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小学4年の11月から卒業まで通った5校目の次は、いよいよ中学校。

 

 

あちこちの特別支援学校の見学や説明会に参加しました。

 

 

某教育大学付属の支援学校では、PTAの学校生活支援が日常的に強制されるという。

 

 

教師がやることでは?と思う学校生活のあれこれを、なぜか親がやらなければいけない。

 

 

そんなの、仕事を持つシンママには無理な話です。

 

 

また、別の支援学校では、通学のバスの送迎が必須。

帰宅時間は毎日違いますから、当然これも無理でした。

 

 

一人登下校のできる息子に、バス停の送迎は必要ではないんだけど、個人の状況に応じて免除はされないんですよね~。

 

 

ということで、クラスのお友達のほとんどが通う普通中学にも行ってみましたが、こちらは小学校とはまったく教師の対応が違っている。

 

 

問題のある子どもたちを「見て見ぬフリ」している現場をたった数十分で何度も発見できる。「ここはダメだな」と判断せざるを得なかった。

 

 

ところで、このころわたしは、某保険ショップでFPとして設計、販売をしていました。

 

 

勤務地が兵庫県でしたが、家は大阪市内。

通勤に時間もかかっていたので、これを機に、神戸や芦屋、西宮の中学も見学してみました。

 

 

その結果、芦屋の学校を選びました。

普通中学の支援学級に在籍することを決めたのは、支援学級の教師の対応がよかったからでした。

 

 

そこで、芦屋に引越しを決めたんですね。

 

 

ただ、入学してびっくりしたのが、見学時に気に入っていた教師は別の担当になっていて、実際担任した教師が最悪でしたあせる

 

 

学校は選べても、担任は選べない。

 

 

表情を一切変えないその担任は、30代のひょろっと背の高い女性の教師。

 

 

人の悪口を言わない息子が

 

 

「言っていることと、思っていることが違っていてコワイ」

と言うほど、不気味で冷たい対応でした。

 

 

発達障がいのある子は、コミュニケーション能力が低いと言われますが、100人いれば100通り。

 

 

息子は、感受性が強いので、人の感情の深い部分を一瞬で感じ取るんですね。

 

 

近づいてはいけない場所や、関わってはいけない人など、無意識レベルで察知します。

 

 

こういうところは、わたしも同じ。

 

 

それでも息子は、学校には通ってくれていました。

 

 

「もうぼくは、学校で何かあっても、休まない。

だって勉強できないと、自分がソンするから」

 

 

学校を楽しんでくれるのが、一番。

だけど、学校は本来、学ぶための場所。

 

 

そういうことを5校目の小学校で学べたからこそ、そう思える子に育ったんだなぁと思ったものです。

 

 

つづく