って予約表に記帳して予約を取っておかないといけないとのこと。通常ならばとてもそんなことは勤務中にはできません。でも、行ってみたいという気持ちがないわけではありません。チャンスができるのなら行っておきたいものです。

彼のスケジュールと小生のスケジュールの中で摺合せできる日を決め、当日の予約には彼が行ってくることで話はまとまりました。

 

そして当日、彼の努力もあって予約を取ることができ昼食に行ってきました。

 

京浜急行線で雑色駅で降り、アーケード商店街を抜け、さらに続く商店街。

 

 

この写真では表現できていませんが、まるで映画「メトロに乗って」で堤真一さん扮する主人公が降り立った駅のようにタイムスリップしたような感覚を覚えました。写真は控えましたが、手前右の洋品店もそうですが、まさに小生が子供のころに見たような商店がいくつも盛業されている光景が目に入ってきたからです。と話が脱線してしまいましたが、商店街を抜けた東海道線の踏切を渡ったところにその店はありました。

 

 

「宍道湖しじみ中華蕎麦 琥珀」という店です。外見からはシンプルで地味な印象です。

 

予約表はこのようになっています。

 

 

あっという間に予約は埋まってしまうそうです。

営業時間も概ね16時くらいまでなのでしょうか。

 

店内に入って自販機で食券を購入して席に着きます。

今回は、味玉入りの塩ラーメンを注文しました。

すぐ目の前には「ミシュランのカップなど」が飾ってありました。

 

 

しばらくすると、待望のラーメンが運ばれてきました。

 

 

器の演出もあり、やはり雰囲気が違うように思えます。

 

味の方はどうかって?

小生にはとっても上品な味わいを感じました。しじみ・・・そのまま。

しじみの味噌汁のような大衆感がなくて、アーこういうのがミシュランなんだなと初めてミシュランのお店に行ったことでの感想です。

チャーシューが今まで食したことのない柔らかな歯ごたえでおいしかったです。

 

食べ終わったら、先ほどの券売機でお土産用のラーメンを買っておいたのでそれをいただきました。

スープが凍っていたので、職場に戻ってから発泡スチロールを見つけてそれにくるんでおきました。

 

夜自宅に帰ってからもまだ凍っていたので効果はあったようです。

 

さて、本日土曜日に小生が夕食を担当し、醤油と塩と2種類とも作りました。

 

 

とはいっても、そんなに大げさなことはなくて、スープを温めて、麺を規定の時間で茹でるだけのようなものです。

あとは、適当に別に用意したチャーシューや煮卵、メンマ、ねぎなどをトッピングして出来上がりです。

ついでに餃子も焼きました。(写ってませんが)

 

 

我ながらおいしくできたと思います。

 

元がいいものですから当然ですよね(笑)

 

 

 

アイデアは浮かべども・・・

 

前回でフレームとシートレールは「一応」完成しているので、次に進まねばならない。

「一応」というのはまだ改善等々を施す予定だからなのです。

 

今回、本当はゴムベルトに変わるアイデアで再生を行うつもりだったのですが、また別のアイデアが浮かびそちらの方がオリジナルにも近いものであり工程も少ないので現時点でそちらの方法を検討するために部材の調査をしているところなのです。

従って、その次の工程である座面の再生について考察しながら進めることにしました。

 

とりあえず、古いゴムベルトをフレームに張ったもので検討していきます。

 

 

これに、元々ついていた座面のスポンジを載せます。

 

 

こんなに滅茶苦茶でもオリジナルの状態を探るには大事な資料になるのです。

後端部分は逃げ加工なども確認できます。

これで大体のイメージを浮かべることができます。

 

 

フレームのサイド部分にはスポンジがかぶるように成形されています。

 

 

この座面スポンジの裏には「麻布」が貼ってあり、それがスポンジ下面のブレを抑えるような構造になっています。

以前の加工者が黒いスプレーを吹いていて、ゴムバンドの跡がわかります。

 

 

まずはこの麻布ベースのサイズを明確にするために、段ボールでひな形を切り出しました。

 

 

この上にスポンジサイズを検討するために、以前張ってあった表皮を仮付けします。

仮のスポンジ板を入れてあります。

当初は内装黒で進めていたのでこれを再利用するつもりでした。

 

 

後ろの角はこのような感じです。

逃げ加工がされています。

因みにこの表皮は純正ではなく張り替えられたものです。

 

 

次に新しく入手した赤い表皮をかぶせてみます。

 

 

逃げ部分の加工に仕方が違っています。これはどういう風にすればよいのかも検討課題です。

 

後ろの角はこのようになっています。

シートバックにヒンジ部分などは取り付ける際に穴あけなどすることになりますね。

 

 

大体このような感じですが、少しずつイメージを高めてよい結果を出したいと思っています。

 

次の作業としては、ゴムバンドの件とスポンジについて材料がそろい次第着手していくことになりますね。

 

まだまだ続きます。

 

 

 

 

 

 

 

結果オーライでいこう!

 

今回は淑女の話ではありません。

会社から預かっている通勤と業務を使っている車の話です。

先代のクラウンハイブリッドです。現在19万キロを走破しています。燃費は17~19キロ/Lで走ります。夏場はエアコンかけますので落ちますけどね。

 

一年前に前任者より託されてからは小生がハンドルを握っております。

その時点でもちょっと合成皮革がヨレヨレで部分的に剥がれているような状態でした。

使っているうちにその剥がれは加速しボロボロとなってきたので、当初はハーネステープを巻いて済ませました。

薄くて肌触りの感覚もこの合成皮革に違和感なく溶け込んでいて、「これはいいな!」と喜んでいたのもつかの間、今度は暑さによって粘着剤が流れ出しベタベタな気色悪い思いをしながら使っていました。

 

 

 

何回か巻き直しながら、使用続けたもののとても高級車とは思えぬいでたちになってしまいましたので、ハンドルカバーの良いものはないかとカー用品売り場を彷徨うもブットクなるものばかりでスリムでスマートなものは皆無でした。

 

昔はそんな皮革だけの薄いタイプの編み込み型のハンドルカバーが売っていたし、自分でも使っていたので探すことにしました。

 

価格も高いものは論外ですので、リーズナブルで見てくれのシンプルなものを探し出すことに成功し、ネットなので来てみないとわからないと思いつつも、ポチっとやって購入しました。

 

到着したものは、中華製です。

 

 

説明書も何も入っていません。

けれども、以前も編み込んでいますしそこは何とかこなせるだろうと作業に入りました。

 

取付けにあたって、外周にシュッと差し込んでから編み込めばよいだろうと安直に考えていましたが、このシュッとが行かないのです。力を込めて引っ張りながら入りそうになるとズルっと最初にセットしたところがズレて外れてしまうのです。

 

そして、どうしたものかと考え、はまったところをマスキングテープで仮止めしながらようやく全周をはめることができました。

 

 

最後は本当に力いっぱい引っ張り、「本当に入るのか?サイズ違うんじゃないと?」とちょっと泣きを見たくなるような不安な心境にもなりました。

 

 

もちろんハンドルカバーの縫い合わせ面は真下になるように取り付けました。

 

後は淡々と編み込んでいくだけです。

 

 

小一時間かかりましたがようやく全周を編み込むことができ完成です。

 

 

出来上がりには、ちょっとやり直したいように思う部分もありますが、きれいに編み込められたと思っています。

 

これで気分はリフレッシュです。

仕事中にベタベタが気になることもありません。

 

素直になれなくて・・・

 

フレームの再生と同時にやっていたシートレールのことです。

 

結論として純正のシートレールの再生はやめて機能のしっかりした他からの流用品を加工して取り付けることにしました。

その理由として、純正品はかなり錆に侵されていることに加え、ベアリングも酷く損傷しその軌道も凸凹になっておりその修正も困難であり、シートフレームに取り付けるのためのボルトも折れてしまっています。単純に再メッキしただけでは見てくれは良くても、その機能は十分でないことから今回は見送りました。

 

用意したものと比べてみます。

 

 

手前が淑女の純正部品です。シンプルなつくりではありますが、ロック機構も片方のレールにしかないものです。

 

向こうが今回採用するシートレールです。

スイフト当たりの純正レカロシート用らしいです。ロック機構は両方にあり確実ですし、前後の移動幅も20㎝あり純正の16㎝を凌ぎ、なおかつラッチも1.5㎝刻みと純正の2㎝刻みに比べ微細なセッティングが可能です。

レール自身の厚みは1.5㎝厚くなりますが、小生は高めにしたかったので塩梅良しと考えています。

 

ただ、こちらは他車種用ですから多少の加工が必要です。ボディへの取付ボルトがありませんのでその追加加工と、シートフレームの接触個所の逃げ加工をしなければなりません。

 

まずは、シートレールへのボルトの取付加工です。ボディの取付穴と同じピッチに「四角穴」を開け「根角ボルト」を取付けます。圧入で固定されますが、「エポキシ接着剤」クイックメンダーを併用しまし確実なものとしました。

 

 

頭は丸く稼働部の障害にはなりません。

 

 

また、本来のシートよりも取付幅が狭くなるので、シートレバーも幅を詰めて合わせるように加工します。

 

 

中継ぎのパイプを差し込んで、クイックメンダーで固定します。

 

 

シートフレームの逃げ加工をします。

 

 

仮合わせします。

問題ないようです。

 

 

シートレール機構の未塗装部分は錆びる恐れがあるので塗装しておきます。

 

 

続いて、ナット留めで両者を合体します。

 

 

シーレール取付が完了です。

先に取り付けておかないと、座面を乗せてからでは作業が大変やりづらいのです。

 

 

純正でなくてはいけないという考えもありますが、動作の状態の悪いもので我慢するよりもスッキリとその機能が働くことを優先としました。

 

この後のウレタン素材加工などの工程は少々時間がかかるかもしれませんが、引き続きお付き合いくださいませ。

かんざしならぬ短冊がいっぱい

 

塗装も済んで次の工程は、シートの表皮を張るときに引っ掛けて留めるための金具の補修をしなければなりません。

運転席側は以前全部傷んでいたので取り払ってしまいましたので、新たに作成して取り付ける必要があります。

助手席側は、今回の再生にあたり点検中に2か所が金属疲労で折れてしまったため置き換えます。

1席分が16か所あるので18個作成します。

 

左右のシートフレームは基本的に共通部品です。違いは前回指摘したロック金具の有無だけでシートバックを取り付けるための突起とボルト止めの穴も同位置にあります。

 

上が助手席、下が運転席です。

 

 

それでは欠落している金具の作成をします。

材料は0.5㎜厚のボンデ版。今回もコピー機の外板パネルからの切り出しで賄います。

 

 

適正サイズに切り出して穴あけをします。

 

 

フレームに固定します。本来は右のようにスポット溶接でかなりテキトーに留められているのですが、今回はポップリベットにて固定しました。後端部はこの後にパイプに沿うように軽くたたいて馴染ませます。

 

 

そして、16か所の金具の取付が完了しました。

 

 

まるで花魁のかんざしの様でありんすね。

 

 

後は、一応塗装もしておきましょう。

 

次回はシートレールの取付を行います。

 

 

 

できるときにやっておかないとね

 

昨年破けてしまった軒先の波トタン。もう10年以上前に張られたものでとっくに製品寿命は尽きています。

 

 

ゴールデンウィークでやりたいことは数あれども、やらねばならぬものの優先順位は決まってくるもの。

淑女のことはやはり後回しにしなければならないので、とっととトタンを張り替えてしまいましょう。

 

経年劣化した波トタンは簡単に割れること割れること。バリバリと高所作業に気を付けながら剥がしていきます。

 

 

飛び散った破片の掃除にこの後時間を取られてしまいました。

 

さて、後は新しいものに張り替えるだけのつもりだったのですが、はげちょろけの躯体はやはり塗装をし直さねばならぬでしょう。

そんなわけで、とりあえずは張ってしまうと塗りづらいので、上部の塗装を先にしておくことにしました。

元はホワイトでしたが、気分を変えて「フォレストグリーン」なる深緑の塗色にすることにしました。

ホワイトよりも少し落ち着いた感じになると思ったからです。

 

 

ここまでで、夕方になってきたので翌日に作業に続きをすることにしました。

 

そして、新しい波トタンに張り替えました。

今回はポリカーボネート製品ですから耐久性はかなり良いでしょう。

継ぎ目にはごみが入り込まないようにコーキングを施しました。

 

きれいになって気分も爽快です。

 

 

作業途中で、歯医者さんに行ったり、別に住んでいる母を誘ってランチ&墓参りに行ったりと連続作業はできませんでしたが休み中に完成したので良かったです。

 

明日から平常に戻ります。仕事もしないといけませんからね(笑)

 

 

取り急ぎ前回の訂正から・・・

 

前回のブログでは、背もたれから判明したウレタン素材の商品名を「エバーライト」と記載したのですが、古い写真を整理していたら以前記録した写真に写っていたのは「Eversoft」つまり「エバーソフト」という商品名が明記されていました。そんなことはすっかりと忘れていて、先日の劣化して読みづらくなった商品名を読み違え、エバーなんとかで検索したところブリジストンのホームページから現行商品の「エバーライト」を見つけ早合点してしまったという次第です。

 

そこでその「エバーソフト」なのですが、パンフレットはこちらです。

 

 

ちょっと歴史を紐解いてみます。

1950年(昭和25年)ブリジストンの石橋社長は米国でフォームラバー工場の見学をしました。

それを基に試作をし、1952年(昭和27年)「エバーソフト」として発売し、座席用、寝具用として普及します。

1958年(昭和33年)には国内市場の50%超のシェアを獲得します。

 

翌1959年(昭和34年)ドイツバイエル社とフォームラバーの製造技術の導入契約を交わします。

商品名を「エバーライト」とし「エバーソフト」とは競合関係であったが、安価で販売できる「エバーライト」が凌いでいき置き換わっていきます。

 

このような流れと、他社にも同様の競合製品が表れていき徐々にその座から消えていったようです。

 

小生の記憶の中での「エバーソフト」。まだ或る程度健在だった時の感触は、ウェットな感触という表現が適当かどうか意見は分かれるでしょうが、コンニャクみたいな感じで、ぐにゅっと掴む感じ。或いはちょっとブルンブルンとした感じだったと記憶しています。最近のウレタン素材はドライな感触で、硬めのものはギュッと掴む感じ、やわらかいものはクシュっと掴める感じかと思います。その感覚特性からも過去のものになってしまったものだったのだなと思います。

 

そのなれの果てが今回の我が淑女のシートウレタンです。

 

それでは今回の進捗状況です。

 

ゴムベルトの状態です。

これはどうにもなりませんね。

ひび割れて伸びてしまっていますから、作り直すか代替え案で対処するかです。

 

 

それと、左右のシートフレームの違いが初期のSP311にはあります。(おそらくSP310も同様かと思います。)

それは、シートバックのロック機能の有無です。

 

 

左が助手席用で金具がビス止めされています。右は運転席用で金具がありません。

助手席は簡易的ではありますが、一応シートバックは固定されますが、運転席はそれがないのでブラブラです。

シートに人が座っているから倒れてこないという発想なのでしょう。

面白いですね。

 

これが純正の仕様ですが、お手製でも簡易的なロックはできるように改良した方がよいかと考えあぐねています。

 

それらを踏まえたうえで、錆びた躯体の研磨作業をします。

いつもの3M製のCNSベベルを使います。錆と塗装を剥ぎ取るには最適のアイテムです。

CNSベベルと同様の製品が各社から出ていて、いくつかの製品は試しましたが、これには及びません。

摩耗が早すぎたり、研磨性能が劣っていたり、といったことが他社製品では感じました。

 

粗削りですが、大体研磨したところです。

 

 

そのあと、細部のブラスト作業等をしました。

 

サビ鉄用塗料で塗装し乾燥します。

 

 

庭も少しにぎやかしくなってきました。

良い季節ですね。

 

 

ミツバチもきています。

 

 

どこに巣があるのかな?

おいしい蜜の製造所

 

 

 

 

 

 

 

 

パンドラの箱を開けるとそこには・・・

 

更なる熟成がされた魑魅魍魎がお出ましになるのだった。

 

 

もはや原型を留めていない座面と崩れている背もたれ。

 

 

ベースの麻布も露わになりそれさえボロボロ。スポンジはカチコチに固まっているところもあれば、湿気って固まった砂糖を触ると崩れていくような感触でサラサラと分解されていく始末。

 

もうこの座面に明日はない。

 

消えたもう一枚の座面はどこへ行ったのだろう。捨てた覚えはないのです。

よくよく確認すると、背もたれに同化しているように張り付いていました。

 

 

この座面は、前回のブログで29年前に撮ったそのものです。風化具合が尋常じゃありませんね。

 

背もたれに、「BS Everligt」の文字があります。(hは入ってないようです)

これは、ブリジストン製品のエバーライトというウレタン素材の商品名です。

こちらは現行素材のようです。ブリジストンのホームページに紹介されています。

 

追記(この商品名については、間違いであったことが判明しましたので、次回の記事にて訂正内容を書きます。)

 

 

JISマークもありました。

 

 

ただ、現行素材であっても個人で購入するようなものではありませんので、代替えには別なものを用意していますので再生にはそれを使います。

 

フレームの方はどんなでしょう。

 

 

 

 

相変わらず酷い惨状ですが、室内保管であったので錆の進行はしていないと思われます。

運転席は上記のような状態ですが、助手席は意外と錆はましな状態です。

 

 

こちらは背もたれの内側です。

ボコボコに凹んでいます。

これは左右共にこんな状況です。

恐らく、荷物などをシートの後ろに入れて無理やり座ったために凹んだものと思われます。

或る程度は直さないといけませんね。

 

表側は、1965年(昭和40年)当時の組み立て作業員による見事な達筆を見ることができます。

何て書いてあるのでしょうか?

 

まーいい加減な糊付け作業です。

 

 

これが、2022年(令和4年)5月の現状です。

 

明日も順次作業を進めていきます。

 

 

 

 

 

 

 

封印は解かれて魑魅魍魎が放たれたのであった・・・

 

内装作業も進展してきたところで2022年(令和4年)のゴールデンウィークへと突入。

前半は所用もあり、また天候も今一つでしたが、後半は天気も上々という予報です。

 

そこで、ようやく29年の時を経て一つの封印を解くことにしました。

つまり、1993年の4月に前回の再生を行いましたが、その時余りの酷さに手におえず、仕舞い込んでいたものがありました。

それを今回は再生して取り付けることにします。

 

シートの再生の1回目は、プロローグとして29年前の画像を確認方々見直します。

 

淑女が我が家にやってきた1993年1月のその日に撮ったシートの写真です。

 

 

へたれてはいるものの破けているわけではありません。

ただ、座り心地がよろしくないのです。鉄骨フレームが直接当たる感じです。

 

しばらくはそのまま乗っていましたが、3月に事故を起こしてしまったことを機会に4月より再生作業に入りました。

 

車体の再生作業と並行してシートも再生すべくぬいぐるみを剥いでみると溜息をつくほかない程のいかれた惨状がそこにありました。当時の技量ではとても手を付ける気になれず、結果としてバラしたまま手を付けることなく封印してしまいました。

 

まず一番途方にくれたのは座面のアンコです。

粉々になってかなり消滅してしまっています。これではフレームに直接座ってるも同然です。

 

左が表皮、右がアンコ。

 

背もたれのスポンジは形も弾力もまずまずでしたがへ立って小さくなっている感じです。

防水の為?のビニールがかかっていました。

 

 

背面は、鉄板を覆うように綿が前面の背もたれのスポンジ側面までを薄く覆うようにしてあります。

これは、もう少し後の時代なら、薄手のスポンジかフェルト材などを用いることでしょう。

この部分も湿気を含んだことによる腐敗が酷い有様です。

 

 

裏返すと、シートレールがついていますが、錆の進行が酷くグリスの切れており稼働するのも座ることでやっと動くような状態で、前後させるたびにゴロゴロと動かないベアリングを無理やりデコボコのレールを引きずる感じです。

 

 

フレームだけにしたところですが、全体が錆に覆われている状態です。布入りゴムのベルトもヘロヘロと張りもなく歪んだ状態です。

 

 

フレームのアップです。

 

 

こんな状態でしたし、布入りのゴムベルトの入手は、ベルトコンベアのベルトが使えるなどと聞いたものの全くめどがつかず、断念することにしました。

 

この時は、コブラのバケットシートの新品を買い込み、初代バネットのシートレールを利用して助手席共々取り付けることにして仕上げることにしました。

 

 

こんなことを書きながら当時のことも思い出してきます。

4月から9月までの期間で再生をしました。20代でバイタリティもあり仕事の後、毎晩3時間くらいの作業をしたと記憶しています。親友だったK君にも手伝ってもらい10月1日の新潟でのイベントには彼と一緒に参加しました。この辺りはこのブログの最初に書いた「淑女との馴れ初め」にもちょっと書いています。

そういえば、当時は40~50代のおばさんにうけがよかったね。彼女らが青春を謳歌していたころのカッコいいスポーツカーですから。

 

さて、次回はこの問題のシートの再生作業に入ります。

小生のことですから、純正を意識しつつもオリジナルの内容で再生作業を進めていきます。

 

少しは見えないものが見えてきたかも・・・

 

前回でわかる範囲のことは書いてみたのですが、さらに詳細な「ハナシ」を知ることができたので少々書き足してみようかと思います。重複している内容ですのですがご容赦ください。

 

さて、1964年(昭和39年)に遡るところから始まります。前年の第10回東京モーターショーの出店に向けて進めていた「ダットサン1500クーペ」計画は、生産計画のない自動車は出展できないという日産の社内規定による憂き目に遭い、当初の試作車はお蔵入りすることになります。そのクーペは販売中の「ダットサンフェアレディ1500(SP310)」の車台を使いボディを乗せ換えたもので、型式としては「CSP310」ともいえるものです(未確認)。このプロジェクトは生産計画を立ち上げたことによって継続され次に出来上がった試作車は販売用車両として第11回東京モーターショー1964年(昭和39年)9月26日~10月6日に出展することに漕ぎつけます。

 

ただ、この車はベースになった「フェアレディ1500」が来春「フェアレディ1600」としてマイナーチェンジする計画があるため、合わせて同時に生産計画がひかれます。恐らくこの時点で来春の新型車としての運輸省への申請の中で「車台をCSP」としていたらその後の車台の混在はなかったのではないかと推測します。しかし、プロジェクトの流れの中で特に意識されることもなくそのまま車台を「SP」のまま進めてしまった或いは運輸省の規定や期限の関係でやむなくそのままだったのかもしれません。

 

第10回東京モーターショーでも好評を博し、各種メディアでも取り上げられた「ダットサンクーペ」は来春の発売に向けて生産に入ります。

次の表では、フェアレディおよびシルビアの生産台数と輸出数を示しています。

 

 

ここで注目したいのは、1964年の生産台数です。フェアレディは6台、シルビアは27台の合計33台が生産されています。

この台数を覚えておきます。ある好事家の情報によると、シルビアの初期ロットは50~60台位といわれ、52台であった65台であったという情報もあります。そして、シルビアの車台のSP311-00064までは確実に「7」のない車台番号だそうです。ということは、64年生産のSP311の車台は両車を混在してカウントされていることは確実です。少なくともフェアレディに車台番号「00033」以下の番号を振られているものが6台あるということも間違いないでしょう。(小生はその内の1台は確認しています)

その後どのタイミングかは未確認ですが「7」付きの車台で両車は明確に区別されます。となりますと、フェアレディの車台番号は、生産台数とは一致しなくなります。初期の車台の多くはシルビアに供されたと考えてもフェアレディの100番台の車両はかなりの初期製造であると考えられます。つまり我が淑女もここに含まれます。

 

次に輸出数をカギとした考察もしてみます。

上記の表の数字はそのまま、生産台数ー輸出台数=右ハンドル台数(日本国内用)と鵜吞みにはできません。つまり、実際には輸出用は左ハンドルのみが輸出されているというわけではないのです。例えば「SP311」は右ハンドルで一般には日本国内用といわれています。ところがオーストラリアなどの左側通行圏には「SP311」が輸出されています。こちらは若干の仕様違いで「SP311-U」としてパーツカタログ等では分類されています。左ハンドルは「SPL311」です。北米輸出車の殆どはこちらになります。

 

更に別表によってシルビアの販売や輸出も考察してみます。

上記表に比べ販売台数が記載されている点がよいです。

 

 

左より、年、生産台数、販売台数、輸出台数の順です。

 

生産台数については公表通りの554台で問題ありません。

輸出台数についても同様なのですが、右ハンドルしか量産されなかったので、ショーモデルとして北米への出展はしたもののフェアレディのように北米輸出はなかったようです。この59台の内49台はオーストラリア、2台がパプアニューギニア、10台が環太平洋地域、こちらも右側通行のニュージーランドや香港辺りではないかと推測されます。そして、南アフリカに3台とされています。合計54台。残りの5台はどこに行ったのでしょうか?

 

続いて販売数です。驚くべきは1974年の1台の販売です。1968年に製造されてから6年もの長期在庫だったのでしょうか?そしてこの最後の一台は今なお現役なのでしょうか?とても気になるところです。その翌年の1975年には、「ニューシルビア(S10)」の発売が開始されます。石油ショックがなければロータリーエンジンを搭載して颯爽とデビューしたであろうという迷車です。

 

そして、生産台数554台に対し、販売台数と輸出台数の合計した540台との差に14台があります。どこに消えたのでしょうか?

レース用や寄贈したものなどは販売に入らないと考えればよいのでしょうか?日産ではワークス活動には使ってないが個人の活動はあったようですが、それは販売されたものでしょうからこの中には入らないでしょう。試験車両として解体破壊されてしまったものもあるかもしれません。

 

もしかしたらですが、寄贈としては神奈川県警に2台納入されているものがそうかもしれません。あの第三京浜で活躍したパトロールカーです。

だったとしても、後の12台の行方はいずこへ?

 

 

謎は深いです。

 

R型1600ccエンジン搭載車トリオのうち、「ブルーバードSSS(R411)」については、全くかすりもしませんが、この時代の日産には欠かすことのできない立役者ですので、仲良く三台並びの広告を挙げて今回はしまいとします。

 

 

小生は3台とも大好きです。

 

また何か情報があったら書くかもしれません。

 

では!